5
咲本に続いて教室に入ろうとした瞬間、後ろから急に襟をつかまれ、俺は足を止めた。というよりも止めざるを得なかった。犯人は振り返らなくてもわかる。中野と麻倉だ。
本当はそのまま歩き続けたかったが、そうすると俺の首が絞まるだけで、ヤツらは決して手をはなしはしないだろう。そう思ったから、俺は素直に人気のない廊下の奥まで引きずられた。
「朝から彼女とご登校なんて、いいご身分じゃないか遊馬くん」
麻倉の笑顔は、今日も凄み満載だった。
「聞くところによると、手まで繋いじゃってたらしいぜ、茜ちゃん。」
俺の前に立ちふさがりつつ、中野が言った。
「まったく、何度言ったらわかるんだい? 僕は『あかね』じゃない。茜と書いて『せん』だ、沖路」
「沖路って呼ぶな!」
麻倉と中野はそれぞれ自分の名前にコンプレックスを抱いている。麻倉茜は、女子と間違われるから、中野沖路は、自分に似合わない仰々しい名前だかららしい。そんなに気にしなくてもいいんじゃないかと思うのだが、二人は極度に名前で呼ばれることを嫌っているため、俺は二人を名字で呼ぶことにしている。
「で、どこに行くつもりだい、遊馬?」
二人がくだらない(二人にとってはくだらなくない)論争を繰り広げている間にそっと背後を抜けようとしたが、あえなく失敗に終わった。
「悪いが行かせるわけにはいかない。お前には聞きたいことがたーくさんあるからな」
肩に置かれた中野の手に力がこもる。悪いなんてこれっぽっちも思っていないに違いない。
ホームルームの開始を告げるチャイムが待ち遠しかった。
「――じゃあ、遊馬は手を繋いでいたんじゃなくて、千雪ちゃんに引っ張られてたってことかな?」
嫌々ながらも今朝の状況を説明した俺に、麻倉が返した。とりあえず頷いておく。
「『千雪ちゃん』って、お前たちそんなに咲本と仲良かったか?」
ふと気になって聞いてみると、麻倉は「引っかかった」とでも言いたげに、口のはしをつりあげた。しまったと思ったがもう手遅れだ。すかさず中野が食い付いてきた。
「さっそくヤキモチか、遊馬? ったく、彼女ができたとたんにこれかよ」
麻倉も、やれやれと肩をすくめる。
「……彼女じゃない。咲本は、俺の彼女じゃないよ」
気がつくと、俺は否定していた。中野と麻倉の目が点になる。
「まさか、もうふられたのか?」
「ふられたわけじゃない」
中野の浮ついた笑みに、なぜかイライラが抑えられなかった。
廊下の壁に背中をあずけると、そのままズルズルと座り込む。
「……遊馬?」
俺の反応を訝しんだのか、麻倉が気遣わしげにのぞき込んできた。俺はそんなにひどい顔をしているのだろうか。
「あの告白は、ただの罰ゲームだったんだ。ふられるための告白なんてするべきじゃなかった! 俺は……咲本の気持ちなんて少しも考えてなくて、咲本を……裏切ってるんだ」
心に苦いモノが広がって、俺は二人の前から逃げ出した。
真実を告げたら、彼女はどんな顔をするだろう。
俺は、あの笑顔を涙で濡らしてしまうのだろうか。
そんなことばかりが、俺の頭を支配していた。
◆
何をしていても、頭に浮かぶのは咲本のことばかりで、気がつけば放課後になっていた。麻倉と中野とは結局朝から何も話していない。
「何やってんだろ、俺」
口に出すと、やるせない気分になった。
たかが罰ゲームの告白だ。さっさと済ませて、笑い話にでもするつもりだった。ふられたら、退屈で居心地のいい日常が帰ってくるはずで、だから偶然通りかかった咲本に告白をしたんだ。
本当に偶然なのに、なんでこうなる? こういうのを運命の悪戯って言うんだろうか。神様も酷なことをする。
「遊馬くん」
俺の思考を停止させたのは、咲本だった。
「あのさ……一緒に帰らない?」
そう言って少し首をかしげる。そんな咲本の笑顔が、俺の胸を締め付けた。
「わかった。送ってく」
いつもならなんなくできる作り笑顔が、できていたかは正直わからない。
俺は椅子から重い腰を上げると、咲本と連れだって教室を出た。
真実を伝えようと決めたはずなのに、何かが俺の決意を揺らがせていた。