レコードフォルダーと聞きつけて、私がきた。
「一字一円作家ゲームをする」
私は一字一円の生活をしている作家である。
古今東西あらゆる物語を滑りながら、一人暮らす中で、息抜き程度に始めた作家という職だったのだが、やってみると意外に面白く、なんだか自身の天職に思えた。
と、これが作家になったなんとも普通の経緯である。
そして今日もたわいない時間と、片手間に執筆をしている。
こうのんのんとした日々を過ごす中で、やはり思うのは、平和っていいな、といいことと、自分の人生はほんとに、面白みのない人生を歩んでいるなという、心のゆとりがありあまる故の幸ある想像であった。
そして心情がクリアな今日が始まった。
まずどうしようと考えた。
そして慣れた手つきでネットを徘徊する。
そこで見つけたのが、レコードフォルダーというものだった。
これはゲームやアニメをどれだけ見たかを競うものらしい。
暇な私にはうってつけだ、早速レコードフォルダーを作った。
そして誰もが知る動画配信サービス、赤箱でゲームを見て。
プレイリストに追加していく。
どんどんフォルダーが溜まっていく。
ただこれだけのことなのだが、競う相手がいるとなると、燃えるというものだ。
まずトップの者が一万ものレコードを誇っていた。
これは強い、なんという強さだ、と称える気持ちと、追い抜かしてやりたいという、暇だからこそ思い至れる、漠然とした自信があった。
そしていざスケジュールを立てた
1日9本のゲームを見れば、三年で一万のレコードに届くという計画だ。
そしていざゲームに明け暮れる日々へ突入した。
まずゲームをしすぎて問題になった事案から見ることにした。
何事も、する前には安全を踏まえた準備が必要だと、刑務官に教わったからである。
そしてゲーム脳というのがあることを知った。
これはゲームと現実の区別がつかなくなるものらしい。
どうにもこれは怖いと思った。
今いる10000を誇っている人は、大丈夫なのだろうかと思った。
だが、相手はトップクラスのフォロワー数と、厚い信頼の壁で守られているため、私のコメントには耳も貸さないだろう。
とにかく私はアプローチを日々かけるのと、それなりにレコードを刻み、意識してもらうことにした。
まずはトップクラスの"いづな"さんに挨拶を日々欠かさず、行った。
しかし数千というコメントの中の、わずか一つに過ぎないため、目にとまることは、なさそうでもないが、しかしまー、とにかく行おう。
そしていづなさん大丈夫かなという不安を横目に1日目が過ぎた。
レコードはノルマ通りこなし、そして気づいた。
これかなりしんどいと。
私はかれこれ数多のアニメを見ていて、見ることには長けていたが、しかしゲームは見方が大きく違う。
まずアニメの場合なら、シーンが切り替わることで、話がテンポよく進む。
しかしゲームは一つのミッションがものすごく長くあり、かつ単調なのである。
アイテムを拾う、アイテムを使う、敵が出る、敵を倒す。と大半のフレームインの時間が、そういう敵を倒すもしくはアイテム収集なのである。
私はストーリーを求める分、これは続けられるか心配であった。
しかしいづなさんという、三年以上ゲームに邁進したゲーム界のレジェンドオブヒーローもいるし、その人とお近づきになれば、なにかと役立つのではないのかと思った。
ゲームのさらなる見方や、さらなる活用法を知れるのではないかと思った。
私はストイックな性格なため、一度やると決めたら、必ず成す、だから自信はあった。
そしてプレイ時間=名誉という単純な思想理念をより学ぶべく、ふたたび画面に向かう。
二日目となった。
ゲームにおいて、新たに気づいたのが、経験値システムというものだった。
敵を倒すごとに経験値が入り、一定以上たまると、レベルアップするというシステムである。
これはかなり汎用性の高いものだとおもった。
まずこれを私の私生活に取り入れることにしてみた。
1日の中で多くのことをこなすほど、経験値が入るという仕組みを家事や食事に取り入れた。
朝起きる
布団をたたむ
顔を洗う
髭を剃る
着替える
食事をとる
掃除機をかける
と、私の生活をあげてみればこれくらいほどしか行動範囲がない。
重きを家に置いているため、やはりすべきことは限られてて、いざそれを真に考えてみると、実に自由の多さに気づく。
そして時は過ぎ三日目
今現在思えることは、飽きであった。
三日坊主になりそうであった。
なぜかといえば、ゲームの真理に気づいてしまったからである。
そうゲームとは、単にできないことができるから面白いという、いわゆる、想像的快楽でしかないからだ。
しかし世には七つの大罪とは打って変わった、知識欲というのものがあるらしく。
東大生やハーバードの皆はきっと、新たな概念や、思想や、理念に、脳内にアドレナリンが生まれ、脳内トリップし楽しむことができるのだろう。
しかし私には脳内トリップできるほど、想像力がたくましくなく。
あるとすれば、普通に考え、瞬間的に喜怒哀楽が生まれるという、ナウな思考だけだ。
結果論として、ゲームにのめり込めずにいた。
そしたふたたび時は過ぎ、四日目
朝起きて、1日のすべきことのチェックボックスを埋めていく。
そしてゲームの時間になる。
やはり、このまま三年間、このようなことをずっと続けるのかと思うと、なんだか気が遠くなる。
これはやはりゲームをしている場合ではないのではないか、と思い立つ。
しかしここでやめても、作家としての家業しか残らず、暇であることあ間違いない、
何より、作家の方も進んでいないのだ。
ともかく今回はここまで。