マミコ、消滅の危機
マミコが帰った後、俺は久しくパソコンを立ち上げた。
もう、何日書いていなかったんだろう。
それこそ小学生の頃から、暇さえあれば何かを書いていたので
なんだかそれは不思議な感覚だった。
物語を書くのは楽しい。
だが、物語を書き続けるのは辛い。
そもそも物語を書く時っていうのは大概、物語の序盤は気力もやる気も満々で、
読者さんからのコメントが賑わったり、
お祝儀のポイントをもらったりして疲れを感じず、気分爽快で書くことが出来るのだが、
長編になってくると、俺のような底辺はひたすら孤独に書き続けるしかない。
お祝儀ポイントのスタートダッシュが終わると、読者のコメントも途切れがちになり、
順位が下がる。そしてなけなしのブクマが剥がれ、めり込んだPVに心を抉られる。
「俺の作品て……ひょっとして、つまらない?」
いきなりつきつけられた衝撃に事実に、豆腐メンタルは粉々に砕け散り、
愕然とする。
ここで、三ツ星エリートランカーなんかは、
プライドが邪魔をして筆を折ったりするんだろうけど、
何せ、俺は万年底辺だ。
そんなことでいちいち筆を折ったりはしない。
最強のメンタルを手に入れる魔法の呪文『俺が面白ければそれでいい』を発動して、
思いっきり自分の世界に浸ることのできる変態だから。
そんな俺が……だ。
パソコンを前にして、何も書けない。
「え? 俺、一体どうしちまった?」
目の前のパソコンの白い画面に、ひたすら目を瞬かせる。
下手くそなくせに書きたいと思う物語だけは、いつも溢れていて、
大学生活だとか、バイト時間だとか、そんな生活という時間の制約でさえ惜しいと思う
この俺がだ。
パソコンを前にして、やっぱり何も書けないのである。
ただ頭に白い靄がかかったかのように、
どうしても物語をイメージすることができない。
「俺……ひょっとして……書かないじゃなくて……書けなくなっちまったのか?」
俺は自分の手のひらをじっと見つめた。
むしろ、心の中から物語が溢れていた、
その感覚が自分の中からすっぽりと消えてしまっていた。
「え? マジで?」
俺は目を瞬かせた。
初めてのことだった。
「どうすんだよ。あいつに食わせてやるための物語が……もうすぐ尽きてしまうっていうのに」
そんな危機感を持った。
マミコが腹を空かせて、半べそを書いている顔が脳裏を過った。
◇◇◇
「突撃☆となりの~」
そういってマミコは今夜も現れた。
「あっと、ごめん。お前に食べさせてやる物語が……」
もう、ないんだ。
思ったより深刻な声色になってしまった。
「そうですか……」
マミコはそう言って少し寂しそうに笑った。
「あっ、別に、物語を食べることだけが、ここに来る目的じゃないんですよ。
アキラくんと小説の話をするのも、とても楽しいですし」
深刻な顔をしているであろう俺を気遣って、
マミコはつとめて明るい声を出そうとしているのが分かる。
「そうだ、お前、俺の小説だけじゃなくて、他のやつの小説じゃダメなのかよ?
文庫本もハードカバーも、本なら死ぬほどあるぞ?」
そう言って俺は本で埋め尽くされているクローゼットを開けて見せた。
俺だってな、マミコみたいに実際に食べはしないが、三度の飯より本が好きなんだ。
マミコはそんな俺に、小さく首を横に振った。
「なんで? 腹減るんだろ?
だったら俺の小説じゃなくったって、他のやつの小説を食べれば」
俺の言葉に、やっぱりマミコは小さく首を横に振る。
「私は、アキラくんの物語がいいよ」
その言葉が俺の胸に突き刺さった。
「ごめん、俺、お前に見栄張った。
書かないんじゃないんだ。俺、書けないんだよ」
その言葉とともに涙が零れ落ちた。
評価云々以前に、書けないということが
こんなにも苦しいことだなんて思わなかった。
「お前が喜んでくれる、お前に食べさせてやる物語が……書けないんだ」
涙がとめどなくあふれては頬を伝う。
「うん、そっか。でも、それでいいんだよ。
無理しなくていいんだよ。私に気を使わなくていいから。
物語を食べられなくても、少しだけアキラくんと一緒に過ごすことができたら、
それだけで十分私は幸せだから」
そう言ってマミコは俺に微笑んで見せる。
そして躊躇いがちに俺の頬に流れる涙を拭おうとして、
手を伸べるのだが、すっとその手が俺を突き抜ける。
「あれ?」
そう言ってマミコは自身の手のひらをじっと見つめる。
「お前、ちょっと色が薄くなってねぇか?」
俺はそんなマミコを訝し気に見つめた。
それに、ところどころ半透明になっているぞ。
気のせいか?
「ああ、どうやら来るべき時が、きちゃったようですね」
マミコが顔を曇らせた。
「来るべき時って……お前……」
なんか嫌な予感がした。
「私たちのような精神世界に住む妖精は、物語を食べないと消滅しちゃうんですよ」
マミコはそうなることをすでに知っていて、覚悟をしているようだった。
「は? なんだそれ。ヤバいじゃん」
俺は頭から冷水を浴びた気分だった。
涙を拭い、クローゼットを漁ると、透明の衣装ケースの中に突っ込んでいたノート類を取り出した。
「この際、作品の出来栄えは問うなよ?」
そう言って俺はマミコの前に、小中学生時代にノートに書きなぐっていた小説ともいえない代物を
マミコに差し出した。
マミコはなんともいえない表情をしてそれを受け取った。
懐かしいような、慈しむような、それはなぜだかとても深い眼差しだった。