マミコの正体
「あれ? ここは……」
あたしは目を擦った。
「真美子!」
ぼんやりとした視界の先で、母さんが心配そうにあたしの顔を覗き込んでいる。
あたしは視点の定まらない視線を、彷徨わせる。
白けた蛍光灯が見える。
鼻をかすめるのは、仄かな消毒液の匂いだ。
ああ、ここはあたしが入院している病院の病室なんだ。
そう認識した。
「あたしまた、意識を失っちゃったの?」
そう問うと、
心配かけちゃったんだろうな。
かわいそうに、母さんが泣きそうな顔をしている。
「今回ばかりは、もうダメかもしれないって先生が仰って」
母さんの声が、嗚咽に震えている。
自分で言うのもなんだけど、まあ、ヤバい状態だよね。
身体がどんどん衰弱していって、自由に動かせなくなって、
どうにかこうにか、かろうじて生きているっていう感じだ。
「そっかあ、また心配かけちゃったんだね、ごめんね。
だけどあたしは、とてもいい夢を見ていたんだよ。
とても幸せな夢。懐かしかったなあ」
そう言って、あたしはまた瞼を閉じる。
「そう、どんな夢だったの?」
母さんがベッドサイドの椅子に腰かけた。
「小学1年生のころに同じクラスだったアキラくんの夢よ」
あたしがそういうと、母さんはクスリと笑みを漏らした。
「まあ、アキラくん。懐かしいわね」
そう言って母さんも当時を懐かしむかのように、追憶に耽る。
「あなたたちはとても仲が良くて、
いっつも手をつないで帰ってきたわよね。
お父さんの転勤で引っ越さなきゃならなくなって、
そのときに彼、あなたに生まれて初めて書き上げた物語をプレゼントしてくれたんだっけ」
そう言って母さんは、
あたしの枕元に置かれているピカチューのノートを感慨深げに見つめた。
ピカチュウのノートには、
とても達筆な字で『1年1組 ありま アキラ』 と書いてある。
あたしはそのノートを手に取ってパラパラとめくる。
やっぱり小1が書いたとは思えない、達筆な文字で埋め尽くされている。
きっと丁寧に、丁寧に、一文字一文字心を込めて書いてくれたんだろうな。
あたしのために。
そう思ったら、少しニヤけてしまった。
「そうよ。なんてったってあたしがアキラくんの初めての読者なんだからね。
これは、宝物よ。
彼はいつか伝説のライトノベル作家になって、その作品がメディアミックス化されて、
きっと多くの少年少女に夢と希望を与えると思うわ」
あたしはうっとりとした眼差しで、胸の上で手を組んだ。
「そしてあたしは、ジャンプ編集長になるの」
そう言ってやると、母さんは少し複雑な顔をした。
まあ、病気のことはさておいて、20歳を過ぎた娘が本気でそんなことを言い出せば、
親としては当然少し不安になるだろう。
「ジャンプは漫画でしょう?」
真面目に反論してくる母に、
「世の中はメディアミックスの時代なのですよ、お母さん。
あたしはジャンプの編集長になって、編集長権限で一番の売れっ子漫画家の原作者に、
アキラくんを抜擢するのよ。そしてね……」
そう言って、あたしはクスリと笑った。
病室の窓から見える空は、どこまでも青く澄んでいて、少しだけ悔しかった。
◇◇◇
とうとうマミコに食べさせてやる物語が、本当に尽きた。
もう何度クローゼットを引っ搔き回しても、一冊のノートも、
紙切れひとつでさえも、出てこない。
「くっそ……」
俺は拳でフローロングを殴った。
「いや、待て、まだ、どこかにあるだろ。あれだけ書いていたんだから。きっとどこかに……。
だって、あいつに食わせてやらなきゃ」
俺はふらふらと立ち上がり、もう一度クローゼットを漁る。
その拍子に、クローゼットの上段から何かが落ちてきて、
俺の頭に直撃した。
グワーンとした音がする。
「痛ってぇ、なんなんだよ、ったく」
俺は頭を押さえ、少し涙目になりながら、その物体に目をやった。
それは古ぼけたお菓子の缶だった。
「これは……」
俺はそれを拾い上げて、じっとみつめた。
「懐かしいな……」
思わず呟いてしまった。
瞼の裏に、ツインテールの女の子の面影が過る。
ベリーピンクの独特の髪の色に、そうだ、前髪からアホ毛が二本ぴょんと飛び出していて、
俺はそれをとても可愛いと思っていたんだ。
『アキラくんの書いたお話、読ませてよ』
そう言って、彼女は俺に手を差し出したんだ。
心臓が、跳ねた。
ベリーピンクの独特の髪色……。
前髪から飛び出した二本のアホ毛……。
「彼女の名前は……近藤……真美子……ちゃん」
俺は反射的に手のひらで口を覆った。
そして手に持っていた古ぼけたお菓子の缶を開く。
それはかつての俺の宝箱だったんだ。
そこには折り紙で折った金メダルと、手書きの表彰状が入っていた。
『ひょうしょうじょう。
ありま アキラくん。
あなたは 第1回マミコしょうせつたいしょうにかがやいたことを、
ここにひょうしょうします。
こんどう まみこ』
「あっ!」
その拍子に色んなことが俺の中で繋がった。
マミコは俺の黒歴史の張本人、ツインテールの真美子ちゃん、だったんだ。
俺はマミコに聞いてみたいことが山ほどあった。
話したいことが山ほどあった。
そもそもなぜ、パソコンから抜け出てきたのか、とか。
しかもなんで今? とか、
だけど結局、なにひとつ聞くことができないままに、
マミコは俺の前から姿を消したんだ。
「どうしてマミコは現れないんだ? ははっ……。
そりゃ……俺が物語を書けないからだろ。
それとも……俺の書く小説が、下手くそすぎて、愛想つかしたのか?」
丑三つ時に、パソコンの前に座って、俺は独り言ちる。