1.心に刺さった小さな棘
ビャクレンからシンシュへ向けて、メイファンはワンリーに手を引かれ黙々と歩く。夜にはシンシュに到着するだろう。
ワンリーは悠長にしているヒマはないと言った。その割には徒歩でガイアン一周とは呑気な気がする。ワンリーが麒麟の姿に戻れば、その背にメイファンを乗せてもっと早く移動できるのではないだろうか。それが腑に落ちないので尋ねた。
「ワンリー様」
「様はいらぬ。ワンリーでいい」
そう言われても聖獣王を呼び捨てになどできない。それについては聞かなかったことにして、メイファンは本来の疑問をぶつけた。
「麒麟の姿になれば早く移動できるんですよね? どうして歩いていくんですか?」
「俺の姿は目立つからな。魔獣たちに気取られてはまずい」
それを聞いてメイファンは思わずワンリーの姿を眺める。金の髪と金の瞳は十分すぎるほど人目を引いていた。目立ちたくないならどうしてそんな派手な姿に変化しているのだろう。メイファンはため息と共に指摘した。
「そのお美しい姿は十分目立っています。人に化身されるなら、もう少し地味にした方がいいのでは?」
「俺は美しいのか?」
「え……」
嬉しそうに目を輝かせて詰め寄るワンリーに、メイファンは顔をひきつらせる。意図してその姿になったわけではないということだろうか。
自覚がないなら教えて差し上げるべきだろう。
「お美しいだけでなく、その金の髪と瞳はガイアンでは珍しいです」
「そうか。おまえに美しいと言われると嬉しいな」
「え、いや、美しいかどうかはこの際重要ではありません」
「そうだな。俺もおまえがどんな姿に生まれ変わっても愛する自信がある」
メイファンは大きくため息をついて口をつぐんだ。
相変わらずワンリーとの会話はかみ合わない。こんな方と夫婦になってやっていけるのか不安でしょうがない。
けれどその前に魔獣につかまってしまってはそれどころではない。遠回しに言っても通じないなら、はっきり言うことにしよう。
「ワンリー様。姿を自在に変えることができるなら、髪と目の色を黒くしてください。できないなら、せめて髪を隠してください。その色は目立ちすぎます」
ようやくワンリーは立ち止まって辺りに目を向けた。ちらほらと街道を行き交う人がワンリーを珍しそうに見ている。それに気付いたようだ。
「なるほど。皆おまえと同じように黒髪だな。人の世界に来ることは滅多にないから気付かなかった」
「おわかりいただけましたか」
メイファンがホッと息をつき視線を向けると、ワンリーの髪と瞳はすでに黒くなっていた。驚いて見つめるメイファンにワンリーはニッと微笑む。
「これでよいか?」
「は、はい」
こんな突然変わってしまって、誰にも見られなかっただろうか。あわてて周りを見回したが、幸い近くに人はいなかった。なんだか色々疲れる。そんなことはおかまいなしに、ワンリーはメイファンを促す。
「では行くとしよう」
「はい」
再び手を引かれて歩き始めたメイファンは、ふと疑問に思った。門を閉じるためにシェンザイに行かなければならないことは理解した。そのために各地の守護聖獣を訪ねなければならないことも。けれどその旅に王であるワンリーが直々に同行するのがわからない。
こんなとき王は城にいて家臣に警護を命じるものではないだろうか。理由を尋ねるとワンリーは握ったメイファンの手を口元に当てて軽く口づけた。
「おまえと一緒にいたいからだ。おまえは俺が自分の手で守りたい」
「え……」
いやいや、ガイアンの危機に守護聖獣の王が、そんな恋愛脳じゃまずいだろうと不安になる。それを露わにしたメイファンの表情に、ワンリーはクスリと笑った。
「まぁ、それも事実ではあるが、おまえを狙っているのがチョンジーだからだ」
「さっき会った翼のある虎のような魔獣ですね」
「そうだ。あいつは魔獣の王だ。俺にしか退けることができない」
なるほど。魔獣たちにしてみれば、長年待ってこの先何十年も人の世界に出入り自由になるかどうかの瀬戸際だから、王自ら先頭に立っているのだろう。
聖獣王でなければ太刀打ちできない強大な魔獣に付け狙われていると思うと、メイファンは思わず身震いした。
「もしも、魔獣に捕まってしまったら殺されてしまうんですか?」
「いや、それはない。魔獣の領域に連れ去られるだけだ。人の世界に帰ることができないことに変わりはないが」
てっきり食べられてしまうと思っていたので、メイファンは目を丸くした。
「どうして殺さないんですか?」
「殺したらせっかく開いた魔獣の門は消滅する。そしておまえの魂は別の体に宿る。門が開くまでまた二十年待たなければならない。それよりおまえの命がつきるまで手元に置いて門を維持する方がいいからだ」
魔獣の元で囚われたまま一生を送る。殺されないだけで、どんな目に遭わされるかもわからない。死んだ方がましだと思うような気がする。ワンリーは知っているのだろうか。尋ねるとワンリーは首を振った。
「わからない。俺は魔獣の領域には入れないのだ」
「最初の門の娘は捕まった後逃げてきたんですよね? 聞かなかったんですか?」
「あぁ。だが、シュエルーは門を開かれてすぐに運良く逃げ出してきたらしい。囚われたままどんな生涯を送るのかまではわからない。それから五百年の内、魔獣に囚われた娘はひとりだけだ。おまえたちの言う”暗黒の百年”だ。その娘は結局人の世界に帰ってこなかったから、やはりわからない」
結局魔獣の元でどんな扱いを受けるのかは謎のままだ。それよりもワンリーが執着している最初の門の娘の名前がシュエルーだということの方が、メイファンの心には深く刻みつけられた。
メイファンの手を握るワンリーの手に力がこもる。
「チョンジーに先を越されて娘をさらわれた時は百年間悔やまれてしょうがなかった。おまえはなんとしても俺が守り抜く。チョンジーには絶対渡さない」
そこまで想われているのは嬉しいことなのだろう。けれどメイファンは素直に喜べずにいた。
出会ったばかりで自分はまだワンリーのことをなにも知らない。それはワンリーも同じはずなのに、臆することなく愛してるとまっすぐに気持ちを表す。
ワンリーが愛しているのはメイファンの魂。前世のことをなにも覚えていないけど、かつてワンリーが愛したシュエルーの魂なのだ。自分ではない。それが心に引っかかっていた。
すっかり日が暮れた頃、メイファンとワンリーはようやくシンシュの都にたどり着いた。都の門をくぐって初めて目にしたシンシュの様子にメイファンは目を見張る。夜だというのに、シンシュの町は光と活気にあふれていた。
商業の都シンシュの通りは石畳で覆われ、たくさんの商店が軒を連ねている。そして多くの人が通りを行き交っていた。
ビャクレンの通りはほとんど土のままで、農業に従事している人が多いため朝が早い。そのせいか日が暮れてから外を出歩いている人はほとんどいなかった。
にぎやかな町並みはシンシュの守護聖獣ヂュチュエを象徴する赤色の建物が多い。その色が通りを照らすたくさんの明かりに彩られて、より一層にぎやかさを増していた。
珍しさに辺りをキョロキョロと見回すメイファンの横で、ワンリーもキョロキョロしていた。人の世界には滅多に来ないと言っていたから、自分と同じように珍しいのだろうか。そんな風に考えていたら、門を入ってすぐの人混みの中から鮮やかな赤い服を着た青年がこちらにやってきた。青年を見てワンリーは笑顔になる。どうやら彼を捜していたようだ。
「エンジュ」
「お待ちしておりました。ワンリー様」
エンジュと呼ばれた青年は恭しく頭を下げたあと、隣にいるメイファンに微笑んだ。この人がシンシュに遣わされた四聖獣のひとりなのだろう。
メイファンは緊張しながら軽く会釈をした。
「はじめまして。メイファンです」
「はじめまして。ワンリー王の眷属でエンジュと申します」
穏やかな声音と柔和な笑みにメイファンの緊張はほぐれる。ビャクレンに来たソミンは厳しい人だったが、エンジュは優しそうでホッとした。