古代生物の脅威
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「よっ……と!」
何度も手作りの石斧を叩き付けていると、バキリと鍵の部分が壊れた。これでこのトランクも開けられる。
昨晩、岩場から取ってきた石を幾つか使って石斧と石のナイフを作った。黒曜石なんてものは無かったので、本当に只の石で出来ている。おかげて加工には苦労した。
中々思い通りに刃物らしい形にならない上に、砕けにくくて加工しづらい。それでもなんとかそれっぽい形になったところで、サルナシの蔓を利用して丈夫そうな棒きれに固定させた。
「ええと………これは、デザインナイフ? 変なもの持ってる奴も居るんだな」
昨晩のあの出来事があってから、浜辺に沿って歩いてきたところ、最初に自分が流れ着いていたこの場所まで戻ってきた。思っていたよりも、広い範囲を探索していた訳では無いらしい。森に入って、ある程度進んでからぐるっと一周してきたような感覚で合っているだろう。
「替刃もあるし一応持っとくか………お、爪切りか。爪切り………爪が剥がれたりしたらやだもんな、これも持ってっとこう」
現在は、開けられていなかったトランクの鍵を壊して無理矢理開いて中を見ている。主に集めるものは自分の力じゃ作れないような刃物や容器だったりが中心だ。
既にカッターを持ってはいるが、如何せん強度が足りない。刃は脆いし、薄いのでぐねぐね曲がる。むしろそれが良い場面も多いのだが、そうでは困る場面もまた多々ある。
「つーか腹へったな。朝食に何かとるか」
太陽も昇ってきてもうすっかり朝の時間だ。今日も綺麗な青空が広がっているし、海もリゾート地みたいに蒼く澄んだ水色で光輝いている。ずっと見ていたら頭がクラクラしてきそうだ。
昨日はろくに眠れていないので眠いし、食事も充分に取れていないので調子が悪い。それでもって朝っぱらから石斧なんか振るってるから体力もガンガン削られる。何か食べられるものを手に入れないとこれから活動するのも辛い。
「んんー………岩場まで戻るか」
少し考えて岩場まで歩いて戻る事にした。
昨日発見した岩場までは歩いて15分ほどの近いところにある。太田がもしかしたらまだ居るかもしれないが、二人での行動を止めただけで別に協力するつもりも予定も無いから関係ない。
とにかく飯だ。動くためには飯がいる。
「居ないな…………意外だ」
しばらく歩いて昨晩の岩場に到着したが、太田は既にここには居なくなっていた。失敗作の石のナイフは無くなり、切れた蔦が木陰に落ちている。
あの太田の事だから、森の中の至るところに棲息しているだろう古代生物を恐れて動こうとはしないだろうと考えていたが、意外にも太田は既に森の探索を始めたらしい。
「まぁ良いか。さっさと俺も飯食って探索に行かないとな」
今日は昨日とは違って朝から晩までの長時間の探索を行うことが出来る。なので今日は森の奥へと一直線に進んで、他の生存者の捜索及び日本に帰る為の手掛かりを探す予定だ。
岩場まで駆け寄ると、周囲に危険な生物が居ないかチェックをして海に近いところまで進んでいく。思っていた通りにそこは潮溜まりとなっており、小型の海洋生物たちがその中に沢山取り残されていた。
「三葉虫………お前こんな所に」
1センチ程度の小さな三葉虫たちが潮溜まりの中でゆったりと歩いたりぷかぷか浮いていたりしている。他にも大量の脚で水中を歩いているキモいのとか、岩影から獲物が来るのを待ち構えているイソギンチャクっぽい頭のキモいのとか、ウミウシっぽいキモいのとかが沢山居る。
キモいのばっかりだな。
どこかに食えそうなまともなのは居ないのかと目を凝らして捜していると、石の下から鋏が覗いているのが見えた。
じっくりとそれを観察すると、どうやらそれはワタリガニの一種らしい。やっと食えそうなまともな生き物を見つけた。
そいつが隠れていた石をそのまま下に押し付けて、逃げられないように潰してやると、ワタリガニはぐったりとして動かなくなった。突然潮溜まりの平穏が崩された事によって三葉虫や脚だらけのキモいのたちは蜘蛛の子を散らすようにして逃げていく。
動かなくなったワタリガニを捕まえてみると、大きさも申し分なくこれだけあれば少しは腹も持ちそうだ。火はまだ無いので火を通すことは出来ないが、これなら一応食べられそうだし良かった。これを食べ終わり次第、再び森の探索に行くとしよう。
――――ザァアアァアァァ
「随分奥まで来たな」
崖の上から水が流れ落ちてきている。そしてそれが滝壺を作り、これまで自分が沿って歩いてきていた小川へと続いていた。
カニを食べてから、海へと流れ込んでいる小川に沿って森の奥まで進んできたのだが、そこで見つけたのがこの滝だ。
落差は多少あるが、特別大きい滝でもない。流れが続いているのも小魚程度しか棲息していない浅い川だ。きっとこの崖の上で何本かの川に別れている内の一つなのだろう。
「崖の上へは………あそこから登れそうだな」
小川を渡って崖に沿って歩いていった先に、崖が途切れているのが見える。あそこからな上に登っていけるかもしれない。
次に目指すべき場所はあそこだと小川を飛び越え、崖と滝壺のある方向に向かって歩き始める。ところどころ腰ぐらいまで背のある草が生い茂り、風に吹かれてそよそよと揺れている。
「ん…………? 何だこの臭い」
ヘンな臭いがする。
ツンと鼻につく、何かが腐っているような臭いだ。
さっきまでは反対側の岸の滝壺のまわりに居たからわからなかったが、この近くから臭ってくる。
「一体どこから?」
辺りを見回すが、生き物の気配らしきものは感じられない。
その時、風に吹かれて揺れた草薮の中に、黒い何かがちらりと見えた。
多分、生き物では無い。
「…………何だ?」
恐る恐る近付いて、静かに草薮を手で押し退けた。
「うっ!」
中にあったそれを見て、思わず後ずさる。
だが、もう一度その草薮に近付いて、中にあったそれを確認した。
「大之木………」
草が揺れた時にちらりと見えた黒いものは、学ランだった。既に何者かに引き裂かれてボロボロになっているが。
それを着ていた人物もぐちゃぐちゃの肉塊になり、殆んどの部分の骨が剥き出しになっていた。ハエも集って変色も始まっており、正直彼の死体の横に学生証が落ちていなければこの死体が誰だかわからなかった。
「何があったんだ」
死体は何も答えない。
ただこの死体からわかることは事故や偶然ではなく、何かによって獲物として狙われ、殺されて、食われたという事。
――――――ガサガサッ
突然、草を掻き分けて何かが進んでくる音がした。
「ッ!」
素早く上体を起こし、音の鳴った方向へと視線を向ける。
「何だ………お前か」
「はぁはぁ…………ほー、じょ、くん」
そこには太田が肩で息をしながら立っていた。
彼もまた、森の中を探索をしてここに辿り着いたのだろう。
「太田、大之木が何か襲われて死んだらしい。ここに死体がある」
「そっか………大之木、くん、も」
「正直こいつには嫌な感情しかなかったが、死んで欲しいとまでは思ってなかったよ」
「そうだね……」
がっくりと肩を落とす太田。
その時、太田の着ていた学ランが破れて、肩が傷付き血を流していることに気付いた。何かに引っ掛かったとか、転んだとかではなく、何か引っ掻かれたような傷だ。
「太田? それ、一体………」
――――コァァァッ クコァァァァッ
「………何だ?」
「そんな! あいつらまだ追い掛けてきて―――」
「っ、太田伏せろ!」
「ゲァァァッ!」
咄嗟に太田は身を伏せ、その上半身があった場所を大きなトカゲがジャンプして通り過ぎた。太田を仕留め損ねたそのトカゲは俺の目の前に着地し、鳴き声をあげた。
「コァァァッ! コァァァッ!」
大きく開かれた口にズラリと並んだ鋭そうな牙。身体の殆んどは羽毛で被われていて、腕には未発達の羽がついている。そして、その手と足先には大きく湾曲した鉤爪があった。
「絶滅した筈の生き物が次から次へと………どうなってんだ」
――――バキッ!
「ギャッ!」
奇妙な鳴き声をあげて隙が出来たソイツに向かって石斧を振るう。石斧の先は顔面へと向けて吸い込まれるように打ち込まれ、ぐちゃりと目玉を潰しながらその身体をなぎ倒した。
「大之木を、殺したのは、お前、だな、糞野郎!」
――――ドスッ!ドスッ!ドスッ!ドスッ!
「アギャ! ァ………」
続けて頭部に向けて何度も石斧を振り下ろし、頭蓋骨を打ち砕いた。
流石のこいつもこれには耐えられずに、息絶えた。
「北条くん! まだ!」
「わかってる、立て! 走るぞ!」
太田を伴って崖の切れ目へと向かって走り始める。
――――コァァァッ! コァァァッ!
今度は別々の方向から声がする。やはり先程の奇妙な鳴き声は、仲間を呼ぶためのものだったのだ。いくつもの生き物の気配が此方に迫ってきているのを感じる。
「北条くん、あいつらヤバい! さっきも集団で襲われた!」
「わかってる! あれは『ドロマエオサウルス』だ!」
「映画で出てくるような『ラプトル』ってやつとは違うの!?」
「とりあえず噛む力だけなら『ヴェロキラプトル』の三倍はあるって説もあるやつだ、急げ!」
―――――ココココッ コァァァッ!
ガサガサと進行方向から7メートルほど右にある草薮が揺れた。先程見たものと同じシルエットが、草の隙間から見え隠れした。
「クソッ、もう来やがった! 太田、もっと速く走れ!」
「はぁ、も、限界、だよ」
「嘘だろ………あぁもう! 太田、走れ! 俺の事は気にするなよ!」
「ほー、じょ、くん!?」
「五月蝿い! 行け!」
一人立ち止まってポケットからカッターを取り出す。チキチキと音を立てながら、カッターの刃が大きく外に出された。
このまま太田を置いて逃げても良かったが、あの崖の切れ目までついた所で奴等が見逃してくれる訳が無い。余程の事が無い限り、走って逃げるだけの弱い人間という獲物をわざわざ捕り逃すなんて事はしないだろう。ここで逃げ切っても、執拗に追いかけ続けられる可能性もある。
だったら彼らを彼ら自身の判断で帰さなければならない。俺達を襲うことで得られるリターンよりもリスクの方を大きくしてやれば良い。
「コココッ、クァッ!」
「オラッ! そこッ!」
目の前の草むらから飛び出してきた一匹を、体勢を低くしてから頭部を石斧で下からかち上げてぶっ飛ばす。切れたドロマエオサウルスの皮の間からピピッと血が飛び散った。
「死ねェ!」
――――ゴスッ
振り上げた石斧を今度は振り下ろし、頭をかちあげられてふらついていたドロマエオサウルスの脳天をぶち抜く。まだ息はあるようでピクピクと痙攣していたが、それでその一匹は地面に倒れ伏した。
「コァァァッ! コァァァッ!」
「コァァァッ、コココッ!」
「二、匹!」
目の前から一匹、斜め前からもう一匹が飛び掛かってくる。咄嗟に振るった石斧は空を切った。
「クソッ、避けんな!」
「ギャッ、ギャッ!」
「コココッ、ココココッ!」
――――ブンッ! ヒュンッ!
振るわれる石斧とカッターに反応して飛び退く二匹のドロマエオサウルス。「クルルル」と喉を鳴らしながら、知性を孕んだ狂暴な瞳を此方に向けてくる。
不味い。一対一ならまだやりようがあったが、二匹ともなると難しい。しかも先に二匹がやられているのを見ているから、先程までのような油断はまずあり得ない。
「ココココッ! カカカッ!」
トスッ、トスッと枯れ葉を踏む軽快な音を響かせながら、更にもう一匹が別方向から現れた。
石斧とカッターの先を向けながらじりじりと距離をとる。三匹は此方の動きを警戒しながらも、周囲をぐるぐると回りながら距離を詰めてくる。ジリ貧だ。
「コガァッ!」
「っ、がっ!」
一匹に完全に真後ろを取られ、飛び掛かられた。咄嗟に振るった石斧はその身体に当たって、ヤツの身体を仰け反らせたが、残りの二匹が隙が出来たとばかりに組みついてくる。石斧は真後ろに居た一匹を殴り付けた時に、柄の部分から折れて壊れてしまった。
「うぐっ」
一匹に押し倒され、もう一匹が大きく口を開けて足に噛み付こうとしてくる。噛み付かれた足が骨ごと砕かれる想像が脳裏を過り、背筋に嫌な汗が流れた。
「だ、くそぉ!」
「ギャッ!」
のし掛かってくる一匹を両腕で止め、咄嗟に曲げた足を思い切り伸ばしてもう一匹を蹴っ飛ばした。が、のし掛かってきていた一匹が足の指を曲げて爪をめり込ませてきて、右足の太股に激痛が走る。
「あ"、がぁ………ぐぅっ!」
のし掛かったまま噛み付こうとしてくる奴を押さえ込んでいる腕にも、指先の鉤爪をくい込ませてくる。此方は学ランの生地が丈夫だったおかげで刺さるような事は無いが、締め付けてくるような痛みが走った。
視界がチカチカと明滅して、頭がクラクラする。一瞬力が抜けたのを悟られたのか、組ついてきていたのが大きく口を開いた。
死ぬ。殺される。食われる。
「………ぅ、がぁぁっ!」
カッターを握っていた右手をドロマエオサウルスから離し、左手を胴体ではなく大口を開いたドロマエオサウルスの首へ向けて伸ばして掴む。
先程蹴っ飛ばした一匹が体勢を立て直して再び噛み付こうとしてきたので、何度も足を動かして追い払う。
「コァァァッ!」
「ぁ"ぁ"あ"あ"あ"あ"!」
噛み付いてきたそいつの目へと向けて、カッターを思い切り突き刺した。ぶちゅり、と柔らかいものを潰したような感覚が手に伝わるが、構うことなく更に奥へとカッターの刃を捩じ込んだ。
「ゲァァァアァ! ア"ア"ァ"ア"ァ"ッ"!」
「ぐぅぅぁぁあぁあぁぁ!」
捩じ込んだカッターの刃を更にぐりぐりと回転させて中身を掻き回してやると、ドロマエオサウルスは体内に走る激痛からか暴れだす。腕を振り回し、足をばたばたと踏み鳴らす。頬を奴の指先の爪がかすって、細かな血が飛び散った。
「コァァァッ! クォァァッ!」
「ぐ、ぅ………ちくしょう、畜生!」
最初に石斧でぶん殴ってやった後方の一匹が復活して鳴き声をあげている。さっきから足をばたつかせて追い払い続けている一匹の方もまだ疲れは見えず、此方の体力が削られ続けるばかり。
詰みだ。
上に乗っているこいつを退かしても、前後を挟まれている。
「コォォォッ、コォォォッ!」
「ギャッ! ギャッ!」
完全に調子を取り戻した三匹目が襲い掛かってくる。
両手両足とも塞がり、もう防御する手段は無い。
このまま自分は頭を噛み砕かれて――――
「うおおおおおおっ!」
――――ドンッ!
「ァギャッ!」
今にも噛み付こうとしていたその一匹が、更に後ろから現れた巨体によって吹っ飛ばされた。比喩や例えでは無く、言葉通りにその身体は吹っ飛ばされた。
「あああああ! あああああああ!」
「クァッ、ココココッ! ココココッ!」
足に噛み付こうとしていた一匹がその巨体に威嚇しながら後ずさっていく。やっと余裕が出来た事により、上にのって暴れていた一匹を掴んで引き倒した。
引き倒したそいつの身体に跨がってのし掛かると、目に刺していたカッターを引き抜いて、今度は身体へと向けて何度も突き刺す。
「あ"ぁ"……はぁ、はぁ………死ね!」
「グゲァッ! ア"ッ! ギャッ! ゲッ!」
突き刺した場所からじわじわと血の赤い色が羽毛に染みていき、白かった羽毛は赤いまだら模様になる。
更に腕の付け根を掴んで無理矢理におかしな方向にねじ曲げてやると、ボキリという鈍い音と共にその腕は動かなくなった。
すっかりぐったりとして微かな動きしか見せなくなったソイツを地面に放り、先程吹っ飛ばされて転がっている三匹目に近付いていく。脳を大きく揺さぶられたらしく、立ち上がれないのか足と腕をばたつかせてもがいている。
「はぁ、はぁ……お前も、死ね」
身体にまたがってのし掛かると、まだ上手く力が入っていない頭を両腕で掴み、思い切りねじ曲げた。ゴキッと音がしたかと思うと、そいつの全身からぐったりと力が抜けた。
そして立ち上がり、最後に残った一匹に向き合う。
「………まだやるかよ」
「ふーっ、ふーっ、ふーっ!」
隣の彼は興奮しているのか鼻息が荒い。
最後に残った一匹は、二対一では分が悪いと理解したのか、静かに森の中へと逃げ去っていった。
途端に、隣からどさりと音がした。
「はぁ、はぁ……何で戻ってきた、太田」
窮地を救ってくれたのはあの太田だった。
メガテリウムを目にして正気を失って泣き叫んでいた太田。
腹が減って荷物を盗もうとした太田。
その太田が自らドロマエオサウルスに立ち向かい、命を救ってくれたのだ。
隣で腰を抜かして尻餅をついていた太田は、俯いたまま答えた。
「ふぅ……ふぅ………もう、足手まといに……なりたくなかったんだ」
俯いた太田の顔の下にある土が、点々と濡れていく。
「僕は、狡くて、情けなくて……迷惑ばっかりだったから」
うっうっ、と本格的に泣き始めた太田の肩に手を置いた。
「太田、ありがとう……助かった。さっきのお前、最高に格好良かったよ」
「うっ、うう"う"う"う"~~。メ"イ"ぐん"ん"ん"………良"がっだよ"お"お"お"」
緊張の糸が切れた太田は、それから数分間の間、ずっと泣き続けた。
【ドロマエオサウルス】
小型の獣脚類恐竜。肉食。白亜紀後期に地球上に生息していた。全体的に近似種と比べて頭骨ががっちりとしていて、歯の化石の様子からも肉を破砕して噛み千切っていたのではないかと推測されている。