第十一話 ハッテ村の酒飲み
「こ、これはどうしたことか!?」
男は目の前の惨憺たる有様を信じられず、思わず驚嘆の声を上げた。
男の名前はアンソンといい、ハッテ村のあるローチア地区の領主だ。第八軍団所属の部隊と、スラの部隊がハッテ村にて戦闘を行ったと聞き、数名の従者と共に急いで現場に急行してきたのだ。
そして、アンソンが見た状況は凄まじかった。なにしろ、村の近くには死体が山と積まれ、村人達がそれを一つずつ埋葬している姿を見せつけられたのだ。
村人の表情を見るに村人や村そのものに被害は出ていなさそうだが、それでもいくらあるか分からぬ死体の山を見せつけられては、平静でいるのは難しかった。
「村長! 村長はいるか!?」
アンソンは慌てて事情を聞こう村長を探すと、すぐに姿を現した。
「おお、これはご領主様、ご機嫌麗しゅう」
「挨拶はよい! 一体、どうなっているのか!?」
とにかく状況を知りたいアンソンは村長の肩を掴み、怒鳴りつけるように尋ねた。
「落ち着いてください、ご領主様。順を追って話しますゆえ」
「あ、ああ、すまぬ。つい興奮してな」
アンソンは呼吸を整え、村長の言葉に耳を傾けた。
「今日の早朝の事でございました。滅多に見られないほどの濃霧が発生しまして、その霧の中を軍隊が村にやって来たのです。確か、第八軍団第七大隊と名乗っておりましたか。驚くべきことに、大隊の指揮官はまだ成人していない少年でした」
「少年が率いていた大隊だと!?」
にわかには信じられない話であった。大隊の指揮官には筆頭隊長が着任するのが通例であり、それには百人隊長を経なければならない。そして、百人隊長は叩き上げが必須なので、少年では着任するのはまず不可能だ。
にも関わらず、大隊の指揮官に少年が着任していたなど、何かの冗談かとアンソンは思ったのだ。
「間違いなく少年でした。まだ、十代半ばくらいといったところでしたが、他の隊長達も従っておりましたので、間違いないかと思われます」
「う~む、奇妙なことよな。で、村の外にあった死体の山はなんなのだ?」
「あれはスラ側の兵士の遺体です。ほとんど、一方的に蹴散らされておりました」
その言葉を聞き、アンソンは絶句した。事前に把握していた情報では、大隊接近の報を聞き、それを領内の素通りを命じておいたのだ。通行を妨げず、スラへ抜けるようならとおしてやれと、アンソンは領内に指示を飛ばしていた。
そして、スラからも千数百が動いているとの情報が舞い込み、自身の領内でぶつかるかもしれないと考え、慌てて様子を見に来たというわけであった。
「ゆうに倍は戦力差があったはずなのに、一方的に蹴散らされるとは思えぬが・・・」
アンソンは言葉を詰まらせたが、それが事実であることは、死体の山が証明してしまっている。本当にスラの軍隊はやられてしまったということだ。
「それと、スラ側の指揮官を勤めておりましたアオンドロスの死体は持ち帰っております」
「な、アオンドロス殿が討ち死にだと!?」
これは村長の勘違いであった。落馬で気絶し、矢が顔に刺さったままの姿で荷車に放り込まれたので、死んだものと思ってしまったのだ。
ちなみに、アンソンが驚いたのには理由があった。実は、イオサキス、アオンドロス兄弟はアンソンにとっては従兄弟同士であり、アンソンの娘がアオンドロスに嫁いでいたのだ。
つまり、スラとローチア、隣接するこの二つの土地の領主は親戚同士であり、今回の反乱にも、実は裏で繋がっていたのだ。
皇帝即位直後を狙って挙兵し、貢納金の額について“話し合う”つもりでいたのだ。もちろん、兵を差し向けられる危険があり、特に帝都ノァグラド近郊に駐留している第八軍団は要注意であった。
そこで、イオサキスは一計を案じた。まず、スラだけが挙兵して相手に戦力を誤認させ、第八軍団がスラに侵入した段階でローチアも挙兵し、その退路を断つ。前後から挟み討って第八軍団を蹴散らし、改めて皇帝と交渉をと考えたのだ。
もちろん、初手から軍隊を動かさず、穏便に話し合いの席が持てればよかったのだが、どういうわけか合流すると考えていた一個大隊が突出してスラを目指し、これを迎撃するために、アオンドロスが兵を率いて迎撃に出たのだ。
まあ、高々一個大隊であるし、スラの兵だけで余裕で蹴散らせるだろうと考えていたのだが、まったくの想定外なことに、スラ側が敗北したのだ。半数以下の敵を相手に死体の山を築かれ、しかも総大将が討ち死にという有様。まず惨敗と言ってもいい内容である。
アオンドロスは負傷しながらも捕まっただけなのだが、その情報はアンソンのもとにはない。とにかく、今回の反乱がほぼ失敗したという事実だけが、目の前にぶら下がっている状態なのだ。
(だ、だが、まだ何とか出来るかもしれん)
アンソンは焦りに焦ったが、まだ望みはあった。まず、ローチアが挙兵するのは第八軍団の本体がスラの領内に入り、挟撃できる体制が出来上がってから奇襲的に挙兵するつもりでいたので、現段階ではローチアは表向きには反乱の事など我関せずという立場であった。
しかも、アオンドロスが死亡したという点もこの状態では悪くなかった。なにしろ、スラ側とのやり取りは娘婿であるアオンドロスを介して行っていたため、これで反乱に密かに参加していたという情報は消えてなくなったということだ。
あとは、イオサキスさえ始末すれば、それこそ裏を知る人間が消えてなくなり、しかも娘が嫁いでいるから相続を強引に推し進めればスラを手にする可能性すら見えてきた。
皇帝からは反乱鎮圧の功ということで、スラの領土を貰い受けることを認めてもらえば、自分の家はさらに大きくなるというわけだ。
(そうだ。現状は悪くない。むしろ、スラの兵が大打撃を受けたのは好都合! ふはは、イオサキスよ、悪く思うなよ。貴様を棺桶にぶち込めば、全てが丸く収まるのだよ)
考えがまとまったアンソンは早速部下に指示を出し、領内に総動員をかけるよう通達した。そして、反乱鎮圧のために、スラへと進軍することも伝えておいた。
そう、この男、アンソンは従兄弟であり、娘の嫁ぎ先でもあるスラ地区をちゃっかり掠め取ることを決断したのだ。
「私はハッテで酒でも飲んでのんびりやっているから、さっさと兵を集めてこい!」
アンソンはそう部下に命じ、自分はハッテ村にて待機し、手勢が揃ったらそのままスラ方面へと進軍することとした。
後年、このアンソンの行動は物笑いの種となる。土壇場で裏切り、しかも姻戚関係のある家を攻撃するのであるから、アンソンの名は裏切者、卑怯者の代名詞として長く語り継がれていくこととなる。
また、酒造を主な産業とするハッテ村にて酒を飲みながら、これらのことを指示していたことから、『ハッテ村の酒飲み』などと呼ばれることとなり、『ハッテ村の酒飲み』は裏切りや日和見などを意味する言葉となっていくのであった。
とんだとばっちりで不名誉な呼び名を受けたハッテ村であったが、村人達はこれを逆用し、『掌返し』という銘柄で酒を売り出したところ、これが大ウケしたのであった。貴人の間ではこの酒を贈ることによって、「君はアンソンみたいなことはしないよね?」という警告やあるいは最後通牒の際に用いられるようになり、妙な方向で人気のある酒が生み出されたのであるが、これは後日の話となる。
なお、その後のアンソンは自身の思惑とは違う、破滅的な最期を迎えることとなる。
まず、手勢を揃えてスラ地区へと進軍し、反逆者イオサキスを討ち取るべく攻撃を開始した。当然、イオサキスは何事かと使者を派遣してアンソンを問い質したが、アンソンは使者を切り捨て、その死体をイオサキスに送り付けた。
これに激怒し、また弟アオンドロスを失って混乱の極みにあるイオサキスは、アンソンの娘であり、アオンドロスの妻である女性を殺し、これをアンソンに送り付けたのだ。
こうなってしまうと、両者は血みどろの戦いを演じることとなり、最終的にはアンソンがイオサキスを討ち取ることによって決着がついた。
そこへ、集結が完了した第八軍団が姿を現し、アンソンは手柄顔でこれと合流したが、即座に捕縛された。理由は反乱への加担であった。
そして、アンソンは驚愕した。死んだと聞かされていたアオンドロスは生きていたからだ。
アオンドロスはアクトに捕らえられた後、そのまま身柄を第八軍団へと引き渡されたのだ。そして、裏の事情を話すことを条件に、どうにか助命された。
それら一連の流れを、アンソンは捕縛されてからようやく知り得た。自分がやった行動が完全に裏目に出て、破滅へと突き進んでいたことをようやく理解した時には、全てが遅かった。
「愚劣極まることだ。卑怯という言葉ですら生温い」
軍団指揮官であるブーンはアンソンの所業をそう酷評し、皇帝に反乱者の裁決をしてもらうために帝都ノァグラドへと移送した。
アオンドロスは監視付きとはいえ、どうにか釈放された。だが、自邸に戻ってみると、屋敷はすっかりと荒らされ、しかも妻が兄の手によって殺されたと知るとすべてに絶望し、そのまま首を吊って自殺してしまった。
帝都に贈られたアンソンは反乱騒動の罪を一身に受けることとなり、即位直後に騒動を起こしたことをユリシーズに責め立てられた。怒り収まらぬユリシーズはアンソンに対して土地も財産も全て没収の上、火炙りすると宣言した。
後日、帝都にある闘技場にて刑は執行され、多数の市民が見守る中、アンソンは炎の中で息絶えた。
こうして一連の反乱は事後処理も含めて集結し、結局は皇帝の直轄領が増えただけという結末になった。新帝即位の祝賀の献上品だな、などと揶揄されるほどの無様な反乱となった。
一方で、ユリシーズの名声は高まった。なにしろ、今回の騒動があっさり解決したのには、第七大隊の迅速な行動が挙げられており、その若き指揮官を慣習を押しのけて就任させたのはユリシーズであったからだ。
慣例から外れたアクトの大隊長就任であったが、結果としてユリシーズの先見性が証明されることとなり、そういう点ではアクトは素直にユリシーズの器量に感心したのであった。
多難の船出となった新帝即位と大隊長就任であったが、ユリシーズもアクトもどうにか乗り越えることができ、今ひとときくらいは安堵の息を漏らすことができた。
~ 十二話に続く ~