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ここについてから、気がつけば30分がったっていた。
冬の日は短く、辺りはもう薄暗い。さすがに30分間立ちっぱなしは辛く、中野にいたってはだらしなく地面に座り込んでいた。
「なあ」
沈黙に耐えられずに口を開くと、麻倉と中野は顔だけをこっちに向けた。聞く気はあるらしい。
「いい加減に帰らないか? 30分待っても誰も来なかったんだ。これ以上待っても無駄だろ」
順番に二人の顔を見ながら告げると、麻倉は考える素振りをみせた。が、中野はといえば、明らかに顔が「嫌だ」と言っている。
「このままだと風邪引いて、明日は仲良くマスクして登校が関の山だろ」
「……それは嫌だな」
真剣に想像でもしたのか、麻倉が小さくつぶやいた。
「確かにそれは嫌だ。けどな、やっと俺の長年の夢が叶うときが来たんだぞ? 簡単に諦められるかよ」
罰ゲームへの思い入れは麻倉より強いらしく、中野が立ち上がって言った。
「長年って俺とお前が初めてあったのは去年の話だろ」
「そんなことはどうでもいいんだよ!」
いじけた小学生の様にそっぽを向いてしまった中野に、思わずため息が漏れた。
「だから、もうここにいたってしょうがな……」
「くしゅん!」
「ほら、麻倉が寒くてくしゃみまでしてるだろ」
何ともタイミングのいいくしゃみをネタに詰め寄ると、本当に風邪を引かれては困ると思ったのか、さすがの中野も振り返った。
「わかったよ。麻倉のくしゃみに免じて、今日のところは諦めてやる」
渋々といった様子で了承した中野に、俺はほっと胸をなで下ろした。本当のところ、寒いのが苦手な俺には限界がきていたのだ。
じゃあ帰るか、と後ろを振り返ると、麻倉が何とも言えない奇妙な顔で突っ立っていた。 「どうかしたのか?」
「いや、今更言うのもどうかと思ったんだけど……さっきのくしゃみ、僕じゃないんだよね……」
「……まさか」
俺の額に、再び冷や汗が浮かびはじめる。
沈黙を破り、最初に動いたのは中野だった。なるべく音を立てないよう気をつけつつ、通りの角に立つ民家の塀に走り寄る。その俊敏な動きには、さっきまでの気怠げな様子はいっさいない。俺はといえば、塀の影から通学路の方をのぞいている中野を、ただ呆然と見ていることしかできなかった。
「……誰か、いるのか?」
なんとか声にした問いの答えを聞くまでもなく、振り返った中野の満面の笑みがすべてを物語っていた。
「どうやら最後の最後で、神様は僕たちに味方したみたいだね」
麻倉のセリフが俺にとどめをさした。
どうしてこういうときに限って、嫌な予感というのは当たってしまうのだろうか。どうやら俺は、再び覚悟を決めなければならないようだ。
「喜べ遊馬。見たところ、うちの高校の制服だぜ」
それは幸運なのか、はたまた不幸なのか。俺には判断する余裕なんて残っていない。
「……俺だって男だ。こうなったら正々堂々と告白してやろうじゃないか。……ふられるのはわかりきってるんだから、あんまり笑うなよ」
男らしいのか、それとも女々しいのか、今思うとよくわからないセリフを残して、俺は塀の影から飛び出した。
いきなり行く手をふさがれたら驚くのが普通の反応だ。俺の告白相手も例外ではなく、立ち止まり、息をのむ気配がした。
「好きです、付き合って下さい!」
あまりの恥ずかしさに、目の前に立つ相手の顔も見られないまま、一気に言って腕を差し出した。
告白なんてしたことがなかったといえば言い訳にしかならないが、なんてダサイ告白だろう。中野と麻倉は笑っているに違いない。
永遠のように感じられる沈黙の中、俺はただ「ごめんなさい」という言葉を待った。
どれほどその状態が続いたのかはわからない。案外数秒しかたっていなかったのかもしれないが、不意に、指先にひんやりとした感触を感じた。手を握られているのだということに気づくのにしばらくかかった。、驚いて顔をあげた俺は、手を握ってきた相手を見てさらに驚くことになった。
目の前に立っている人物に見覚えがあったのだ。
「……咲本」
肩にかかるくらいの茶色っぽい髪はふわふわとして柔らかそうで、小柄で肌が白いためか、一見すると儚げな印象を受ける。しかし、ぱっちりした二重の瞳には意志の強そうな光が宿っていて、本当は見た目よりもずっと活発なのかもしれないな、とふと思った。暗い色のブレザーにチェックのスカートという見慣れた制服を着たその人物は、クラスメイトの咲本千雪その人だった。
あまりにも予想外の展開に硬直した俺に、咲本は手を握ったまま、
「はい」
確かにそう言ったのだ。
『はい。』
それは肯定の言葉。
彼女は何を肯定した? もちろん俺の言葉を、だ。
じゃあ、さっき俺はなんて言ったんだ?
『好きです、付き合って下さい』
……まさか。
これは夢だ、そう思いたかった。しかし彼女の手の冷たさと、自分に向けられた笑顔が、これは紛れもない真実だと告げていた。
こうして、咲本千雪は俺の彼女になった。