16
俺は屋上へと続く階段を駆け上がっていた。
脇腹の痛みも、時折すれ違う生徒の驚いたような顔も、すべて無視してひたすらに足を前に出す。
あとひとつ踊り場を越えれば屋上へ出るための扉が見えるというところで、俺は誰かとぶつかった。
「悪いっ! 大丈夫だったか?」
「……真壁」
ぶつかった衝撃で少しよろめいた相手に慌てて声をかけると、驚いたような声がかえってきた。
「お前は……」
あっけにとられて立ち尽くす俺を、体勢を立て直した相手、鹿嶋了輔は真っ直ぐに見据えた。
居心地の悪い沈黙が辺りを支配する。どうしたものかと考えていると、鹿嶋が先に言葉を継いだ。
「咲本さんを、探しに来たのか?」
とても静かな問いだった。
「ああ」
俺は素直に頷く。
まだ何か言われるかとも思ったが、鹿嶋はそれきり何もいわなかった。ただ値踏みをするような眼でじっと俺を見ている。
沈黙の息苦しさと、早く咲本に会わなければという焦りから、今度は俺が沈黙を破った。
「さっきはぶつかって悪かった……じゃあ俺はもう行くから」
そう言って足を踏み出そうとした俺の前に、鹿嶋が立ちふさがった。相変わらず、その眼はじっと俺を見ている。
「何も聞かないのか?」
短い問いかけだったが、俺には鹿嶋の言葉が何を意味しているのかすぐにわかった。鹿嶋はこう言いたかったのだ。お前は、俺が咲本さんに告白したのか知りたくはないのか。告白に、彼女がどう答えたのか聞かなくてもいいのか、と。
知りたくないと言ったら嘘になるのかもしれない。だが、鹿嶋が俺にどんなことを伝えようとも、俺の中に芽生えたこの気持ちは少しも揺らがない。俺にはそれがわかっていた。
――この気持ちに嘘はない。
階段にかけていた足をおろして鹿嶋に向き直る。
「俺は確かめに来たんだ。咲本の本当の気持ち、それに、俺自身の気持ちを。ここで何を聞いたって、俺の中で何も変わったりしない」
俺は鹿嶋の目を見て告げた。
鹿嶋はただひとこと、そうか、と小さく呟いた後、ゆっくりと体を脇に寄せた。
俺は鹿嶋に何か言うべきかとも思ったが、結局言葉が見つからなくて再び階段に足をかける。ここまで駆け上がってきたときとは違って、一歩一歩踏みしめるように扉を目指した。
階段を上りきると、目の前に小さな踊り場と屋上へと続く鉄製の扉が現れる。あまり掃除がされていないのか、埃がつもった床にうっすらと足跡が残っていた。
この扉の向こうに、咲本がいる。
「真壁」
意を決して扉に手を掛けたところで、鹿嶋の声が俺の動きを止めた。
「咲本さんは、お前を待ってる」
背中越しに聞こえる鹿嶋の声は少し震えていた。
「今朝はどうしてお前なんかと、と思ったが……今ならわかる気がする。彼女がお前を選んだ理由がな」
背を向けている俺には、鹿嶋が今どんな表情をしているのかはわからない。もしかすると微笑んでいるのかもしれない。そう思えるほど、鹿嶋の声は穏やかだった。
「お前が、咲本さんのことをなかった事にしてさっさと帰るようなヤツだったらな。だがお前はここに来た。そういうことなんだろう……。二度目はない。咲本さんを泣かせるなよ」
「ああ」
鹿嶋の本気の言葉に、俺も本気で答えを返す。
目を閉じると、最後に見た咲本の悲しげな笑顔が思い浮かんだ。
――もう、咲本にあんな顔はさせない。
そう誓うと、俺は屋上への扉を開け放った。