第八話 ハッテ村の遭遇戦2
霧の立ち込める中、ハッテ村に向かって馬を走らせる一団がいた。第八軍団第七大隊の大隊長アクトと、弓騎兵部隊《穿弓隊》三十騎にそれを率いるシュバーであった。
それに加えて、アクトの知己であるアナートとヘルモが同じく馬に跨って進んでいた。
濃霧は視界を遮り、ニ、三十歩ほどの先までしか見えない。馬を走らせるのには最悪の状況と言えるだろう。だが、それでも、条件は敵方も同じである。とにかく、急いでハッテ村に着き、そこを掌握した方が有利に展開できる。
そう考えるからこそ、無茶を承知で突き進んでいるのだ。
「んじゃま、先行ってるわ!」
そう言うと、アナートは馬に鞭を入れ、さらに加速していった。そもそも、アナートは装備が軽い。他の面々は正規の軍人であるため、金属製の鎧を着こんでいるが、アナートは皮鎧であった。しかも、少女と呼べる年頃であるため、周囲の大人に比べて体も軽い。
馬術の腕前が遜色ないのであれば、軽い方が有利なものである。
軽いという意味では、ヘルモに至っては一切の鎧を身に付けてはいなかったが、馬術は他より劣るため、付いていくのがやっとという状態であった。
「アクト様、アナート様を先行させて大丈夫なんですか?」
必死で馬を走らせながら、アクトに並行するようにヘルモは走り、尋ねてきた。
「あいつの装備なら、狩人です、でごまかせるからな。敵とぶつかってもやり過ごせる。先に村に着いたら、“駅鈴”を見せればいい。村長が学の有る奴なら、その意味を理解してくれるだろうよ」
駅鈴とは通行手形のことで、それを示せば各所の官舎等で便宜を図ってくれる。色々と便利な道具であるが、手にするにはかなりの上役の許可がなくてはならない。
その点、アクトやアナートの持つ駅鈴は、皇帝からの許可証である「銀の鷲」の意匠が施された特別製であった。
「なるほど・・・。やっぱり便利ですね、あれ」
「それより、お前は武装を一切してないんだから、いざとなったら、村の少年です、でやりすごせよ」
「そりゃ無理ですね。見た目的に」
ヘルモは南方出身であるため、肌は褐色であった。一人だけ色合いが違っていれば、どう取り繕っても怪しまれることは請け合いであった。
「まあ、それもこれも、大隊が相手を蹴散らせば杞憂に終わりますよ」
「おお、それもそうだ。ハハッ、では励むとしよう!」
そうこうしているうちに、街道から村へと逸れる脇道にたどり着いた。辻に指標石が置かれており、村へと導いてくれた。
更に脇道を進むと、目的のハッテ村へとたどり着いた。
軍の気配を感じないことから、どうやら先行できたと一応の安堵をアクトはしながら村の中を馬を進めていると、アナートが村の広場で何人かの大人と話し込んでいた。
アナートが手に駅鈴を握っており、どうやら一応の効果はあったようだと確認できた。
「あ、来た来た」
アナートが手招きする方へアクトは近付き、自身もまた持っていた駅鈴を見せつけた。
「おお、駅鈴がさらに一つ」
村人の一人がアクトとアナートの持つ駅鈴を交互に見やり、そう呟いた。駅鈴を、まして皇帝直々の許可証を二つも同時に見れるなど、まずお目にかかれるようなものでもないので、さすがに物珍しさから驚いているようであった。
「村長は?」
「わ、私めにございます」
老人が一人進み出て、アクトに対して軽く一礼しつつ、警戒の色を露わにした。アナートが多少説明しているであろうが、いざ軍隊が実際にやって来るのとでは、感じ方に差がでてくるであろう。
「この先のスラにて、貴族のイオサキスが反乱を企て、弟のアオンドロスが手勢を率いて接近中である。ここが戦場になることは明白だ。ひとまずは、女子供は家から出すなよ。今更避難も間に合わん。とにかく、静かに息を潜ませて静かにさせておいてくれ」
「わ、分かりました」
村長は村の男衆に指示を出し、周囲の家々に家から出ないように連絡を回させた。
「それで大隊長、どうなさいますか?」
シュバーが尋ねてきた。すでに、部隊全員が下馬しており、指示一つで弓兵として配置に付けるよう身構えていた。
「我々は街道を東から来た。敵は当然、スラのある西側からやって来る。村の西側の入り口にて、敵騎兵を迎え撃つ。村の入り口に“薪”をばら撒いて、即席の足払いを用意する。かかれ!」
アクトが指示を飛ばすと、全員が弾かれたように一斉に動き出した。家や倉庫にある薪を抱えては、村の西側の入り口付近に乱雑に放り投げた。本来なら効果のない馬止めであるが、今は視界が遮られている状態である。もし、そのような状態で馬を走らせてきたらば、まず足元の薪を踏みつけ、体勢を崩すことは容易に想像できた。
ある程度、準備が整った段階で、今度は我先にと射撃場所の確保に動いた。西側から侵入すると仮定し、それに対しての最適な位置取りを個々の判断に任せて配置に付かせた。ある者は入り口付近の物陰に、ある者は茂みの中に、アナートに至っては家の屋根の上に登っていた。
「ヘルモ、お前は東側の入り口にいろ。入って来る味方をここまで招き寄せろ」
「は、はい!」
ヘルモは指示に従って、村の東側へと駆けて行った。
そして、当のアクトは堂々と西側の入り口に付近に待機していた。薪をばら撒いた付近にて馬に跨り、敵が現れるのを待った。ある意味、やって来た敵と真っ先に接触するであろうため、最も危険な位置取りではあるが、誰かが合図を送って射撃を促さねばならなかったため、やむを得ないことであった。
霧が立ち込め、ひんやりとした触手がアクトを始め、伏せている兵士皆を絡め取っていたが、それでも熱いと感じるほどには緊張していたのだ。
アクトは感覚を研ぎ澄ませ、霧の向こう側にいる敵を探った。視界が悪い分、聴覚や触覚に頼らざるを得ないが、集中していると、だんだんと何かが耳に入るようになってきた。
(馬の声だ)
まだ少し距離があるが、間違いなく迫って来る気配を感じ取った。駆け足で迫って来る馬の足音も、徐々にだが耳に入り始めていた。
緊張しながらも、アクトは取り乱すことなく、馬具に備え付けていた弓を手に取り、矢を構えた。
そして、それは来た。馬が勢いよく村の西側の入り口に姿を現した。
だが、走る勢いそのままに豪快に倒れ込んでしまった。勢いよく走ってきたところに、ばら撒いていた薪を思いきり踏んでしまい、体勢が大きく崩れてしまったからだ。
さらに、倒れ込んだ方向が悪く、後続の二頭目を巻き込む形となり、これまた落馬した。
三頭目でどうにかギリギリ停まることができたが、そこは周囲をグルリと弓兵が潜みながら取り囲んでいる“殺し間”であった。
「今だ、放て!」
アクトの声が霧の中を駆け巡り、待ってましたと言わんばかりに、次々と矢が放たれた。霧の中である以上、射手からも的は見えていない。だが、道の位置は把握している。とにかく、道の辺りに撃ち込めば命中するだろうという、デタラメ射撃であった。
狙って撃てる状況でないので命中率はお察しであるが、それでもアクトを含めて三十人からの射撃である。どれかは当たるし、視界見えない状態で矢があちこちから飛んで来たら、むしろ敵の方が混乱する。
「な、待ち伏せだと!?」
敵の隊長と思しき声が耳に入り、さらに敵兵と馬の悲鳴が次々と聞こえてきた。予想通り、敵方も先手を取ろうとハッテ村へと騎兵を急行させ、押さえようとしたことは間違いなかったようだ。
だが、土地勘がある程度利く場所であるはずなのに、第七大隊に村を押さえられ、しかも罠と待ち伏せの時間まで提供してくれるとは、相手方の指揮官は判断が遅いとアクトは感じた。
「ひ、引けぇ!」
ここで敵方から撤退を促す声が響き、馬首を返して再び霧の中へと消えていった。
「撃ち方止めぇ!」
敵が引いたの感じ取り、アクトが声を張り上げて射撃を止めさせた。さらに集合を呼びかけ、兵士を並べさせ、数を確認した。自分を含めて三十二名、東の入り口で待機しているヘルモを除けば、再び全員が顔を会わせたことになる。
「一人も欠けてないな。まずは上々。次は南から来る。再配置するぞ」
「今度は南からですと?」
「その通りだ、シュバー隊長。村周辺の地形や街道の位置を見ると、次は南から来る。敵部隊が居るのは西、先程の部隊が西から来たのは最短で来たから。だが、西は塞がれていた。当然、そこにはもう来ない。北側は小高い丘と葡萄畑が広がっていると村長から聞き出している。騎兵で来るのは難しい。なら、南側に来るのは当然。しかし、先程の二の轍は踏まぬよう、西と南の同時攻撃が来る。西から歩兵、南から騎兵という具合にな」
そうこうしているうちに、後続の小部隊が到着した。什長のテオドルスと、その部下達であった。相当頑張って走って来たらしく、かなり息が荒かった。
「テオドルスか、一番乗りは。見事と言いたいところだが、休んでいる暇はないぞ。敵の第二波が来る前に障壁を築く。村の男衆と協力して、家の椅子やら机やらで南側に壁を作るぞ!」
「了解しました!」
テオドルスは疲れを感じさせず、威勢のいい声で返事をすると、指示に従って障壁の構築を始めた。家の中から家具を運びだし、次から次へと並べていった。
「矢が心許ない。先程の矢も回収しておけ。折れてなければ、まだ使えるはずだ!」
アクトの指示の前に、すでにシュバーは何人かに命じて、矢の回収をさせていた。普段から弓騎兵の指揮をしている分、矢の残数には誰よりも注意していたからだ。
一方、皆が慌ただしく動き回る中、ただ一人だけ微動だにしない者がいた。アナートである。
アナートはその身軽さを活かし、西側の入り口付近の納屋に登り、屋根の上から狙撃していたのだ。
第一波が引いた後も家根から降りず、ひたすら監視を続けていたのだ。もちろん、濃霧のせいで相手の姿は見えていないが、馬の嘶きや金属の擦れる音など、耳から入り込んでくる情報は意外と多い。
そして、第二波が近いのか、アナートは背中に寒気を感じた。
「兵気が近い・・・。みんな、下がって!」
アナートが屋根の上から警告を発すると、矢の回収に夢中になっていた面々も急いで後退した。
そこへ、ソロス率いる後続が到着した。
「大隊長、遅くなりました」
「来たか! すぐに兵を西側に張り付かせろ! 第二波が来るぞ!」
アクトの指示に従い、ソロスは貴下の歩兵に隊列を組ませた。剣や槍を持ち、盾を構え、村へと通じる道や入り口を“人の壁”で塞いだ。
「これはなんとも、無様と言うか、気が落ち着かぬと言いますか」
「条件は相手も同じだ。どちらも無様を晒している」
ソロスのぼやきをアクトはニヤリと笑って受け止めた。
なにしろ、今、自分も相手の指揮官もやっていることは愚劣の極み。“戦力の逐次投入”という、指揮官であるならば最も戒められねばならない行動を執っているからだ。
状況は“霧の中での不期遭遇戦”という最低最悪な代物。隊列もなにもあったものではなく、当然ながら陣形の展開などというものもない。とにかく、村に向かって走り込み、着いた先から次々と前線へと放り込むという、無様なやり方だ。
こうなった理由は簡単。相手が見えないからだ。
そのため、位置が分かっているのは村の場所であり、そこを押さえようと、互いの指揮官が騎兵を先行させて橋頭保としようとしたのだが、これは判断の早かったアクトに軍配が上がった。
戦いの第一手はアクトが制したが、それでも厳しいことには変わらない。なにしろ、敵方には倍以上の戦力があるからだ。
村と村周辺の地形を利用し、防御に徹して追い払えば勝ちだが、数で押し切られる危険もある。そのためには次々と到着する後続を上手く配備し、敵の攻勢を防がなくてならない。数が少ない以上、一度でもしくじって戦線を抜かれれば、取り返しのつかないことになる。
一方で、攻撃を仕掛けるアオンドロスにも余裕はない。目標にしていたハッテ村を取られた上に、半数以下の部隊に負けたとなると、周辺への圧をかけ、反乱参加を呼びかけれなくなるからだ。
そして、のんびり霧が晴れるのを待つわけにもいかなかった。現段階でどれほどの数が村に入り込んだかは分からず、村を要塞化することも考えられた。防御施設が完成してしまえば、小勢と言えども落とすのが難しくなるのは明白であった。
そのため、数による強引な押し込みを要求され、それをやっている最中なのだ。
戦場の霧、逐次投入、血生臭い混沌が広がり、まだ収まる気配を見せていない。
~ 第九話に続く ~