第四話 辞令
その男は自分の事を、国一番の不幸な人間だと思うようになっていた。三十年ほどの人生を歩み、それまでの人生が順風満帆であった分、その揺り戻しがまとめてやって来たのでは思ったからだ。
男は今でこそ軍人になっているが、元々は地方の役場で財務関係の仕事を行う役人であった。ところが、同郷の百人隊長からの誘いを受けてとある軍団の書類仕事を手伝うこととなり、その働きぶりが見事だったことから、大隊長付きの書記官となった。
意外な幸運に当時は喜んだものだが、それは出世物語のほんの幕開けに過ぎなかった。所属する大隊からの書類が急に整ったものになったことに軍団司令官が気付き、新しい書記官の仕事であると分かると、今度はそれを人事異動で自分の下へ呼び寄せ、司令官付きの書記官となった。
さらに、駐屯地が敵方の奇襲を受けて危機に陥った際、それほど優れているとは言えない武芸と咄嗟の部隊指揮によって司令部を守り抜き、これがさらに評判を呼んだ。
結果、トントン拍子に権限や職責が上がっていき、いつの間に百人隊長に推挙されるまでに出世していた。
“数字に強い隊長”などという評が付いて回り、どこへ顔を出しても歓迎され、上役からもなにかと重宝にされてきた。
そしてつい最近、第八軍団に所属が変わったことを機に、ついに筆頭隊長の地位に就くこととなった。田舎の役人から始まり、帝都近郊に駐留する軍団の筆頭隊長。他人も羨む幸運と言うべきであろう。もちろん、実力あっての幸運ではあるが。
そうなってくると、いよいよ大隊指揮官としての道が開けたということだ。三十で大隊長ともなると、特にこれと言ってコネのない庶民出身ならかなり早い出世だ。周囲の隊長からも祝福半分妬み半分でからかわれるが、誰もその件には反対する者はいない。実力もあるし、何より見事な事務処理能力に助けらたことも一度や二度でもないので、むしろ恩の有る同僚を盛り立てていく必要すらあるのだ。
そんな中、所属する第八軍団のブーン司令官からの呼び出しを受けた。さていよいよ新規の大隊結成かと意気揚々と司令部へと足を運んだが、完全に予想外の出来事に見舞われたのだ。
まず司令官の執務室に入ると、三人の男が待ち構えていた。一人は軍団司令官であるブーン。今一人はブーンの息子で最近、百人隊長に就任されたシュバーだ。
シュバーは二十歳になったばかりの若手であるが、親の七光りで隊長に推挙されたわけではない。実力でその地位を勝ち取るほどに武勇も指揮能力も優秀であった。
そして、男の視線に留まったもう一人の人物は、少年と言っても差し支えのない若さで、その人物の名がアクトと呼ばれる近衛兵であることを男は知っていた。最近、隊長達の間で話題に上っている若者で、若さに似合わず熟達した武芸者であり、皇帝の唾が付いてなければ欲しいなどとあちこちから声が聞こえたものだ。
男もアクトの練兵場での活躍ぶりを一度目にしており、評に偽りはないなと思っていた。
さて、その注目の若手近衛兵がここに来ているということは、もしかしたら皇帝から直々に何かしらの特殊任務が与えられ、その使い番として司令部に顔を出したのではないかと男は考えた。そして、自分が呼ばれたということは、新たに編成されるか、もしくは既存の大隊を引き継ぎ、その任に当たるように辞令を出すのではと考えた。
皇帝直々の命令、大隊長の初任務としては悪くないな、と男は考えつつも顔には出さず、司令官の前まで進み出ると、上官に対して敬礼をした。
「筆頭隊長ソロス、招集に応じ、参上いたしました!」
ソロスは就任後、初めて筆頭隊長を名乗った。就任したばかりで、任務も招集もなかったため、特に名乗ることもなかったためだ。
「ご苦労だった、ソロス。早速だが、陛下から特別な任務が下された」
ブーンの言葉を聞き、やはりそうかと心の中で握り拳を作った。新しい皇帝が即位して、その栄えある初任務に自分が着く。箔付けとしては申し分のない案件であった。
「我が軍団において、新兵の補充があり、各部隊の配置換えの後、大隊を新たに一つ編成する運びとなった」
「聞き及んでおります。その指揮を私に、ということでありましょうか?」
姿勢は直立したままであったが、言葉は前のめりになっていた。感情を抑えきれないところにまで気持ちが高ぶっており、早く就任の辞令を受け取りたい一心であった。
だが、無慈悲な現実を突き付けられる。ブーンより発せられた言葉は、ソロスの予想とは大きく外れていたからだ。
「いや、新たな大隊長はこのアクトに任せることとなった。ソロス、お前にはその補佐として、副長の任を与える」
天地が引っくり返ったような衝撃をソロスは受けた。順調に職歴や実績を重ねてきた自分を差し置いて、皇帝の“お気に入り”とおぼしき若者を大隊長に就任させ、その補佐をやってくれと言ってきたのだ。
納得しろというのが無理な話だ。
「し、司令官閣下、その任は承服いたしかねます!」
「まあ、気持ちは分からんでもない。私が貴官の立場なら、同じ気持ちを抱くだろうよ」
「で、では!」
「だが、残念なことに、私の立場は百人隊長ではないのでな。軍団司令官としては、この人事に賛成なのだよ」
ニヤリと笑うブーンに、ソロスは裏があるのではと勘ぐった。目の前の司令官と新しい皇帝は前々からの顔馴染みとも聞いている。つまり、この人事を受ける代わりに、何かしらの対価を受け取った可能性が高いというわけだ。
しかも、自分は受けるだけ受けて、実際に“お守り”をするのは現場に丸投げ。自身は痛くないからいいものの、丸投げされたソロスとしては頭が痛すぎる事であった。
「では、着任の挨拶でもしてみようか」
そう促され、ソロスの困惑をよそに、アクトが前に進み出て、姿勢を正した。
「新しく第八軍団、第七大隊の大隊長に着任したアクト=フラビウス=ルクス=ザリアスだ。ソロス隊長、それに、シュバー隊長、今後ともよろしく頼むぞ」
アクトの堂々たる挨拶であった。この点では、ソロスもアクトに対して好感を持てた。
だいたい、若者が年上の部下を持つときは、当初は戸惑って、どう接するべきか迷いが生じるものだ。軍においては階級が最上位の判断材料であり、年上であろうと、階級が下ならば、遠慮なしに命令を出さねばならないからだ。
しかし、アクトの振る舞いからはそれが感じられない。上官としての態度と、部下への接し方を心得ている話し方であった。
少なくとも、外側は上官として不足はない。最大限の譲歩をした上での評価ならば、まあ合格であった。頼りのない上司よりも、ちゃんとしてる上司である方がいいに決まっている。
だが、実際に指揮してもらわねば評価は下しようがなかったが、初陣前の若者にそれを期待するのは無理というものであった。
「ときに、シュバー殿も新規の大隊に配属で?」
「いや。こちらは別件絡みで、一時的に配属されるだけだ。最初の任務が終わったら、隊からは離れてしまうよ」
羨ましい、とはさすがにソロスは言えなかった。いくらなんでも自分一人で、皇帝と軍団司令官の意向を受けた人事にケチをつけるのも限度があり、離れられるのであれば、さっさと離れたかった。
「さて、では、最初の任務の説明をしようか」
「「ハッ!」」
アクトとソロスが揃って直立し、次なる言葉を待った。
「先程申し述べたように、新兵が多数補充されるのだが、その訓練を兼ねて、周辺地区の巡察を行うこととなった。二日で準備を整え、今日より三日後の朝に出立するものとする。予定の巡察地区は追って通達するので、まずは部隊を掌握し、出発できるように整えよ」
「「了解いたしました!」」
これまた揃ってアクトとソロスが声を上げ、ブーンは満足そうに頷いた。
「なんだ、思ったより、息が合っているではないか。これなら大丈夫そうだな」
「そ、そうでありましょうか」
ソロスとしては嬉しくもない言葉であったが、隣に立っているアクトは実に嬉しそうに笑っていた。
(まあ、悪い奴ではないな。貴族のボンボンではなさそうだし、本当にただの皇帝のお気に入りというわけか。なら、さっさとこんなお遊びじみた軍隊ごっこに飽きてもらうよう、表面上は真面目にやりつつ、要所要所できつめに当たって、退散していただくのが一番か)
などと考えつつ、二人は改めて一礼した後、執務室から出ていった。
「さて、息子よ、アクトとやらの腕前はどう見る?」
「武芸に関して言えば、申し分ありません。部隊の指揮能力は未知の部分が多く、さすがに評価はまだ下せません。ただ・・・」
「ただ?」
「前に練兵場で什隊同士の模擬戦をやったのですが、読みが恐ろしいほど的確で、先手先手を取られる部隊がかなり多かったですね」
息子の話を聞き、ブーンは顎に手を当てて、なにやら考え事を始めた。そして、思案がまとまったのか、下げていた頭を上げ、シュバーの方を向いた。
「お守り役の目付け役はそのままに、お前にも部隊を付けて、新規大隊に配属するとしよう」
実のところ、シュバーの任務は新規大隊に入り込み、配属された百人隊長が真面目にやるかの査定をするのが仕事であった。軍においては命令は絶対であるし、嫌な任務でも真面目にこなせるかどうか、というのを見ておくというのがブーンの考えで、それをシュバーにやってもらうつもりでいたのだ。
「よし、《穿弓隊》から三十騎出す。大隊六百名と、弓騎兵三十騎、これでアクトとやらの実力を測るとしよう」
《穿弓隊》はブーンが傭兵時代から率いていた部隊で、弓騎兵のみで編成されている。当初は十数名の隊であったが、正規軍に編入されて以降、練度を満たした者を次々と増員していき、いまでは三百を数えるようになっていた。
「《穿弓隊)にも新規で入ってきたからな。それらの具合も観察しておいてくれ」
「やれやれ、父上は息子であっても容赦ありませんな。あっちのお目付け、こっちの見張り、そっちの訓練と、忙しないことです」
「跡取りには厳しく躾けるのが私の流儀だよ」
ブーンにとっては、シュバーは自分の後を継ぐ者と考えており、自分の全てを受け継いでもらわねばならないと考えていた。その上で、実力を以て後釜に据えたいとも考えており、息子の教育には余念がないのだ。
「率いる三十名はこちらで選別しておく。それよりお前は、二人の後を追って、ケンカの仲裁でもしてくるがいい」
「ケンカ・・・、でありますか?」
「大隊となるからには、その中にはソロスの他にも百人隊長がいる。全員がソロスほど真面目で聞き分けがいい者とは限らんからな」
ブーンの指摘も納得であった。いきなり十五の若造がやって来て、今日から君達の指揮官だ、などと言われてはいそうですかとはならない可能性の方が高い。いざこざが起こる材料など、いくらでも転がっているのだ。
そう考えると急いで行かねばなるまいなとシュバーは思い、執務室から急ぎ足で退出していった。
だがこの時、二人は二つのことを見誤っていた。一つは“アクトの実力”であり、もう一つは“ソロスの調整力”だ。
後世、大将軍たる《栄光の盾》アクトを支える五名の英傑《盾の五星》、その中において筆頭格と目されるソロスがその力を発揮していく記念すべき日となるのであった。
~ 第五話に続く ~