3.聖獣様の愛の形
さて、どうやって聞き出そう。聞いてみたいのは最初の門の娘シュエルーのこと。
話そうと誘ったものの、メイファンは切り出せずにいた。エンジュは穏やかな表情で、急かすこともなく待っている。意を決してメイファンは口を開いた。
「あの、エンジュ様はワンリー様の眷属になってどのくらいになるんですか?」
「あなたには想像もつかないくらい遙かな昔からお仕えしています」
ということは、五百年前のシュエルーのことは知っているということだ。
「では、私の前世はご存じですよね。私はなにも覚えていません。魂の元々の持ち主、シュエルーってどんな人だったんですか? 私と似ているんでしょうか」
「そうですね。見た目は似ているかもしれません。あなたと同じように黒い瞳で長い黒髪でした」
それはガイアンの女性の八割は該当する特徴だと思う。さすがはワンリーの眷属。話がどこかズレている。
メイファンが内心ため息をついていると、エンジュはさらに続けた。
「でも、性格はずいぶん違うようですね。私はあなたのことをよく存じておりませんが、シュエルー様は負けん気が強く、感情表現がまっすぐな方でした。あなたはシュエルー様よりずいぶんとおとなしい方のようにお見受けいたします」
なるほど。シュエルーは気が強い人のようだ。ビャクレンから一度も出たことのないメイファンは、確かに幾分人見知りであまり自己主張をすることがない。
普通、人を好きになる時は、見た目より性格や人柄を好きになるのではないだろうか。少なくとも自分はそうだ。いくら見た目がきれいでも、性格や人柄が酷い人は好きになれない。
どうしてワンリーはシュエルーの生まれ変わりだからという理由だけで、メイファンを愛していると言えるのだろう。
メイファンはうつむいて独り言のようにつぶやいた。
「そんなにシュエルーとは似ていないのに、ワンリー様は私の何を愛しているの?」
「おそらくはあなたの意志の強さと他者を思いやる優しさを愛しておいでだと思います」
「え?」
メイファンは顔を上げてエンジュを見つめる。目が合うとエンジュは穏やかに微笑んだ。
慰めるためだとしても、どうしてそんなに断言できるのだろう。
「私のことはよく知らないと言いませんでしたか?」
「ええ。よく知りません。けれど根幹をなす部分がシュエルー様と同じなんです」
「どうしてそんなことがわかるんですか?」
「魂の発する色が同じなんですよ。我々には見えるんです。これまでワンリー様の妻となった娘さんたちはみんな同じ色でした」
意志の強さと他者を思いやる優しさ。そんなものが自分にあるのかメイファンにはピンとこない。実際に今ここにいるのも状況に流されただけのような気がする。未だに怪訝な表情をするメイファンに、エンジュはきっぱりと言う。
「本当ですよ。みんな容姿や性格はそれぞれ違っていましたが、意志の強さと他者を思いやる優しさは同じでした。同じ色の魂を持つあなたも同じはずです」
「そう……なんでしょうか?」
「はい。間違いありません」
そこまで断言されると、それ以上何も言えそうにない。納得はしていないが黙り込むメイファンにエンジュは静かに尋ねた。
「ワンリー様のお気持ちが気になりますか?」
「え、いえ、それは……」
しどろもどろにごまかそうとするメイファンを見て、エンジュはクスリと笑う。
「魂を愛するという感覚は、人には理解しがたいものかもしれませんが、ワンリー様は確かにあなたを愛しておいでですよ。これまでも妻となった娘さんたちを分け隔てなく愛しておいででした。シュエルー様だけ特別ということはありません」
「そうですか」
確かに魂を愛するという感覚はわからない。ワンリーの気持ちは気になるけど、それがどうしてなのかもわからない。妻になる決意はしたものの、自分自身はまだワンリーを愛しているとは言えない。妻がそんなことじゃダメだと思う。
ワンリーが自信満々で言ったように、そのうち愛するようになるのか、甚だ不安でしょうがない。自分がワンリーを愛せていない理由を、ワンリーの気持ちに求めているような気がしてきた。
胸につかえているもやもやとしたものを払拭したくて、メイファンはうつむいて吐露する。
「ワンリー様は私を愛していると何度も言ってくれました。私を優しく気遣ってくれます。でも私はワンリー様を愛しているとは言えないんです」
吐き出したもののなんだか情けなくて涙が滲んできた。すると目の前にそっと手ぬぐいが差し出され、メイファンは顔を上げる。
困ったように微笑むエンジュと目があった。あわてて手ぬぐいで顔を覆いながら再びうつむく。
エンジュが静かに口を開いた。
「仕方のないことだと思いますよ。あなたは前世の記憶もなく、ワンリー様とは今日初めて会ったのですから。これから時間をかけてワンリー様のお気持ちを理解していけばいいと思います」
「はい……」
エンジュの言葉に救われた気がして涙が止まらなくなる。胸のもやもやは完全に消えたわけではないけど、それでも幾分楽にはなった。
そこへ突然低い声が響く。
「おい、エンジュ。なに泣かせてるんだ」
ハッとして顔を上げると、入り口からワンリーが入ってきた。これまで穏やかに落ち着いた雰囲気をまとっていたエンジュが、珍しくうろたえた様子であわてて席を立つ。
「ワ、ワンリー様。おかえりなさいませ」
「俺は警護を頼んだはずだが」
「申し訳ありません」
言い訳もせず頭を下げたエンジュを、ワンリーは不愉快そうに見下ろしている。このままではエンジュが悪者になってしまう。そう思うとメイファンは勢いよく席を立った。
「あの! エンジュ様のせいではありません! 私が勝手に……!」
「勝手に? どうした? 里心でもついたか?」
「ちがっ……いえ、そんなところです……」
家が恋しくて泣くほど子どもではないが、本当の理由を言うのもはばかられ、メイファンは曖昧にごまかす。だが、そんな適当な返事にもワンリーはあっさり機嫌を直してニコニコしながらそばまでやってきた。そして、おもむろにメイファンを抱きしめる。
「そうかそうか。では寂しくないように今夜は俺が添い寝してやろう」
「い、いえ! お気遣いなく!」
「遠慮するなと言っただろう」
「遠慮じゃなくて、そんなのかえって眠れません!」
「なぜだ?」
「なぜって……」
本当に理由がわからないのだろうか。だとしたら、聖獣様はやはり感覚がずれていらっしゃる。
添い寝だけですむかどうか、女が警戒するのは当たり前だと思う。だがワンリーはいずれメイファンの夫となる。夫と寝所を共にするのを堂々と拒絶するのも妻としてどうかと思う。仕方ないのでメイファンはまたしても適当に言い逃れることにした。
「ワンリー様は眠らないんですよね?」
「あぁ」
「私が寝ている姿をそばで見られているかと思うと気になって眠れません」
「気にするな」
「そう言われても、気になるんです」
なにしろ寝ている間は意識がない。寝相が悪いとは聞いていないが、なにか変なことを口走ったりしないとも限らない。そんな無意識下の自分をワンリーに知られてしまうのはやっぱり恥ずかしい。いずれ妻となれば知られてしまうとしても今は困る。
特に今夜は、先ほどエンジュに話したことを口走ってしまう可能性が高い。あんなこと、ワンリーは聞きたくないだろう。
メイファンはにっこり微笑んで、ワンリーの腕からすり抜けた。
「本当に大丈夫です。ワンリー様の姿を見たら寂しくなくなりました」
それを聞いてワンリーは、目に見えて嬉しそうに顔をほころばせる。
「そうか! それならよかった。今日は歩き疲れただろう。ゆっくり休むがよい」
「はい。そうします」
メイファンは頭を下げて、窓から離れた部屋の一番隅にある寝台に向かった。ワンリーたちに背中を向けて布団に潜り込みホッと息をつく。しばらくは後ろが気になっていたが、やはり疲れには勝てない。いつの間にか眠りについていた。
メイファンが床に付いたあと、ワンリーは明かりを消した。三つ並んだ寝台の一番奥にはメイファンが眠っている。ワンリーは一番手前の寝台に腰掛け、そばに立ったエンジュと他愛のない雑談をしていた。
やがてメイファンが眠りに落ちた気配を感じてそっと振り向く。
「眠ったようだな」
「そのようで」
「座れ」
「はい」
エンジュが隣に腰掛けると、ワンリーは顔を近づけ声を潜めた。
「ヂュチュエが単身北東に向かう大きな魔獣を見たらしい。おそらくチョンジーだ」
「北東といえば、帝都テンセイですね」
「あいつは人心を惑わすのが得意だ。単身で向かったとなるとなにか企んでいる」
「メイファン様には知らせないのですか?」
「知らせるな。ただでさえ周りの環境が激変して不安がっている。これ以上心配はさせたくない」
「かしこまりました」
メイファンを力ずくで奪おうともせず、やけにあっさり引き下がったと思えば、こういう魂胆だったらしい。
シンシュからテンセイまでは人の足で三日はかかる。それまでテンセイが無事ですむかどうか。
帝都テンセイは守護聖獣の中でも最強のチンロンが守護している。さらに四聖獣のソンフーも援護に向かわせた。あっさり陥落するとは思えないが、様子を知りたい。
幸い魔獣の王チョンジーはテンセイに向かった。雑魚相手ならヂュチュエだけで対応できるだろう。
「エンジュ。帝都の様子が気になる。明日、加護の儀式が済んだらすぐに帝都の様子を見に行ってくれ」
「かしこまりました」
エンジュは立ち上がり、恭しく頭を下げた。ワンリーは頷いて、そっと後ろを振り返る。何も知らないメイファンが静かに寝息を立てていた。