第三話 救援要請
ラグアでの絹産業の出来具合を視察した後、帝都ノァグラドに帰還した皇帝ユリシーズの下へ、急報がもたらされた。東に位置するライアス帝国長年の敵対者パルシャー王国が帝国東部へと侵攻を開始したというのだ。
パルシャー王国はライアス帝国にとって、長年の宿敵であるが、その勃興についてはよく知られていない。帝国全盛期には多数の諸部族を傘下に収め、その力を上手く抑え込めていた。しかし、帝国の衰退に乗じて独立の機運が高まり、いくつかの勢力が興っては消えてを繰り返し、気が付いたらパルシャー王国の前身と言うべきエラン族領が強大化していたのだ。
これを危惧した当時の皇帝が大規模な親征に乗り出すも、帝国の軍事力は思いの外弱体化しており、抑圧的であった帝国側への反感も相まって、エラン族を中心に諸部族が結集。これによって帝国軍を打ち破り、皇帝自身が捕虜になるという前代未聞の大失態を演じることとなった。
多額の身代金と独立を勝ち取ったエラン族領の族長は王国の成立を宣言し、それ以降はパルシャー王国を名乗って現在に至っていた。
幾度となく衝突した両国であったが、近年では帝国側が比較的優勢であった。パルシャー王国の北側に存在する騎馬民族エフル族と帝国が同盟を結び、これをもってパルシャー王国を挟撃することに成功したのだ。これを実行したのが先帝ユリウスであり、かなりの損害を被ったパルシャー王国は領土をある程度割譲することを条件に講和が成立。比較的平穏な時間が流れていた。
しかし、ついに兵を挙げて帝国領に侵入を果たしてきたのだ。現在、エフル族が族長死去による後継者争いが生じており、その間隙を突く形での侵攻であった。
そして現在、宮殿の会議室において、即座にユリシーズの招集に応じた軍関係者が集まり、対応に追われている状況であった。帝都に設置されている軍務局の幹部、帝都近郊に駐留する軍団の指揮官ないし代理の者がそれだ。また、帝都には各地の軍団や方面軍の連絡要員もおり、その者達も会議の状況を知るために、発言権はないものの出席を認められていた。
「ウワード王は先帝ユリウス様に見事にしてやられ、領土を割譲するという屈辱を味わった。すでに老いて時間の猶予もない中、エフルの内紛という好機を得た。取り戻したいのであろう、かつての領土を」
急報を聞き、宮殿に集まった軍部の面々を前にして、ユリシーズは自身の考えを披露した。それには異論はないようで、会議に出席した面々は頷いて応じ、あるいは賛意を周囲の者と口々に交わした。
「まあ、割譲されたのがアンティノー地方。あそこは二つの大河が流れ、その川縁には肥沃な土地が広がっておりますからな。取り返せるのなら、取り返すでありましょうよ」
発言の主は軍務長官のベルガルであった。ベルガルは元々は東部軍に所属していたこともあり、しかも問題として挙げたアンティノー地方に赴任していたこともあり、現地の事情には明るかった。
「至急に援軍を送るべきでありましょう。うかうかしていると、アンティノーどころか、さらに奥深く侵攻してくる可能性すらあります。なにより、今の現地はまとめ役に欠いております!」
続けて発言してきたのは軍務次官のリキニウスであり、その表情は焦りがあからさまに出ていた。というのも、リキニウスはつい最近まで第二軍団の軍団指揮官として東部方面に赴任していたが、兵員補充と自身の引退のため、帝都ノァグラド近郊まで部隊を引き上げていたのだ。
老齢を理由に指揮官職を退き、代わりに中央での軍務に専念するということになっていた。そして、その第二軍団の指揮官に、アクトを着任させようとユリシーズが手を回していたのが現状だ。
ちなみに、軍務局の長官次官が揃って東部軍出身であるのは、先帝時代にパルシャー王国との戦争が続き、しかも勝ち戦で戦功を挙げた者が多く、軍上層部にその時の名残があった。
「よもや、次官殿が引き上げることも事前に漏れていたのではありますまいか? 次官殿は先頃まで東部軍におり、周囲の軍団の中でも頭一つ抜けて優秀と聞いております。頭立つ者が不在で、エフル族の援護も期待できぬ。敵は慎重かつ広範囲に情報を収集し、機を窺っていたとしか思えません」
そう発言したのはアクトであった。敵の動きが余りにも悪い方向に重なっているので、その漏れを指摘したのであった。
場が当然ざわついた。アクトの指摘は、深いところにまで密偵が入り込んでいるか、あるいはそうした場所にまで内通者がいるか、そのどちらかだと言っているようなものであったからだ。
「静かに」
ユリシーズはざわつく場を制した。
「アクトの指摘はもっともだが、今論じねばならぬのは、とにもかくにも援軍を出さねばならぬということだ。リキニウス、現在の東部軍の動員状況はどうであるか?」
「ハッ、東部軍は現在、第二軍団が再編のため、帝都に戻ってきておりますので、常駐軍が三万程度ございます。また、根こそぎ動員を掛けますれば、徴募兵を更に同数程度は揃えることは可能です。ただ、実際に動かすとなりますと、“水”の問題がございますので、かなり制限されます」
リキニウスの言う水の問題とは、現地の環境にあった。ライアス帝国とパルシャー王国の国境周辺は乾燥地帯が広がっており、大軍を動かすとなると必ず補給に過大な負担を強いることとなる。しかも、水の確保が難しく、河もしくはオアシス以外の場所での補給はまず不可能な厳しい環境であった。
「報告によりますと、パルシャー側の兵力は“少なく見積もっても”四万に達しております。これは増えることはあっても、減ることのない数です」
ベルガルの言葉に場がまたしてもざわつき出した。常駐軍と侵攻軍の激突であれば、すでに数的劣勢は明白であり、しかもその差は広がる一方だと指摘したからだ。
「劣勢は明白ではありますが、こちらは守備側。城塞や砦にこもれば対応は可能。ただし、敵を追い散らすためにも、敵の脇腹を突いておかねばなりますまい。至急救援を出しましょう」
救援を出す、アクトのこの意見は皆も賛同するところであったが、その増援部隊の指揮を誰がやるのかを決めねばならなかった。
「誰が率いるべきか、意見のある者は?」
「陛下、ブーン殿にお任せになるのがよろしいかと」
そう進言したのはアクトであった。ブーンは長年その指揮の下で戦った経験から、実力や指揮能力を信頼しており、また軍団指揮官としての実績を誰もが認めるところであったことから、当然と言えば当然の指名であった。
実際のところ、アクトはこの救援軍の指揮をやろうとも考えていたが、あえて一歩下がって控えたのだ。指揮官としては新任であるし、北部軍以外ではそれほど名が売れていないこと、また若すぎることを考え、自薦を引っ込める形を取ったのだ。新顔が出しゃばるのはよくないと、控えめな態度で会議は通すことにした。
そして、“誰か”が自分を推挙することも予想した上で。
「その意見には反対です」
アクトの意見を真っ向否定したのは、列席していたシュバーであった。
シュバーはブーンの息子であり、現在は第八軍団の大隊長に就任しており、アクトとは長年の戦友であった。そして、アクトが抜けた穴を埋めるため、近々第一大隊の指揮を任されることも内々には決まっていた。
現在、ブーン率いる第八軍団は再編のため北方より帝都に向かって帰還途中であり、再編の下準備のために、シュバーは先んじて帝都に帰還していた。そのため、この会議の席では軍団指揮官代理として、列席していたのだ。
「ふむ・・・。シュバーよ、なぜ反対なのか、意見を聞こう」
「はい、陛下。現在、第八軍団は部隊再編のために、北方よりの帰還途上にあります。至急援軍を送らねばならない状況にあって、帰還、再編を待つ時間的な猶予がないと思われます。また、第八軍団は北方での戦いになれており、寒さには強くありますが、暑く乾燥したパルシャーとの国境での戦いは不得手でございます。その第八軍団を基幹に据えた援軍は、本来の力を発揮できない危惧がございます。時間的猶予ならびに部隊の性質、以上の点からブーン閣下に援軍を任せるのを不適格と判断いたしました」
父親に対してもこの物言い。客観性に富んだ男だと、シュバーは列席者の評を得た。
アクトもこの答弁は予想できていた。長年所属していた軍団の特性など百も承知であり、指揮官の質には全幅の信頼を寄せていたが、まず通るまいと考えつつ、ブーンを推したのだ。
「シュバーの意見はもっともであるな。ブーンは今回のことは除外するものとする。他に誰か適任者はいるか?」
「なればリキニウス様がよろしいのではないでしょうか? 現地の地理に明るいのは力となりましょう。それに、率いる第二軍団の元々の指揮官でもありますし、何かとやり易いかと思います」
またしても発言してのは、アクトであった。若い指揮官として積極性を見せつつ、同時に新参として控え目に見てもらうため、意見を矢継ぎ早に述べる姿勢で積極性を、自分が出しゃばらずに他者を推すことで控えめな態度を、それぞれ示していた。
「おいおい、アクトとやら。私は老齢から前線勤務が厳しくなったからこそ、後任に席を譲ったのだ。馬と一緒に老骨に鞭を入れられて、東部戦線までとんぼ返りは勘弁してほしいな」
リキニウスに睨み返され、アクトも恐縮気味に頭を下げた。これも予想していたやり取りであったので、アクトは睨まれたことなど、特に気にしなかった。
「陛下、長々と悠長な会議を興じている暇はございません。即座に動かせる戦力が第二軍団である以上、これを中核とした援軍を組織し、東部戦線に投入すぺきです! 当然、援軍の指揮官には第二軍団の指揮官をそのままあてるべきです!」
シュバーは反感があるとの危惧を抱きながらも、アクトを推すことを表明した。実力的にも、指揮権の事を考えても、これ以外の選択肢はないように思えたからだ。
当然、場はざわめいた。二十歳の若造に軍団指揮官の任すら危ういと考えているのに、援軍の規模から大軍団の編成することは目に見えているからだ。
そして、大軍団を指揮するということは、“将軍”を戦時任官とはいえ拝命する事を意味していた。
いくらなんでも二十歳の若造にそこまでやらせてよいのかと、その場の大半の者が考えたのだ。
アクトは重々しい場の空気を嫌というほどに感じていた。皇帝の寵愛をかさに着て出世した、経験乏しい者に軍勢を動かせるのか、むしろ今のうちに取り入っておくべきか、様々な思惑や感情が飛び交い、それが全てアクトに向かって飛んでいた。
「陛下、ご裁可を」
どうしたものかと考え込むユリシーズに対し、ベルガルは決断を促した。何はさておき、決断は君主がしなくてはならなかった。なにより、アクトを推挙して軍団指揮官に就任させたのは、他ならぬユリシーズ自身であった。
この若者に関することを、陛下は全責任を負えますか、という意味を暗に潜ませての催促だ。無論、ユリシーズにもその考えは伝わっていた。
ユリシーズ自身、アクトの軍団指揮官就任は、まだ時期尚早と考えていた。それでも就任を押し通したのは、絹産業を興すために秘密を守れる人物に託したかったというのが第一であった。あくまで軍団の指揮権は二の次で、アクトにそれ相応の領地を持たせて、絹産業の育成をこそ力を入れて欲しかったというのが、ユリシーズの本音であった。
にも拘らず、着任早々に軍を動かす事態になってしまったのは完全に想定外であった。アクトの大隊長就任の時といい、余程アクトには戦場に赴く流れがあるのかもしれないと、ユリシーズは感じざるにはいられなかった。
軍神の加護か、あるいは死神の誘いか、どちらにせよ、常人には耐えられぬ試練や誘惑が、目をかけている若者に襲い掛かっている。ユリシーズとしては是非にもそれらに打ち勝ち、重用している自分の正しさを証明してほしかった。
迷いはしたが、決心はついた。
「援軍の指揮はアクトに任せるものとする。異議のある者は、今この場にて述べよ。後からグダグダ言われるのを、私は好まん!」
有無を言わせぬほどに強い口調で、ユリシーズは裁決を下した。ブーンが戻って来ていれば、アクトの推薦通り、ブーンに任せたであろうが、残念ながらまだ帰還の途上であった。リキニウスも拒否した以上、他に選択肢はなかったのだ。
ユリシーズの強い意思表示に圧されてか、場は沈黙を守った。そして、その沈黙を以て了承とし、ユリシーズは満足そうに頷いて、視線をアクトに向けた。
アクトとしては引き受ける気でいたので、特にこれといった反応を示さず、浮かれた様子もなければ緊張した雰囲気も出さず、ただ冷静に頷くだけであった。
もちろん、この場にブーンがいればそちらに回していただろうが、不在の者をあてにするわけにはいかず、やむを得ない措置とも言えた。
(やれやれ、戦時任官とはいえ、二十歳で“将軍”か。帝国史上最高の名将と謳われるブリウス将軍よりも早いな)
アクトは七百年以上の昔、滅亡の危機にあった帝国を救った偉大なる名将のことを思い浮かべつつ、なんと分不相応な地位に身を置くことになるのかと、心の中で身震いした。
「ベルガル長官、アクトに第二軍団を任せ、さらに兵力を加えた場合、どの程度の軍勢を組織できるであろうか?」
「ハッ、第二軍団は若干名の欠員がございますが、アクト殿が率いてきました大隊を加えますと、五千名の軍団となります。これに加え、東部へ向かう途上の独立大隊や守備隊などを糾合しますと、合計で一万五千から二万ほどになります」
「一応、数の上では優勢になるが・・・」
あくまで敵方の四万という数字は、現段階で分かっているだけの数字であり、増加するかもしれない。とにかく、急ぎ援軍を送って数の有利なうちに押し返しておきたいところであった。
「アクト、何か準備してほしいものがあれば申してみよ」
「・・・なれば、一つ、やっていただきい事がございます」
若干の思案の後、アクトはユリシーズの問いにそう答えた。ユリシーズにはアクトの瞳に何かが煌めいたのを感じ、悪巧みでも思い浮かんだのかと考え、それを発言するよう促した。
「陛下、誇官の儀を執り行ってください」
「なんだと!?」
アクトの口から飛び出した言葉は意外であり、ユリシーズは驚いた。それは居並ぶ面々も同様であったようで、再びざわめきが起こった。
誇官の儀とは、いわゆる高位官職の就任式の事だ。栄誉ある職に就いた者を皆で祝福し、その労をねぎらう儀式であり、祭典なのだ。
帝国においても古くから行われており、例えば大規模遠征が行われる際、その指揮官に就任した者を讃える祭りが開催されたなど、色々と史書に記されていた。
帝国の勢いが廃れた現在ではすっかりやらなくなってしまっているが、それをやって欲しいとアクトは願い出たのだ。
当然、儀を執り行うその意味を理解している者は、アクトを睨みつけてきた。急いで援軍を送ろうと言っているのに、自分を称えろ、と言っているに等しいからだ。呑気にも程があるというわけだ。
「もちろん、かつてと同じ儀を執り行っていましたら、それこそ一週間はかかりましょう。ですので、大幅に簡略化していただいて結構です。そうですね、陛下が私を指名して援軍の指揮官に任命したことを帝国臣民に告知し、私が率いてきた大隊が帝都を行進する、このくらいでいかかでしょうか?」
「まあ、その程度であれば費用もそれほどかからぬし、許可しよう。ただし、時間がない故、援軍の告知は明日布告を出す。そして、明後日に就任式と行進を行うものとする。無論、その間に部隊の編成を続け、すぐにでも出立できるように準備せよ」
「「ハッ!」」
ユリシーズの命を受け、主だった武官は声を揃えてそれに答えた。とはいえ、表面的には承諾したとはいえ、まだ納得しかねると言う雰囲気があちこちから放たれていた。
アクトに対する圧倒的な数の嫉妬や侮蔑、ごく少数の羨望の感情が渦巻いていた。
そんな中にあって、二人の人物は強烈な違和感に襲われていた。アクトと付き合いの長いユリシーズとシュバーの二人だ。
二人の感じた違和感、それはアクトが自身を誇示するような真似を進んでいやっている、という点であった。
アクトは自身の名誉に対する欲求が非常に薄い。基本的には礼儀正しいが、いざともなればどんな手段にも出れる苛烈さも持ち合わせ、それが批難に値することであっても、“理”と“利”を優先する傾向にあると、二人は付き合いの中で知っていた。
そんなアクトが自身の任官を誇示するような、“らしくない”振る舞いをすると考えた場合、いくつかの答えが見えてくる。
まず、最も考えられるのが、皇帝に花を持たせる、ということだ。大隊長就任の時がそうであったように、今回の人事も皇帝がかなり強引に進めた格好になっていた。その皇帝直々の推挙によって世に出た者が多大な功績を上げた場合、皇帝の評価も同時に上がると言うことだ。事実、アクトの大隊長就任とその後の反乱鎮圧の手際の良さは人々から高評価を受け、皇帝の先見性を見せつける形となった。
もう一つ、考えられるのは納得していない連中への牽制だ。ちゃんとした手順を踏み、儀式を経て任官すれば表面的には収まりが付くというわけだ。あとは実績さえ示せば、誰も文句は言えなくなるということだ。少なくとも、実績を示すまでのわずかな期間でいいから、足を引っ張るような真似さえ控えてくれればいいのだ。
ユリシーズとシュバーの頭の中にはそのような考えが思い浮かんでいたが、それすら超える悪辣な企みが、若き将軍の中ですでに脈打っていた。
そう、アクトの中ではすでに戦は始まっていたのだ。
こうして若干のいざこざはあったものの、アクトの将軍としての初出撃となる戦いが始まろうとしていた。後世、目を覆いたくなるような“大敗北”とそこからの奇跡に“逆転劇”を生み出したと言われる東部軍への援軍、俗に“将軍アクトの三日月斬り”と呼ばれる大規模作戦が、静かに始まりを告げていた。
~ 第四話に続く ~