第十話 ハッテ村の遭遇戦4
村の西側では依然、一進一退の攻防が続いていた。数では守備側が劣勢であるが、地形を上手く利用し、どうにか五分の状態を保っている状態だ。
「押し負けるなよ! 奮い立て!」
副長のソロス自身も盾を構え、戦列に並んでいた。敵も味方も入り乱れては盾で押し合い、隙を見ては剣を隙間に差し込んで相手を貫く。これの繰り返しだ。
そして、頼りのなるのは、後方斜め上から飛んでくる友軍の矢だ。アナートを始め、身軽な弓兵が数名、納屋や家屋などの屋根に上がり、そこから狙撃を行ってくれていることだ。霧が立ち込めているため、手近な位置にしか撃ち込めないが、それでも敵を射抜いてくれるのは大助かりであった。
本来、こういう場面であるならば、弓兵は隊伍を組んで斉射を行い、相手に対して制圧射撃を行うのが常道だ。だが、濃霧により視界が遮られている以上、無駄撃ちになる可能性が高く、霧の隙間から狙撃を行う戦術に切り替えていた。
何より、準備に乏しい防衛戦であるため、物資に限りがあり、矢をドンドン撃てる状況でもないからだ。
それは各弓兵も理解しており、命中率を第一に考え、確実に当てれることを心掛けていた。それでも矢が不足気味であったが。
「ああ、もう! 次から次へと湧いてくるわね!」
アナートは悪態付きながらも狙撃を続けていた。
なお、彼女は人を撃ったのは今回が初めてであった。威圧のために、わざと外して撃ったことはあるのだが、“殺す”目的で矢を射かけるのは今回が初めてなのだ。
人を殺すことに躊躇いはあった。獣や鳥を撃つのは糧を得るためであり、そこに躊躇いはないのだが、人間相手だと、話が違う。別に獲って食おうというのではなく、殺す目的で殺しているからだ。
しかし、躊躇いは思っていた以上に薄かった。理由は二つ。世話になっているユリシーズやナンナに対しての恩義が重く、二人に反旗を翻した連中に制裁するという考えが頭の中を占めていたからだ。
そして、もう一つの理由はアクトだ。ハッテ村での戦いが始まる直前、アクトは捕虜を殺した。そして、言った。童貞卒業だ、と。
アクトも人を殺したのは初めてだと、アナートはそれで知った。しかも、弓より感覚として体に刻まれる、剣という直接的な手段を用いて殺した。本当の実戦において、躊躇わぬよう始まる前に心と体へ自分の手で血化粧を施したというわけだ。
アクトは技を競い合う競争相手であり、アナートはその一件でなんだか置いてけぼりにされたような、感じたことのない寂しさを感じた。ならばと、こう考えた。置いていかれたのなら、追いついてしまえばいいのだ、と。
そして、アナートは躊躇いを捨てた。そして、変わった。動物を狩る女狩人から、人間を狩る女弓兵へと変じたのだ。
霧の中の狙撃は難易度が高い。視界が悪い上に、前線では敵も味方も押し合っているので、誤射の危険があり、そこへは撃ち込みにくい。後方を狙うにしても、霧が邪魔をして標的が見えにくい。
なにより、厄介なのは動物とは違って、人間は“防具”を着込んでいることだ。毛皮などとは比べ物にならない強度があり、防具の上から貫くのは容易ではない。
兵士の多くが装備しているのは鎖帷子だ。金属製の輪を鎖のように編み上げ、それを帷子状に作り上げた鎧だ。容易に着込める上に防御性も高い。構造上、衝撃吸収力がないため、鈍器による殴打が有効なのだが、生憎とアナートは接近戦ができないため、弓で射抜くしかない。
隊長級や重歩兵ともなると、さらに頑丈な薄片鎧を用いている。薄い金属板を無数に縫い合わせた鎧で、鎖帷子よりもさらに高い防御性能を有している。
対して、アナートの武装は小弓である。馬上でも扱えるよう小型で連射性に富むが、威力はそこまで高くはない。防具越しでは、貫通して相手に突き刺すことも容易でない。
そのため、狙いは顔面、腿、腕だ。一般兵は籠手や足防具がなく、そこならば矢が突き刺さる。重歩兵となると、それこそ顔面しか狙い目がなくなるが、それでもアナートはその僅かな隙間に矢を差し込んでいった。
もっとも、狭い視界と乱戦状態では、それもなかなかに難しいのだが。
「アナート様!」
下の方から誰かが自分を呼んだので、アナートはそちらを覗いてみると、そこには矢筒を抱えたヘルモの姿を確認できた。
「補充の矢です。どうぞ」
「おお、気が利くわね」
矢の残数が少なくなってきたため、差し入れは何よりありがたかった。アナートはそれを受け取り、再び視線を前線に戻した。
「矢の残数が心もとないので、無駄撃ちはするなとのことです」
「分かってるわよ。アクトにはさっさと打開策を考えなさいと言っといて」
そもそも、前進して村での防衛戦を言い出したのはアクトである。現段階ではそれが有効に働いているが、その優位性も先手で村を制圧できたことと、濃霧で敵の動きが制限されているからに他ならない。どちらかが崩れれば状況は苦しくなる。そして、霧は徐々にだが晴れつつあるのだ。
視野が広がれば狙撃も容易になるが、それは相手側にも言えることだ。敵の矢が飛んでこないのは誤射を恐れているからであり、その心配がなくなれば射撃戦が始まる可能性もある。
それまでには、相手に何かしらの強打を浴びせねば、数の少ない分、不利になるのは明白であった。
そして、その決定的な瞬間が目の前にやって来た。気まぐれな神の吐息が戦場を吹き抜け、薄くなってきた霧を一部とはいえ吹き散らしたのだ。
後に、この状況をアナートはこう語った。
「目立つ奴がいたんで、とりあえず撃っておいた」
僅かに開けた視界の先に、アナートの注目を集める敵の姿を見た。豪華な鎧やマントを身に付け、これまた装飾の施された馬具を身に付けた馬に跨る人物だ。ほとんど、反射的にアナートはそれに向かって矢を射かけた。
そして、その矢は相手の顔に命中。左の頬に突き刺さり、落馬させた。周囲にいた馬回りが慌ててそれを取り囲み、荒々しい声を上げて何かを叫び始めた。
アナート自身はなんとなく目に飛び込んできた目立つ相手を射抜いただけであったが、実はこの射抜いた敵こそ、相手の総大将であったアオンドロスであったのだ。
アオンドロスは当初、かなり後方にいたのだが、半分以下の敵に圧され、しかも騎兵が壊滅したという情報が入り、遅々として進まぬ制圧に苛立ったのだ。そして、状況確認のためにかなり前の方に移動し、あれこれ指示を飛ばしているうちに、アナートの狙撃を受けたのだ。
少し前からアナートの狙撃範囲に入っていたアオンドロスであったが、霧に遮られてその姿を確認できず、アナートは狙撃の機会を見いだせなかったのだが、そこへ神の気まぐれな一息が入ったのだ。
徐々に薄れ行く霧、突然の横風、そして、露わになってアナートの前に姿を晒したアオンドロス。まさにその一瞬を《女狩人》が見逃さなかったのだ。
何より重要であったのは、その姿をソロスも視認したことであった。
ソロスはアオンドロスの名前は知っていても、顔まではさすがに知らなかったが、その出で立ちからすぐに射抜かれた人物こそ、アオンドロスその人であると認識した。
そして、叫んだ。
「敵将アオンドロス、討ち取ったぁ!」
生死の判断はできなかったが、この際それはどうでもよかった。相手を混乱させることが目的であり、そして、それはすぐに動揺という形で西側の前線に波及していった。
敵方の隊長級がそんなバカなと後ろを振り向くと、その目にあってはならない光景が飛び込んできたのだ。自軍の指揮官であるアオンドロスの愛馬が“空馬”になっており、その主人の姿を見ることができない。そして、慌てる従者達の姿。そこから導き出される答えはただ一つ。敵弓兵が前に出過ぎていた自軍の指揮官を射抜いたという事実であった。
「そんなバカな! アオンドロス様!?」
動揺する隊長。それを聞いてこれまた動揺する部下達。それは波のごとく動揺を心に打ち付け、瞬く間に広がっていった。
そして、よく通るソロスの声は村中に響き渡り、他の場所で戦っている者達にも届いた。
まさにその時期を見計らったように、北側の情勢が動いた。
北側は元々配置していた兵の数が少なく、危うく押し込まれかけていたが、そこへアクト自身が駆け付け、どうにかギリギリのところで踏ん張っていた。その状況下でようやく到着が他より遅れていた重歩兵の一団が到着し、さらに先程のソロスの絶叫である。
これをアクトは逃さなかった。
「敵は総大将を失った! 今こそ反撃の時である! 村に潜ませておいた“大軍”をもって押し潰す! かかれぇ!」
無論、そんな大軍などは存在しない。はっきりと言えば、今姿を現した重歩兵の一団で兵力としては打ち止めである。だが、そんなことは関係ない。相手が動揺し、味方が高揚すればいいのだから。
そのアクトの呼びかけに応じ、北側の戦線は加わった重歩兵らと共に、一気に押し返した。
「うわぁ! アオンドロス様がやられた! 畜生めぇ!」
「もうだめだぁ! おしまいだぁ!」
「逃げろ、逃げろ! 皆殺しにされちまうぞ!」
方々で阿鼻叫喚の様相を呈してきたが、実はこれは完全に演技であった。というのも、これはヘルモが手配した演技の叫びであったのだ。
ヘルモは矢筒をアナートに渡したあと、再び村の中央にまで戻ってきたのだが、そこでソロスの絶叫を耳にしたのだ。真偽のほどは分からないが、ソロスがそう叫んだ以上、潮目の変わる何かが起こったのだと、ヘルモはすぐに理解した。
そして、近くにいた村の男衆に依頼して、“動揺する敵兵”のフリを村のあちこちでしてもらっているというわけだ。
霧が薄れてきたとはいえ、視界が完全に戻ったわけではなく、相互の連携や状況確認がやりにくいことには変わりがない。しかも、北側では一気に押し返されており、混乱はますます広がっていった。
「よっしゃ。敵さんは指揮官を失って動揺しているぞ。今が狩り時だ!」
南側の戦線で戦っていたテオドルスも勢いづき、部下達を激励しながら自分が先頭に立って敵の一団に向かって突っ込んでいった。
状況が動いた。そして、アクトを始めとする第七大隊の面々は、自分達が今何をするべきかを理解していた。ゆえに、押し返したのだ。
北側と南側の戦線は一気に情勢が第七大隊有利に運び、次々と押し込んでいった。そして、気付いた時には本戦場である西側付近まで押し返され、謀らずも半包囲体制下に敵を押し込んだ。
ここでさらにアクトは動いた。北側の戦場からさらに自身とその麾下にあった五騎の騎兵を走らせ、敵中央に斬り込んだのだ。押されている状況で更なる横槍が入り、敵中央の乱れもさらに拡大していったが、アクト自身が敵中に孤立しかねない状況でもあった。
「あのバカ! 無茶し過ぎだわ!」
ようやく視界が開けてきて本来の狙撃ができるようになってきたアナートは、敵中で孤立に近い状態で剣を振り回すアクトを見て、そう悪態ついた。
アナート同様、他の弓兵も視界が回復したことにより、狙撃の精度が向上し、アクトを援護するべく、その周囲に残数少ない矢をありったけ叩き込んだ。
中央に位置するソロスもそれに応えるべく奮戦し、強引な前進を自身が先頭にたって押し進めた。
そして、敵は崩れた。指揮官の統率を失い、側面を突いて状況を変えれる騎兵もない状態では現在の勢いに対して抗することもできず、ついに敗走したのだ。
ここですかさず動いたのがシュバーであった。下馬して弓兵をなっていた部下達を再び騎乗させて弓騎兵とし、敗走する敵兵目掛けて突っ込ませたのだ。
「狩り時だ! 残りの矢もありったけ撃ち込んでやれ!」
背を晒して逃げ出す敵兵に容赦なく矢を浴びせ、馬で体当たりを、次々と屠っていった。
そして、何よりの戦果は敵将アオンドロスを生け捕りにできたことだ。アクトは敵の隊列の内、旗差しの位置からアオンドロスの場所を見つけ、その付近で戦っていたのだ。
馬廻りは落馬で気絶した指揮官を回収して下がろうとしても、敵が次々と押し込んできて身動きがとりずらく、そこへアクトの斬り込みである。アオンドロスを回収して後退する機会を逸し、戦線の崩壊とともに慌てふためいて逃げ出し、あろうことか負傷して気絶した総大将を置き去りにするという醜態をさらしてしまったのだ。
こうして、シュバーの追撃によりさらに被害を拡大し、なにより総大将の生け捕りという状況もあって、第七大隊の勝利に終わった。
第七大隊の損害がおよそ百であるのに対し、スラの反乱軍の損害は三百を下らず、しかも指揮官を生け捕りにされた。まず快勝と言ってもよい内容と言えよう。
だが、休んでいる暇はない。勝ちはしたが、まだ数的劣勢は覆していないからだ。もし、指揮官の奪還を目指して再度の攻撃を企図された場合、危機的状況に陥ることは明白であった。
アクトは自軍の遺体や負傷者を収容し、荷車に乗せると直ちに後退を命じた。また、追撃したシュバーの部隊が帰還すると、後方への索敵を継続しながら、全員に撤退の指示を出した。
「戦果としては十分だ。これ以上望むのは強欲すぎる」
倍以上の敵を相手にして、敵方に三倍以上の損害を与え、しかも敵指揮官を捕らえたのである。これ以上は望み過ぎというものであった。
「村長、後片付けもせずに撤退するのは申し訳ない。そこらへんに“捨てられている”ものは村のみんなで好きに使ってくれ」
アクトはハッテ村の協力に謝意を述べ、颯爽と駆け出した。
村側としても、戦闘に巻き込まれた割には被害が少なかったので、安心した。死者はおらず、しかも村の中にも周囲にも“お宝”の山が転がっている。死体から装備品を剥ぎ取り、主を失った馬を村に連れ込み、さらには遺棄された反乱軍の荷車を物色する。
これは村が手する正当な理由がある。巻き込まれた上に、障壁構築のために家具が壊され、矢を始めとする物資も供出している。手に入れて当然の報酬だ。
もっとも、出費や損害を考慮に入れても、手にした物資のことを考えれば、余裕の黒字である。死者がいなかったことがなにより大きい。
それを考えれば、後片付けくらいお安い御用であった。
こうして、アクトにとっての初陣『ハッテ村の遭遇戦』は終了した。輝かしい勝利と共に。
~ 第十一話に続く ~