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第六話 急報

 第八軍団所属第七大隊はゆっくりとだが堂々と、街道を行進していた。現在、この部隊は新兵を部隊に馴染ませるため、行軍訓練を行っていた。

 この国においては、新兵は一度各所に設けられた練兵場にて基礎的な訓練を施された後、各軍団や城塞の守備隊へと送り込まれ、追加の訓練を施されるようになっていた。現在の行軍訓練がまさにそれである。

 第八軍団は北方戦線より帰還し、欠員が出ていた分の補充兵を新兵で穴埋めし、各隊が訓練に勤しんでいた。第七大隊もその一連の動きの中、現在帝国領内を巡察名目で行軍しているのだ。

 新皇帝ユリウスの命によって発令し、新皇帝初の軍事行動であり、領民に新皇帝の名前のお披露目という意味合いも兼ねていた。

 そして、第七大隊の指揮官が、その新皇帝の命を受けて各地を巡回しているのだが、その指揮官というのが、何かと注目を集め、軍の内外で話題となっていた。

 なにしろ、大隊長コホルスたるアクトは齢にして十五。初陣すら果たしていない若者であった。つい最近まで皇帝ユリシーズの側仕え、近衛兵としてその側近くに侍っていたが、それがどういうわけか軍の慣習を破ってまで、いきなり大隊の指揮統率を任されたのである。

 当初は何かと問題視され、軍の規律や慣習を何だと思っているのかと、大隊所属の隊長達から睨みつけられたものである。

 アクトはこの無茶苦茶な人事に自身も不満と不安を抱えており、そうした批判を受ける覚悟の上で就任したのだが、今は表面的には落ち着いていた。

 理由は二つあり、その内の一つは副長のソロスの存在だ。ソロスは筆頭隊長プリミピリスの地位にあり、本来ならソロスが大隊を指揮するだったのだが、皇帝の意向によりアクトが割り込んだ形となった。そのため、むしろソロスこそ一番不満を抱えているはずであるのに、そうした感情をしっかりと抑え込み、むしろアクトの補佐役として奮起し、他の隊長を宥める役目すら負っていた。

 そういう事情があるので、アクトはソロスに対して全幅の信頼を置くようになっていた。

 そして、隊が落ち着いているもう一つの理由は、アクトが強かったからだ。着任の訓示を述べた際、突っかかってきた什長のテオドルスを模擬戦にて倒し、実力を示したからだ。しかも、その後に凄まじい弓の腕前も披露し、武芸者としてはかなりの領域に到達していると皆が認めたため、その実力に敬意を示してくれているのだ。

 あとは、指揮能力を見せる機会でもあればいいのだが、それが来ないことをアクトは祈っていた。部隊を本気で動かすということは実戦が行われるという意味であり、今の自分にそれができるかどうか、まだ未知の領域であったからだ。

 一応、師である叔父から武芸のみならず、ある程度の兵学も学んできたが、今の今まで実践する機会もなく、あくまで机上の空論でしかない。実際に部隊が思い通りに動くかどうかは、自分自身もよく分かっていなかったのだ。

 現在の行軍も実際のところ、楽なものであった。というのも、行軍計画はソロスがきっちり仕上げており、アクトのやることはソロスの立案書を頭に叩き込み、それを実行に移せばいいだけだからだ。そして、進めの号令と止まれの号令、これだけで事足りるのだ。

 行進するだけの楽な任務ではあるが、それとは別に、厄介事が発生していた。なにしろ、行軍する部隊の中に“アナート”が紛れ込んでいることだ。

 アクト自身も知らなかったことなのだが、駐屯地からの出発当日になってアナートがやって来て、無理やり付いてきたのだ。

 兵士達からは茶化す声やら冷やかしが飛んできたが、隊長達からは遠回しな言い方ではあったが、「女連れとはいい御身分ですな」と攻め立てられることとなった。

 しかし、それに対して、アナートは平然と言い放った。


「隊長なら、家族同伴でもいいって聞いたけど?」


 無茶苦茶に聞こえて、実はアナートの言は正しかったのである。

 軍人は死と隣り合わせの職業であるため、結婚して家庭を持つことを禁じられていた。そして、軍人が家庭を持とうとした場合、二つの道しかないのだ。

 一つは退役すること。一定期間の軍役を全うし、退役してしまえば軍人としての縛りがなくなるため、結婚しても問題はなかった。

 そして、もう一つの手段は百人隊長ケントリオになることだ。百人隊長ケントリオに付与されている特例措置の中に、結婚の自由というものがある。結婚できない軍人であろうとも、隊長まで出世すれば、結婚しても許されるのであった。

 しかも、駐屯地での滞在も許可されており、隊長は所属部隊の宿舎ではなく、駐屯地内にある家族の住まう自宅からの通いも認められるのだ。

 もっとも、前線近く駐屯地になると危険も増えるため、結局は単身赴任になる場合も多いが、呼び寄せる者も中にはいたりする。


「それで、君はどちらの方と所帯を持っているのかね?」


 ある意味、当然と言えば当然の質問がソロスから飛んできたが、アナートはそれをうやむやにしつつ、結局なんやかんやで付いてきてしまったのだ。

 しかし、部隊所属でないため食料等の物資の供出ができないぞと言われると、行軍中に獲物を見つけては鳥や獣をしとめ、それを提供して物々交換を求めてきたのだ。

 あまりに鮮やかな手際と弓の腕前に兵士達も喝采の声を上げ、喜んで支給された麦やチーズとの交換に応じたのだ。

 ちなみに、アナートの腕前を知っていたのは、アクトの他には前々から交流のあった百人隊長ケントリオのシュバーだけであり、他の隊長は目を丸くしてその卓越した腕前に驚いていた。


「なるほど、大隊長(コホルス)の弓の腕前は、あの少女と競い続けた結果ですか」


 ソロスはそう納得して、アナートの従軍を黙認することにした。少なくとも邪魔にはならないし、何より兵の士気も上がっているので、邪険には扱えなかったからだ。

 そんなこんなで数日の行軍が無事に終了した。予定では、そろそろ折り返しの地点であり、今度は違う道を使って帝都近郊の駐屯地まで戻るだけだ。


「・・・というわけでだな、やはり無関係の女性の従軍はまずいわけでだな。誰か、アナートと所帯を持たないか?」


 アクトが冗談混じりに周囲に尋ねた。すでに冗談のタネになるほどに、アナートは馴染んでしまったが、男しかいない集団に女子が入り込めば、この手の話題のタネになる宿命であった。


「そうだ、シュバー隊長、アナートとの付き合いは私よりも長いのだ。しかも、百人隊長(ケントリオ)になったばかりだ。頃合いとは思わんか?」


 アクトが冗談混じりにシュバーに尋ねてみると、シュバーはわざとらしく身震いしてみせた。


「ゴメン被りますな。口より先に手が出て、手より先に矢が飛んでくる“おなご”はいりません」


 全くもってその通りだと、周囲の皆が大笑いをした。


「なら、ソロス副長、お前はどうだ? まだ独り身だろ?」


「あいにくと、私の好みは抱き締めたら、壊れそうなほど細身でおしとやかな女性ですよ」


「なるほど、アナートとは真逆か」


 アナートも見た目が良いだけに、性格でかなり損をしているなとアクトは思った。もう少しおしとやかなになれれば、振り向く男性もいるだろうが。


「それと、独り身ではなく、今度結婚することになってますので。今回の行軍訓練が終わりましたら、知己の娘御と所帯をもつことになっております」


「おお、それはめでたい。宴の席には皇帝陛下をお呼びしてご臨席していただこう」


「やめてください。色んな意味で胃が痛くなるんで」


 などと笑いつつ言葉を交わすが、アクトには申し訳ない気持ちでいっぱいであった。ソロスが結婚するのはいいにしても、本来なら大隊長コホルスとして嫁を迎え入れるはずであったのが、自身の割り込みのせいでそれが果たせなかったからだ。

 ソロスの力量であればどこへ顔を出そうとも、空席さえできればすぐに出世できるだろうが、そうなると自分の手元から離れることを意味しており、この優秀な副長を手放すのが惜しくなってきた。

 そうこうしていると、遠くの方から馬が駆けてくるのが見え、それにはアナートが跨っているのが見えた。昼過ぎになると食料の調達のために一時的に部隊を離れ、獲物をしとめてからまた戻って来るということが現在の日課になっていた。

 近付くにつれてウサギが二羽括り付けられているのが視認できたため、今日の狩りも成功を収めての帰還であった。


「帰ったわよぉ~」


「お帰り。今日の成果も上々のようだな」


「もちろん♪」


 どうだと言わんばかりに、アナートは獲物を見せつけてきた。


「副長、あとで麦と交換してやれ」


「了解しました。新鮮な肉が手に入るのはいいことです」


 行軍中はどうしても保存の利く食品ばかりになってしまうため、こうした新鮮な食料品が補充されるのは喜ばしいことであった。


「なんか、結構賑やかだったけど、何か楽しいことでもあった?」


「アナートが降嫁できそうなところがないか探してた」


 アクトの言葉を聞いた途端、アナートの表情が強張った。


「ほ、ほう・・・。で、結果は?」


「少なくとも、隊長級は全滅だな」


 つまり、頭に羽飾りのついている者は、お前を嫁には迎えんぞと言い切ったわけである。


「ああ、兵士には聞いてなかったな、そういえば。おおい、兵士諸君、この猛々しい姫君をお迎えする勇者はいないか?」


「じゃあ、俺が貰います!」


 アクトの言葉に応じた勇者が手を挙げた。什長のテオドルスだ。

 テオドルスはアクトとの模擬戦に敗れてからというもの、すっかり打ち解けてアクトを認めるようになっていた。実力主義を強く信奉しているようで、アクトの腕っぷしにすっかり惚れていたのだ。


「テオドルスか。うむ、お前こそ、この部隊一の勇者である。結婚を許可する」


「勝手に決めんな!」


 アナートは話を勧めようとするアクトに抗議の声を上げたが、それを無視して話を進めた。


「だが、テオドルス、お前は什長だ。残念ながら所帯を持つことはできん。さっさと百人隊長ケントリオになれるよう、精進したまえ」


「了解しました。《女狩人アルテミス》が他に嫁入りする前に、隊長になります」


「うむ。だが、別に焦る必要はないぞ。おそらく、残るだろうから」


 下品な笑いがあちこちで起こった。兵士も隊長もお構いなしに笑ったのであった。


「ソロスさぁ~ん、ちょっと、あのバカ者共を射殺すんで、矢を手配してくださいな」


 静かだが、殺意のある声がアナートの口から漏れ出した。


「何本いるかね?」


「六百三十本」


「この娘、全員射殺す気だぞ!」


 現在、この部隊の総数であった。大隊所属の六百名に、臨時で行軍訓練に参加しているシュバー率いる弓騎兵が三十騎、合計六百三十人。これにアナートを加えた六百三十一人が行軍中という状態であった。

 六百三十本の矢を求めたということは、自分以外射殺するという宣言に他ならない。


「おお、なんという猛々しい姫君! 各員、敵弓兵の射撃に注意せよ!」


 アクトの指示にあちこちから冗談半分に「了解しました!」という声が返ってきた。中には、アナートに向かって実際に盾を構える者まで出始める始末であった。


「アクト、あんたねぇ・・・」


「いや、皇后陛下からの依頼なんだぞ」


「ほへぇ?」


 意外な人物の登場にアナートは困惑した。皇后であるナンナはアナートにとっては侍女として侍る女主人であると同時に、人目を気にしなくていい場所では、姉のように慕う女性でもあった。


「皇后陛下はこう漏らしていた。『アナートの嫁ぎ先が心配になってきました。我が帝国広しといえど、あのような猛々しい姫を娶るような、能天気で豪胆な者がいるかどうか』とな」


「そんなこと言ってたの!?」


 アナートとしては女主人からのそのような物言いに衝撃を受け、困惑のあまり手綱を握る手がブルブル震え始めた。

 実際のところ、ナンナの発言はアクトに対して、遠回しな言い方で「だからお前が娶ってやれ」と言いたかったのだが、当のアクトにはその真意が毛程も伝わっていなかったのだ。

 アナートにしても、アクトの事は喧嘩相手、競争相手としか認識していなかった。

 お互いが男として、あるいは女として、相手を意識するのはまだまだ先の事になるのであった。


「・・・、アクト、後ろ、馬が近づいてくる」


 アナートが急に真顔になって警告を発してきたので、アクトは後方を確認すると、元来た道を勢いよくこちらに向かって走る馬を視認できた。

 こうした感覚の鋭さや目の良さはさすがだと、アクトは素直に感心した。


「後方より騎馬接近! 一応、警戒せよ!」


 後方まで届く大きな声でアクトは警戒を促すと、了解しましたと各隊の旗が振られ、和やかな行進もこれにて終了となった。

 しかし、警戒はしつつも、行進は続行された。

 豆粒ほどにしか見えなかった馬も徐々に大きくなってくると、アナートはあることに気付いた。


「アクト、あの馬、乗っているのはヘルモだわ」


「なに? ・・・、あ、ほんとだ」


 確かに、見慣れた姿の少年が馬に跨っているのを確認できた。

 ヘルモは南方出身の少年で、神童などと噂されていたのを耳にしたユリシーズが呼び寄せ、そのまま自分の手元に置いたのであった。その評判には嘘偽りなく、十歳にして数々の難解な学術書を修めるどころか、すでに皇帝の書記官として働いていた。


「となると、陛下からの何かしらの言伝か・・・。全員、行進止めぇ! 後方からの馬は伝者だ! 通してやってくれ!」


 アクトの号令に合わせて、部隊は順次立ち止まっていき、馬が通れるように街道の脇に避けていった。

 程なくして、褐色肌の少年が馬に跨って現れた。隊列の最後尾辺りで速度を緩め、徐々に馬の脚を落としていき、アクトの側で停まった。


「ヘルモ、一人でやって来るとは珍しいな。陛下からの伝言か?」


 アクトは馬をヘルモに寄せ、にこやかに尋ねた。アクトにとってはつい先日までは僅かな期間とは言え肩を並べてユリシーズの側近くで働いていた同僚であり、私的には弟のような感覚で接していたため、ヘルモの来訪は喜ばしいことであった。

 しかし、その口から漏れ出たのは、そんな和やかな雰囲気を一瞬で打ち砕いた。


「一大事です! 反乱が発生しました! この先のスラにて、貴族パトリキのイオサキスが帝国に反旗を翻しました!」


「なんだと!?」


 アクトは元より、他の隊長達も一斉に顔色を変えた。その心情の変化は兵士達にも伝わり、もたらされた情報と相まって、一気にざわつき始めた。


「スラ地区でしたら、かなり近いですね。このまま真っすぐそちらに向けて進めば、ニ、三日で到着できる距離にあります」


 ソロスがそう補足し、アクトは次なる行動を考え始めた。


「副長、スラが完全に相手方の落ちていると仮定した場合、動員兵力はどのくらいになる?」


「そうですね・・・。少なく見積もって二千強、多めに見積もると三千弱といったところでしょうか」


 現在、アクトが率いている部隊の総数は六百三十名である。仮に相手が予想の最大値であった場合、五倍近い兵力差の相手と戦うことになる。


大隊長コホルス、数の上で極めて不利です。一度進軍を停止し、他の部隊と合流するべきです」


「私も副長の意見に同意します。第八軍団の各大隊は訓練行軍中で各地に散っています。その集結を待って進軍すれば、今度は逆に数の上で圧倒できます」


 仮に第八軍団を集結させれば、軍団指揮官インペリウムの私兵を含めて、兵員の総数が四千五百名となる。そうなれば、今度は逆に相手の五割増しの兵数を揃えれるので、有利に進めることができる。ソロスとシュバーの意見はまさにその点を指摘しており、用兵上は当然の判断といえた。

 だが、アクトの判断は二人のそれとは違う道を選んだ。


「二人の意見はもっともだが、ここは敢えて進軍する。総員、スラに向けて行進を再開する」


「なんですと?」


 自分の進言が退けられたことにソロスは驚いた。初陣ゆえに功を焦っているのか、それとも状況を判断できないのか、ソロスは目の前の若き指揮官に対して、大きな疑念を抱いた。

 また、それは他の百人隊長ケントリオも同様らしく、明らかにアクトへの不安と不満を表情に出していた。


大隊長コホルス、失礼ではございますが、我らにご存念をお聞かせください。先程の私の意見を退けられた理由をお教えください」


 ソロスのアクトへの評価は、出会った頃に比べてかなり上昇している。同年代の少年と比較しても、各段に聡明で計算高い。それでいて大胆な選択を怯むことなく採れる。あと数年場数を踏めば、間違いなく優秀な指揮官となっていくと確信していた。

 だが、問題なのは“今”なのである。優秀な将来像より、現在の能力や判断力が問われている状況なのだ。もし、初陣で足下が定まっておらず、功を焦る判断を下されるようならば困るのだ。

 返答次第では、目の前の少年には“事故”で指揮不能と判断し、自身が指揮官代行として部隊の指揮を執ろうかとも考えた。

 しかし、その機会が訪れることはなかった。


「単刀直入に言うと、この反乱騒ぎは罠だ」


「罠・・・、ですか。そう判断される理由は?」


「相手の戦力が少なすぎる」


 五倍の戦力を前にして、少ないと言えるとはどういうことか、皆がお互いの顔を見合わせながら、全員が首を傾げた。


「先程も意見で出たが、第八軍団がいるのに関わらず、たかだか三千程度の兵で挙兵するなど、明らかに少なすぎる。そう考えると、あちらの考えは二つのことが予想される。始めから戦う気のない見せかけの反乱か、他に戦力を隠しているか、だ」


「可能性はありますが・・・」


 アクトの言わんとすることもソロスには理解できたが、それだと判断するには情報が少なすぎた。


「前者であった場合、相手が求めるのは“交渉の場”だ。即位直後に騒動を起こして、陛下を焦らせて、何かしらの要求を通す。もちろん、第八軍団が総出でかかれば潰せるが、即位直後にそれでは内外にあらぬ誤解や憶測を呼びかねない。なるべく穏便に済ませたい、とお考えになるだろう。そのため、陛下は軍を全力で動かすかどうか迷っているはずだ。だから、正規の軍人による使い番ではなく、私的な書記官を出してきた。しかも、行軍計画でスラの一番近くにいるのが、私の部隊だと知ったうえでな」


 そして、皆の視線はヘルモに集まった。説明されてみれば、反乱発生の通知に軍の使い番ではなく、皇帝付きの書記官を派遣してくるのは不自然であった。


大隊長コホルスは最初から気付いていたのですか!?」


「まさか。ヘルモの登場、反乱の通知、彼我の戦力、即位直後という状況、これらの情報が集まって考えた結果、一番納得のいく説明を導き出してみただけだよ」


 ソロスは絶句した。細かな点を見逃さず、あの情報でここまで思考を進めれるとは、驚愕の一言であった。他の隊長らも同様のようで、ただただ驚くだけであった。


「そう考えると、こいつが役に立つな」


 アクトは首からぶら下げてあった首飾りを取り出し、それを見せつけた。鷲をあしらったメダルが取り付けられ、更にその下には鈴が引っ付いている形をしていた。材質は銀でできているようであった。


「なっ、それは『銀の駅鈴』!? そんなものまでお持ちだったのですか!?」


「陛下からのご恩情でな。国内どこへでも出掛けれる」


 駅鈴とは一種の通行許可証のようなもので、これを所持する者は国内各所に設けられた官営の宿舎等を利用することができた。形状や材質によって受けられる便宜の内容も違ってくるが、アクトの持っている者は皇帝が許可を出した者だけが持つことを許される“銀の鷲”の駅鈴であった。


大隊長コホルスもお人が悪い。それを大隊結成の際に見せて下されば、ゴタゴタも起こさずに済んだでしょうに」


「ソロスの言いたいことも分かる。だが、それはあくまで陛下の威に頭を下げただけで、若造の大隊長コホルスに従っているというわけではあるまい? そのような甘えた態度では、本当の信認を得ることはできないではないか」


 実力で勝ち取らねば、いざというときには誰も付いてこなくなる。そう考えたからこそ、アクトは駅鈴を封印しておいたのだ。こんな事態になるとは思ってもみなかったので、やむなく見せつける結果になってしまったが。


「まあ、そういうことよね」


 今度はアナートが首飾りを取り出し、こちらもまた銀の駅鈴であった。


「な、アナート殿も駅鈴を!? お二人は一体、何者なのですか?」


「強いて言えば、皇帝、皇后両陛下の従者よ」


 滅多に見ることのない銀の駅鈴が次々飛び出したので、その場の隊長級は誰しもが驚いた。陛下の従者となれば、相当なお気に入りか、あるいは実力者なのであろうが、それが駅鈴という具体的な形で出すほどに、二人は信頼や実力の評価を勝ち得ていることを意味していたのだ。

 子供に玩具を与える感覚で駅鈴を渡すほど、ユリシーズやナンナも甘くはない。


「二人も駅鈴持ちがいることを見せつければ、皇帝陛下からの使者だと“誤認”してくれるだろう。そして、ここにいる部隊はその護衛というわけだ。相手の戦力を考えればその気になれば一息に潰せるが、かと言って侮りを受けるほどの少数でもないギリギリの数。恐れられず侮られず、な」


 アクトの説明に隊長達は納得した。いくらか手札を隠していたとはいえ、状況を正確に把握し、その上で前進を命じていたからだ。

 もしかすると、目の前の若い大隊長コホルスは初陣という通過儀礼をこなしていないだけで、とんでもない明晰な頭脳を持っているのかもしれないと思い始めた。


「だが、問題なのは“後者”であった場合だ。つまり、見せかけの反乱ではなく、本気で反旗を翻し、こちらを待ち構えていた場合だ」


 アクトの言葉に、周囲の面々はハッとなった。もし、見えている戦力だけでなく、第八軍団に対抗できるだけの戦力を隠していた場合、その中に一個大隊で入り込むことになるのだ。当然ながら、殲滅されるのは目に見えている。


大隊長コホルスの見識は恐れ入りましたが、やはり危険であることには変わりません。他の部隊との合流を第一に考えるべきでしょう」


「ソロスの意見は当然の判断だと思う。だが、敢えて前に出る」


「危険を承知で!?」


「ああ。相手の意図を崩すのが目的だ」


 アクトはニヤリとソロスに笑いかけた。


「ソロスよ、もしお前が相手方の指揮官だとする。手持ちには三千の兵を抱え、さらに二千の兵を付近に潜ませていたと仮定する。そして、敵方の部隊が六百ほどでやって来た場合、お前は“伏兵”を使うだろうか?」


「使いません。潜ませたままにします。なにしろ、正面戦力ですでに五倍もありますし、伏兵を使うべきなのは、後から来る第八軍団本体の方ですからな。伏兵を表に出して戦力を晒すよりかは、兵力を誤認させたままにして、最初の一撃で致命傷を与えれる機を求めることでしょう」


「そういうことだ。つまり、相手も少数で突っ込んでくるとは考えていないだろうから、そこに迷いが生じる。まあ、おそらくは見せている正面戦力だけで潰しに来るだろうがな」


 さらりと言うアクトであるが、それでも五倍近い差が有るのである。そこへ真っすぐ突っ込むなど、狂気の沙汰であった。


「そこで、大いに働いてもらうのが、シュバーの部隊だ。シュバーの率いているのは装備の軽い弓騎兵ばかりだ。これを方々に放って斥候とし、警戒しながら進む。相手の出方を探りながら前進し、その動きに合わせてこちらも対処する」


「使者を出してきたらば話し合いの余地がある前者、軍勢を出してきたらば本気の反乱で後者、というわけですか。では、それで行きましょう」


 シュバーとしては斥候を出すことに賛成した。ということは、アクトの前進するという案に賛成したことも意味していた。


「とにかくだ。私はこの部隊だけで敵とぶつかり合うつもりはない。我々が行うのは敵の出方を探り、情報を得ることだ。もし、敵方が使者を出して話し合いの席を設けるというのであれば、私はそれに応じる。もっとも、陛下より権限を委譲されているわけではないから、話し合うフリをして、他の部隊の集結のための時間稼ぎをするだけだがな。本気の反乱であり、こちらの迎撃のために敵が迫ってきたら、さっさと後退して、今度こそ他部隊と合流を図る。これでどうだろうか?」


 アクトは周囲を見回して同意を求めた。隊長達の内、シュバーはすでに先んじて賛意を示していたが、他はまだ悩んでいるようであった。


「まあ、結局は危地に飛び込むというわけですか」


「軍人ならば当然ではないか?」


「仰る通りです、大隊長コホルス!」


 ソロスもようやく決心がつき、頷いてアクトの案に賛意を示した。それに促されるかのように、他の隊長達からもようやく承認を得ることができた。


「結局は相手の出方次第ではあるけどな。あとは高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対処するより他あるまいて」


大隊長コホルス、そういうのは行き当たりばったりと言うのですよ?」


「その通りだが、それがどうした?」


 真顔でアクトにそう返され、ソロスは返答に苦慮した。


「戦場は常に霧で覆われていると、師である叔父より教わった。一寸先は闇。手探りで進まねばならないこともある。だが、諸君らに是非とも言っておかねばならないことがある」


「それは?」


「生きて帰るぞ。危地へ飛び込もうとも、必ず生きて戻るぞ。今回の要は、生きて情報を持ち帰ることだ。だから、深入りするつもりはないし、敵軍が来たら、さっさと逃げ出すさ」


 逃げるという単語に周囲が唖然とした。軍人として敢闘精神に疑義が出かねない言葉であるのだが、何か妙な説得力を感じ、こらえきれずにあちこちから笑い声が飛び出してきた。


「まあ、一番楽なのは、六百の部隊に恐れをなして、三千の部隊が降伏してくれることなのだがな!」


大隊長コホルス、それは虫が良すぎますぞ!」


 とうとう真面目なソロスまで笑いを堪えることができなくなり、笑いの輪はますます拡大していった。

 士気は十分に高いことを確認したアクトは満足そうに頷き、それからアナートの方を振り向いた。


「アナート、君はヘルモと一緒に後退しろ。君ら二人は正規の軍人ではないからな。万が一のことがあっては、両陛下に合わせる顔がなくなる」


「まあ、それが正論でしょうけど、お断りね」


 アナートは馬を歩ませ、アクトのすぐ側まで寄せた。


「優秀な射手が一人でも欲しいでしょう?」


「まあ、それはそうなんだがな」


 ただ一人の増援ではない。極めて優秀な弓騎兵である。並の歩兵に換算すれば、その十倍の働きは期待できるだろう。それほどまでに、歩兵と騎兵の戦闘力は違うのだ。


「目は一つでも増やしておいた方がいいでしょう」


 すかさずシュバーの横やりが入った。斥候隊を組織して、索敵の任に当たる以上、一騎でも手ごまを増やしておきたい態度がアリアリと見えてきた。

 アクトはやれやれとため息を吐き、その従軍を認めた。


「ヘルモ、お前は・・・」


「もちろん、このまま付いていきますよ。外交の場なら、書記官は必要でありましょうからね。それに深入りしないのでしたらば、大丈夫でしょう? 万が一の戦闘になりましたら、一番身軽な僕は真っ先に逃げ出しますんで、ご安心ください」


 とても十歳の少年とは思えない言葉であり、アクトを唖然とさせた。だが、危険になると逃げると言った以上、まあどうにかなるだろうと考えた。なにより、ヘルモの言う通り、交渉の席を持つことになった場合、書記官は必須であった。ソロスにやってもらうという手もあるが、自分が交渉の代表者をしている間は、部隊の指揮を代行してもらわねばならないため、それは無理であった。

 そのため、結局、アクトはヘルモの同行も認めてしまった。


「よし、前進を再開する! 反乱を企てた愚か者達に、ちょっとばかりの嫌がらせに行くぞ!」


「「おおう!」」


 こうして、第七大隊六百名、特別参加のシュバー隊三十騎、不正規従軍の二名、合計六百三十二名の行進が再開された。

 なお、“ちょっとばかりの嫌がらせ”では済まなくなるのだが、そうなることはまだ誰も知らないのであった。

 かくして、後に数々の伝説を築くアクトの初陣が始まり、その伝説の第一頁となる『ハッテ村の遭遇戦』の幕が切って落とされようとしていた。



                ~ 第七話に続く ~

 




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― 新着の感想 ―
[良い点]  夢神さん、投稿初日から読ませて頂いております。  言わせていただきます。  めっちゃおもろいっすよこれっ!!マジで!! [一言]  いやぁ夢神の旦那、あんたスゲーよ。
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