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聖獣王と千年の恋を  作者: 山岡希代美
第三章 テンセイ
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1.魔獣王は意外と苦労性



 宮廷の広大な庭園を巡る極彩色の回廊に男がひとり立っていた。人の集団の中にいると時々息が詰まりそうな気がして、ひとりになりたくなる。そんなときに広大な庭園はちょうどよかった。

 宮廷内で帝の側近として仕えている男は、自由にできる時間もあまりない。わずかな時間を見つけては外に出ていた。


 なにしろテンセイは、守護聖獣では最強のチンロンが守護している帝都だ。ガイアンでは東の端に位置し、魔獣の都からは一番離れている。帝とチンロンの威光で町も人々も活気に満ちていた。その眩しさが男は苦手だ。


 活気に満ちた眩しい市井は居心地が悪く、逃げるように知り合いのいない宮仕えを選んだ。入ってみると権謀術数渦巻く宮廷内は、薄暗くて心地いい。

 人付き合いを避けてあらゆる学問に没頭していたのが功を奏し、その知識量と頭脳が認められ、気付けば帝の側近まで上り詰めていた。


 帝とは縁もゆかりもない男が、帝の信頼を得て側仕えを許されているのは、他の官吏たちから恨みを買う。そんな黒い感情が周りを取り囲んでいることも、権力を得た今となっては心地いい。

 元々暖かくてキラキラしたものは苦手だったが、男の中には冷たくどす黒いものが蓄積されていった。

 それが魔獣の王を引き寄せた。


「ガーラン殿ーっ! 至急お越しください。帝がお呼びです!」


 池に浮かぶ睡蓮をぼんやりと眺めていた男の元へ、武官が血相を変えてやってきた。

 どうやら帝がまた癇癪を起こしているらしい。


「すぐ行く」


 ガーランは武官を後ろに従えて早足で宮殿へ向かう。その口元には微かに笑みが浮かんだ。




 武官と共にたどり着いた太子の寝所の前では、武官に薬師、侍従たちがおろおろしながら部屋の中を窺っている。部屋の中から帝の怒鳴り声が聞こえてきた。


「ええい! ガーランはまだか!」

「陛下。ご用でしょうか?」


 部屋に入ったガーランは、いつものことなので涼しい顔で帝に尋ねる。それが神経を逆なでしたようで、帝はさらに声を荒げた。


「ガーラン! いったいいつになったらジーフォンはよくなるのだ! 薬湯も術も一向に効かぬではないか!」


 帝の指さす寝台には青白い顔をした太子ジーフォンがうつろな目を半開きで放心したように横たわっている。その頬には龍の形をした青い痣があった。チンロンの呪いだと言われている。

 太子のそばでは、黒い頭巾を目深にかぶった術師が頭を垂れて控えていた。

 帝の怒声にも、ガーランは我関せずといった様子で淡々と答える。


「チンロンは守護聖獣の中でも一番強力です。その呪いも強力ゆえ、祓うのには時間がかかるのです。ジーフォン殿下の御身は私が責任を持ってお救いいたします。今しばらくご辛抱を」

「ええい! 忌々しい!」


 捨てぜりふを残して帝はガーランに背を向ける。そして足音も荒く部屋を出ていった。そのあとにあたふたと武官や薬師、侍従たちがつき従う。皆が立ち去ったあと、太子の寝所には眠る太子のほかにはガーランと術師、そして出入り口を警護する武官がひとりだけ残された。

 ほかの武官よりもひときわ体が大きく屈強な武官は、出入り口から顔を覗かせて、立ち去った者たちを見送る。そしてニヤニヤと笑いながらガーランに歩み寄った。


「すっかり信じきってるようだな。守護聖獣が人を呪うなんて普通思わないだろう」

「我が子の大事に、人は普通じゃなくなるものだ」

「さすがは人心に精通している魔獣王」


 武官のおどけた口調にガーランは眉をひそめる。放心状態の太子には、今やなにもわからず、なにもする事はできないが、頬の痣をつけた者がチンロンではなくガーランであることはわかっている。これ以上余計な情報を与えるわけにはいかない。


「タオウー、滅多なことを口にするな」

「へいへい」


 ガーランがたしなめると、軽い調子で首をすくめて、タオウーは出入り口に戻った。

 ガーランは念のため太子の様子を窺う。弱々しい気の状態に乱れもなく、特に変わりはない。心はうつろなままだ。ホッと息をついたとき、寝台のそばでうずくまっていた黒頭巾の術者が口を開いた。


「チョンジー、そろそろこいつ食ってもいいか?」

「チョンジーではない。ガーランだと何度も言っているだろう」


 我が配下の同胞ながら、緊張感のない物覚えの悪さにガーランは苛つく。

 確かにチョンジーはガーランの体を乗っ取っている。だが陰の気に染まったガーランは、甘んじてそれを受け入れた。今ガーラン本人の意識は深層に沈みつつも、興味津々でチョンジーの動向を眺めている状態だ。記憶や趣味、思考も包み隠さず提供してくれる。これほど協力的で居心地のいい人の体はなかった。おまけにガーランは人社会の中枢にある。


 せっかく最高の体が手に入っても、同胞のうっかり発言でこの先百年の存亡をかけた計画が水の泡になってはたまらない。そんなことは一向に意に介していない術師は再び問うた。


「なぁ、食っていいか?」

「食うな。おまえは食うことしか考えてないのか、タオティエ」

「食うこと以外になにかあるのか?」


 その返事にガーランは思わずため息をもらす。タオティエはなんでも食ってしまう魔獣だ。人も物も大地も空も、目に見えるものすべてと目に見えない人の心までも。けれど放っておくと手当たり次第に食い尽くして自身が破裂してしまうので、それをチョンジーの術が制御している。そのため彼はチョンジーに従順だった。

 太子を食われては困るが、彼の力が必要なのも事実なので、ガーランは一応なだめてみる。


「夢や希望は好きなだけ食っていい」

「そんなキラキラしたもんは胸焼けすんだよ。食った気がしねぇ」

「まぁ待て。じきにワンリーがやってくる。あいつを退けて門の娘を奪えば、人間など食い放題だ」

「いつ?」

「もうすぐだ。すぐそこまで門の波動が近づいている」


 実際に食い放題食われてしまっては、陰の気が得られない。それはタオティエだけでなく魔獣が全滅してしまうので困るが、門の娘をワンリーから奪うまではタオティエに働いてもらわねばならなかった。もうしばらく人の中枢で、緊張感のない配下たちに目を配りながら、チョンジーことガーランの気苦労は絶えそうにない。




 雨に降られて思いがけず久し振りにゆっくりできたメイファンたちは、翌朝宿場町シタンを発った。半日かけてテンセイへ向かいながら、メイファンはワンリーから帝都に異変が起きていることを聞く。魔獣が待ちかまえているかもしれないというので、緊張しながらテンセイの門をくぐった。


 ワンリーの陰に隠れるようにして入ったテンセイの都は、異様なほど静まりかえっている。シンシュより何倍も広い石畳の大通りに面して、商店が軒を連ねているが、開いている店は数軒で、ほとんど戸を閉ざしていた。なにより、門番の衛兵以外に通りには人の姿がない。

 火が消えたようだとシタンの宿で聞いていたが、これほどまでだとは思わなかった。あたりをぐるりと見渡して、メイファンは呆然とつぶやく。


「誰もいませんね」

「そうだな。ここまで人がいないとは思わなかった。姿を消さずに門をくぐったのはまずかったか」


 ワンリーもあたりを見回して小さく舌打ちした。

 人に紛れようにも人自体いなければ紛れようがない。おまけに誰もいない町をうろついているだけで十分すぎるほど目立っている。立ち尽くすメイファンたちを先ほどから衛兵が怪訝な表情で見つめている。

 いたたまれなくなって、メイファンはワンリーをそそくさと促した。


「聖獣殿に向かいましょう」

「そうだな」


 これだけ注視されていては姿を消すわけにもいかないだろう。背中に痛いほどの視線を感じながらも、ふたりは何食わぬ顔で通りを進み、聖獣殿に向かった。



 帝都テンセイは他の都とは比べものにならないほど途方もなく広い。都の中心には帝のおわす広大な宮廷があり、聖獣殿はその背後に隣接して建てられていた。

 宮廷は四方に門があり、当然ながらそこには門番がいる。また怪しまれては面倒なので、ひとつ外れた通りを進んで聖獣殿を目指す。民家の建ち並ぶ通りにも、やはり人影はない。時々窓から外を窺っている人はいたが、そちらへ目を向けると慌てて窓を閉ざされた。整然としたきれいな町並みなのに、ものすごく居心地が悪い。


 人がいないのに注目されているのはわかっているので、ワンリーも姿を消すことができないようだ。メイファンの手を引いて黙々と歩いた。


 やがて行く手に聖獣殿の参道が見えてきた。その先にはテンセイの守護聖獣チンロンを象徴する青色で統一された石造りの建物が見えている。参道の入り口には大きな文字で立ち入り禁止と書かれた立て札が立っていた。

 ワンリーは立て札を無視して先へ進む。メイファンは慌てて引き止めた。


「ワンリー様、立ち入り禁止ですよ」

「わかっている。だが、入らなければ聖獣殿の様子がわからない」


 そう言ってワンリーはどんどん先に進む。確かにその通りだが、決め事に反するのはまずいのではないかと気が気ではない。

 メイファンがおろおろしながらついて行くと、少ししてワンリーが突然立ち止まった。道の先は見えているのに、目の前に薄黒い幕が張っているように感じる。


「なんですか? これ」

「呪詛結界だ。おまえにも見えるのか。聖獣の加護を受けたからだな」


 それを聞いてメイファンの胸はドキリと脈打った。人には見えないものなのだろうか。

 聖獣の加護を受けても、特になにも変わっていないと思っていたが、最初にワンリーが言ったように、人とは違う存在になりつつあるということなのかもしれない。そんなメイファンの胸の内をワンリーは知るはずもなく、あたりをキョロキョロと見回す。


「術者はどこだ?」


 メイファンも一緒になってあたりを見回していると、背後から厳しい声が飛んできた。


「そこでなにをしている!」


 思わずビクリと体が震える。どうやら恐れていた事態に直面したらしい。恐る恐る振り向いたメイファンの前には、数人の武装した兵士が鬼の形相で立っていた。

 ビクビクしているメイファンとは対照的に、ワンリーは落ち着いた様子でゆっくりと振り返る。そしてメイファンの手を強く握った。たったそれだけのことで、不安と動揺が静まっていく。状況は全く安心できるものではないのだが。


 兵士のひとりがワンリーに詰め寄る。


「聖獣殿は立ち入り禁止だ。立て札があっただろう」

「気付かなかった」


 ワンリーのあからさまなウソに、兵士は声を荒げた。


「とぼけるな!」


 そして有無も言わさず他の兵士たちに最悪の命令を下す。


「怪しい奴め、ひっ捕らえろ!」

「え? ちょっと……」


 メイファンのわずかな抵抗も虚しく、人と争わないというワンリーは全く抵抗することもなく、あっさりと兵士たちに捕らえられてしまった。





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