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聖獣王と千年の恋を  作者: 山岡希代美
第三章 テンセイ
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2.魔獣王に千年の孤独を




 太子の寝所から自身の執務室に戻ったガーランは、机に向かったもののぼんやりと机上の書類を眺めていた。

 もうすぐあの娘がやってくる。そう思うと、心はそれに囚われた。かつて魔獣の都で生涯を終えたシィアンと同じ魂を持つ娘。


『たとえ何度生まれ変わっても、私の魂があなたを受け入れることは決してない』


 魔獣王の腕に抱かれながら、シィアンは気丈に冷たく言い放った。

 魔獣の都に拘束され、魔獣王の慰み者となり、術をかけられ自ら命を絶つこともできず、一生人の都には戻れない。人の娘にとっては絶望的な状況だろう。


 けれどシィアンの心は決して光を失わなかった。泣いて許しを乞うほどに痛めつけて、絶望を味わわせてやろうと思ったことは何度もある。そうしなかったのは、それでもシィアンの心は陰の気にけがれることはないと確信していたからだ。


 シィアンは黙って魔獣王に身をまかせながらも最後まで心を開くことなく、笑顔を向けることもなかった。


「フンドゥンには笑顔を見せていたな」


 ふと思い出してガーランは皮肉な笑みを浮かべる。シィアンは連れて来られた当初から、魔獣に対してあまり大きな恐怖心は抱いていなかった。特に動物の姿によく似た魔獣には好意すら感じられる。動物好きだったのかもしれない。

 そんなシィアンに興味を持ったフンドゥンは、よくシィアンの周りをうろついていた。大きな黒犬に似たフンドゥンは気性もおっとりしていて、シィアンにはかわいく見えたのだろう。興味津々で匂いを嗅いだりするフンドゥンに、笑みを浮かべて頭をなでたりしていた。


 そんなとき、シィアンの心は陽の気が満ちて光り輝く。それが魔獣王には不快で、無性に苛ついた。苛立つままにフンドゥンから引き離し、その場でシィアンを穢したことも一度や二度ではない。それでもシィアンは懲りもせずフンドゥンをかわいがった。


 思えばそれは、彼女のささやかな抵抗だったのかもしれない。シィアンは魔獣王に対していつも冷たく無表情でほとんど口も聞かない。そんな彼女が一度だけ表情を見せたことがある。


 夜のしとねで魔獣王に組み敷かれながら、陵辱の痛みから閉じた目に涙を浮かべる。それでもシィアンは声を上げない。

 ふと目が開かれ、細い両腕がゆっくりと持ち上げられた。しっとりと冷たい手のひらが魔獣王の頬をそっと包み込む。憐れむような目で見つめながら、シィアンはつぶやいた。


「あなたはかわいそうなひとね。甘え方も愛し方も知らない。素直なフンドゥンがうらやましいのでしょう? だけど……」


 そしてあの冷たい言葉を投げつけたのだ。

 愛など知るはずがない。人に嫌われ恐れられる魔獣の王だ。けれどシィアンに対する独占欲は消えることなく、フンドゥンに限らず他の誰もシィアンに触れることは許さなかった。


 ガーランが魔獣王の昔を思い出しているところへ武官がひとり現れた。


「ガーラン殿、聖獣殿に立ち入ろうとした者が捕らえられました」

「どんな奴だ?」

「若い男女のふたりです」


 おそらく聖獣王と門の娘だ。テンセイに来たら聖獣殿に向かうはずだと踏んで、捕らえたら知らせるように言っておいた。ガーランは席を立ち武官に命じる。


「男の方は牢に放り込んでおけ。女の方に用がある」

「はっ!」


 返事をして武官はすぐさま執務室を出て行った。その後を追うように少し遅れてガーランも部屋を出る。

 牢に放り込んでもワンリーは隙をついて難なく抜け出すだろう。その前に門の娘を隠さなければ。

 本当はすぐにでも魔獣の都に連れて行くべきだが、陥落間近のテンセイを放置して自分が動くわけにはいかない。かといって、他の者に娘をまかせては、あっさりワンリーに奪い返されてしまうだろう。


 それに確かめてみたいことがあった。門の娘はシィアンの魂を宿しながら、記憶はすべて失っている。それでも決して自分を受け入れることがないのか。

 幸い自分は人の体を得ている。魔獣だとバレさえしなければ、警戒も薄れるはずだ。ワンリーと引き離され不安になっている心の隙をつけば……。

 ガーランは門の娘を籠絡する策に考えを巡らせ始める。けれど次第に気分が高揚していることに気付いていなかった。




 聖獣殿で兵士に拘束されたワンリーとメイファンは、宮廷内の兵士詰め所に連れて来られた。そこでとりあえずの処遇を彼らの上官が決定した後、取り調べなどが行われるらしい。

 それぞれ両手を後ろ手に縛られ、大勢の兵士に取り囲まれて、ふたりは黙って立ち尽くす。そこへ武官がひとりやってきて、兵士のひとりに耳打ちした。

 兵士は頷いてワンリーを指さす。


「女はここに残し、男の方は牢に放り込んでおけ」

「はっ!」


 周りにいた兵士が両側からワンリーの腕をつかみ、連れて行こうとした。


「ワンリー様!」


 ワンリーと引き離される。メイファンは思わずワンリーの方へ一歩進む。しかし周りの兵士たちがメイファンの肩や腕をつかんでそれを阻止した。

 ワンリーはまた無抵抗のまま従うのだろう。そう思うともどかしい。ところが今まで抵抗らしい抵抗をしなかったワンリーが、その場に踏みとどまって動こうとしない。兵士が苛々したように腕を引いた。


「さっさと歩け!」

「俺はメイファンのそばを離れるわけにはいかないのだ」


 当たり前のように堂々と言い放つワンリーに、兵士は益々激昂する。


「罪人にそんなわがままが許されると思っているのか!」

「許されないのか?」

「当たり前だ!」

「そもそも、俺は罪人なのか?」

「この期に及んでしらばっくれるな! 黙って来い!」


 怒った兵士に思い切り腕を引かれて、さすがにワンリーも一歩踏み出す。そして諦めたようにため息をついた。


「わかった。だが、少しだけ彼女と話をさせてくれ」

「ふざけるな! わがままは許されないと言っただろう!」

「まぁ、待て」


 顔を真っ赤にして怒る兵士の肩を、先ほど耳打ちした武官が叩いた。


「最後の挨拶くらいさせてやれ。このふたりはガーラン殿の預かりになっている」

「ということは、太子様の……」

「そうだ」


 兵士の顔から怒りが消え、憐れむような目がワンリーとメイファンに注がれる。”最後の挨拶”というのも、メイファンの胸をざわつかせた。

 さっきまで怒っていた兵士が、ワンリーの背中を叩いてメイファンの方へ押しやる。よろめくようにしてメイファンの肩にあごを乗せたワンリーは耳元に早口で囁いた。


「必ず助ける。ヤバくなったら俺を呼べ」


 そして頬に軽く口づける。何食わぬ顔で体を起こしたワンリーは、見上げるメイファンをまっすぐ見つめて微笑んだ。


「愛している」


 一言発してワンリーは兵士の元へ戻る。そしてそのまま連れて行かれた。


 ひとり取り残されたメイファンは、ひたすら不安でしょうがない。

 立ち入り禁止の場所に立ち入ったのは確かに罪だとは思うけど、さっきのワンリーとのやり取りが最後の挨拶になってしまうような極刑が待っているということだろうか。あまりに罪が重すぎるように感じる。

 それよりも、これから自分に対してなにが行われるのかの方が不安をかき立てた。


 今すぐ逃げ出してしまいたいけど、周りにいるのは屈強な兵士たち。メイファンが全力で暴れたとしてもあっという間に取り押さえられてしまうだろう。


 メイファンが兵士たちの小さな動きにも、いちいちビクビクしていると、突然兵士たちが一斉に姿勢を正して壁際に整列した。

 入り口から上品な黒っぽい服装に身を包んだ男がひとり入ってくる。長い黒髪を肩に垂らして、背は高いが華奢な体つきは兵士には見えない。兵士たちの態度からして、身分の高い文官だろうか。整った顔立ちはワンリーとは対照的に、冷たい印象を受けた。


 先ほどの武官がメイファンを指し示して彼に告げる。


「あの娘です」

「そうか」


 黒ずくめの男はメイファンの前まで歩み寄り、そばにいた兵士に命じた。


「縄を解いてあげなさい」

「はっ、しかし……」

「かまわぬ」

「はっ!」


 兵士は命令通りにメイファンの腕を拘束した縄をほどく。自由になった両腕の手首についた痣をなでていると、目の前の男が身を屈めてメイファンの顔をのぞき込んだ。メイファンは反射的に一歩退く。


「私と一緒に来てもらおう。私はガーランと申す。帝の側仕えをしている」


 そう言ってガーランは静かに微笑みかけた。






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