<18>高校二年生最後
休みの日ってなんか、一日が終わるの早くない?
そんなあなたはこれを読んで時間を使おう!
冬休みが終わり、三学期を迎えた。二学期同様別に学期が変わったところで何があるわけでもない。
まあ、三学期に関して言うならば、これでこのクラス、クラスメイトとは最後になると言うことだろうか。
「…………」
俺って友達いないから、特に寂しいとかこれで終わりかーって言う気持ちとかないんだよね。
だって、大した思いでないもん。プライベートではいろいろあったけど、学校に関しては全く言っていいほどない! これがボッチの一年間だ。
なので、三学期も適当に過ごしていこうと思う。
この三学期が終われば俺も優奈も三年生になるわけだよな。
高校最後の年でもあり、人によっては学生という身分でいられる最後の年でもあるわけだよな。
つまり、いよいよ本格的に進路を決めていかなくてはいけないわけだ。
みんなも知っての通り、進路は二通りある。
一つは進学――つまり、大学または専門学校に行くことである。勉学の延長線。最後の学生生活。
もう一つは就職――つまり、社会に出て働くことである。人間関係の延長線。社会の荒波にもまれること。
どちらを選んでも正解でもなかったら間違いでもない。君の好きなようにしたらいい。これな先生からみんなに向けたありがたい言葉である。
確かにどちらを選ぶかはその人次第で、どちらがいいかなんて分からない。
結局――進学を選んでも二年後、四年後にはみんな社会に出るわけで、最終的にはみんな同じ地点にいるわけだ。
いやまあ、社会人歴の違いはあるけどさ。
「俺は、どうしようかな……」
「何がどうしたの?」
「んー、いや。三年生になったら進学を決めなきゃいけないじゃん? それをどうしよかなって思ってさ」
「どうしても決められなかったり、他にしたいことができたときは私があきくんを養ってあげるから大丈夫だよ」
「俺がダメ人間になっても?」
「あきくんがダメ人間になっても」
なんか前にもこんな会話をした覚えがあるな。昼休みに、屋上で弁当を食べて優奈の膝枕で寝ているときに――
『もし、もしもさ俺がこれ以上ダメ人間になって将来働かなかったらどうする』
『私が一生養ってお世話する!』
今の言葉もそうだが、あのときの言葉も本当だろうか。昔の言葉も――
人を養うのはなかなか大変だと思う。それがお金持ちとか、株が成功したり、宝くじが当たったりしたら余裕かも知れないが、そんなうまい話があるわけない。起こるわけがない。
はぁ~……やっぱり、ちゃんと進路を決めなきゃな。
学生でも社会人でも面倒なものは一緒何だろうな。生きるって面倒だ。
「あきくんは、夢とかやりたいことはないの?」
「夢? 夢ねー……」
別にないわけではない。一つだけやってみたい、なってみたいものはある。
でも、それは俺には無理だと思っている。才能がないし、一度挫折している。
そうやって考えれば、夢はなくなるな。
「ないかもな。優奈はどうなの? 夢とかあるの?」
「私は昔から変わらないよ。あきくんのお嫁さになること」
「このままいけば、叶いそうな夢だな」
「叶いそうじゃなくて、叶えるよ」
「そっか」
「うん」
叶える、か。優奈はすごいな。今は順調に関係を築いていってるけど、もしかしたら、どこかでふとした瞬間にこの関係が崩れるかも知れないし、終わるかもしれない。それでも、叶えると言いきるとはすごいことだと思う。
やっぱり、もう一度挑戦してみようかな。またやって、無理だったそのときは優奈に慰めてもらおう。あはは、完全に優奈頼りにしてるな。
「やっぱり、夢あったよ」
「そっか。その夢は叶いそう?」
「わかんない……けど、やってみるよ」
「うん。もし、ダメだったら私がいっぱい慰めてあげる」
「ありがとう」
そして、俺の夢への挑戦は始まった。
いつの日かは今日だった件。
なんか、閑話を書いたついで書けた。まあ、文字数は少ないけど、読んでくれてありがとう!
では、またいつの日か。