第3話:起爆装置
5時現目の授業開始時間から既に40分。未だ教師が来ていないこのクラスは”休みなのか?”とテンションをあげる時期をとうに通り過ぎて”休みだな”と既に自己完結している。委員長であるヒロシがパンパンと手を叩いて場を鎮める必要もないのだが、美月ちゃんクッキーの余韻でさっきから机に突っ伏している彼は今現在
「逃げる奴はベトコンだ! 逃げない奴は良く訓練されたベトコンだ!」
と呻いており、どうやら時空を超えて1970年当たりのベトナムで南北統一を巡って戦っているらしい。三途の川を越えてからどういた経緯で米軍海兵隊へ入隊したのか俺の知るところではないが、ヒロシよどうか無事に帰還して欲しい。そこで”ガラガラガラ”と扉が開いた。コツコツとハイヒールの音を立ててロングウルフの艶やかな髪を揺らしながら入って来たのは黒のレディーススーツを着た女性。メガネがとっても良く似合っている知的美人だ。あと若い。
「簡単さ! 動きがのろいからな!」
まだあっちの世界で戦っているヒロシに代わって副委員長の美月ちゃんが
「起立」
ガタガタガタガタ
「気をつけ」
ビシ!
「お母さん!?」
全員がコケた! 直後にクラスからどよめき。ぶつけた頭を摩りながら見れば黒板の前に立っているどこかの社長秘書みたいな美人が
「ふふふふ美月気付くの遅いじゃない」
口元に手を当てて笑っている。いやいやどういうことよ!? 皆の視線が美月ちゃんに集中して
「あの、えっと、その、私も知らなくて」
と手をサカサカ動かしてパニックになっているああ可愛い。しかしこれは重大ニュースじゃないか! 俺は今も戦場でM16を片手に死線を潜っているであろうシロクマの肩を揺すって
「起きろヒロシ帰って来い! すごいことになってるぞ!」
「まだ戦えますSir! 俺の愛銃は無敵ですSir!」
ベトナム共産化防止に燃えているようです。
「美月ちゃんの美人ママと南ベトナムどっちを選ぶ?」
「ハートマン軍曹失礼します!」
ムクリと蘇生したヒロシ。戦線を離脱してきたようだ。ヒロシと一緒に前を見れば美月ちゃんママは黒板に綺麗な字で
”園田 利江”
と書いて振り向いた。
「今日から当分の間、紅枝先生に代わって英語を担当することになった園田です。皆さん宜しくお願いしますね」
「「「「お願いしま〜す!」」」」
「親子どんぶり最高」
教壇の後ろに立っているのは美月ちゃんをまんま大人にしたような超美人。色白の肌によく映える真っ赤な口紅、金フチの奥に覗くのは微かに幼さを残すものの大人びた優しい目、スタイルは大人の女性ならではのダイナマイト、まさに芸術品である……ってちょっと待て。紅枝先生ってつまり……。そこでマリサが挙手して美月ちゃんママが”どうぞ”と頷く。
「紅枝先生は留置所でしょうか?」
もう少し担任を信頼しても良いと思う。美月ちゃんママは
「今回はそういうのじゃないのよ、安心して」
とニッコリ。実はうちのクラス担任は本学園で英語を教えているヒロシの親父であり、先程のマリサのセリフから推測できる通り少々個性的な人なのだ。
美月ちゃんママはそれから自分がここに来た理由について説明を始めた。かいつまんで言えば
”武装高校と桜花学園で一ヶ月間、教師を交換して見ないか?”
という話が両校の校長同士で進められていたようだ。
「私がここに来たのは以上の理由からです」
とニッコリ。大人の魅力全開だ、いやちょっと待て今の話だと
「つまり園田先生は武装高校で教師をされているんですか?」
クラスメイトの気持ちを代弁してくれたのはシキだ。それに対して美月ちゃんママはクイとメガネのフレームを指であげて
「メガネ男子って先生すごく良いと思うの。しかも草食系ねアナタ」
答えになってなかった。シキは頭をポリポリと掻きながら
「まぁ、どちらかと言えばベジタリアンですね」
意味を分かってなかった。というか先にここは聞いておくべきことがあるんじゃないのか。どういった事情があるか知らないが初日から40分以上も遅刻して来るとかヴィップも良い所だ。”委員長、お前聞いてみるといい”とシロクマに目配せすると彼はウムと頷いて挙手。”どうぞ”と美月ちゃんママに発言を許可されて立ち上がって
「貴様のケツは海兵隊のものだ分かったか豚ムスぐふ」
危ない危ない股間にスーパーデコピンを放って発言阻止、これだから戦場帰りは怖い。口から弱酸性の泡を生成して机でヒクついてるヒロシに代わって
「先生遅刻ですよね」
男は直球勝負だ。先生はニッコリして
「だからなんですか」
投手ライナーが返って来た。後になって俺達は美月ちゃんママの正体を知ることとなる。
「そろそろ真剣を使ったトレーニングも加えてみようと思うがどうだろうか」
「奇跡に等しい確率で入ってきた部員の命を危険に晒すのはいかがなものかと思います」
柔道場、ミユキ先輩と胴着姿で向かい合って恒例の簡易ミーティング。未だ建設的な意見はなし。
「しかしこう考えて見ろ」
お姉様はツヤツヤの髪をサラサラと腕で流して
「命のやり取りという桧舞台で真剣を交えて華麗に火花を散らし、後宮が武士として名誉の戦死を遂げたとしたらそれはもう末代まで称えられると思わないか」
どうして事故死をオススメされてるのでしょうか。
「いくら美化しても今の時代チャンバラしてて人生オワタとか末代までの恥にしかなりません」
”そしたらまた廃部の危機ですね”と溜息を吐けばお姉様、腕組みして
「それが1番困るな。やはり通常のメニューで行こうか」
「そうしましょう。あと出来れば2番目に困ってくださいそれ」
俺の命は部活の次ということを確認し、広い柔道場で二人きりの練習が始まった。ミユキ先輩は体が柔らかく、柔軟体操の前屈で”あ”〜”とか言いながら自分の爪先を触ろうとしている俺の隣で頭をヒザにペタ。開脚すれば股関節が畳にペタ。そのまま体を左右に倒せばヒザに脇腹がピタッ、ピタ。依然として”あ”〜”とか”う”〜”とか悪魔のような声をあげている俺を見かねたのかミユキ先輩、
「少し手伝ってやるか」
と前後開脚の姿勢を解いて立ち上がり、畳に座って”ボアー”と爪先を掴もうと小刻みに震えている俺の前に来て両手をギュっと掴んだかと思えば足を足で固定して後ろに倒れこん……
「ッアーイ!!」
柔道場はグランドの隅に建てられた円筒形の建物”桜花ホール”の一階にある。外装が桜花にちなんでピンク色に塗られているここには柔道場の他、同じく一階に演劇部部室、2階に美月ちゃん所属の料理部、最上階である3階には演劇部発表や卒業式など各種セレモニーで使用される大きな舞台があるのだ。さて俺は今、受身一式、筋トレを終え、外周に備えて束の間の休憩。桜花ホールの玄関に設置されたウォータークーラのペダルを踏んでガバガバと水分補給をしている。そこへ”カチャリ”と柔道場の隣にある演劇部部室の扉を開けて出てきたのは白のエプロンドレスを着た可愛いメイドさん。俺を認めると両手を体の前で組んでニッコリ。
「精が出るの、キョウ」
この可愛い笑顔に騙されてはいけない、彼はヨードーちゃんだ。俺は胴着の裾で口を拭い、
「あまりその格好で出歩いちゃだめだぞ? 俺達ならまだしも、ヨードーちゃんのことを知らない男子生徒がその格好見たらとんでもないことになるからな」
と言えばこのセクシーメイドさん、シュンと俯いて
「やっぱり、ワシには似合わんかのう」
タチが悪いことこの上ない。時給2500円という破格でメイド喫茶のホールスタッフを任されているヨードーちゃん、一度その理由を鏡の前で確認するといいよ。”フーッ”と溜息を吐いた。ここで少し彼にまつわる最近の出来事を話そうと思う。
入部してから二日目の朝連の時だ。休憩時間がヨードーちゃんと重なって玄関でバッタリ遭遇。衣装合わせの最中だったようで彼は今日と同じくエプロンドレスをヒラヒラとさせながら歩み寄って来た。そして俺に
「ちょっと新調したヌーブラの様子を見てくれんかのう?」
という男同士では稀な相談事を持ちかけてきた。俺は少しでも休憩時間を増やす口実が欲しかったので
「よし、ご主人様がさっくりチェックしようか」
ノリノリで同意し、どれどれとドレスの上から胸を触って……おお!
10分後。
「ふーむ俺は本物を触ったことは一度もないがしかしもし、美月ちゃんあたりに腕でも抱かれて上腕二頭筋にこの感触があれば確実に桃源郷に行けるぞ。少なくともあの隠れ貧乳妖怪パットガールマリリンなんかと大違いだ」
止血の鼻ティッシュを装着しながらコンコンと感想を述べているといつの間にかヨードーちゃんが消えていた。ふと足元を見ればチョコンと俺の前に正座している。
「なんばしとっと?」
と問いかけたら顔をそっとあげたヨードーちゃん、濡れた瞳に頬は紅潮、微かに乱れている吐息、さっきのヌーブラチェックでやや乱れている胸元と相まって危険度マックス。その壮絶な可愛さとセクシーさに心臓が瞬く間に高鳴った。それからこの美少女少年はさも濡れているかのようにエプロンの裾で口元をスっと拭って上目遣いのまま
「……気持ちよかったですかご主人様?」
いつの間にそんな危険なお遊戯覚えたのヨードーちゃん演劇でこんなこと絶対教えないよねお兄ちゃん大喜び! じゃなくてここは親友として道を誤る前にガツンと言わないといけないぞキョウタロウ!
(真のメイドさんたるもの清楚でなければならん!)
「そのまま奉仕を続けなさい」
「はいご主人様」
キョウタロウくん最低! 今意図的に脳内と現実のセリフ入れ替えただろ! いくら彼女いない歴 = 人生だからって男の子に走っちゃダメだろ! いくら可愛くてセクシーで従順でメイドさんだからってそれならいいかなハァハァ……と、そこで俺はようやくヨードーちゃんの役者魂に火がついていることに気付いた即ち、それは観衆の存在を意味するのだ。フリーザ様のスカウターを破損させるほどの凄まじい殺気を感じて周囲を見渡せば桜花ホールの玄関入口でリミットブレイクしているブルマのマリサ嬢。朝練、誠にご苦労である。
なんでお前がおるねん。
ヨードーちゃんのみならず練習抜けて来た俺だって息は程よく荒いし、お顔は火照って真っ赤っか。トドメはお茶目なデュアル鼻ティッシュこれどうみても変態ですねっあっはっはっは。
出来すぎだろこのシチュエーション!
颯爽とはためく死亡フラグの前に俺はもはや弁解の余地がございません。この危機を救えるのは君だけだよヨードーちゃん! 俺は未だ濡れた瞳で見上げているセクシーメイドさんにアイコンタクト。
”気の利いた一言をよろしく!”
必死の懇願。意思が通じたのかゆっくりコクンと頷くヨードーちゃん。頼むぞうまくやってくれ! 気を利かせてこのとんでもない誤解を……
「手に出した方がいいですか?」
”気”違いもいいとこでした。
その後マリサに半殺しにされたことは言うまでもない。
休憩時間を終えてミユキ先輩が道場から出てくるとヨードーちゃんは
「それじゃぁまた後で」
天真爛漫な笑みで手を振り、クルっと向きを変えて部室の方に戻っていった。前はもちろんだが後姿も完璧な女の子。世の中うまく出来てないよな。