第二話 戴冠
ライアス帝国、かつては世界を支配した巨大帝国であったが、今はその繁栄も失われて久しく、悠久の都たる帝都アルバンガは蛮族の手に落ちていた。僅かな皇族の生き残りも帝国領東部にて新帝都ノァグラドを築いて再起を図ろうとするも、結局は皇帝の位を巡って血で血を洗う内紛によって絶えてしまい、現在の皇室はかつての帝国の皇室とは縁続きではないのだ。
それでも、“ライアス帝国”を名乗り続けるのは、先祖代々引き継いできた帝国の臣民としての矜持や誇りがそうさせるのであり、その精神が失われない限りは続くであろう。
もっとも、その精神は歪み、あるいは錆びつき、内部での争いに終始して、とてもかつての帝国を復活させようと考える者はいない。
ありていに言えば、現在の皇帝の正当性は、血統や伝統よりも実力本位。力ある者が皇帝を僭称し、それを事実として認めさせる。それが現在の帝国の中枢の有様であった。
その顕著な存在として、ユリウス帝が挙げられる。皇帝ユリウスは元々は地方の農民出身であったが、恵まれた体格と武芸の才を武器としてのし上がっていき、兵卒から近衛兵へ、近衛兵から百人隊長へ、百人隊長から将軍へと出世していった。
そんな出世街道の終着点が、至高の冠を頂く皇帝であった。ユリウスは仕えていた皇帝が継嗣もなく崩御すると、持ち前の勘の良さと武力によって瞬く間に宮殿や新帝都を制圧して皇帝即位を宣言し、反対派を弾圧ないし懐柔によって抑え込んで、自らの権力基盤を強固なものとした。
ユリウスは実子にこそ恵まれなかったが、優秀な甥がおり、それを摂政、次期皇帝と定め、国政の中枢に置いて、早くから政治の世界へと引き込んだ。その甲斐あってか、廷臣や大臣達からも甥の受けはよく、上手く国政を回すことができた。
そんな激動の人生を歩んできたユリウス帝であったが、七十を目前にしてとうとう神の世界へと召されることとなった。武芸、軍才には恵まれていても、文盲で自分の名前すらまともに書けない皇帝であったが、四方の敵対勢力を幾度となく退け、勝利と共に凱旋した姿は鬱屈した帝国臣民に希望の光で照らすことになり、それなりの人気を博した。
その皇帝が崩御し、その遺言通り、新たな皇帝に甥であるユリシーズが就任することとなった。
つい数日前に葬儀が執り行われた新帝都の大聖堂にて戴冠式が執り行われ、今まさに新たなる皇帝が帝冠を手にしようと、左右を皆が見守る中、祭壇に向かって進んでいるところであった。
ユリシーズは緋色を基調とした儀礼用の皇帝服を身にまとい、厳かな雰囲気の中をゆっくりとした足取りで進み、その後ろを純白のドレスに身を包んだナンナが続いていた。次なる皇帝と皇后を世に知らしめる儀式であり、その一挙手一投足に人々の視線と注目が集まった。
「綺麗ねぇ~、ナンナ様」
進み行く二人を見ながら思わず声を漏らしたのは、アナートであった。彼女はナンナの侍女として身の回りの世話をするのが仕事であり、同時にもしもの時にはその弓や馬術の才を以て彼女を守ることになっていた。そうしたこともあって、特にこれと言った官職を持っていないにも関わらず、隅の方とは言え戴冠式への列席を許されたのだ。
「儀式中だぞ。口は閉じておいた方がいい」
見とれているアナートを窘めたのは、その横で姿勢よく主人である二人を見守るアクトであった。
アクトは現在、近衛兵の一人として警備の真っ最中であり、ユリシーズから「この場で最も危険な人物を見張っていろ」と命じられ、その対象であるアナートに張り付いているのであった。
アクトとアナートが初めて出会った時から、すでに二年ほどの時間が経過している。現在、アクトは十五歳、アナートは十四歳となっていた。少年少女から大人へと変じる間近な年頃だ。凛々しく、あるいは美しく変わりつつあり、背丈も大いに伸びていた。
しかし、この二人、出会った頃からまるで変わらぬ接し方を続けていた。顔を合わす度に何かしらの口論や揚げ足取りに終始し、埒が明かなくなると弓やなんやで決着を付けるという有様であった。
ユリシーズからは「まるで成長していない」と呆れられ、ナンナからは「背丈と武才が伸びた分、前より危うくなった」と言われる始末であった。
ちなみに、お互い自分が悪いとは思っておらず、相手が無用に突っかかって来るのが悪いと考えており、すぐには改善しそうもなかった。
「なによ、素直な感想述べただけじゃない」
以前のアナートであれば遠慮なしに喋っていただろうが、今は気を遣うということを覚えたようで、小声で顔馴染みに話しかけていた。この点では、一応成長していると言えなくもない。
「それは構わないが、時間と場所を弁えた方がいい。ただでさえ、皇后陛下への風当たりが強いんだ。その侍女の君が問題行動を起こしてしまっては、その主人にまで飛び火しかねないから言っているんだぞ」
アクトの指摘にアナートはムッとなり、口を尖らせながら睨みつけた。ここで掴みかかって来なくなったのは、ナンナのアナートへの躾が成功を収めている証左であった。
ナンナとアナートは女主人と侍女という関係であり、同時に姉妹にも似た仲でもあった。ナンナは何かと問題の多いアナートを事ある毎に窘めては可愛がり、アナートはそんなナンナを慕って悪い虫が付かないように目を光らせていた。
もっとも、その“悪い虫”が多すぎて、とても対処しきれないというのが現状であったが。
そもそも、新皇帝たるユリシーズ自身が成り上がり者である。叔父のユリウスは農民出身でありながら皇帝まで上り詰め、信用のおける身内の中で学のある者を側に置き、それがユリシーズの立身出世へと繋がっていったのだ。
つまり、ライアス帝国は二代続けて農民を皇帝として頂くということになり、伝統を重んじる者にはこれを嫌う者も多い。
ただ、現在の帝国は実力本位の風潮が強い。ユリシーズは将軍の書記官、そして摂政と、その実力を見せる機会に恵まれたため、その出自を気にせず、実力を以て評価する者も多いのも事実だ。
そのため、ユリシーズの戴冠を歓迎する声は、訝しく思う声よりも大きかった。
だが、問題はその妻であるナンナの方であった。
ナンナは元々他国から流れてきた奴隷であり、その容姿を見込まれて踊り子、娼婦となった。また、貴人の相手をするようになると、それに相応しく読み書きはもとより、史書や哲学書まで修め、教養を身に付けていった。
そんな中、地方の田舎から叔父に呼ばれる形でノァグラドにやって来たユリシーズはナンナと出会い、すぐに恋に落ちた。美人であることに加え、その見識の深さや配慮の行き届いた振る舞いに感銘を受け、ユリシーズはナンナとの関係を深め、ナンナもまた新進気鋭の若者を受け入れた。
皇帝の側近として辣腕を振るい、そして美しい妻と添い遂げる。ユリシーズの人生はまさに順風満々と言った感じであった。
だが、次期皇帝に指名される際に、これが問題視された。他国からの奴隷で娼婦、なんでこんな奴を次なる皇后として敬い、頭を垂れねばならないのか、と。
これを危惧し、ユリウスは甥へ何よりの褒賞として、身分のことを問題としない婚姻を是とし、二人の結婚を勅令を以て認めたのだ。
一応、表面的にはそれで収まりが付いたが、敵意や嫉妬、あるいは侮蔑というものは中々に消えるものではなく、いずれこれが火種にならないかとアクトもアナートも心配していた。
無論、二人はナンナと接する機会も多く、その人となりや見識を見聞きしており、皇后として相応しくないとは微塵も考えていない。だが、そうしたことを判断するのはこの二人ではなく、その他大勢の帝国臣民なのだ。
法律上は身分を問わない自由結婚を認められているとは言っても、奴隷や娼婦を皇后と認めれるのかどうかは別の問題であった。この点においては、法律よりも感情の方が優先されると言ってもいい。もし、皇后に相応しくない言動が見られた場合は、普段以上の痛烈な批判が飛んでくることは疑いようのないことであった。
この点をアクトは憂慮し、失礼であることを知りつつ、ユリシーズに問いを投げかけたことがあった。
「ユリシーズ様はどうしてナンナ様を御妃様に選ばれたのでしょうか? 政治的に有利な縁談など、他にいくらでもありましたでしょうに」
実際、貴族や有力者との婚儀には、必ずと言っていいほど政治的な思惑というのが働くものであった。その点、ユリシーズは皇帝の甥であり、摂政であり、次期皇帝候補であったのだ。出自が農民だからと嫌がる者も多いが、それ以上に地位や実力に目を向ける者は多く、未来の皇后の座を狙ってくる女性やその父親など掃いて捨てるほどにはいたはずだ。
にも拘らず、ユリシーズが妻に選んだのは、なんの後ろ盾もない奴隷、娼婦出身のナンナであった。
その点がどうしてもアクトは気になったのだが、それに対してユリシーズは笑いながら答えた。
「気の知れた相手と過ごす時間は楽しいだろう? だからナンナを選んだ。好いてもいない女性と過ごすのには、人生という時間は余りに短すぎるからな」
笑って答える主君であったが、アクトにはそれがとんと分からなかった。
というのも、アクトには好いた女性どころか、友人すらいなかったからだ。両親と死別し、故郷を離れて叔父の下に引き取られてからは農作業と武芸を磨くので忙しく、ユリシーズに仕えるようになってからは、周囲にいるのは大人ばかりで、同世代の人間など皆無であった。
唯一の例外はアナートであったが、彼女とは友人というよりかは喧嘩相手に近く、親近感や好意などは感じるほどでもなかった。
そのような事情があるため、アクトは誰かを好きになるという感覚に乏しく、逆に自分が好かれているのかどうかという感性も身に付いていなかった。
「あなたもほんと真面目よね。真っすぐすぎるって言うか」
「曲がった矢は真っすぐには飛ばない。自分は陛下を守る盾となり、敵を射抜く矢となりたいんだ。真っすぐなくらいで丁度いい」
「はいはい、頑張って頑張って」
などという少年少女のやり取りをよそに、儀式は進み、祭壇に飾られていた冠をユリシーズが自ら手に取って、自身の頭に被せた。また、その横にある皇后用の冠にも手を伸ばし、それをナンナに頭の上に載せた。
続いて、周囲によく見えるよう冠を被った両者が祭壇の一番高い所に登り、その煌びやかな姿を皆に見せつけた。
そして、脇に控えていた宮廷付きの司祭が二人に歩み寄り、新たなる皇帝と皇后の誕生を神に対して報告した。
「ここに、あらななる皇帝ユリシーズ=クレメンティア=プリンチェプス=アウグストゥス=サヴァカーン=ライアスと、その皇后ナンナの誕生と相成りました! 偉大なる主よ、この者達に祝福を。ライアス帝国に栄光あれ!」
「「ライアス帝国に栄光あれ!」」
司祭の声に合わせ、列席者の祝福の声が響き渡り、ここに新たなる皇帝と皇后の誕生となった。それが帝国にとって吉か凶かはまだ誰にも分からない。
~ 第三話に続く ~