第九話 ハッテ村の遭遇戦3
霧に覆われたハッテ村。相手どころか、友軍の姿すら少し離れると見えなくなるほどの遮られた視界の中、音や気配を頼りに皆が走り回っていた。
ある者は落ちている武器を拾い、ある者は家具を用いて障壁を構築し、ある者は見えぬ敵を求めて感覚を霧の中へと飛び込ませていた。
「じきに来るわよ。気を付けて!」
屋根の上に登り、相手方の気配を探っていたアナートの警告が飛んだ。まだ距離は空いているとはいえ、馬の嘶きや金属の擦れる音など、敵方が近づいてくるのを察知したからだ。
そこへ、遅れて村に駆け込んできた副長ソロスの百人隊が到着した。急いで駆け込んできたため、息は荒いが、当然のんびり休んでいる時間はない。
やって来る度に次から次へと配置の指示を飛ばし、戦力を逐次投入していく。普段の戦闘なら、絶対にやらない無様なやり方であるが、霧の中での不期遭遇戦なればこその混沌とした状況であった。
ソロスが中央にあって指示を飛ばし、ヘルモはやって来る部隊を案内し、アクトは各所に馬を走らせて、細々とした修正を加え、やって来る敵に備えた。
そして、敵の第二波が襲い掛かってきた。西側から歩兵部隊が盾を構えて襲来し、ソロスの部隊と激突した。それぞれが来る、あるいはいることを認識していたため、互いに盾を構えて押し合いへし合い。西側の入り口付近は早速と熱気と怒声と血飛沫で満たされていった。
その一方で、南側からも敵の騎兵が徒党を組んで現れた。だが、これを予期していたアクトにより、すでに障壁が築かれており、敵騎兵はまんまと足止めされた。
「なんだと!? 西側だけでなく、こちらにも馬止めをしていただと!?」
隊長と思しき敵兵が狼狽したが、すでに次の一手が敵部隊に襲い掛かった。
ピィィィ! ピィィィ!
霧の向こう側から敵の隊長の耳に何かが飛び込んできた。それから僅かに遅れること、無数の矢が霧の向こうから飛来し、率いていた騎兵が次々と射抜かれた。
「なぜだ!? 見えないはずなのに!」
実際、敵隊長からは何も見えていなかった。目の前の障壁が見えるだけで、濃霧は村の中がどうなっているのかを、完全に覆い隠していた。
当然、それは逆方向から、すなわち村にいる側からも、村の外側が見えていないことを意味している。にも拘らず、なぜ弓を使用できるのか。それは“音”と“位置取り”である。
実は、家具などを積み上げて築いた障壁の中には、ヘルモが潜んでいたのだ。子供の小さな体格を利用して、家具の隙間に入り込み、障壁に敵が止められたそのまさに目と鼻の先で確認してから、渡された笛を吹いたのだ。
そして、弓兵の大半を南側に配備し、その笛の音源目がけて矢を射かけたのだ。霧の中と言えど、障壁の位置は家具を積み上げた際に全員把握しており、そこから何歩どの方角に歩いたかを覚えておけば、例え霧で視界が遮られていようとも問題がなかった。
笛の音源と各弓兵の歩幅や感覚で障壁の位置を霧の中であろうと把握し、その少し先に足を止められているであろう騎兵目掛けて矢を撃ち込んでいる状態だ。
敵が見えずとも、村にこもる側には、すでに射撃動作が組まれている状態であり、敵を視認できないデタラメな射撃であろうとも、ある程度の命中率を確保できるのだ。
一方で敵方としては悪夢以外の何物でもなかった。なにしろ、一度ならず二度までも馬の足を止められ、見えないはずなのに矢を当ててきたからだ。
なにかに取り憑かれでもしたのかと、敵隊長は恐怖と困惑に身を震わせた。
「ひ、引けぇ!」
混乱する部下共々引かねばならないと判断し、再びの撤退指示を飛ばした。だが遅かった。
いきなり脇から騎兵が飛び出してきたかと思うと、その手に持つ剣で走り抜けざまに斬り飛ばされ、グチャリと頭を潰されて地面に叩き落とされたからだ。
ちなみに、これをやったのはアクトであった。アクトは西側で歩兵同士の激突が始まったのを確認すると、すぐさま五騎の騎兵を率いて、村の東側に向かって走らせた。一度、そこから村を出て、外周をなぞる様に南側へと馬を走らせ、足止めされた上に射撃で大混乱の敵騎兵の脇腹を突いたのだ。
なお、弓兵には三連射までで射撃は一旦止めるように指示を出していたため、敵騎兵と交差する際の誤射はなかった。
また、付き従っていた弓騎兵もすれ違い様に混乱する敵に向かって矢を撃ち込み、そして、アクト共々再び霧の中へと走り抜けた。
「よっしゃ、こっからは俺らの出番だ!」
威勢よく声を上げたのは什長のテオドルスであった。彼の部隊は歩兵であり、馬が通れない障壁であろうとも、歩兵ならばよじ登って突破することができた。
そして、隊長が討たれてますます混乱する敵騎兵部隊に向かって突進した。騎兵は衝撃力や突進力、あるいは機動力があってこその兵科である。足が止まった状態の騎兵など、槍持ちの歩兵にとっては格好の餌食でしかない。
テオドルスを始め、槍を持つ歩兵が次々と敵騎兵に殺到し、何がどうなっているのか分からないままの相手に槍を繰り出し、馬上から突き落としていった。
これで敵の騎兵は第一波及び第二波の度重なる損害により壊滅という運びになった。
だが、アクトは止まらない。走り抜けた勢いのまま、今度は西側にいる敵隊列に向かって突っ込んだのだ。今度は武器を持たず、しっかりと手綱を握って村に向かう敵のど真ん中を走り抜けた。
「南側、騎兵壊滅! 南側、騎兵壊滅!」
アクトやそれの続行する騎兵達が口々に叫び、またしても霧の中へと走り抜けた。
当然、敵に動揺が走った。南側では友軍の騎兵が攻撃を仕掛けているはずなのに、敵の騎兵が南から突っ込んできて、こちらの隊列を乱したのである。
「騎兵が壊滅しただと!?」
「どうなっているんだ!?」
混乱する敵兵を後目に、アクトは今度は北側に向けて抜けた勢いそのままにまた馬を走らせた。
アクトの立てたこの策は、実は重大な欠陥を抱えていたのだ。数的劣勢は始まる前から分かっていたため、“北側”に兵を配置していなかったのである。なにしろ、西側、南側の防備だけで手一杯のため、北側まで兵を出す余裕がなかったのだ。
もし、敵将アオンドロスが西と南の二点攻撃でなく、北も含めた三点攻撃を企図していれば、北側を抜かれていたのであった。
だが、アクトはそれはないと半ば賭けに等しいやり方で、戦力を西と南に集中させ、北側を手薄にしたのだ。北側は葡萄畑が広がる丘陵地帯で、馬を走らせようとした場合、村の外周ギリギリを走らねばならず、もしそこに敵兵がいた場合、格好の的になるため、時間重視で素早く展開できる南側を攻撃点に選び、北側を放置する格好となったのだ。
そうなると考えたアクトは北側を手薄にし、そして、賭けに勝ったのだ。実際に西側から北側に向けて駆けている最中に敵兵との遭遇はなく、北側の入り口から村に再突入し、村の中央まで戻ってこれた。
「ご苦労だった! 馬の呼吸を整えさせろ。すぐに出るかもしれん」
アクトは随伴していた騎兵にそう指示を出すと、ちょうどそこへ東側から荷車の一団が村に到着してアクトの下へとやって来た。
「よしよし、いい頃合いだ」
荷車には様々な物資が載せられていた。行軍訓練ということなので、運んでいた物資の多くは食料であったが、予備の武装も数は多くないが用意されており、それを優先して運び込むように命じていた。
「予備の盾を西側の連中に持って行け! あと、矢もだ! 特に矢は残数があまりないから、無駄に撃つなと念を押しておけ」
アクトの指示に数名の兵士が予備の盾や矢を抱えて、西側へと駆けて行った。現在の主戦場は西側だ。両軍ともに最も兵力を差し向けており、一進一退の攻防を繰り広げていた。
「そろそろ、敵も痺れを切らして、北側にも攻勢をかけてくるぞ。何隊か北側に歩兵を回せ! 南も歩兵の数は少ない。そちらにも回すぞ!」
アクトはやって来る後続部隊に次々と指示を飛ばし、戦線の維持に努めた。だが、やはり絶対数の少なさは厳しくなる一方であった。一応、村を防衛拠点とし、善戦はしているが、村である以上要塞ではない。守るにしても限度がある。
むしろ、好機があれば、逆に討って出て仕掛けることも考えていた。
(だが、それには転換点となる好機、材料がいる。それを見出さなくては!)
アクトは部隊の差配をしながらも、その点をずっと考え続けていた。現在の濃霧という状況下が有利に作用しているが、これが晴れた瞬間に村の状況が丸裸にされる。それまでに、相手へ強烈な一撃を叩き込まねばならなかった。
「アクト様!」
指示を飛ばしながら考え事をしていると、ヘルモが村の男衆を数名連れて駆け寄ってきた。しかも、その腕には矢の束が抱えられていた。
「ヘルモ、その矢はどうした?」
「村の物ですよ。農村になら、狩猟道具があると思ったので聞いてみたら、案の定でした。百本に満たないですが、ないよりはマシでしょう。村長を説得していただいてきました。もちろん、“ツケ”は陛下持ちになりますが」
平然と言ってのける十歳児の行動力と思考力に、アクトは思わず笑ってしまった。神童との評でユリシーズは遥か南方の領域から呼び寄せたのだが、本当に神童であったとは驚きであった。
後年、“口”と“筆”で数々の功績を残し、後々の世まで語られていくヘルモであったが、齢十歳にしてすでにその片鱗が見え始めているのであった。
「ハッハッハッ、そういえばそうであったな。戦いに集中し過ぎていて、村にも矢があることを失念していたぞ。ヘルモ、でかした!」
実際、自分もほんの数年前までは農村で暮らし、狩りで糧を得ていたのだ。それを見逃さずにいてくれたことは、小さいながらもヘルモはお手柄であり、アクトを大いに喜ばせた。
アクトは矢を筒に差し込み、それをヘルモに手渡した。
「ヘルモ、それをアナートに届けてやれ。無駄遣いするなよ、と釘を刺してな」
「分かりました!」
ヘルモは矢で満たされた矢筒を抱え、激戦続く西側へと駆け出して行った。
それと入れ替わるかのように、シュバーが姿を現した。シュバーは馬を走らせながら北側と西側の援護をこなしており、それが慌ててアクトの所まで戻ってきたのだ。
「大隊長、北側がかなり危うい。数が違い過ぎて、そろそろ破られかねん」
「数に任せて押し込んできたか! シュバーはここで矢の配分をやっていてくれ。北は私が直接指揮を執る。あと、そろそろ、遅れている重歩兵の連中が到着するはずだ。それを北側に回るように指示を出せ。それを使って押し返す!」
アクトは馬に跨り、先程率いていた五騎の騎兵と共に北側へと急行した。
程なくして、アクトの予想通り、村の東側から重歩兵の一団が村へと入ってきて、村の広場にてあれこれ指示を出していたシュバーの下へと次々と駆け込んできた。
「おお、到着したか! では、お前らはすぐに北側の・・・」
「敵将アオンドロス、討ち取ったぁ!」
村中に響き渡る大声が、西側から聞こえてきた。当然、それはシュバーのみならず、全員の耳に飛び込んだのであった。
「なんだと!? 声から察するにソロス副長のようだが、一体何が!?」
まだ霧が立ち込めているので状況は不明であり、シュバーは驚いた。なにしろ、西側は両軍の歩兵が盾を構えて、未だに一進一退を繰り広げているはずだ。
にも拘らず、敵の総大将を討ち取ったなどと、にわかには信じられなかったのだ。
そして、その一声はアクトが待ちに待った“転換点”となるのであった。
~ 第十話に続く ~