第5話:躍動する左利き
桜花学園の最寄り駅から4駅下ったところ、例のグランドはそこから徒歩5分圏内にある。改札を抜けたのがまず案内役の野球少年、そしてミユキ先輩、ヒロシ、俺、マリサ、ヨードー、赤木先輩、美月ちゃんだ。アヤ先輩はというと今しがた謎の助っ人の説得に成功し、これから向かって来るそうだ。
目的地に着いてまず溜息が出た。感嘆のね。グランドと言うから砂が敷かれた広場に金網の柵があるオーソドックスなものを想像していたのだが、いやいやここはスタジアムという言葉がピッタリだ。巨大なナイター照明、扇形に広がっている広大なフィールドに青々と茂る天然芝、スコアボードはパネル式ではなく電光掲示板、そして大きなバックスクリーン。昔親父に連れて行ってもらった甲子園を思い出した。
「ここが選手控え室です。ブルペンは向こう側、手前が作戦会議室、隣はシャワー室になってるので試合後に自由に使ってください」
案内された広いロッカールームで俺達に施設の説明を行っている野球少年。
「ユニフォームやグラブ、ヘルメット、プロテクターはサイズ別にロッカーにしまってあります。女性の方も大丈夫だと思います。みんな新品です。グラブも左利き、右利き両方あります」
「へ〜、至れり尽くせりじゃないか。こりゃ確かに負けられないよな」
ヒロシが俺に同意を求めてきた。これは俺も頷かざるを得ない。チラっと壁掛け時計を見れば午後6時。彼によればプレイボールは午後7時からだ。余裕がある時間とは言えないな。俺はひとまず咳払いして
「打順はともかくとして、ポジション決めておきましょうか。クラブや部活なんかで野球の経験者いますか?」
挙手を求めて見たが俺含めてゼロ。なかなかピンチだ。
「ルール知らない人はいますか?」
美月ちゃんが”ごめんなさい”と一人オズオズ手を挙げたああ可愛い。本当なら俺がボールの投げ方バットの握り方ユニフォームの着方などなどを手取り足取り教えてあげたいのだが、残念ながら時間がないので
「お姉ちゃんに野球とは何ぞやを分かりやすく教えてやって欲しい」
野球少年に美月ちゃんを託して俺達は更衣室の方へ別れていった。
ナチュラルに部屋を間違えた俺は破壊神に蹴り飛ばされてヒロシに突っ込んで行った。
ひとまず球を投げられるかどうかをチェック。既に全員が縦縞のユニフォームに袖を通してブルペンにいた。
「私が投手やってみようかしら?」
猫を被っているマリサがグリグリと肩を回しながら俺に”捕手やりなさい”とアイコンタクト。俺は溜息を吐いてフェイスガード装着。腰を降ろしてパンとミットを叩いて闘魂注入!
「っしゃこいやー!」
破裂音がしたかと思って振り返ったら木製の壁を突き破った魔弾が鉄骨の間にめり込んで煙をあげつつなおも回転を止めず火花をあげてやがて発火して糸状の中身をブチまけてポトンと落ちた。
「超高性能スピードガン表示は時速1300kmです。世界新」
メーターを読んでる可愛いヨードーちゃん。
「マリリンちょっといいかな」
俺はツインテールの肩を抱いて部屋を出て
「お前は俺を殺す気か何だ今の対物ライフルはあんなものは中東の激戦区で大活躍するもんだろ!」
「ごめんごめんつい力が入っちゃってさ」
”つい”で射殺されてたまるか! とか怒ってたら落雷のような音に肩がすくんだ。ブルペンに飛び込めば
「超高性能スピードガン表示は時速ERRです。測定不能」
メーターを可愛く読んでるヨードーちゃん。フェイスガードつけたまま腰を抜かしてるヒロシ。マリサが破った壁の奥で飴のようにひしゃげてる鉄骨。そして右手から煙をあげているミユキ先輩が
「これなら殺れるなふふふ」
「先輩ちょっといいですか」
俺はミユキ先輩の手首を掴んで部屋を出て……。
その後、中堅がミユキ先輩、捕手がマリサということに決まった。戦力として期待の薄い美月ちゃん、アヤ先輩はそれぞれ左翼手、右翼手だ。外野はお姉様の常人離れした運動能力でオールレンジカバーになるからこれでOKだろう。意外に運動神経が良いヨードーちゃんは二塁手、そして大型遊撃手としてヒロシ。俺はマリサの指示により一塁手だ。
「すると私が三塁手担当だね?」
歯をキラリとさせているこの爽やかなムキムキ丸坊主が空手部主将、赤木先輩だ。頭に巻かれたハチマキには
”石の上にも3年、ファミレスにも8時間”
”あ、昇段試験クリアしたんだ”と思えたアナタは素晴らしい。ちなみに空手部顧問はマリサのパパで個性の強さは郡を抜いている。彼と仲良くなれば毎日ロシアの惣菜パンが食べられるぞ。HAHAHA。
「じゃーん! お待たせ!」
勢い良く開かれた扉に全員が振り返ったらビシ!っとVサインを決めてるユニフォーム姿のアヤ先輩。そして隣には爽やかな笑顔を浮かべている少年が同じくユニフォームを着てポンポンとボールを左手でお手玉している。俺には及ばないがなかなかのイケメンだ。はいはい抗議は受け付けないぞ。さて彼が助っ人のようだがいったい誰だろうか?
「これで全員揃ってますか」
まるでシキみたいな声で話すじゃないかこの爽やかボーイ……って。
「シキか!?」
「アハハ。やっぱり眼鏡ないとおかしいですか?」
驚きつつももはや残り時間は20分少々だ。俺はこれまでの経緯とポジションについて説明し、空きは投手しかないことを告げたのだがやっぱり……
「難しいよな」
と肩を落とせばシキは”そうですね〜”と言いながら右手にギュっとグラブを填めている。左利のようだ。
「直球とカーブで緩急をつけながらカウントを整えて、シンカーかスライダーで討ち取るのが僕の基本スタイルです」
……はい?
「序盤の3イニングは出来るだけ三振を取って戦意を削いでおきましょう。中盤になればナックルとパーム、あるいはチェンジアップをだらだら投げてゴロと邪飛を量産すれば球数も抑えられるでしょう」
凛としてそう言うシキが普段とあまりにもギャップがあるのでしばし呆然。彼はロージンバッグをポンポンと左手につけてからフっと息をかけて白い粉を飛ばし、
「八雲さん。肩の様子を見たいので受けてもらえますか?」
と言われ、ツインテールが構えるとシキはゆっくりと両手をあげて振りかぶった。それからまるで狼が吠えるように体を低くしならせてムチのように振るわれた腕からボールがリリース! スパン! という乾いた音を立ててマリサのグラブに収まった。躍動感溢れるアンダースローだ。
「スピードガン表示は時速135kmです」
ヨードーちゃんの読み上げた数字、完璧だ。シキはマリサの返球を受けながら
「肩を作ったら140前後で安定すると思いますが、力押しが出来るほど球威はありません。狙われ出したら途中でツーシームに切り替えますね。時間が無いので早めにサインを決めましょうか」
続けて第2球がリリースされるとマリサが要求した位置に吸われるように変化球が収まった。
「球威がない分コントロールには自信があります。主審のクセは2イニング以内で何とか見抜いてみせます。だから最初は出来るだけアウトローかインハイに要求して下さい」
マリサの返球を受けて第3球をリリース。微妙に揺れながら落ちる球はとても捉えられそうにない。思わず落球してしまいそうなそれを事も無げにとってしまうのはやっぱりマリサ。完璧なバッテリーじゃないか。シキが返球をバスっとグラブに受けてそこで俺の方を向いて
「最悪でも7イニングは試合を作ってみせます。後の中継や守護神を担当してくれる方はいませんか?」
「あー残念だがいないんだこれが」
破壊神とか女神様ならたくさんいるんだけどね。シキはそれに”分かりました”と力強く頷いて
「序盤から打たせて取ることを念頭に置いて組み立てていきましょう。そしたら完投まで持っていけると思います。ここに来る途中相手チームの練習を少し見学させてもらいましたが、長打を打たれることはなさそうだし、大丈夫だと思います。内野手の方には申し訳ないですが頑張って処理を……って皆さん?」
しばし全員が固まっていたがその直後、シキは皆にもみくちゃにされた。この勝負、もらった。
「それではお互いに礼!」
いつの間にか満員の観客で大歓声のスタジアム。真っ黒なユニフォームを着崩したモヒカンナインとご対面。一言言わせてくれ。お前ら本当に野球をしにきたんだろうな? 全員が全員物凄いメンチ切って舌打ちしまくり。でも鼻の下は伸びまくり。だってメンバーのうち超絶美女が4人もいるからな。ミユキ先輩、アヤ先輩、美月ちゃん、ヨードーちゃん!
”一人間違えてんじゃねーかオイ?”
100万ドルの笑顔でマリサがアイコンタクトしながらバットに滑り止めスプレーを吹きかけている。先攻は桜花学園で1番はマリサ。まさに核弾頭だ。
「プレイボール!」
のコールがアナウンスされるとバックスクリーンの後ろで大きな花火がドンドンドンドドンとあがって地鳴りのような歓声。思わず耳を塞ぎながらベンチに下がって
「えらい注目度だな」
野球少年の隣に腰掛けて緊張をほぐすため、場内で支給されているペットボトルのスポーツ飲料で口を湿らせる。ドーピングの可能性を排除するため飲み物は持ち込み禁止。プロ並みに徹底されている。ちなみに監督やピッチングコーチなどのスタッフはと言えば現在病院のベッドで脱衣ババの求愛から必死で逃れようとしている先輩方に付き添っている。というわけでこの少年が監督代行だ。
「1回表:桜花学園の攻撃、一番キャッチャー、八雲」
という場内アナウンスでツインテールがベンチを出ると大歓声。そして観客席にいる八雲様ファンクラブがトランペット、笛、太鼓で勇壮なファンファーレを奏でた。ちなみに観客席の左3割が会員達。世も末だ。
「八雲様〜!!」
の大合唱と共に客席で揺れる大きな横断幕には
”ツインテールの名の下に”
お前ら病気だろ。あまりの熱狂振りに主審もモヒカン投手も変な汗をかき始めている。マリサが横断幕に向かって100万ドルの笑顔で手を振れば割れんばかりの大歓声。そして右バッターボックスに入って真っ白なバットを構える。
「こらクソモヒカンがストライク投げやがったらピー(放送禁止)」
「ボケこら下等生物が八雲様と同じ空気吸いやがってテメェのケツピー(放送禁止)」
ひどい野次だどっちが武装高校か分からなくなってきた。モヒカンは半泣きの状態で第一球を投じた。するとマリサ初球フルスウィング
”パン!”
快音ならぬ怪音を響かせて場内は水を打ったように静まり返った。ポンとマリサがバットを捨てると木製バットの先端部が箒のように割れており、その先に落ちたのはかつてボールだった皮と繊維質の何かがナポリタンのようになっている。マリサがそのまま快速を飛ばして1塁へ向かえば我に返った審判が
「フ、フェア!」
の声に慌ててモヒカン内野手達がマウンド付近に猛ダッシュしてボールの残骸をかき集めて……ってまぁ確かに”ボール”はフェアゾーンだよな。
「クソ! こんなんどれがボールか分かるかよ!」
「ああ違う違うこれはバットの木片じゃい!」
「この糸クズはそうか!?」
とか言ってる間にアッサリ2,3、本塁と回ってランニングホームラン一点先制。無茶苦茶や。大歓声とバックスクリーンにあがる花火を背にナインとハイタッチのマリサ。野球少年は石化してるのでヒロシが持ち上げてマリサとタッチ。そして三塁側の観客席で狂喜乱舞している”八雲様ファンクラブ”会員達におしとやかに歩み寄り
「私を応援してくださる皆様へ」
自分の髪留めを一つ外してポーンと投げ入れるとピラニアのように群がって”うおおおおおお”ってお前らキチガイか!
「2番セカンド、山之内」
「よっしゃ行ってこいやヨードーちゃん!」
ヒロシとコンと拳をつき合わせて出て行く美少女少年。ふふふ策士キョウタロウを敵に回したことを末代まで後悔させてくれるわ。このセクシーな2番打者が打席に入ると場内から”おおー”というどよめき。既にモヒカン投手もハートをがっちり鷲掴みにされて瞳をハートに変えるという人間離れした顔芸を披露している。よ〜しいいぞ。俺はパチンと指を鳴らして”第一次アシカ作戦”を発動。ヨードーちゃんはちらっと切れ長の目で俺を見てコクン。それからこの美少女少年は頬をピンク色に染め、キュっと小さく拳を作って口元に当て、伏せがちの目をモヒカン投手にゆっくりと向けて萌えボイスで
「初めてあった時から好きでした」
ブー! マウンドのモヒカンが薔薇色の噴水を鼻から巻き上げて沈没。よーし先発をマウンドから引き摺り下ろしたぞ。副作用でうちの右翼手アヤ先輩も鼻血を出して倒れてるが外野はミユキ先輩一人でも大丈夫だ。守りに入ったら定位置に寝かせておこう。
その後2人抜きしたヨードーちゃんだが3人目がガチ○モだったため色仕掛けが通じず、フルカウントまで粘るも最後はセカンドゴロに討ち取られた。
「いや〜すまんかったのう」
頭を掻きながらベンチに戻ってくるヨードーちゃんにベンチのナインから惜しみない拍手が送られた。一打席で3人も投手をKOしたのはたぶん君が初めてだよ。プー! という鼻血噴出音にマウンドを見れば三番の赤木先輩が歯をキラリとさせてガチホモヒカンを撃沈していた。素直に喜んでおこうか。
次のモヒカン投手で赤木先輩は快音を響かせたが飛んだ位置がアンラッキーで中直。次の打席で期待が出来そうだ。”どんまいどんまい”と皆に迎えられる赤木先輩に入れ替わって立ち上がったのは我らが不動の4番、武神ミユキ先輩。ツヤツヤの髪はやっぱりお手入れ万全。
「では行って来るぞ」
サラサラサラと髪を腕で流して静かにベンチを出た。この絶世の美女は一歩一歩歩むごとに桜花学園からも武装高校からも、そして八雲様ファンクラブからも恍惚の溜息を吐かせ、その美しさは主審と塁審の目を釘付けにし、しかしそんなことなぞ一切気に止めていないかのように観衆には目もくれず、上品な足取りで右バッターボックスに入った。スラっと背筋を伸ばし、穏やかに流れる風に長い髪を絹織物のように靡かせ
「始めようか」
目を細めて構えた
名刀、月下美人を。
世界遺産の街、日光を見守る並び地蔵のごとく石化して静まり返った観衆の中、カクテル光線を浴びてキラキラと輝いてる白刃を誇らしげに構えてるお姉様。俺はゆっくりとベンチから離れて歩み寄り、売れないピン芸人のようにポンと肩を叩いて陽気に明るく
「桶狭間でやれや〜」
しばらく。石化魔法が解け始めた観衆からチラホラと笑いが起きて来た。俺は煽るように
「あっはっはっはっは」
と乾いた笑いを大声であげて、観衆に辛くも笑いの渦を巻き起こすことに成功。
「い、今の突っ込みなかなか良かったぞ後宮97点やろう!」
ミユキ先輩はツボにがっつりハマったらしく俯いてお腹を抱えてピクピク肩を震わせている。言い忘れたがお姉様の笑いの沸点は常温でも気化するぐらい低い。
「こ、こで信長を持ってくるとは侮れんヤツだ後宮お前が副主将だくふふふ」
とか無駄な出世話を持ちかけつつも、もはや動けなくなっているお姉様をベンチまで回収。
「尾張の戦だけにもう終わりとな!」
とか座ったまま自己開発してまだ一人ドッカンドッカン来てるユキたんの肩をガクガクと揺すって再起動。するといつものクールな流し目で
「どうした後宮?」
立ち直りも早い。
「何がどうしたですか向こうの連中バカだから良かったもののまともな相手だったらセコムが飛んで来てますよ!」
「いやだってこっちの方が良く斬れるぞ? 作者不詳だが」
「そんな解説入りません野球のルール本当に把握してるんでしょうね!?」
「ああTVで何回か見てる。ボールを三人交代で斬るんだろ? 9回までに斬れなかったら勝負は持ち越しだ。残念だな」
そんな悲しいスポーツじゃないよ!!!
俺達は8人がかりでルールをミユキ先輩に5秒で叩き込み、物騒なアイテムは美月ちゃんに預けてもう一度ミユキ先輩を打席に送り込んだ。そして俺はミユキ先輩に”第2次アシカ作戦”を指示。朱色のバットを構えるお姉様に投じられた第一球。そこで作戦通り姿勢を低く落としたミユキ先輩。さーさーどなたも御覧あれ、これぞ武神にしか成し得ない究極の打法! 燃えろプロ野球直伝! その名も!
バントでホームラン
”カキーン!!”
「「「「ファミコンでやれやー!!!!」」」」
武装高校が絶叫する中ベースランニングを済ませてナインとタッチしていくお姉様。夜空に打ち上げられた花火はバックスクリーンに消えた本塁打ではなく約束された俺達の勝利を祝福しているようだった。