第4話:桜花健児が集うとき
桜花ホールの玄関で真っ白なソックスを履きながらお姉様は
「少し気分転換にコースを変えてみるか?」
”たまにはいつもと逆周りに走るのも良いんじゃないか?”と提案してきた。俺はスニーカーの紐を蝶々結びしながら”いいですね(どうでも)”と相槌打って
「でもそれは置いていきませんか?」
視線の先にはミユキ先輩の黒帯に差し込まれた朱塗りの鞘。名刀”月下美人”。学園から支給されているのかお姉様が持ち込んだ私物なのか今のとこ不明。俺の指摘に対してミユキ先輩は立ち上がって靴の踵をトントンとしながら
「乙女たるもの、一歩外に出れば10人の敵がいると言うじゃないか」
それは一戦交えろという意味では断じてないですよお姉様。
「腕がなるな」
マラソンはどうなった。
「遅れを取るなよ?」
「速度的な意味だと信じてます」
ていうかねユキたん。俺は隣でスラっと刀を抜いて
”最近は固いものを斬り過ぎたせいか腰が伸びているような……”とツツーっと指で刀身を撫でているミユキ先輩に
「一般ピープルに見られたら普通に通報されますよ。そうでなくても校長と学年主任が捕まったばかりなのに」
”自重してくださいよ”と溜息を吐けばカチンと納刀して腕組みし、俺を流し目で見ながら
「あんなのと私を一緒にするな。25人くらいまでなら何とかなる。心配するな」
「その発想が既に心配で仕方ないです。やっぱり物騒なものは置いていきましょう」
ていうか病院行きましょう。”時代錯誤とAランクの何かを併発してるよな絶対。連合弛緩とか?”アゴを摩りながら一人診断を続けているとお姉様は”そういうことか”と一人納得し、俺の方を向いて
「お前も一本差したいんだろ? 蔵に眠っているのを一振りやろう」
良かった重症患者だきっと保険もおりるぞ。
「下緒はついてないがこの通り帯に差せば問題ない」
大問題だよユキたん銃刀法を何かの食べ物だと思ってませんか。人差し指を立てながら得意げに
「伊勢の名刀工村正の作でな。小柄はついてないがあんなものは滅多に使わないから気にしなくていい」
ダメだ早く何とかしないと。
「もちろん斬れ味は保障するぞ。しかも波紋は互の目でお前にピッタリだ。完璧じゃないか良かったな」
そこでお姉様は腰に手を当てて可愛くニッコリ。
「体育会系だろ」
全然関係ない!
「本来なら値段のつけられない業物だが、まぁせっかく入ってくれた可愛い後輩だ。徳川に恐れられた妖刀が120万であなたのお手元に」
売りつけるのかよ! そこで突然バサっとミユキ先輩の背中に抱きついて来たのはショートヘアの女子高生。
「ユキたんげ〜っと」
と言いながらギュっとお姉様の首に細い腕を回しているこの人こそがシキの姉にしてヨードーちゃんの天敵、アヤ先輩である。本名は加納綾。青いフチの眼鏡とついつい目が行ってしまうグラマーな体型が特徴。
「ま〜た後宮君イジメてるの?」
危険物の押し売りにあってました。いつも通り”やっ”と女神のような笑顔を向けて毎度俺の鼻の下を引き伸ばす彼女、今のままでも相当な美人なのだが眼鏡を外したときの破壊力は凄まじいものがある。アヤ先輩は学園の朝に欠くことが出来ない美声ウグイス嬢であり、演劇部部長であり、見ての通りミユキ先輩の大の親友である。
「全く後輩がいるというのに、アヤは仕方ないな」
お姉様に苦笑されつつおぶられているアヤ先輩だが、彼女が持つ演劇部部長という肩書きはお姉様が腰に差している一振りと同様、伊達ではない。昨年の文化祭、そのスバ抜けた舞台演出能力でプロデュースされたお化け屋敷は来場者の6割を失神させ、完全無欠と言われている武神ミユキ先輩に”お化け嫌い”という唯一の弱点をトラウマとして刻み込み、そして生徒手帳に”桜祭り(文化祭のこと)の出し物で幽霊屋敷並びにそれに準じるものを禁す”の一行を加えさせたのだ。しかしながら彼女が本領を発揮するジャンルは決してホラーではない。表立っては言えないが”被害者は妹役のヨードーちゃん”ということだけ申し上げておこう。たっぷり行間を読んで大いに妄想を膨らませて欲しい。たぶん全部あたりだ。
「どうしたんだアヤ。部長が練習中に抜けていいのか?」
ミユキ先輩は自分の肩に小顔をのせてニコニコしているメガネ美人の頭を優しく撫でり撫でり。
「ちょっと外のホームセンターまで買出しに行こうと思ってさ。小道具に使う塗料が切れちゃって」
と言いつつクンクンと子犬のようにミユキ先輩の髪の匂いを嗅いでいる。きっとフローラルな香りがするんだろうな。
「それなら私が付き添ってやろう。最近は武装高校の生徒がその近辺にたむろしているからな」
そういえば以前にミユキ先輩も絡まれてたよな。もちろん結果はご想像通り。お姉様はアヤ先輩を負ぶったまま俺の方を向いて
「後宮もそれでいいか?」
小首を傾げて返事を促がすのは”はい”を待っているというサインだ。地獄の外周がなくなるというのに文句があろうはずが無い。俺は大きく頷いて
「もちろんです。人の役に立っての武道ですから」
3人仲良く西日の差しているグランドに出れば予想外の光景。シロクマのヒロシが赤いバスケのユニフォームを着て立っていてその前には目を擦りながら泣いてる丸坊主頭の生徒が1人。見たところ後輩のようだが
「あのユニって野球部員の子よね? どうしたのかな?」
アヤ先輩が言い終わる前に俺はヒロシの方に走って行って
「お〜い何してるんだヒグマ久しぶりに人でも襲って食おうってのか?」
ヒロシが俺に気付いて
「キョウか、ちょうど良かった。ちょっと聞いて欲しいんだがな」
”ほら、もういい加減泣くのやめとけ”とヒロシにポンポンと背中を叩かれて顔をあげた彼の目は泣き腫らして真っ赤。少々込み入った話があるかもしれないな。俺はとりあえず刈り込まれた頭をゾリゾリと撫でながら
「お兄ちゃんに相談してみるといいぞ。彼女紹介してくれとか以外ならだいたい何とか出来る」
と促がした。彼が嗚咽を堪えながら話した内容をかいつまんで言えば以下のようなものだ。月に一回の割合で桜花学園と武装高校は野球部同士交流試合を行っているのだが、試合に出場するメンバーを含めた部員20数名が今日の放課後、突然体調を崩して病院に運ばれたと言うのだ。お姉様は腕組みして
「それはひどいな。いったい何があったんだ?」
彼は目に涙を溜めながら”実は”と切り出して
「料理部にいるすごく美人でオレンジ色のリボンが似合ってるポニーテールの先輩がクッキーの差し入れを」
ごめんなさい! 野球部の皆さんごめんなさい! 事情が読めすぎた俺は一人マンハッタンに聳え立つ自由の女神の如く石化。
「おいどうしたキョウ、エメラルドグリーンとか顔色悪すぎるぞ」
「いや失敬。あまりにショックなことがあって自由と民主主義を一人訴えていたよ」
”それで〜”と俺は自分でも聞きたくないことを
「どのくらいお召し上がりになったのかな? 君の先輩達」
「バスケット4杯です」
「おいどうしたキョウ、黄金色とか顔色豪華過ぎるぞ」
「いや失敬、ショックとか通り越して崇高な気持ちになってたら奈良の東大寺に鎮座してたよ」
悟りを開きそうになってた頭を振るえば野球少年、
「それから食べ終わったら先輩達、急に白眼を向いて倒れてこんなこと言ったんです」
グスンと鼻をススってから
「”家族のパソでこっそりサンプル動画落として見て〜〜証拠隠滅して安心してたら〜〜夜中に親父が【最近使ったファイル】見てた〜〜〜”」
「「あると思います!!」」
「どうした後宮&紅枝?」
「「いえいえいえいえ!」」
あるあるネタを吟じられてつい反応してしまった。皆も言ってくれた?
ともかくそういうわけで今回はメンバーが全く足りず、このままでは桜花学園の不戦敗ということになるらしい。”一戦くらい良いんじゃないか?”と聞いてみたら、今回の試合は特別なもののようでこの少年は”何が何でも負けるわけにはいかないんです”と涙をこぼして主張するのだ。
「これがその理由なんです」
野球少年はポケットからゴソゴソと手紙を出して俺たちの前に広げてそこには
”ぐふふ俺の名前は大山ふとし”
「すいません間違えましたこっちです」
見なかったことにしよう。カサカサと広げられたもう一通の手紙、その内容をダイジェストで申し上げると今日の試合、お互いが使用権を主張している大きなグランドの権利書が賭かっているのだそうだ。賭け試合といえば聞こえは良くないが争いの決着をスポーツでつけるというのはなかなか良しと思う俺。ところで元々そこは桜花学園が所有管理していたらしいが、本学園の好意で武装高校の野球部員にも使用を認めていたところ、いつのまにやらそれが”武装高校のものだっぺや!”という拡大解釈が彼らによって行われたようだ。これが本当なら実に厚かましい話だな。起源のすり替え主張は国際問題だけで充分だ。
「無理を承知でお願いします! どうか力を貸してください!」
と俺たちに深く頭を下げているのはまだ中学1年生。小学校からあがりたてのホヤホヤじゃないか。それに悪気はないにせよクラスメイトならぬ俺の将来のフィアンセ最有力候補の人が起こしたことだからな。まぁ、そんなわけでこの少年がお願いしてるのはメンバーの穴埋め。野球のルール上、人数は最低でも
「9人必要なんだよな〜」
俺は腕組みして目を閉じて、というフリだけして右目だけを開けてヒロシの様子を伺った。彼は”ん〜”とか何とか言いながらもバッティングフォームをとっている。まずは1人、いや俺を含めて2人か。
「良いだろう。協力しよう」
サラサラサとスーパーロングの髪を腕で流しながらミユキ先輩。武神参戦だ。そのままお姉様は懐から携帯を取り出して
「……もしもし、赤木か。部活を早めに切り上げて桜花ホールの玄関まで来てくれないか? ありがとう。助かる」
と言って携帯をパチンと閉じた。空手部主将の参戦である。彼については後ほど。これで4人。そこで俺も思いついて携帯を取り出してピポパ。呼び出し音がなって0・5秒。
「もしもしキョウ? なになに俺の声が聞きたかったの? も〜練習中にしょうがないんだから放課後の教室に呼び出してドキドキしながら言いたいことでもあるなら言いなさいよイエスって言ってあげるから心配しないで」
「明日脳神経外科一緒に行こうなマリサ。それと今日の夕方空いてないか?」
「あ〜みっちり詰まってるけど一緒に帰って夜景の綺麗なレストランでキラキラ光る石の乗った指輪をプレゼントしながら言いたいことでもあるならオールキャンセルして行ってあげてもいいわよ答えはイエスよ」
「明日精神科一緒に行こうなマリサ。確かに大事な用事があるからオールキャンセ」
そこでミユキ先輩が俺から携帯を奪って
「もしもし八雲か。園田だ」
ミユキ先輩は簡潔に今日のイベントを伝えて
「どうだ? ……そこを何とか頼めないか? よしそれなら後宮を1日レンタルでどうだ」
何で人身売買何で人身売! 俺が携帯を取り上げようとしたらヒロシがツキノワグマの様な太い腕で羽交い絞めにして
「まぁ大儀のための小悪じゃないか。後輩のために人肌脱いでやれキョウタロウ君」
とヒロシに拘束されているそばで聞こえてくる”一晩””手錠””目隠し”という不穏な単語の数々にキョウタロウ君の脳内は世界恐慌。
「ん? ああ別に構わないが」
お姉様は一度携帯を伏せるとモナリザのような穏やかな笑顔で石化してる俺の喉元に人差し指と親指を当て、尺取虫のようにそれを”ひい、ふう、みい……”と動かして首の周りを測るように巡ってからまた携帯を耳に当てて
「それで足りると思うぞ。後は鎖とライターで良いんだな?」
何の話ですか!?!?!?
「よし取引成立だ」
クーリングオフ! クーリングオフ! 無情にも携帯はピっと切られて俺の胴着に差し込まれた。
「ふふふ。これってまさに天が与えた好機よね」
振り返れば笑顔のアヤ先輩。
「アタシさ、とっておきの助っ人知ってるわ」
ギュっと握りこぶしを作って自信満々にそう言うとそのまま校舎の方に駆け出して行った。
「お、おいアヤどこに行くんだ?」
ミユキ先輩の問いに一度だけ振り返ってビっ!と親指を立て
「説得よ説得! そのグランドの場所ならアタシ知ってるから先に行ってて!」
夕日に影を長く伸ばしながらアヤ先輩は校舎のほうへ軽快に走って行った。謎の助っ人を入れて6人。あと3人か。しばらくアヤ先輩の背中を見送っていたがやがてお姉様は振り返って
「あと2人か。他に戦力になりそうなのいるか?」
俺は腕組みして”う〜ん俺が誘えるのは後シキとヨードーだけですけど”っと考え込んでふと気づいて
「2人? 3人じゃないんですか?」
と言えばお姉様は指を折りながら
「後宮だろ、紅枝だろ、八雲だろ、それから私に赤木、アヤとアヤの連れてくる誰かだ。これで7人いるじゃないか」
アヤ先輩演劇部でしょ? 大丈夫なんですか? 俺の疑わしい視線に気づいていないミユキ先輩は”まぁ緊急だから仕方ないか”と再びパチリと携帯を開いて
「もしもし美月か?」
呼ぶの美月ちゃん!? お姉様は事情を説明してOKを取り、続いて俺に
「山之内にも連絡を頼む」
「あいあいさ」
とピポパとコールをすれば
「もしもしヨードーちゃんのお姉様ですけど」
アヤ先輩が出た。気のせいか背後でヨードーちゃんの”もうお婿にいけない”とすすり泣く声が聞こえなくもないがきっと気のせいだろうなうん。こうして桜花学園のオールスターが再び揃うことと成った。これが後に武装高校との全面対決の引き鉄になるとは誰も予想しなかっただろうな。