第七話 ハッテ村の遭遇戦1
第八軍団第七大隊は反乱が発生したと報告のあったスラへと行軍していた。当地の領主である貴族のイオサキスが皇帝即位直後を狙って、謀反を企てたのだ。
貴族とは、言ってしまえば大地主のことである。
領土を持つ領主と言えば、ライアス帝国においてはおおよそ二種類存在する。一つは軍団指揮官だ。軍団の維持や訓練を目的として、皇帝より軍管区という土地が一時的に貸与される。しかし、指揮官を辞する時は土地を返上しなければならないため、あくまで一代限りの領主というわけだ。
そして、もう一つの領主は貴族と呼ばれる先祖代々の地主層だ。地主にも大小様々あり、大雑把な区分となるが、動員兵力が千を超えるような家門を貴族と呼ぶのが通例である。
土地は軍団指揮官と違って世襲であり、家門に所属する者が管理運営して、領域内の収益はすべて懐の内に入れることができる。
一応、皇帝は貴族に対して貢納、奉仕という名目で金銭の要求や兵員の供出を求めることがあるが、大抵は反発される。とはいえ、反発しているだけでは最悪討伐されるし、あるいは宮廷内に置いて旨味のある要職に就くこともできるので、供出に応じる場合もある。
皇帝と貴族はこうしたせめぎ合いを常に続けており、国内不和の火種として常にくすぶっている状態だ。
第七大隊の指揮官であるアクトもまた、イオサキスが反乱を企てたのも、その辺りが関係しているのではと考えていた。騒動を起こして皇帝を困らせ、大人しく矛を引っ込めてやる代わりに、貢納する金額などを下げさせたり、あるいは領地の拡充を求めたり、要求しそうな内容はいくらでもある。
とはいえ、その辺りの情報が出揃っていないこともあって、まずはスラに近付いて情報収集というわけで、部隊をそちらに動かしていた。
行軍するに際して、斥候を多く放ち、警戒に警戒を重ねていた。予想される敵方の最大戦力は三千。六百三十しかいないので、まともにぶつかればまず勝ち目はない。
相手の出方次第ではあるが、できれば接敵しないに越したことはない。斥候を放ち、付近の情報を探っているのは、とにかく不意な遭遇に対処するためだ。
慎重に行軍したため少し予定より遅くなったが、それでももうすぐイオサキスの治める勢力圏内という所まで進出できた。
そして、それはやって来た。強烈な濃霧だ。
早朝、出発の準備のために荷物をまとめていると、濃い霧が立ち込め、たちまち視界を遮ってしまった。二、三十歩ほど先が見える程度で、とてもまとまった行軍を出来る状況ではなかった。
濃霧が晴れるまで進軍を見合わせては、という意見が隊長達から出されたが、アクトはあくまで前進することを命じた。
「ただし、斥候の質を上げる。三人一組で行動し、互いの距離を留意しながら偵察せよ」
アクトの出した指示はこうであった。先日までの騎兵による斥候は、二人一組で編成されていたが、それに変更を加えた形となった。
それにより、濃霧の中を行進することとなったが、やはり危ういなとソロスはすぐに感じた。予想通り視界が悪すぎて、自身が率いる百人隊ですら前方と後方で互いの姿を視認できないほどであった。
「大隊長、この視界の狭さはやはり危険です。停止した方がよくありませんか?」
「おおよその位置は、“そいつ”が教えてくれるさ。今はとにかく前進だ」
アクトの指が示す先には、大きな石が置かれていた。それは“指標石”と呼ばれる石で、帝国内の主要街道には必ず置かれている道標だ。一定間隔で設置されており、その表面には必ず街道名と数字が彫り込まれている。物によっては、最寄りの町や村までの距離まで彫り込まれている場合もあった。それを確認すれば、どの街道のどの位置にいるのかはおおよそ認識できるという仕掛けだ。
隊長達や兵士達の不安をよそに、アクトは平然と前を向いて進んでいった。
そして、それはとうとう起こった。街道を先行し、前方に偵察に出ていた斥候隊が“敵”と遭遇したのだ。敵方も霧のために騎兵を先行させて偵察させていたのだ。
つまり、互いの偵察隊が濃霧の中で、不意に遭遇したという状況となった。第七大隊は三騎、敵方は二騎だ。
さすがに練度の高い《穿弓隊》を偵察に使ったこともあって、遭遇の対処に差が出た。相手の姿を視認すると同時に素早く剣を抜いて相手を突き飛ばし、一人落馬させた。慌てた別の一騎は素早く馬首を返し、霧の中へと消えていった。
普段なら馬具にかけてある弓矢を撃ち込むところであるが、視界が悪いためそれは断念せざるを得なかった。
とにかく、敵兵を捕虜にしたのであるから、まずはこれを持ち帰ることが優先と判断し、縄で縛りあげてこれを隊まで持って帰った。
敵兵を捕らえたことに色めき立ったが、同時に隊長達の脳裏にはあることが思い浮かんだ。
“霧の中での不期遭遇戦”
状況としては最悪と言えた。遭遇戦である以上、陣形を組むための時間が乏しいうえに、濃霧という状況下においては視界すら確保できない。もし、ぶつかり合えば、確実に数による押し合いになる。
そして、数はこちら側が圧倒的に少ないことも、隊長達はすでに知っているからだ。
しかし、アクトはそんな焦りを一切見せず、捕らえた捕虜の前に立った。縄で縛られ、無理矢理座らされ、目の前には剣を握ったアクトが立っていた。
「では、捕虜となった兵士よ、お話し合いといこうか」
アクトは剣を相手の鼻先にチラつかせた。敵兵はガタガタ震え、これから自分はどうなるのかと不安にかられた。
「こちらの質問に素直に答えよ。君にできるのはそれだけだ。なお、嘘を喋った場合は・・・」
アクトは相手の頬を軽く斬った。赤い筋が走り、そこから赤い血が滴り落ちた。
「しゃ、喋ります! 喋りますから、どうか!」
「素直でよろしい」
アクトは相手の肩をポンポンと叩き、同時ににこやかな笑みを浮かべた。
「では、最初に質問だ。君はイオサキスの手勢で間違いないな?」
「そ、そうです。正確にはアオンドロス様の部隊です」
聞きなれない名前がでてきたので、アクトはソロスの方を振り向いた。
「アオンドロスはイオサキスの弟です。弟に兵を預けて、こちらに振り向けたといったところでしょう」
ソロスは即答でそう答え、アクトは捕虜に向き直ると、怯えながら何度も首を縦に振った。どうやら、ソロスの考えは正しいようだ。
「では、アオンドロスの率いている数は?」
「だいたい千五百です。うち騎兵は五十」
「数のわりに、騎兵は少なめだが・・・」
それでも全体の総数はこちら側の倍以上いる。周囲で聞いている者は緊張した面持ちになった。
「自身の領域も近いから、地の利がある。そして、兵数は倍以上。まともにぶつかれば、まず勝てる戦だろうな」
「その通りです。おまけに、この霧です。情報収集どころではありません」
ソロスは暗に早期撤退をアクトに促した。牽制や情報収集のための前進であったが、濃霧下での遭遇戦となると、まず殲滅されるのがオチだ。おまけに、初手で部隊を出してきた以上、交渉の余地もなさそうであった。
あるいは、部隊を殲滅させ、その上で交渉という場面も考えることもできた。
どのみち、このまま進めば戦闘は避けられず、おまけに数の上では敗北は必死であった。それが分かるからこそ、ソロスは撤退を促し、他の隊長もそれに同調して首を縦に振っていた。
だが、アクトはそれを分かったうえで、なお尋問を続けた。
「他に兵はいるか? 伏兵はいるか?」
「兵はイオサキス様の城館周辺に千程度詰めてあるだけで、もう他にはいない」
「嘘ではないだろうな?」
「本当だ! 嘘は言ってない!」
剣をちらつかせての尋問である。命の危険を感じる敵兵は、自分の言葉を信じてくれと必死で訴えかけた。アクトの目にはとても演技をしてるようには見えず、発せられた言葉を信じることにした。
「となると、イオサキスの手勢は合計で二千五百。予想の範囲内だな」
「最大予想値よりは少ないとはいえ、こちらの四倍。迎撃に出てきた部隊も二倍強。やはり、まともにぶつかるべきではありません」
ソロスは再度の撤退を促した。数で圧倒されているうえに、やはりこの濃霧が問題であった。
「ソロスや他の隊長達の意見としては、霧に紛れて後退しましょう、と言ったところか」
「はい、遺憾ながらその通りです。とはいえ、あちらはいきなり軍勢を差し向け、交渉の場を持とうとしなかった以上、本気の反乱だということは知ることができました。情報収集としては不十分かもしれませんが、深入りは避けるべきかと具申いたします」
ソロスはあくまでも慎重であった。とにかく、部隊に損害を出さずに引き上げることを優先すべきだと言ってきたのだ。
「・・・、ソロス隊長、捕虜の縄を解いてやれ」
さすがに捕虜を連れての後退は足が遅くなるだけであるから解放するのかと考え、ソロスは急いで捕虜を縛っていた縄を解いた。
縄が解かれ、捕虜は安堵のため息を漏らした。
しかし、次の瞬間には、誰もが予想していなかった光景が目の前で展開された。アクトが握っていた剣を逆手に持ち替え、そのまま捕虜に突き刺したのだ。相手の左肩から突き刺さり、各所の臓物を切り裂いて、右の脇腹まで貫通した。そして、アクトは剣を抜き、敵兵はあの世へと旅立っていった。
「な・・・」
「陛下の栄えある即位を、反乱という形で汚したのだ。一人たりとて見逃すわけにはいかん」
アクトは倒れた死体を冷ややかに見下ろし、血で汚れた剣を拭いてから鞘に納めた。あまりの突然の出来事に、周囲の誰しもが絶句した。
後年、ヘルモはその著書の中で、アクトのことをこう評している。
「アクト将軍はその両の肩に“忠義”と“狂信”を住まわせている」
アクトは自身の命や名誉を軽んじ、それが危うくなることを気にもかけない反面、主君であるユリシーズの命や名誉を犯そうとしたする者には、普段の姿からは想像もできない程に苛烈な処置を下すことが度々見られた。
ヘルモの言葉はそれを示しているのだ。
「大隊長、なにもここまでしなくても。仮にも、同胞たる帝国臣民ですぞ!?」
「なればこそ、余計に許せぬ。陛下の即位と共に時代は変わるのだ。それを喜ぶどころか、いきなりの反抗的な態度。周囲への警告、牽制も兼ねて、此度の一件は徹底的にやらねばならん」
アクトの述べた理屈はもちろんソロスにも理解できたが、それでも僅か十五歳の少年がここまで徹底したやり方を迷いもなく実行できる点は、それなりに長い軍人生活の中でも味わったことのない恐怖を感じざるを得なかった。
「なにより・・・」
「なにより?」
「これで“童貞”卒業というやつだな」
アクトは場を和ませようと必死で笑みを作りつつ、冗談を飛ばしたが、かえって逆効果であった。淡々と返り血を拭く採る様でそう言われても、不気味さしか湧いてこなかった。
「人を殺したのはこれが初めてだ。いざというときに、殺せるかどうかわからなかったので、丁度良い機会だから試してみた。どうやら大丈夫だったようだ」
「そ、そうですか。大隊長、童貞卒業、部隊員一同を代表して、お祝い申し上げます」
「うむ、ありがとう、ソロス隊長」
ソロスもアクトの冗談に乗ってみたが、これまた滑ってしまい、その場には微妙な空気が漂った。
だが、それを払拭するかのように、アクトは大声で叫んだ。
「これより、大隊は全速力で前進する! 騎兵と歩兵を切り離し、騎兵は全速力で前進し、歩兵は急いで後を付いてこい!」
あまりに予想外の命令に、ソロスを始め、その他の隊長達も目を丸くして驚いた。
「し、正気ですか!? このまま前進すれば、倍以上の敵と陣形もない状態で激突することになります。勝ち目はありませんよ!?」
「いや、むしろ、この状況こそ、濃霧が立ち込めているこの状況こそ、勝利の鍵だ」
アクトは慌てるソロスを睨みつけ、そして、その肩に手を置いた。
「私は元々農村の出だ。だから、こういう雰囲気には慣れている。この濃さの霧だと、しばらくは晴れない。風向き次第ではあるが、下手をすると昼前近くまでは晴れない」
「ですからこそ、これを利用して下がるべきです!」
「それでは、霧が晴れた瞬間に敵から攻撃を受ける。下がるということは、敵に背を晒すと同義なのだからな」
アクトの危惧も分からなくもないが、それでも前進する意味をソロスは見いだせなかった。
「まず、騎兵を先行させる。そして、この先にあるハッテ村に防衛線を構築して、そこで迎え撃つ」
「や、野戦築城ですか!?」
「そうだ。相手方もそれを狙って、騎兵を先行させてくる。なにしろ、奴らの領域に近い分、土地勘はあるし、なにより数の上で下がる理由はないからな。だから、全速力でハッテ村まで前進し、これを先んじて制圧するのだ」
そして、アクトはシュバーの方を見やった。
「幸い、シュバー隊長率いる騎兵は、全員が弓騎兵だ。下馬して待ち構えれば、弓兵として使える。村の中では騎兵は遮蔽物が多い分、却って邪魔になる。突進力を活かせない騎兵と、遮蔽物から狙い放題の弓兵、どっちが勝つか分かるだろう?」
「なるほど。つまり、先に村を押さえた方が圧倒的に優勢である、と」
シュバーはアクトの言わんとするところを理解し、頷いてそれを示した。どうやら、シュバーはやる気らしく、すでに雰囲気は戦闘態勢を帯び始めていた。
「では、全速力で前進するぞ。まずは私とシュバー隊で前進し、村を制圧する。相手に先んじて村を押さえ、そこを拠点として敵を迎え撃つ。ソロス、他隊長は歩兵を連れて、なるべく急いで村に駆け込め」
「わ、分かりました。よし、皆、行くぞ!」
ソロスも他の隊長も、先程のアクトの血に染まる姿を見て、完全に飲み込まれてしまっていた。今この状態へ下手に逆らうことはできない、と。
こうしてアクトは馬に跨り、シュバーとそれが率いる《穿弓隊》、それにアナートとヘルモを連れて街道を突き進んだ。
先に村を制した方が勝つ。そう考え、ハッテ村へと急行していくのであった。
~ 第八話に続く ~