第九話 三日月斬り(5) ~ 好機到来 ~
ティルノモス駐留軍に困惑や動揺が広がっていた。ティルノモスの北側にある出城に対し、パルシャー軍が猛攻をかけていたと思ったら、いきなり攻撃を止めて引き上げ始めたからだ。
なぜ急に攻撃を止めて引き上げ始めたのか、それが分からなかったのだ。
ただ一つ分かっているのは、援軍の指揮官であるアクトがこれを予期し、攻撃を始めてから二、三日の内に、パルシャー軍が撤退するから、追撃の準備をしていろと命じていたことだ。
「ほら、アクト将軍の言った通りになったでございましょう?」
アクトからの伝言を届けたヘルモは、守備隊の諸将に向かって露骨なまでに蔑む視線を浴びせ、怒りを買った。だが、何も言い返せなかった。言い返したところで、恥の上塗りになるのは目に見えているし、それ以上に目の前の現実を信じれなかったからだ。
攻撃中に横槍を入れられたとか、背後を強襲されたとか、そういう情報が一切ない。ないにも関わらず、いきなりの撤退である。諸将はそれを予期していた、アクトの方が異常なように感じていた。
「こ、これは罠だ! 罠に違いない!」
そう強弁するのは、諸将のまとめ役である第三軍団の軍団指揮官のベズーザであった。籠城戦を主張し、アクトが指示した出撃準備を却下したのは他ならぬ自分であり、立場が非常にまずいことになりつつあったからだ。
とにかく強気な姿勢を崩さず、自己正当化しなくてはならなかったのだ。
「ベズーザ様、アクト将軍の指示通り、追撃なさってください。敵は背を晒しており、数は劣れども、追撃側の方が遥かに有利な体勢で戦うことが可能です。どうか、出撃を」
「黙れ! 使い番ごときが、しゃしゃり出て来るな!」
「私自身は使い番に過ぎませんが、これはアクト将軍からの指示です。敵が引く、それの背を追う。そう指示されており、現に目の前にその状況が出来上がりました。にも拘らず、出撃準備を怠り、追撃せずにみすみす敵を取り逃がす。失態どころの騒ぎでは済みませんよ?」
「黙れと言っている!」
ベズーザは腰に帯びていた剣を抜こうとしたが、それはさすがに周囲から止められた。非は明らかに命令無視のこちら側にあるため、ここで使い番まで斬ってしまっては、皇帝に申し開きをする機会さえ奪われてしまうからだ。
緊迫した空気が漂う中、兵士が一人駆け込んできた。
「ベズーザ様! 敵が引き上げる間際に北の出城にこのような物を撃ち込んでいました!」
差し出されたのは一本の矢文であった。
ベズーザは慌ててその矢文を広げ、中身を確認した。すると、そこにはこのようなことが書かれていた。
“国王陛下が病に倒れられ、遠征どころではなくなった。引き上げさせてもらう”
ヘルモはそれが嘘であることはすぐに分かった。なにしろ、アクトがエフル族領を通過してエデス地方になだれ込んでいるのを聞かされていたためだ。
だが、事情を知らない駐留軍の面々は、いくらなんでも都合の良すぎる展開を怪しんだ。
「やはり罠だ! こちらの欲する情報を、こうも簡単に流すとは思えない!」
「ふむ。では、罠であると仮定した場合、敵の行動をどうなりましょうか?」
使い番が指揮官に対してとるべきでない程に見下した口調であった。ヘルモはそこまで怒りを覚えているのだ。折角、アクトを始め、いつもの顔触れが用意した絶好の機会を、指を咥えて逃すなど、絶対にあってはならないからであり、それが態度として露骨なまでに出ていた。
「決まっている! 敵はティルノモスを攻め難しと判断し、偽装撤退を企てているのだ。追撃に打って出たこちらを待ち伏せし、のこのこ城から兵を繰り出したこちらを叩く。そこから反転攻勢で、再び城攻めを行う。兵は減るし、士気は下がる。より城攻めがやり易くなる道理よ!」
「一応、スジは通ってますな」
ベズーザの発想はヘルモを多少納得させたが、相手が偽装撤退などではなく、本気で撤退していることを知っているので、鼻で笑う話であった。
いっその事、ネタ晴らしをしても良かったのだが、アクトはなぜかそれを禁じていたため、ヘルモはその指示に従うこととした。あくまで、目の前の現実を突き付け、早く追撃するようにと促した。
「では、ベズーザ様、それに居並ぶお歴々の皆様。私は使い番であり、同時に監査役として、見たままの事を陛下と将軍にお伝えいたします。以前も申し上げましたが、もう一度確認させていただきます。本当に“よろしい”のですね?」
含意のある質問であった。命令違反の上、好機を棒に振り、敵を取り逃がしたとなると、どんな処罰をされても文句の言えない立場となる。それでいいのですか、というヘルモからの最後通牒であった。
使い番風情にここまで大きな態度を取られることは、大いなる恥であり、言い表すことのできない怒りが沸き立つものであったが、今回に関して言えばヘルモの方に理があるため、諸将の中に動揺が走った。
どうしたものかと顔を見合わせ、最終的にはベズーザに視線が集まった。どう判断するか、それを一人の判断に委ねたのだ。
「・・・追撃はしない。敵の真意が分からぬ以上、罠である可能性は捨てきれぬ。アンティノー地方制圧を諦めて引いてくれるのであれば、我々の勝利だ」
「グーダ砦を戦わずに明け渡して勝利とは、結構なものですね」
「黙れ! 出撃準備もなしに、出撃できるわけがなかろう!」
「ですから、追撃準備をするようにと、事前に指示を出していたのではありませんか。それを今になって準備してないから追撃できないなど、余程東部軍は耳か頭が揃いも揃って悪いようでございますな」
ヘルモの嫌みであったが、すでにベズーザも諸将もそれには取り合わなくなった。何を言っても言い負かされるのがオチなので、いないものとして無視することにしたのだ。
あるいは、露骨なまでの侮蔑と憤怒がヘルモを突き刺したが、ヘルモはそれを堂々と受け止めた。それどころか、逆に嘲りと憐れみを同居させた視線を投げつけ、いつでもお相手しますよとふてぶてしいまでの態度で応じた。
今追撃して撤退する敵部隊の背後を突けば、今までの失態を差し引いてもお釣りがくるほどの戦果を挙げれるというのに、こうもやる気を感じさせない消極的な態度は、アクトやブーンといった北部軍の面々と接してきたヘルモからすれば、侮蔑に値する愚将ばかりであった。
(アクト様、申し訳ありません。東部軍はあなたが考えている以上に無能揃いのようです。あるいはもしかして・・・)
ヘルモは城壁の上から西の方角を眺めた。去っていくパルシャー軍と、その遥かな先の空の下にいるであろうアクトに向かって謝した。
託されながら果たせなかった追撃への催促が、悔しくて仕方がなかった。ここまでの好機を無視し、あげく使い番を異民族として見下してきた。アクトやユリシーズがいかに開明的で、出自ではなく能力で人を見てきたのかが、離れてみてようやくに認識できた。
ヘルモは思った。帝国は変わらなくてはならない。というより、元に戻らなくてはならない。かつての帝国であるならば、市民権さえ持っていれば、誰でも働き次第で上り詰めていくことができたのだ。異郷の出身者であろうとも、将軍に、元老院議員に、執政官に、栄誉の富貴を働きや活躍に応じて手にすることも夢ではなかった。
しかし、今は明らかに差別意識がある。実力主義の傾向は強いが、それはあくまで元々の帝国人の中での話で、肌の色の違う新参者には適応されていないようであった。
少なくとも、ヘルモにはそう感じた。
そもそも、その意識自体おかしいのだ。ライアス帝国は本来、現在の帝国領より西の方の民族なのだ。旧帝都アルバンガを中心とした場所が、元々の居住地だ。それが拡張と同時に方々に都市を作り、植民や移住を行って巨大化していった。
それが帝国の衰退と共に領土領域を失い、かつて帝国東部領と言われた場所が、現在の帝国の全てであり、住人も植民者を除けば、東部に元々住んでいた民族の方が圧倒的に多いのだ。
とはいえ、ライアス人と東部領に住んでいたグラエキア人は民族的にも近かったことから混血が進み、今ではその垣根もかなり低くなっている。だから、見た目的には区別がつかないのだ。
唯一の違いは言語くらいだ。旧帝都から流れてきた者はライア語を用い、東部領の一般庶民はグラエ語を使用する。ライア語は帝国における公用語なので、役所や公文書ではこちらが用いられるため、一般庶民との壁になっている。
ヘルモは皇帝の書記官をやっていたので、ライア語を使えるし、グラエ語も覚えている。当然、出身地であるジプシャン地方で使われているジプス語も使える。自分は不自由しないが、やはり言語の統一化がなされてこそ、帝国人としての一体化が図れるのではと感じ始めた。
そう考えると、なんだか急にやる気も湧いてきた。ならば見返してやろうと。小さくとも功績を重ねて出世していき、出自出身に関係なく、能力と功績によってこそ評価が下される国を作ろう、と。
そして、今の皇帝ならば、それが可能だとも感じていた。ユリシーズが旧帝都への再征服事業を成功させ、アクトがその手足となって動くのであれば、自分もまた活躍の機会も巡って来るだろう。それを少しずつでもいい。積み上げていけば、いずれ人々の認識も変わっていくはずだ。
そう考えつつ、ヘルモは去り行く敵軍を寂しげに眺めて何もせずに送り出すのであった。
~ 第十話に続く ~




