第十七話 グーダ砦の戦い(5) ~山が動く~
グーダ砦の目の前で繰り広げられているライアス・パルシャー両軍の激突は、ライアス軍の優勢に傾きつつあった。数の有利を生かし、正面からの激突を狙ったパルシャー軍が、ライアス軍の将軍アクトの用意した“畝堀”にまんまと引っ掛かり、正面攻撃が頓挫したからだ。
被害はそこまでひどいものではなかったが、やられたことには変わりなく、兵の損害よりも有利な立場にありながら押し返されたことへの士気の影響が心配であった。
「中央軍は急ぎ再編し、次の攻撃に備えよ! 両翼前進! 騎馬突撃で蹂躙せよ!」
パルシャー側の指揮官アッシュは気持ちを切り替え、両翼に配していた騎兵を動かした。
正面攻撃は確かに失敗した。だからと言って、手をこまねいているわけにはいかなかった。
なにしろ、敵中央部隊が空堀を越え、前進してきたからだ。空堀という盾を捨てた以上、相手の意図するところは攻撃である。もし、再編中に攻撃が始まるようなことがあれば、さらなる後手に回る危険もあった。
そこで、アッシュは素早く両翼の騎兵を動かすことを決断した。
両翼に配している騎兵の数は、敵両翼を数で上回っている。ならば、十分に勝ちは見込める。敵両翼を粉砕すれば、そのまま方向転換して敵中央を挟む形に持っていける。そうすれば、再編中の中央と合わせて三方向より挟撃することが可能だ。
しかも、ライアス軍は防御から攻撃へ転じたため、空堀を越えて前進した。言い換えれば、空堀を背にした格好で布陣しており、後退がやりにくくなったということだ。
変則的ではあるが、両翼突破が成れば、あの“カンナエ”の再現ができるということだ。三方向からの攻撃と空堀による蓋、申し分ない状況だ。
「フンッ! アクトとやらめ、積極性が裏目に出たな! 貴様が頭の中で描いていたであろうカンナエの再現、それはこちらがいただくぞ! 両翼、急ぎ突破して、敵が後退の動きを見せる前に挟み込むぞ!」
アッシュの号令の下、パルシャー軍両翼の騎兵部隊は敵陣目がけて突進していった。騎乗する兵の怒号、響き渡る馬蹄の音、それらが地響きと共に戦場を駆け巡った。
ライアス側もこれを迎え撃つべく、整然と並んでいた騎兵部隊がゆっくりと、そして徐々に加速して正面から切り合わんとして前進を開始した。
だが、そのように動いたのは、ライアス軍の左翼側の騎兵部隊のみで、右翼側の騎兵部隊は敵騎兵に対してこれといった動きを見せなかった。
この動かぬ右翼騎兵の代わりに動いたのは、すぐ横で待機していた重歩兵大隊であり、それを指揮していたのはアクト軍団の筆頭隊長テオドルスであった。素早く重歩兵部隊を展開し、盾を持ち、槍を構え、突っ込んでくる騎兵を槍衾陣で受け止める動きを見せた。
互いに準備は整った。ライアス側から見て、左翼側は騎兵同士が互いに速度を上げていき、右翼側は重歩兵が騎馬突撃を受け止める態勢に入った。
間もなく、両翼同士が激突する。まさにその時であった。
戦場に新たな地響きが轟いた。そう、左翼側のさらに向こう、“山”が動いたのだ。
***
時は少しさかのぼる。
アクトの指示を受け、アナートはまずもって左翼の部隊に駆け込んだ。そこはアクト軍団の副長たるソロスが指揮しており、アナートが姿を見せたことにより、いよいよ第二段階へと動くのだと察した。
「おお、アナートか。先程の中央の動き、さすが我らが将軍といったところだったな」
「まあね。小細工が得意な奴よね、アクトは」
「まあ、正直なところ、兵力劣勢なのは否めないし、どうにかしてその穴を埋めねばならんからな。縦方向の堀、そして、砦からの援護射撃がギリギリ届く距離での戦闘、それらを全部描き切るとは、本当に初陣から今の今まで頼りになるお方です」
アクトが初陣を飾ってからというもの、ずっと副長として帯同してきたソロスである。その戦いぶりを最も見てきた人物であり、アクトを登用した皇帝ユリシーズを除けば、最もその実力を早くに気付いた人物でもある。
もはや、アクトに対する信頼は鋼よりも硬く、アクトのソロスにその献身的な補佐を誰よりも強化していた。二人の関係は、車輪と車軸であり、この二人がかみ合っているからこそ、アクト軍団は数々の戦功をあげてきたのだ。
先頃の“三日月切り”もアクトの知略と、ソロスの下準備によって達成したに等しく、部隊の誰からも称賛と感嘆の声が上がった。
そして、皆はこう思ったのだ。将軍と副長の下にあれば、いくらでも武功を稼げる、と。
ならば、我らは奮起しよう。駆け抜ける先に勝利があり、栄誉をほしいままにできるのだから。
こう考えているからこそ、アクト軍団は他の追随を許さない士気の高さを誇っていた。
「で、アナート、そろそろかね?」
「ええ。ソロスさんは敵の騎兵が来たら、正面衝突してください。ただし、“山”が動いて敵が混乱するまでは歩調を遅くして、頃合いを見計らって全速力に切り替えてください」
「了解。では作戦通りにやるとしますかな」
「考えることはアクトがやってくれる。下準備はソロスさんがやってくれる。そして、私は大将首をいただく」
「フフッ、怖い《女狩人》ですなぁ」
ソロスが笑い、周囲もまた笑う。笑顔が絶えないのは士気が高い証拠であり、部隊の上層部への絶対的な信頼があるからだ。今日この戦もまた、普段通りに勝つだけなのだ。
それはアナートにも分かっていた。基本的には皇后ナンナの侍女であり、普段は宮殿勤めなのだが、たまに使い番として、かつてアクトのいた北部軍に何度も足を運んでいた。
その都度、練兵所で自身の武技を披露したり、あるいはその勢いのまま蛮族を蹴散らしたりと、女だてらに活躍してきた。それゆえ、アナートは正式な軍人でないにも拘らず、部隊員からは戦友として見られてきた。
だからこそ分かる。数多の戦友の見つめる自分達の大将は、まぎれもない英傑であり、最強の将軍になることを信じて疑わない。
アクトが勝つと言えば勝つのだと、誰しもが考えていた。
無論、その中にはアナートも含まれている。未だに張り合っている二人であるが、弓は鍛え方の方向性が違うので甲乙つけがたいが、馬術に関しては自分の方が上だと自負していた。
そのアナートがいよいよ自身の馬術の真価を見せる時が来たと意気込み、そして、左翼部隊のさらに外側に位置する山に向かって馬を走らせた。
そして、登った。馬を走らせ、坂を駆け上がり、岩が転がる足場の悪さをものともせず、山頂目指して駆け上がっていった。
これこそ、アナートが幼き日より鍛え上げてきた馬術の粋であり、部隊の誰も真似できないほどの芸当であった。
だが、最高も馬術の持ち主という呼び声も、今日この瞬間をもって終わりを告げることとなる。
なぜなら、アナートが駆け上がった山の山頂部には、彼女と同等か、それ以上の馬術巧者が五百騎も待機していたからだ。
「お見事お見事! アナート殿、見事な馬術、拝見させていただきました。すぐにでも、我が部隊に加えたいほどですな」
必死で駆け上がってきたアナートをねぎらったのは、この部隊の長であるトーグであった。
さすがに一気に駆け上がってきたので、アナートも乗っていた馬も息が上がっており、トーグの称賛に即応できなかった。呼吸を整えた後、改めてトーグと相対した。
「フフッ、エフル族の次期族長にそう言ってもらえると嬉しいわ」
「おだてても何も出ませんし、自分はあくまで族長家の隅に名を連ねているだけで、次期当主の後継者争いに参加するつもりはありませんよ」
そう言うと、トーグは後ろを振り向き、率いているエフル族の面々を見やった。彼らにしても、後継者争いのゴタゴタに嫌気がさしていたのを、アクトの誘いに乗ってパルシャー領内において騎行戦術を行ったのだ。
そして、アクトの強さと気前の良さに惚れ込み、そのまま付いてきたのだ。それも五百名も。
精強で名高いエフル族の騎兵である。アクトはこれを最大限に活かすべく、策を練った。そして、ついにその荒くれ者達が牙をむく瞬間が目の前にやって来たのだ。
「おお、アクトの言った通りだわ。中央が引いた後は、あまり時間を置かずに、両翼の騎兵が動き出す。ふふ、こっちが脇で待機しているとも知らず」
そう、アナートの指摘した通りなのだ。馬は一度走り出すと急に向きを変えることができない。つまり、敵が突っ込んでくるということは、敵は前にしか進めず、脇を晒すことになる。横槍を入れるのに、これ以上にない位置取りに、エフル族の部隊はいるのだ。
仮に上手く馬首を返せたとしても、今度は正面にいるライアス軍左翼がそれに襲い掛かる。つまり、伏兵を見つけれなかった段階で、もう“詰んで”いるのだ。
無論、パルシャー軍の司令官であるアッシュも無能ではなく、グーダ砦周辺の地形から、この山周辺に伏兵がいるのではと考えた。実際に斥候を放ち、調べさせたのもそのためだ。
それでも潜んでいたエフル族の部隊を発見することができなかった。
それは伏兵がいたのが、周辺ではなく、山頂部であって、パルシャー軍の騎兵の腕前では、山頂部まで駆け上がるのは難しく、兵などいないものと勘違いしたのだ。
なにより、決定的であったのは、エフル族が略奪するだけ略奪した後、元の居住地である草原に戻っていったものと、誤認させた点が大きかった。実際、トーグは帰宅組と一緒に北上し、頃合いを見て率いる部隊を分け、見つからないように迂回しながらグーダ砦を目指したのだ。
そして、川を渡り、パルシャー軍が砦を放棄したのを見計らって、山を登ったのだ。
(そう、つまるところ、それらの事象を、すべて読み切ったのだ。この目の前の砦で繰り広げられる戦を、あの人は)
トーグの視線の先はライアス帝国軍の中央部隊があった。その中央には総司令部があり、そこにアクトがいる。自分とそう変わらぬ歳の若者には、天空にもうひとつ目があるのではと思えるほどに、的確に状況を把握し、事前に手を打っている。
今目の前で、中央がぶつかり合って押し返し、その後に両翼の騎兵が動くことを事前に予測し、実際に刃を交える遥か前から伏兵を用意していたのだ。
「これでこちらが失敗したら、末代までの恥だな」
無論、トーグは失敗するつもりはない。今一度、後ろを振り向き、部下の様子を眺めたが、こちらも命令を待っているのか、今か今かと待ちわびているようであった。
それは無理もないことであった。なにしろ、数日もの間、今この瞬間のために山頂部で待機していたので、さすがに窮屈に感じるようになっていたからだ。
しっかりと張った弓はどこまでも遠くに矢を飛ばす。そして今こそ、矢となり、槍となり、敵陣を切り裂く時であった。
「よし、皆、行くぞ! パルシャーの連中に教えてやれ。エフルの力を見せるときは今だ!」
トーグが拳を振り上げて号令を上げると、これに応えてエフル族の猛者達も猛り狂った。
そして、山は動き出す。エフル族の部隊は崖にも等しい坂を下り、不用意に脇を晒す敵に向かって突っ込んでいった。
~ 第十八話に続く ~




