11
「……ま、遊馬」
どれくらい立ち尽くしていたのだろうか。気がつくと目の前に中野と麻倉が立っていた。
「……中野、に、麻倉」
渇いた喉からかすれた声を絞り出す。
「大丈夫かい? 何度呼んでも返事をしないから心配したよ」
「……悪い」
麻倉の表情からして、俺は相当心配をかけていたらしい。
「なんだか顔色もよくないし、そろそろ中へ戻った方が良いんじゃないかい? それに、気に病みすぎるのはよくないよ。遊馬はちゃんと自分で決めたことをやったんだから」
「ああ……」
麻倉の言葉に、俺は曖昧にうなずくことしかできなかった。
俺は自分の意志に従って咲本に真実を伝えた。それで良いじゃないか。そう思おうとするたびに、咲本の笑顔が脳裏をかすめる。
とにかく、これ以上中野と麻倉に心配をかけるわけにはいかない。
「行こう」
麻倉にそう告げて一歩踏み出したとき、中野の腕が俺の動きを止めた。
「……中野?」
さっきから一言も言葉を発していない中野に視線を移すと、俺より少し低い位置にある瞳が、まっすぐに俺を見ていた。
「何があった?」
静かな声で、中野はただそう言った。
俺の一番ほしい言葉を。
「……何がって、なんだよ」
俺の中に渦巻いている戸惑いや後悔を全部見抜かれているような気がして、俺は中野の視線をまっすぐに受け止めることができずに顔を背けた。
「中野、遊馬は今精神的に消耗してるから……」
俺の反応を精神的な疲労からくるものだと思ったのか、麻倉が取りなそうとしてくれたが、中野の瞳に宿った意志も、俺を引き留める腕の力も、少しも揺らぐことはなかった。
「何かあったんだろ。それぐらいお前の顔見てればわかる」
「中野……」
まるで時間が止まったかのように、誰もが動くことなくその場に立ち尽くしていた。
二人の視線が痛い。でもそれは、二人が真剣に俺のことを心配してくれているからだ。
『何度も……何度もやめようと思ったんだ!あの時だって直前まで。だけどあいつらが……』
ついさっき口にした言葉が頭の中に反響した。俺は、こんなにもかけがえのない存在を裏切ろうとしてしまったのか。
「ほんと馬鹿だよな、俺」
思ったことが思わず口から零れた。
「わかった。全部話す」
顔を上げ、今度はしっかり中野の目を見た俺に、ようやく腕の力がゆるんだ。
二人に余計な心配をかけたくないという気持ちは今も変わらない。でもそれ以上に、嘘をついてまた二人を裏切るようなことはしたくないという思いが大きくなっていた。
「……変に遠慮するんじゃねえよ」
小さく呟くとさっきとは打って変わってふてくされてしまった中野に、心が少し軽くなった気がした。
「罰ゲームのことを知ってた……」
俺が数分前の咲本ととのやりとりを一通り説明し終えると、中野がぽつりと呟いた。黙っている麻倉も、表情から驚きや戸惑いが窺える。
「俺も未だに信じられない。だけど、咲本は確かにそう言ったんだ」
もう一度自分に確認するようにそう告げる。
何を言えばいいのかわからないのは中野も麻倉も同じだったようで、重い沈黙があたりを支配した。校舎はすぐそこだというのに、昼休みの喧噪が、ここからはあまりに遠い。
「遊馬、大丈夫? やっぱり顔色がよくないよ」
ふいに麻倉が俺の顔をのぞき込んだ。
言われてみるとひどく体が重い。いや、重いのは心か。二人にありのままを伝えたことで気が抜けてしまったのかもしれない。疲れを自覚すると、あっという間に気分が悪くなってきた。
「とりあえず座ってろよ」
中野も心配してくれているようで、言われるがままにベンチに腰を下ろす。
「……ん?」
気持ちにつられてか前屈みになった俺は、足下に小さな紙袋が置かれていることに気がついた。咲本と連れだってここに来たときには、こんなものはなかったはずだ。気になって紙袋の中を覗くと、綺麗にたたまれた黒いマフラーが入っていた。
「これは……」
思わずもれた呟きに、中野と麻倉がそろって振り返った。俺が手にしている紙袋に気づくと、一緒に中をのぞき込む。
「これ、お前がいつもしてるマフラーだよな?」
中野が紙袋の中身から視線を俺に移して言った。尋ねたというよりは確認に近い響きを含んでいる。
俺自身も自分のマフラーであると確信していたので素直に頷いた。なにしろ、こんな飾り気のない真っ黒なマフラーをしているのは俺くらいのものだ。
「あれ、でも今日の朝はマフラーしてなかったよね?」
麻倉に言われて、そういえば今朝はやけに首元が寒かったことを思い出した。
「そうか。昨日咲本に貸したんだ……」
我ながら情けないぐらい、マフラーを貸したことに関してはきれいさっぱり忘れていた。まあ、それだけ他のことに気を取られていたわけだが。
「じゃあ千雪ちゃんが遊馬に返すつもりで、中庭に持ってきてたのかもしれないね」
「だろうな」
麻倉の言葉に、中野も頷いた。
麻倉の言う通りだとすると、中庭にきた時点でベンチのそばに何もなかったことにも説明がつく。咲本も、まさか俺が本当のことを告白するなんて思ってもいなかっただろうから、二人きりになるついでにマフラーを返そうと思ったのだろう。
そんなことを考えながら、もう一度マフラーに目を落とす。昨日、別れ際に見た咲本の笑顔が脳裏にちらついて、再び堂々巡りを始めそうになった俺の思考を止めたのは、聞き慣れた予鈴の音だった。