《護衛士認定式編》②
少年が歩いていた石畳の大通りはエルサムの中心、古城の門に伸びている。
元は白色であったであろう城壁は、長い年月で風化され、くすんだ黒色に染まっていた。それでも、崩れるような軽々しい印象はない。
歴史を魅せる城の雰囲気は、むしろ重々しく、堂々とした印象を与えている。
「城」といっても、その狭義に収まっているとは言い難い。
もともと、城とは軍事目的で築かれる建築物である。争いの攻守の拠点としての意味合いが強いが、エルサムにまで他族の侵略を許したことは過去に一度も無かった。
故に軍事利用されたことも無い。
広義では、王家の邸宅、もしくは政治の場という意味も含まれている。この「城」は、まさにその役割のみを果たしていた。
そのような点から「王宮」とも言えるエルサムの城。
王家の名に由来して「ヴィクトリア宮」と名付けられている。
ところで、「王宮」や「城」という単語は、毎日のように舞踏会や音楽会などが開かれているイメージが先行するが、そのような大きな宴が開かれるのは非常に稀である。
逆に言えば、稀ではあるが定期的に開かれているということになるのだが。
派手に装飾された王宮の大広間では、珍しく式典が開かれていた。
×××
奥の玉座にいるのは、明後日に十八の誕生日を控えた少女である。
第五十二代女王、ヴィクトリア・ベル。
明らかに年相応ではない肩書を背負う少女は、慣れた様子で玉座に座っていた。彼女に緊張の色は無い。
その隣には、白髪の老人が起立している。
「ベル様、首席は未だに……」
「まだ来ないの?すでに予定の時刻は大幅に過ぎているのに……」
白髪が目立つ古老の報告に、ベルは眉をひそめた。
玉座は大広間の奥、五段ほど高い位置にあり、式典にやってきた者らを見下ろす形でベルは深く腰掛けている。
大広間には御馳走が並び、眼下の宴は大いに盛り上がっていた。
『王家の血統』が原因で、ベルの顔立ちはとても整っている。
大きな瞳に、白く透き通る肌、顔は小さく左右対称、顔のパーツのバランスも非の打ちどころがない。
おおよそ「美人」のすべての特徴を持ち合わせていた。
呪いとも言える、とある『血統』が遺伝的に受け継がれている。
腰まで垂れる青色の髪の毛は、ベルが動くたびに軽やかに揺れ、きめ細かな蒼の糸のようだった。
ベルの美しさは、式典に招かれた男性は幻想を見ているのかと錯覚し、女性は嫉妬することさえ忘れるほどである。
「街で迷っているのかしら?」
ベルが困惑の表情を浮かべるだけで、そこには一つの名画が生まれた。
「恐れながら、その可能性は低いかと。エルサムを一望できるほど、このヴィクトリア宮は大きいゆえ、道を間違うことはありません」
側近と思われる古老の男性が、ベルの発言を訂正する。
「おそらく、いたって普通の遅刻、ではないでしょうか」
「ふふっ……王家の式典に遅刻とは、なかなか肝が据わった方のようね、今年の首席君は」
「決して笑い事ではありませんが」
この式典の主役はベルでは無かった。
式典の主役と会うことに対して、ベルは楽しみを覚えていた。
王家の催しに遅刻する者など、過去に例はない。
「どうやら学園でも日常的に遅刻や欠席を繰り返すほど、てきと……、マイぺー……、肝が据わった者との報告を受けています」
今年の学園首席は規律などに縛られないのだろう、とベルはふと思った。
今まで規律に縛られる者達しか見てこなかった王家の姫にとって、それは新鮮な憶測だった。
「わざわざ言い直さなくても構わないわ。一応、歴代最高の成績なのよね?」
「はい。全く持って解せませんが、そのようです」
規律に縛られる者の一人である古老が、ルーズな者に対して好印象なはずがなかった。
当然ながら、彼の口調には僅かな棘が含まれている。
綺麗な手で口元を隠して、ベルはクスクスと微笑んだ。
「楽しみね。その最強の首席君の名は?」
ベルが自ら人の名前を覚えようとするのは極めて珍しい。
古老の側近も驚きを隠せずに、その白い眉が少しだけ持ち上がった。
「ユータ、という名です」
「ユータ?聞き慣れない名前ね……。東方地域の出身かしら?」
「そう聞いております」
ベルの推測に対して、古老の男性は肯定を返した。
◇◇◇
一世紀前に、『大戦』の口火を切った人族だが、最初に侵略された領土は、魔族のものだった。
魔術を操る魔族だったが、他族にとって「血能」の力が未知のものであった当時、半ば不意打ちといえるような形で魔族は「殲滅」された。
『侵略戦争』は他族の殲滅が目的ではない。むしろ、領土を得た後は、他族を支配し、その力を利用することが侵略の大きな目的といえるだろう。
しかし、魔族は全種族のなかで一番誇り高き種族であった。
人族が「血能」と力を得る以前は、最も栄えていた種族の一種とも推測されている。
その強さが魔族の誇りにつながっていたのかは不明だが、少なくとも、その誇り高き魔族が従順になることはなかった。
最後まで魔術による激しい抵抗があり、人族には魔族を殲滅させる以外の選択肢はなかった。
魔族に対する侵略の手段が「支配」から「殲滅」に変わった。
結果的に魔族は絶滅したことになる。
長すぎる世界史のなかで、一種族の絶滅は良くあることで、それが人族との戦争によってもたらされた、というだけのことである。
殲滅したといっても、魔族の魔術による抵抗は人族にも甚大な被害を及ぼした。
「血能」を得た人族と「魔術」を操る魔族の衝突は、双方におびただしい量の血を流した。
比較的短い争いではあったが、人族の侵略を始まりとする「対魔族戦」は、『世界大戦』の幕開けにして「史上最大規模の戦争」といわれている。
それほどの力を持っていた種族を殲滅したからこそ、人族は全種族から攻撃され、『世界大戦』の中心と成ったわけだが。
現在の東方地域こそ、かつての魔族の領土である。
人族の領土となり、東方には新しい文明が築かれた。
都を含むほとんどの人族の地域とは異なる新文明である。
この異なる文明を持つ地域は、特に名付けられるわけでなく、そのまま「東方」もしくは「東方地域」が、そこを表す単語として定着していた。
◇◇◇
玉座の隣に立つ老人は、ベルの発言に不安を抱いた。
視線をベルに向けるわけでもなく、隙の無い起立を崩さないまま、白髪の老人はしゃがれた声で進言した。
「ベル様、遅刻して規律を乱す者に対して、『楽しみ』というのは如何なものかと」
歴代最高成績というのは、古老も興味が湧かないわけではなかった。心中では、手合わせ願いたい、とさえ考えていた。
この古老も、かつての学園首席の卒業者である。
古老が不安に思ったのはベルの抱いた気持ちでは無く、仮にも規律を乱している者をひいきするような発言をしたことである。
式典という公の場で、ベルの一言が大きな重みを持つことを古老は知っていた。
「分かってるわ。ごめんなさい♪」
「いえ、出過ぎた真似をお許しください」
もちろん、彼女自身がそれを知らないはずはない。
口調こそ大人だが、まだまだ未熟さの残る少女でもある。
幸いにも、二人の会話は式典の喧噪に飲まれて消えた。