第六話 三日月斬り(2) ~ティルノモス駐留軍の動き~
ティルノモスはアンティノー地方の中心都市であり、都市部だけで人口が五万人を超え、それに倍する数の住人が周辺の町村に住んでいる。
この都市は極めて強固な造りをしている。ユラ河の沿う形で造られた城壁で東側と南側が河という天然の防壁となっており、攻め口が北か西ということになるのだが、この北側には小高い丘があり、そこには出城が築かれていた。しかも、その出城は固定式弩や投石器などの兵器類が並び、ティルノモスを攻撃しようとすると、これを妨害するように備えられていた。
しかも、都市と出城は地下坑道にて繋がっており、籠城中であっても兵員の移動ができるようになっていた。
こうした高度な防御施設が備わっており、長期にわたる籠城戦が行えるようになっていた。
そして現在、この都市には周辺からかき集めた兵が籠城の準備を整えており、いつでもかかって来いと言わんばかりに待ち換えていた。その数は三万を超え、十分に迎撃できると、参集していた諸将は考えていた。
そんな中、帝都ノァグラドより援軍が発したとの報が入り、将兵も大いに士気が高まった。
籠城してパルシャー軍を迎え撃ち、頃合いを見て援軍が横から殴りかかって、守備隊もこれに呼応して敵を叩き潰す。そうした絵図を頭の中に描いたのだ。
こうしてティルノモスは迎撃の準備に追われ、皆が忙しなく駆け回っているところへ、一人の少年が姿を現した。生粋の帝国人ではなく、褐色の肌から南方領域の出身者だと思われた。戦も差し迫っている中での来訪とあって警戒されたが、援軍の先触れの使者だと名乗り、さらに『銀の駅鈴』を見せつけてきたこともあって、防衛司令部へと通された。
駅鈴とは一種の身分証のようなものであり、これを見せれば大抵の官庁で融通を利かせてくれる代物であった。特に、この少年が差し出した駅鈴は鷲の意匠が施されており、皇帝直々の許可が出た者にのみ与えられる特別性であった。
先触れの使者だと聞いた諸将は準備を部下に任せて急ぎ司令部の会議室に集合し、使者としてやって来た少年と相対した。無論、この少年はヘルモであり、現在はアクトにいくつかの指示を託され、使者としてティルノモスに赴いていた。
「先触れご苦労、使番の少年よ。私はここの責任者、ではないのだが、皆の取り纏めをしている第三軍団の軍団指揮官ベズーザだ。早速だが、増援部隊はどの程度の規模で、いつ頃到着するかね?」
ベズーザを名乗る指揮官は尊大な態度でヘルモに尋ねてきた。
(ああ、やはりこうなっているのか)
気落ちした感情を一切表に出さずに、ヘルモは会議室の面々を見渡した。はっきりと言ってしまえば極めて消極的。自分から積極的に動いて何かを成そうという気概が感じられない。
つまり、中央に異動したリキニウスが現場を離れて以降、東部軍は責任者不在だったことが、ヘルモに伝わったのだ。
この点においては、ユリシーズの不手際とも言えた。とにかく財政基盤を固め、法整備に勤しみ、産業を興すなど、内政に全力を注ぎすぎて、軍事費の不足や皇帝の差配がなく、宙ぶらりんになっている点があちこちに見られた。
蛮族の襲撃が度々起こる北部軍を除けば、他の戦線は比較的落ち着いており、国境が安定している間に、中を固めてしまおうとユリシーズは試みていたのだ。
実際、ヘルモも書記官としてユリシーズの側近くにいたため、その点は承知していたし、実際内政の成果は上がりつつあった。
だが、想定よりあまりに早くパルシャー王国が挙兵したため、計画が狂ってしまったのだ。
人事に関してもアクト絡みの案件には介入していたものの、他はほぼ軍部に丸投げ状態であり、東部軍の再編が終わっていなかった。そのための、将兵の無気力ぶりや積極性の無さに繋がっているのであった。
この辺りはユリシーズの己の限界を弁えての消極さが出ていた。軍事に関しては才がないと弁えていたので、信頼でき且つ実力も備えたアクトを軍の要職にできるだけ早く就かせて、軍事における全権代理人に仕立てるつもりであった。
しかし、そこまでするにはとにかくアクトに場数を踏ませ、実績を示してもらう必要があり、そうでなければ数多の帝国軍人が納得するまいという考えの下、アクトの人事には介入を続けた。その一方で、他の件は軍上層部に投げている状態が続いていた。
今回はそれが裏目に出て、積極的に東部軍の再編に動くべきであったのを、内政にかまけて怠った件が悪い方向に出てしまったのだ。
そして、ただ一人積極的であったベズーザなる指揮官が同輩を押さえる形で、総指揮官的な立ち位置を得たのであった。もちろん、正式な東部軍筆頭指揮官などではなく、場の空気的にまとめ役になっているだけであって、明確な権限がない状態であった。
「では、こちらに帝都を出立した援軍の規模ですが、私が部隊を離れた際には、第二軍団を中核に据えており、その数は合計一万五千を超えておりました」
妥当な数であり、諸将はまず納得した。現在、ティルノモス駐留軍は総勢で三万、対するパルシャー侵攻軍は四万である。籠城戦であれば負ける数でないが、パルシャー側にはさらに後詰がいるとの情報があり、できるだけ早く先鋒四万を蹴散らし、数の上で有利にしておきたかった。
援軍一万五千が到着すれば、合計で四万五千に達する。
そのため、援軍の到着と同時に一転攻勢に出て、数の有利を活かしつつ、遠出してきた敵軍が疲労で動きが鈍っている内に一気に押し返そうと言うのがおおよその考えであった。
だが、ヘルモの言葉がその考えを完膚なきまでに叩き潰した。
「期待を持たれる諸将には申し訳ありませんが、援軍はティルノモスには向かっておりません」
「なんだと!?」
当然ながら、会議室はざわめき出した。帝都を出立したというのに、ここに援軍が来ないとはどういうことなのか、と。
「使い番、それはどういうことか!?」
ベズーザはヘルモに飛び掛からん勢いで尋ねてきた。援軍の有無は今後の戦況に関わる案件であり、それがこちらに向かっていないというのは、現場の人間として納得しがたいことであった。
「正直に申しますと、援軍の指揮官でありますアクト将軍より、私は何も伺っておりません。ただ、守備隊への指示書を携えておりますので、それを諸将に伝えるように、と仰せつかっております」
ちなみに、これは嘘である。ヘルモはアクトの作戦を把握しており、姿を隠したアクト軍団が何をしているのかを知っていた。しかし、アクトの指示で知らないととぼけるように伝え、かつ手紙を読み上げるようにヘルモに命じていた。
なんだそれはと、ベズーザを始め、諸将は複雑な顔で互いの顔を見やり、何がどうなっているのかと言葉を交わした。
そんなざわつく雰囲気を無視するかのようにヘルモは懐から、アクトに託された手紙を取り出し、それを広げた。
「ええ、では、アクト将軍からの指示を読み上げます。『諸将はただちに“出撃準備”を整えて城内に待機しておくこと。攻城戦が始まって二、三日の内に敵方は撤退を開始するので、これを追撃せよ。追撃戦とはいえ数の上で不利であるから、無理な突撃は避けて牽制しつつ、相手の撤退をなるべく遅らせること』。・・・以上です」
ヘルモが読み上げた指示書はとんでもない内容であった。今まさに敵が迫っているという状況下で、守備を固めろではなく、出撃しろと命じていたからだ。
ヘルモはこれを当然だと考えていた。何しろ、今アクトの実行している策が決まると、他の事を捨て置いてでも、アクト軍団を殲滅しなくてはならなくなるからだ。例え、ティルノモス駐留軍に背中を晒すことになろうとも、とにかくアクト軍団の所へ急行せねばならなくなる。
しかし、ヘルモの目の前でざわつく諸将にはそれが分からない。ヘルモがアクトの指示に従って、全容を話すなと止められていたからだ。
「そんな話を信じて、出撃しろだと!? 理由を言え、理由を! なぜ敵がすぐに引き上げると分かるのだ!?」
「伺っておりませんので、お答えできません」
ヘルモはあくまで指示書を伝えるだけの、愚直な使番を演じ続けた。いくらでも助言や献策を用意できるのだが、アクトの指示を逸脱せずにいた。
「話にならん! そんな不確実な指示を、理由の説明もなく受け入れろと言うのか!?」
「アクト将軍は皇帝陛下より信任を受け、誇官の儀を執り行った方です。その指示に従わないことは国家と陛下への反逆行為であり、謀反人として処罰されます。それでもよろしいか!?」
ヘルモは懐より改めて銀の駅鈴を取り出し、皇帝の権威に逆らうのかと、諸将に対しても脅しをかけた。
使番と銘打っても、相手は少年。しかも、肌色から生粋の帝国人ではなく、南方のジプシャン地方の出身だということも見ればすぐに分かる。
そんな人物に命令されるいわれはなかったが、駅鈴にいくつも視線が集まっていた。皇帝よりの身分保証の印であり、それに対して罵声の一つでも浴びせたいのを我慢しているのだ。
ヘルモの背後に皇帝の姿がチラリと見えているため、あまり強く出れない状況だ。
だが、一人だけ声を荒げて、ヘルモを非難する者がいた。ベズーザだ。
「いい加減にしろ、使い番! 陛下の意向をかさに着て、頭ごなしに命令してくるなど言語道断! 何の権限あっての物言いか!?」
「私自身には権限はありませんが、私をここに使わせたアクト将軍にはございます。ゆえに、アクト将軍の指示を、私はお伝えしただけでございます」
十五歳の少年とは思えぬほどの胆力と弁論術であった。歴戦の諸将を前に怯む姿を一切見せることなく、これに応じていた。皇帝の側近くに仕え、しかも、十歳の時に戦場での初陣すら超えてきたヘルモからすれば、この会議室でのやり取りなど、ぬるま湯に浸かる程度でしかなかった。
もちろん、居並ぶ面々からは悪い感情ばかりを向けられていた。憤怒はもちろん、侮蔑や、あるいは困惑と、ヘルモに突き刺さる感情は様々だ。
それでもヘルモは怯むことなく平静で通した。これくらいならやってのけると、アクトからの信認もあったし、今現在のアクト軍団の動きを考えれば、この程度の働きをこなさねば申し訳ないというものだ。
「黙れ、小僧! 蛮地の人間が生意気な!」
明らかな差別意識がヘルモに向けられ、さすがに苛立ちを覚えたが、ヘルモはそれでも堪えた。
そもそも、蛮地などというが、歴史の長さの言えば、ライアス帝国よりもジプシャンの方が長いのだ。遥かな昔、ライアスの人々が洞穴で生活していた頃、ジプシャンの住人は石を切り出し、あるいはレンガを作り、住居を建てていたのだ。
今でこそ帝国の一部として併呑されてはいるが、そのライアスより更に長いジプシャンの人々の営みを忘却の彼方に追いやり、頭ごなしに抑えつけようとするやり方の方が、余程に蛮族のそれではなかろうかと、ヘルモは思わざるを得なかった。
それゆえに、下がるわけにはいかなかった。自身の民族の誇りと、出身如何に関わらず全てを許容する帝国の有り様と、それを是とする皇帝の深き懐に応えるためにも。
「今のは国権と伝統に対する重大な挑戦でございますよ? 帝国においては、多額の税を納めれば、出身の如何に関わりなく、市民権を得られるのが長年の伝統であり、歴史そのものであります。誰であろうと、働きに応じてこれを認めることこそ、帝国が大きくなっていった原動力の一つです。それにケチをつけるなど、ベズーザ司令官は帝国の歩みを否定なさるのですか!?」
「黙れと言っている!」
ベズーザは怒りのあまり跳び上がる様に席を立ち、腰に帯びていた剣を鞘から抜こうとしたが、さすがにそれは周囲から止められた。無礼な口を聞くヘルモへの憤りはあるものの、味方の使い番を斬ってしまうわけにはいかなかったからだ。
なにより、ヘルモは駅鈴を持っていた。皇帝直々の許可証を持つ自由民を斬り捨てたとあれば、あとでどのような叱責と処罰が来るか容易に想像ができたので、ベズーザの怒りに対する同調よりも、謀反人として断罪されるかもしれない恐怖の方が勝ったのだ。
ここらが潮時だなとヘルモは見切りをつけ、怒る面々に対して頭を垂れて謝した。
「分かりました。私としましては、あくまで使い番としてアクト将軍の指示をお伝えしただけでございますので、それをどう判断するかは皆様の裁量でございます。これ以上は申し上げることはございませんが、最後に一つだけ、確認したいことがございます」
ヘルモは頭を上げ、居並ぶ面々を無表情に、それでいて小馬鹿にするような雰囲気を出しながら見回した。そして、口を開いた。
「本当に“よろしい”のですね?」
ヘルモの口にした“よろしい”の含意はすぐに理解できた。皇帝の信認を受け、誇官の儀を執り行った将軍の命を無視し、出撃ではなく籠城を選択したことに対して、「皇帝と将軍の意に反する行為ですが本当にいいのですね?」とヘルモは問いかけたのだ。
「黙れと言っている! 『将、外にありては、君命、従わざる事あり』という言葉がある。遠く離れた帝都よりも、現場の事は現場が一番よく知っている。戦の理を優先すれば、時として中央の意に添わぬ行動も出てくるというものだ」
ベズーザはキッパリと命に従わないと言い切った。
ヘルモもベズーザの言わんとすることは理解ができた。遠くにいる人間の指示よりも、現場の判断の方が正しいこともかなりあるからだ。
実際、自身やアクトの初陣となったスラ地区の反乱騒ぎも、他部隊と合流するのが常道でありながら、あえて突出することを選択したアクトの現場判断によって、乱を早期に鎮圧することができた。無論、あれはアクトの常人離れした判断力や行動力、部隊の練度の高さあっての成功であるが、それでも現場判断によって成功を収めたのは事実である。
そうした経験もあるため、ヘルモは中央の意向よりも、現場の判断を尊重する傾向が強かった。もちろん、どちらがより帝国に利するか、という明確な判断基準あってのものだが。
「分かりました。私としましては、折角の武功を上げる機会を棒に振るのが不憫だからと思いましたのですが、現場がそう判断したのであれば、もう何も申し上げることはございません」
ヘルモは説得を諦めた。頭の固い人間を説得するのは骨であるし、何より“出撃を選択しなかった”場合の指示もすでにアクトから出されていたからだ。
(本当に、アクト様はどこまで見通してるのだろうか)
ヘルモはそう考えると、どこか寒気を覚えるのであった。
後年の歴史家達はアクトのことを、その戦いぶりから“誘引の天才”と呼ぶ者が多い。状況を正確に分析し、敵将の心理状態をも判断材料に入れ、相手を必殺の危地へと招き入れるからだ。
同時に、弱点を抱えていることも指摘されている。それは「アクト将軍の動きが突飛過ぎてその意味を理解できず、急な命令変更や指示に従わない、あるいは遅れる別部隊の将が多い」ことである。
これはアクトの生涯にわたる弱点となる。なにしろ、アクトの動きを理解できる将は、帝国軍の中において麾下の武将を除けば、たったの二人しか長い戦歴の中で巡り合うことができなかったからだ。
「では、使い番としての役目は終わりましたが、このまま監査役として逗留させていただきます。もちろん、監査ですから見るだけでございます。あれこれ口を出すことは、極力致しませんのでご安心ください。よろしいですね?」
「フンッ! 好きにしろ。城下町に官製宿舎がある。そこで大人しくしていろ」
「ありがとうございます。では、目障りな嫌われ者はさっさと退散することにいたします」
ヘルモは今一度頭を垂れて会議室から退出した。
そして、扉が閉まると同時に、会議の席は溜め込んでいた鬱積を爆発させた。礼は尽くせど敬意の欠片もない慇懃無礼なる使い番に、あれやこれやと罵り声を上げたのだ。
「なんなのだ、あの馬鹿者は!」
「新参者が陛下の威光をかさに着て、尊大に振舞うなど許せませんな!」
「まったくだ。異民族の子供の分際で!」
面と向かって言わないのは、やはり皇帝に真っ向から逆らうことをよしとしなかったからだが、それでも不満は大いにある。だからこその、この会議室の荒れようであった。
逆に静かになったのは、ベズーザであった。飛び交う罵詈雑言や不満を耳に入れつつ、その光景を静かに眺めた。下手に宥めては、不満が自分に向きかねないから、吐き出させるだけ吐き出させておいた方がいいと判断したからだ。
そして、溜まっていたものを一通り吐き出したところで、会議室はようやく収まり、皆の視線は上座のベズーザの方へ向かった。
「ベズーザ殿、よろしかったのですか? 使者相手に、ああも言い切ってしまって」
「知ったことかよ。これから籠城戦で迎え撃つというのに、出撃準備をしろなどと狂気の沙汰だ。それに、我らの仕事はこの城を守り抜き、ひいてはアンティノー地方を敵に渡さぬことだ。敵が黙って引いてくれるのであれば、このまま城に籠っておいた方が楽ではないかね?」
ベズーザの言はある意味で正しかった。アンティノー地方の奪還を目指してのパルシャー側の侵攻であるならば、これを渡さなければライアス側の戦略的勝利だからだ。そして、アンティノー制圧にはティルノモスの奪取は不可欠であり、その防衛さえきっちりしていれば、アンティノーそのものを奪われることもないのだ。枝葉を奪おうとも、幹さえ無事ならばやり様はいくらでもある。
戦略的にはアンティノーの防衛と保持。戦術的にはティルノモスでの籠城戦。この根幹を押さえている以上、無理に出撃して戦果を稼ぐこともないのだ。
だがこの時、諸将は気付いていなかった。すでに間者や内通者が城内に入り込んでいたことを。
そして、アクトはそれすら予想して、ヘルモにおおまかな指示を出しても、作戦の細部を頑なに漏らそうとしなかったことを。
これより十日と経たないうちに、敵も味方も驚愕することになる。アクトのあまりにも常軌を逸した行動に、誰も彼もがそんなバカなと宣うのであった。
~ 第七話に続く ~