第二話 密輸入
ラグア地方。帝都ノァグラドから見て北に位置するとても豊かな土地だ。そして、この地方は二つに大分される。
一つは内海に面し、漁業と水運にて栄える東ラグアだ。川を遡上すれば帝国北部軍の拠点にまで到達でき、内海を海岸沿いに南下すればノァグラドへと至る。つまり、東ラグアは帝都と北方を繋ぐ中間点に位置し、それを繋ぐ重要な場所ということだ。
もう一方の西ラグアは非常に豊かな土壌を有する土地で、帝国屈指の穀倉地帯として知られる。収穫された小麦や他の作物は川を下って東ラグアの港に運ばれ、帝都の住民の胃袋を満たしている。
なお、ユリシーズとアクトはどちらもラグア地方の出ではあるが、ユリシーズは東寄りの出身で、アクトは西ラグアの出身である。
数百年前、ライアス帝国に併合される前は独立した国であったが、今となっては若干の訛りがそれを偲ばせるにとどまっている。
そして、懐かしの故郷をアクトはヘルモと共に馬を走らせていた。特に大きな変化はなさそうであるが、それでも見る視点が大きく変わってるため、どこか懐かしさの中に新鮮味も加味されていた。
なにしろ、アクトにとっては十五年ぶりの帰郷である。五歳の時に両親が病死し、帝都近郊に住んでいた叔父に引き取られて以来の帰郷である。小さな子供の視点と、馬に跨る大人の視点では、自ずと目にする風景にも感じ方が違ってくる。
そんな懐かしさを感じつつも、ユリシーズからの指示があった西ラグアの外れにある山村を目指して馬を走らせていた。落ち合うならば平野のどこかの町でもよかったであろうに、わざわざ小さな山村を指定してくるあたり、何か特別な秘儀でもあるのだろうと考え、待たせるのは失礼だと馬を急がせた。
そして、指定された山村まで来ると、何やら物々しい雰囲気の兵士が幾人も警備に就いており、村に入ろうとすると道を塞がれた。
貴族ならば無礼者となじるであろうが、アクトは平民であり、何より軍人であった。役目を果たしている者を叱責するなどもってのほかであり、むしろそれを誉めた。
「兵士諸君、警備ご苦労。私はアクト、第八軍団所属第一大隊の隊長である。陛下よりの呼び出しにより、この地に参上した。通すか、取り次ぐかしていただきたい」
アクトは懐から身分証を取り出し、それを兵士に見せると、不審者扱いから一変、最敬礼で応じてきた。
「失礼いたしました! アクト大隊長殿、こちらにどうぞ。陛下がお待ちです」
この時点で、アクトはこの山村にユリシーズが直々に来訪していることを知った。こんな田舎の山村にわざわざ皇帝が足を運んでいる以上、相当な案件であることは察することはできた。
アクトは馬から下りると、兵士にそれを預け、案内役の兵士に付いて村に入った。
山村はどこにでもありそうな普通の村であるが、どこか物々しい雰囲気を帯びていた。皇帝来訪ということで、警備の兵がいるせいもあるだろうが、どこかその兵士も緊張感を持っていた。
すでにアクトも軍人生活は長い。近衛兵として二年、大隊長として五年、過ごしてきた。しかも、その七年間の半分は前線勤務である。狩人として元々危機や獲物に関して優れた感知力を有していたが、さらに磨きがかかっており、今の山村のような異様な感覚に敏感になっていた。
そんな剣呑とした村の中を進んでいると、村外れにある、さらに厳重な一角まで連れていかれ、そこに何人かの人物が言葉を交わしていた。
そして、その中にユリシーズの姿を確認した。しかも、その横には皇后であるナンナの姿もあった。つまり、皇帝夫妻が直々にこんな山村に赴いてきたということだ。
アクトは三十歩は離れた位置で立ち止まり、そして、跪いて恭しく頭を垂れた。
「おお、アクト、来たか! 構わん、近くに寄って参れ」
「ハッ!」
アクトは剣を帯びている。にも拘らず、近付いて構わないとの許可が出た。帯剣して皇帝の側に立つことができるのは護衛役の近衛兵だけであるが、アクトはあくまで元近衛である。それでも許可が出たのは、両者の間に強力な信頼関係があることを意味しており、周囲にもそれを印象付けた。
アクトは立ち上がり、ユリシーズの側近くまで来ると、今一度頭を下げて礼をし、皇帝夫妻に対して敬意を示した。
「ご苦労であった、アクト。それと、軍団指揮官就任、おめでとうだな」
「それでございます。いくらなんでも早すぎるかと思いますが。私はまだ二十歳になったばかりでございます。このような前例のない人事、方々から色々と言われたでありましょうが・・・」
「なぁに、大隊長就任の時も散々言われたが、なんだかんだで上手くいったではないか! 今回も大丈夫なはずだ」
大丈夫かどうかは、あくまでアクトの態度や実績に委ねる箇所が大きく、とにかく圧を跳ねのけるくらい頑張れということだ。
重い期待ではあるが、託された以上は職務に専念せねばならず、アクトは改めて頭を下げ、それを了承した意を示した。
そして、視線を周囲に配ると、ナンナの他にも見知った顔と、見知らぬ顔が並んでいた。
まず目がいったのが、顔馴染みのアナートだ。アナートは十九歳になり、可愛らしい少女から美しい大人の女性へと変わっていた。
しかし、アクトはアナートに対して色香の類いを全く感じていなかった。なにしろ、たまに駐屯地に現れたかと思ったら、好き放題に練兵場で暴れ回り、戦があれば馬で駆け込んでは矢を撃ち込んでいく。そんな姿を毎度見せられていたからだ。
こうしたこともあって、アナートは《女狩人》の二つ名がすっかり板に付き、アクトの隊の面々からだけでなく、北部軍全体に名が知れ渡っていた。
長い黒髪は後ろで束ね、憂いを一切感じさせない力強い瞳は敵を見据え、狙い違わず矢で射抜く。まさに狩人の二つ名に相応しい出で立ちであった。
だが、そんな強烈な性格であるため、仲間意識はあっても女性として見ている者は北部軍にはおらず、あくまで“戦友”としての場所を確保しているに過ぎなかった。
おふざけ半分にアナートを嫁にすると立候補したテオドルスも、立候補を取り下げる始末だ。立候補した当初は什長であり、結婚資格はなかったのだが、その後に百人隊長に昇格し、結婚の自由を得た。だが、取り下げたのだ。
「いやぁ、やっぱり無理ですわ、あの娘は。蜜月を無事に乗り切れる自信がないです」
「なら、隊一番の勇者の名も返上だな」
以上が百人隊長就任直後のテオドルスとアクトのやり取りであった。
なお、テオドルスどころか、ユリシーズも、ナンナも、ヘルモも、ソロスも、北部軍全員も、共通の想いがあった。すなわち、“お前があの御転婆者をとっとと娶れよ”である。
直接的な言動は避けてはいるものの、遠回しに二人を引っ付けようとする企てはなされているのだが、当人同士の進展が一向がない。どころか、男女の意識すらしていない有様であった。
姿形は少年少女から大人に変わってはいたものの、やっていることは出会った頃からまるで成長していなかった。馬を走らせ、弓を競い、意地の張りっ放しであった。とても男女の睦み合いなど、期待できる雰囲気でもなく、周囲をいつまでもヤキモキさせていた。
特に、二人の間を取り持つのに熱心なのはナンナであった。一応、ナンナはアナートの後見人的な立ち位置であるため、アナートの嫁ぎ先にも気を回しているのだが、残念なことにアナートは武芸を磨くことにしか興味がなく、そうなるとアナートと張り合えるだけの弓術や馬術の持ち主でなければ、まず見向きもしないであろう。無理に結婚させたとしても、どうせ即座に破綻することは目に見えていることから、アナート自身にまずはその気になってもらわなくては話にならないのだ。
そして、釣り合いの取れた年齢で、腕っぷしの強い者となると限られてくる。候補筆頭はもちろんアクトであるが、当人同士は依然、“悪友”程度としか認識していないため、男女の間に進展させるのはまだまだ時間がかかりそうであった。
(ほんと、手間のかかる者達よな)
ナンナは側に侍るアナートと、恭しく礼をするアクトを交互に見ながらそう思わずにはいられなかった。
アクトは礼をしてから再び顔を上げ、また周囲に視線を送ると、目についたのは少しくすんだ紫色の服を着る男を中止した。男と言っても、その股ぐらには大事なものが付いてはいない。なぜなら、紫の服を着るのは“宦官”であるからだ。
宦官は去勢した者のことで、主に皇族の身の回りの世話をしている。皇族の女性に男が近付くのはよろしくないため、去勢した宦官が用いられているのだ。
去勢に関しては“自主的に”行われており、強制ではない。皆が進んでやったことなのだ。なにしろ、宦官なら皇族の周囲にいられるため、上手くすれば取り入ることもできるからだ。出世や栄達の近道として、“玉なし”になることを選ぶのたわ。
そして、目の前にいる宦官に、アクトは見覚えがあった。ヘルモと初めて出会った夜、ヘルモをユリシーズに引き合わせた者であったと記憶していた。ランジェという名であったことも覚えていた。
もう一人、目に付いたのは聖職者と思しき人物であった。聖印の付いた錫杖や首飾りを身に付けており、おそらく間違いないだろう。ただ、薄汚れた格好をしており、旅の巡礼者かあるいは宣教師かもしれないとアクトは考えた。
「さて、アクトよ、無理を押して、お前を軍団指揮官にしたのには理由がある。それはお前に“領地”を持ってもらうためだ」
一軍を預かる軍団指揮官には、軍管区という領地が与えられる。それで軍の維持費を賄えということで、与えられた領地における徴税権や事業展開の許可が出される。自分が指揮する軍のみならず、私兵も持つことが許され、その規模や装備の質で、指揮官としての力量を周囲に見られるということもあって、指揮官級は軍管区の管理運営に熱心であった。
「その点は感謝に絶えません。まして、故郷であるラグアの地を治めれるのですから、これに勝る喜びはありません。まさに、錦の旗を故郷に立てる、ということでありましょうか」
「察しが良いな。まさにその錦を作るのが、このラグアの新たなる産業となるのだ」
「・・・え?」
アクトは余りの事に目を丸くして驚いた。
錦、すなわち絹織物は遥か東、草原の道の先にある最果ての国にて作られる品だと聞いていた。滑らかな手触りに加え、月の光をそのまま織り込んだ光沢を放ち、貴人でさえ、滅多に手にすることのできない最高級の素材である。
東国の最重要な輸出品であり、その製法は門外不出とされ、製造過程も謎とされてきた。
にも拘らず、絹作りを産業として打ち立てると宣言したからには、自ずと答えが出てくるというものだ。
「まさか、絹の製法を持ち出せたのですか!?」
「そう、そのまさかだ。長年かけて調べてな。ようやく探り当て、そして、種とともに製法を持ち出せたのだ」
朗報であった。絹の値段は同重量の金より重たい。なぜ、そこまで高騰したのかと言うと、パルシャー王国の成立が原因であった。
かつての帝国全盛期においては、草原の道も影響下に置き、比較的安全に東国へと隊商が赴くことができた。重要な交易路であるから、その警備は重要であり、帝国と東国がしっかりとその警備を行っていた。
しかし、帝国が衰えると警備も疎かになっていき、道中に盗賊が跋扈するようになった。当然、隊商も襲われてはたまらないと傭兵を警備として雇い、その分は商品の値段に上乗せされた。
そして、パルシャー王国の成立である。帝国とは敵対関係にあり、帝国の商人の行き来は制限され、東国の商品にはパルシャーの仲介料が更に上乗せされた。もちろん、主要な商品である絹織物もその影響で、値段は上がる一方であった。
こうして元々高級品であった絹織物が、ますます手には入りにくくなってしまったのだ。
そのため、絹そのものの製法を求めて、商人や宣教師に扮して人を派遣しているという噂もあったが、どうやらそれは正しい情報であり、しかも成功したと今耳にしたのだ。
「このランジェの発案で始められたものでな。宣教師として人を派遣し、あちらで長年の布教活動で信を得て、絹の製造工場を神の祝福を与えると称して見学し、製造工程を学び取った」
「なるほど、そういうことでしたか。ランジェ殿に宣教師殿、お見事にございます。近来にない、大手柄ですぞ」
アクトは素直に称賛し、二人もまたその声に応じて頭を下げた。
実際、絹の製法を手にしたのであれば、大金を出して東国から輸入する必要がなくなる。それどころか、逆に絹を近隣に輸出して、富を産み出すこともできる。新しい産業としては申し分ない案件であった。
「まあ、私も私のためにやっただけでございますから、お褒めの言葉よりも、実利を欲する次第です」
ランジェはキッパリとそう言い切った。少々無礼な色合いの言葉であったが、絹の製法を入手するという大事を成したのであれば、その程度は気にもならなかった。
「分かっておる、ランジェよ。そうだな、お前を明日より財務次官とする。これでどうだ?」
「陛下よりのご恩情、慎んでお受けいたします」
ユリシーズの出した報酬を、ランジェはあっさりと受け取った。
帝国においては、財務、法務、軍務、民政、教務の五局が存在し、それぞれに長官が任命され、各局を統括している。ただし、教務局に関しては教会が人事権を有しており、その責任者も教会からの出向ないし指名するのが慣例となっている。
外務に関しては皇帝権に付与された専有事項であり、担当者はいても長官は存在していない。あくまで、外務は皇帝が切り盛りするのだ。
そして、次官ということは、各局の長官に次ぐ地位であり、かなりの権限を有する。しかも、金の動く財務局の次官である。かなり美味しい立ち位置だ。
なにより、アクトが見るに、ランジェは割りと若い。宦官ということなので普通の男性とは雰囲気も違ってくるが、おそらくはまだ三十前後くらいだと感じた。それで局次官なのであるから、相当な早い出世と言うべきであった。
(まあ、自分が言うべきことではないがな)
なにしろ、アクト自身、二十歳で一軍を預かる身となったのだ。早いどころの話ではない。実績を上げて地位に相応しいことを証明せねば、どんな嫌がらせが飛んでくるか知れたものではなかった。
「ではでは、早速、お目にかけると致しましょうか。拙僧が命がけで手に入れた、絹の工房を」
宣教師に招かれ、一行は村のさらに奥へと進むと、そこには見たこともない光景が広がっていた。いくつもの台が並べられ、何かの葉が敷き詰められていた。そして、その葉の上に白っぽいイモムシが何匹も蠢いていた。
「なにこれ、気持ち悪い」
開口一番に発せられた声の主は、アナートであった。ウニュウニュ動く虫に明らかな嫌悪感を示し、近付こうともせず遠目に眺めるだけであった。
「ひどいですなぁ、お嬢さん。これが絹を生み出す大元だというのに」
「こいつがぁ?」
アナートはあくまで半信半疑であった。アナートも貴人の側近くに侍っているので、絹の織物は見慣れたものであったが、あの艶やかな布地が、こんな虫から作られるとは想像もできなかった。
「この虫は“カイコ”と呼ばれる虫でして、まあ、言うなれば家畜化された虫なのです。牛や馬などを牧場で飼うように、東国では虫をこのようにして飼っているのですよ」
「なるほど、虫の家畜か。思いもよらなんだ。世界はやはり広いものだな」
ユリシーズは葉を貪る虫を興味深そうに眺めた。
「それで、この虫からどのようにして絹を生み出すのか?」
「はい、陛下。この虫は“クワ”と呼ばれる樹木の葉のみを食するのでございます。もちろん、クワもすでに輸入し、そちらの育成も進んでおりますので、カイコが飢える心配もございません。そして、この虫が成長していきますと、このようになるのでございます」
宣教師は懐に手を伸ばし、そこから白い毛玉のような物を取り出し、ユリシーズに見せた。
「ある程度大きくなりますと、口から糸を吐き出し、このような繭の状態になるのでございます。そして、この繭の糸を紡ぎますと、絹糸が出来上がるのでございます」
「それはなんとも面妖な。あの艶やかな糸の正体が、虫の吐き出す糸であったとは」
ナンナは思わず声を上げ、自身が纏う絹地の服を見つめた。なにしろ、この服の正体があの葉の上で蠢く虫の吐き出した物であると知ったからだ。
もちろん、それは他の面々も同じであったらしく、皆が目を丸くして驚き、更に興味深そうにカイコを眺めた。
「なるほどな。そんな物がこうも変じようとは、誰も考えつくまいて。複雑怪奇な工程なればまこそ、よく見ておかねば分かるまい。これを知り得て持ち出せたのだ。この功績は大であるぞ」
ユリシーズは宣教師の働きに大いに満足し、その偉業を称えた。周囲からも同様に称賛の声が上がり、いい働きが出来たと宣教師も満足げであった。
「宣教師殿、引き続きこの工房の現場責任者を任せる。絹の産業が活気付けば、帝国の国庫はもちろんのこと、商人達も喜ぶであろう。なにしろ、はるが東国に行かずとも絹が手に入り、周辺国で独占的に扱えるのだからな。ああ、もちろん宣教師殿の労に見合うだけの報酬は約束するぞ」
「ハハッ、ありがたき幸せにございます」
そして、ユリシーズは次にアクトに視線を向けた。
「アクト、お前を急いで軍団指揮官に就任させ、領地を持たせようとしたのは、これが理由なのだ。皇帝直轄地では目立って、内外に探りが入ってくるやも知れん。かといって、完全に信用しておらん輩に託すのは漏らす危険もある。お前ならこれを任せても、どこかへ漏らすようなバカな真似はするまいと思ってのことだ」
「そのようにお考えでしたか。陛下にそこまでの信用をしていただけますのは、臣下として誉にございます。ご期待に添えれますよう、鋭意努めさせていただきます」
責任は重大だ。絹の生産と独占的な売買は、この工房をいかにして守りつつ広げていくかにかかっている。それを託されたのであらから、この働き如何によって帝国の繁栄が左右されると言ってもよかった。
アクトは主君に対して一層の忠誠を誓うと同時に、故郷ラグアを発展させ、帝国随一の豊かな地とせねばと気を高ぶらせた。
「それに、だ。絹の産業が栄えれば、大きな金がここに落ちる。当然、そこの領主であるお前の懐も潤うこととなる。いずれ、真なる帝都アルバンガを取り戻す兵を挙げるに際して、大軍勢を動かす時の原資となろう」
後世に伝わるところによると、ユリシーズの口から旧帝都アルバンガの奪還を口にしたのは、これが最初であるとヘルモが書き記している。また、その指揮をアクトに任せるともはっきりと口にしたのもこの時であった。
奇しくも、この場にいるアクトとランジェが西方遠征に際して活躍することとなるのは、運命の悪戯か、あるいは必然か、このときは誰も知る由はなかった。
「ときに、宣教師殿、あ、いや、現場監督殿、いかにしてこの製法を盗み出したので?」
アクトは率直に尋ねた。なにしろ、ここを守れと言われたということは、製法を秘密にしろということでもある。盗み出したということは、逆に盗まれることも想定しておかねばならず、それを知っておかねばならないと感じたからだ。
「製法自体は何度か見学して覚えました。クワの木は事前に種を運び出して、帝国の各所で育てておりました。問題はカイコの方でございます。なにしろ、カイコという虫は完全に家畜化された虫でございまして、人の手を離れてしまいますと生きてはいけない程に弱いのでございます。卵、幼虫、成虫、いずれの状態で運び出してもすぐに死にます。ゆえに繭の状態で運び出さねばならないのですが、これの監視が非常に難しく、カイコの密輸は見つかれば即死刑というのが東国での法にございます」
「まあ、当然だな。これほどの富をもたらす製法を他所に漏らすわけがないし、秘密の管理には厳重になっているだろう」
「そこで、こういう手段に出ました」
宣教師は手に持っていた錫杖の先にある聖印を弄り回すと、途端にそれがパカリと割れて中があらわになった。といっても、そこは空洞で中には何も入ってはいなかった。
「これに細工を施しておりまして、正しい手順にて操作しますと、割れる仕組みとなってございます。ここに潜ませて運び出しました。よもや、こんな人目の付く場所に繭を潜ませるとは思いますまいて」
「なるほど。隠そう隠そうとすればするほど、逆に人目を惹くから、敢えてずっと晒しておいたと言うわけか」
「見つからずに運び出せましたのは、神の思し召しにございますよ」
宣教師はそれに相応しくない悪そうな笑みを浮かべ、再び細工を動かして聖印を元に戻した。
「ああ、いけませんな、宣教師殿。神の教えには『汝、盗むことなかれ』とありますぞ。宣教師がその禁を犯したというわけでございますか」
「あいにく、今の拙僧・・・、おっと、私はただの現場監督。昔のことはとんと忘れました」
アクトの冗談交じりの責めに対し、宣教師改め現場監督のすっとぼけた態度に皆が大笑いした。
「ならば、『偽証するなかれ』はどうされます?」
「それには『隣人を』が頭に付きますぞ。さて、東国は何軒隣の御仁にございましょうか?」
「なるほど、東国は隣人でないゆえ、問題なしというわけか!」
屁理屈の類ではあるが、アクトはまんまと言いくるめられ、周囲と一緒に大笑いした。
かくして、帝国は新たなる絹の産業を手にし、その後に大きな富をもたらすのであった。これは大きな力となり、その後の“柱石帝の再征服”と呼ばれる大戦争が幕を開けるきっかけとなるのであった。
そして、帝国の栄光を蘇らせるための鍵は、ついにユリシーズの手に収まった。あとは、鍵穴にそれを差し込み、扉を開けるのみとなった。
しかし、意気揚々と帝都ノァグラドに戻った一行の下へ、東方より急報が届く。
急使曰く「パルシャー王国挙兵。大挙して帝国領内に侵入す!」。
帝国に新たなる危機が迫っていた。
~ 第三話に続く ~