第20話 「試金石」
「お初にお目にかかります。私はモスキアでケイラン商会という、今は小さな商いをしている者です。ブッハルト・ケイランと申します」
言いながら、視線はレバタン伯爵からほとんど外さない。
にも関わらず、相手に威圧感も嫌悪感も与えないのは、ブッハルトの商人としての適正か。
ブッハルトは視界の端に入った調度品の数々を目聡く査定した。
良く言えば簡素。
しかしそこは来賓質である。
必要十分な調度品は整えられているものの、その質はと言えば、お世辞にも豪奢とは言いがたい。
ドワーフ族から贈られたと思われる一点モノの武具や置物などが、わずかに目を惹く程度だろうか。
だが、これはレバタン伯爵領・レオフォリオン城に限ったことではない。モスキエフ大公国においては、豪奢な建造物や調度はあまり好まれないのだ。
元が貧国であったから。
贅沢というものは、金があれば出来るというものではない。
個人のセンス以上に、積み重ねられた歴史がものを言うのだ。
すなわち、レバタン伯爵領には「贅沢」をする歴史がない。
では、レバタン伯爵領の者たちは、一体、何を積み重ねてきたのか。
今でこそ、レバタン領はモスキエフ大公国内でも一、二位を争う豊かな土地だが、凍った固い大地に鍬を立てた記憶は今尚彼らの中に生きている。
しかも、ある種の誇りと共に。
惨めな記憶ではない。
立ち上がった記憶である。
もし、客に来賓室が質素な理由を聞かれたら、ジュリオ・レバタンはとうとうと語るだろう。
レバタン領――に限らない、モスキエフ大公国に住まうエルフ族やドワーフ族たちは知っているのだろうか。
人族が、その記憶を誇らしく思っていることを。
エルフ族やドワーフ族たちは自分たちの祖先も、その誇らしい記憶の登場人物であったことを理解しているのだろうか。
誇らしい先祖の記憶は、いずれ人族だけのものになるかも知れない。
歴史、アイデンティティ、郷土愛、愛国心……どれも人族が大切にし、エルフ族が手放したものだ。
一度手放すと、再び手にすることが非常に困難なものでもある。
「初めまして。私はケイリィ・レグルス。『神聖シンバ皇国』という冒険者クランのメンバーです。今回は縁があって、こちらのブッハルト氏に同行させてもらっています」
「うむ。私がジュリオ・レバタンだ。紹介は以下草々にしてもらおうか。実は貴公らが討伐の用意があるという『バッソ傭兵団』の件で、少々立てこんでいる。貴公らの出来ることというのを、手短に頼む」
領主であるジュリオ・レバタンが有能だということはケイリィも聞き及んでいる。なるほど、なかなかの貫禄である。
『バッソ傭兵団』のことで立て込んでいると、ある意味、手の内を見せてきた点も好印象だ。
「(とすると、横にいる同じ顔をしたやつが息子のレイルか。もしかして、傭兵団の件で、相当焦ってる?)」
ケイリィが探りの言葉を入れようとした瞬間、まぁ、立ち話も何ですから、などと言いながら、ソファの並ぶ方へブッハルトが誘導する。
ケイリィは一瞬ギョッとしたが、ブッハルトの勧めは正しい。
確かにややこしい話になることは間違いないのだから、立ち話も何だ。つまり、非難を浴びることはない。
「(さすがは商人。相手の懐に入るのが上手い。懐に入りつつ、主導権も同時に主張するのか。大したもんだ)」
「レイル様もご同席をお願いします。守備隊の方々にも一部出張ってもらわねばなりませんので」
果たして、ブッハルト、あるいはケイリィたちの説明を、一方的にジュリオとレイルが聞くしかない構図が出来上がった。
「まさか、ブッハルト殿が我々を引き連れてバッソを討つ、などと言うのではありますまいな」
「それこそまさか。パンはパン屋でございますよ。『バッソ傭兵団』は我々が討ちます。ただし、守備隊の方々には援護をして頂きたい。いや、援護――じゃないですね。正確には何もしないでもらいたい」
「良く分からんな。具体的なアイデアを聞かせて欲しい」
「それは私が説明します。ようは少しの分隊を除いて、守備隊には他の契約傭兵たちとどこか別の地域へ移動してもらいます」
聞き手の集中力を高めるために、少しだけ会話を回り道する。
小細工と言うなかれ、交渉の際の初歩だろう。
「どういうことだ?」
「我々『神聖シンバ皇国』がレバタン伯爵領に攻めこむからです」
◇◆◆◆◇
「ジムは『マルスの灯火』ってパーティーを知ってるか?」
ラスカたちはハバストロクに戻った後、現在、一路モスキアを目指し、馬車に揺られている。
ハバストロクからは馬車による定期便が出ている為、足の用意は不要だ。
皆、一様に軽装である。
定期便に「冒険者割引」があることを、ラスカは今回初めて知った。
魔物や盗賊が出た際に対応することが条件で、運賃が二割ほど安くなるシステムだ。当然、利用した。
「知ってるも何も、目下、絶賛売り出し中の新進クランじゃねーか。この国の冒険者なら一度は聞いたことがあるはずだぜ」
「『煉獄祭壇』が自分のクランに誘ったんだけど、フラれたって話よね」
タチワナが補完する。
「まだクランと呼べるほどの規模じゃないけどな。彼らとは、一応、ちょっとだけ面識がある。今回の作戦には『マルスの灯火』の協力が必要だ」
「アテがあるって、『マルスの灯火』のことだったの?」
「おやおや、ハリチコの声が上ずってるよ。まぁ、若くて良い男揃いって噂だからねぇ。ははは」
「そんなんじゃないってば!」
タチワナがハリチコをからかう。
この手のノリは苦手のラスカだが、軽い合いの手と考え、特には問題にしない。チームワークはこういう所で培われるのだと、少なくとも頭では理解している。
「まぁ、良い男揃いかどうかは置いておいても、見所のあるパーティーなのは間違いない。腕も確かならさぞ女たちにもモテるんだろうよ」
「(見所て、確か『マルスの灯火』はB級だったはずだ。格上相手に、何でこいつは上から目線なんだ?)」
「王」だからである。
ラスカは努めてそう振舞っているのだ。
ジムの疑問はもっともではあるが、この場合、ジム側にラスカを「王」として受け入れる体制が出来ていないのだろう。なかなか難しいところだ。
「しかし、いくら『マルスの灯火』が優秀なクランだとしても、50人規模の傭兵団をマルスとウチだけじゃ無理だな。全部入れても15~16人だろ」
他の助っ人候補か、あるいは特殊な作戦か。
「それだけいれば十分だ。正々堂々と正面から討て」
一つ目の候補は『マルスの灯火』。
なるほど、彼らなら大いに活躍してくれるに違いない。
「で、二つ目の候補は?」
と皆が待っているところに、ラスカは「正々堂々と正面から」討つと断言した。
「「「「「はぁ?」」」」」
「マジか? 他の候補はいねーのか?」
「おいおい、俺が討てと言ったんだぞ。それなのに50人やそこらの傭兵団を相手に尻込みするのか? そんなんじゃ、この先、国なんてとてもとても……」
ラスカが半笑いで首を振る。
皆の顔に浮かんでいるのは困惑。
ほとんどノープランなことに対してではない。
ラスカが王様風を吹かせている件についてである。
ラスカが調子に乗っているとは思っていない。そこまでの馬鹿に従ったつもりはない。彼らとてその程度の人を見る目はあるつもりだ。
理由が分からないから困惑しているのだ。
当然、ラスカには理由がある。
「それは駄目だ。お前にも思うところがあるんだろうが、せめて戦力は五分じゃないと話にならない。命あっての物種だろう」
「ジムの言う通りだ。俺ぁ、たかが傭兵団ごときに芋引いてるんじゃないぞ。討つための駒が足りないと言ってるんだ」
討つ討たないのスタートラインにすら立っていないと力説するロン。
「くふふふ。そうやって命を薄めてどーすんの? 薄めりゃ、約束された良い未来でも待っているのか?」
ジムもロンもただただ困惑顔。
いかに妙な煽り方をされようと、ここは簡単には引き下がれない。
第一、命は薄めたり濃くしたりする類のモノではない。
命は大切にすべきだ。
子供でも知っている。
「いや、お前は若いからそう思うんだ。だが、良く考えるんだ。お前にそこまでの決定権はない」
ジムがラスカの態度を「若さゆえ」と決め付ける。
「これは戦だぞ!? 金も命も掛かってる! 薄いとか濃いとかの問題じゃない!」
ロンもジム同様。
「あるんだよ、ジム。国王には戦争をする権利がある。そして、統帥権も。王の夢見た未来に命を捧げることが国民の義務だろ?」
「これはごっこ遊びじゃない!」
ジムが激高する。
激高するが、しかし、ジムの中の何かが引っ掛かる。
「ちょっと待った。話が飛び過ぎてる。ラスカの主義主張はひとまず横に置こうよ。現実問題、『マルスの灯火』と『神聖シンバ皇国』だけで、どうやって討つのか、それが問題だろ? 戦って、はい、負けました、じゃそれこそ建国どころじゃないんじゃないかい?」
「違うよ、タチワナ。話は飛んでいない。問題は俺が言った通りさ。国民が王の命令に従うかどうかだよ」
タチワナが仲裁を買って出るも、即座にラスカに却下される。
「本気なのか?」
「本気だ」
ジムの目は真剣である。
真剣であるが故に、ジムの中の真剣でなかった部分が浮き彫りになる。
すなわち、「ごっこ遊び」をしていたのは、ジムの方ではないかと。
「俺は細かい話は苦手だが、ラスカの言ってることにも一理あると思うぞ。ようは、国同士が戦争になるとする。その時、勝てそうにないからと、戦から逃げることなんて出来ない、ってことだろう」
先ほどまで黙って聞いていたザキエフが静かに言葉を発した。
ザキエフは性格的に単純であるがゆえに、ラスカの過去の言葉も真面目に受け取っていたのだ。
「つまり、ごっこじゃないんだね……」
「当たり前だろ。ごっこじゃない。試金石と言って欲しい」
「ケイリィは納得してるのか?」
「分からんが、逃げることはしないと思う。その上で、勝つ方法を探るだろうな」
「「「「「……」」」」」
「戦はな、金と命を賭けるからこそ、見返りも大きいんだ。『バッソ傭兵団』? 俺に言わせりゃ、所詮は勝ち馬に乗って、暴れてるだけの鼻つまみ者さ」
ラスカはバッソ傭兵団を卑下しつつ、「所詮は勝ち馬に乗って」と表現することで、メンバーたちのことも批難しているのだ。
すなわち、「実はお前たちも勝ち馬に乗って暴れたかっただけじゃないのか?」と。リスク無しで博打を打とうと勘違いしていたのではないかと。
実は図星である。
ラスカの大法螺に乗ったように見えて、実は危なくなったらすぐに降りようと思っていたのだ。
覚悟の問題である。
「……こりゃ、マルス頼みになるねぇ。私が言うのも何だけど、ウチらのパーティーは長いこと固定メンバーでやってるから、息こそ合っているけど、戦闘力はそれほど高くないよ」
悪く言えば馴れ合い。
「知ってるよ。はっきり言って低い。そこに俺とケイリィが加わっても、後衛が多少厚くなるだけだ」
「『マルスの灯火』が『バッソ傭兵団』を突破しないことには、それこそ戦にならないよ」
言いつつ、タチワナはこの話に乗るようだ。
タチワナの中の真剣でなかった部分を指摘されたことによる、反発心も手伝っているのかも知れない。
「『バッソ傭兵団』には強力な前衛が2人いる。「狂刃」カルーと「四色熊」グレイブの2人だ。『マルスの灯火』にはこの2人を討ってもらう」
「あの……、まさか、皆さん、この案に乗るのですか?」
ずっと話の流れを追っていたが、さすがにもう我慢出来ない、といった雰囲気で皆に尋ねたのはセルゲィ・ヤノフスキ。エルフ族である。
「俺は乗るよ」
ザキエフである。
「本気ですか? 普通に死ぬ可能性高いですよ。全員無事というわけには行きません。第一、ラスカ君は見返りが大きいと言ってますが、その見返りが何か不明です。そもそも、『マルスの灯火』が乗るか否かさえ分からない。私は乗らないと思いますよ」
「俺は乗ると思ってるよ。リーダーには会ったことはないけど、連中の頭なら多分乗る。むしろ、チャンスだと思うはずだ」
ラスカが会ったことがあるのはスヴェン・ウォーカーとルシス・カラクの2人のみ。
ハバストロクの冒険者ギルドで軽く手玉に取られた経緯がある。
リーダーのゲイリー・チャップマンには会っていない。
「何のチャンスですか!?」
「顔と名前を売るチャンスさ。何せ、領主の目の前で自分たちの腕を見せられるんだからな。なかなかあるこっちゃない」
「……」
全くもって、意味が分からない。
この若いエルフ族は、どうしてそんな人族のような発想をするのか。
セルゲィが内心考えたのはそんなところ。
「ラスカ=エルフ族」と考えれば到底納得はいかない。
だが、「ラスカ=人族」と考えれば、いかにも人族の考えそうなことだと、妙に腑に落ちたようにセルゲィには感じられた。
「『マルスの灯火』だって、冒険者ギルドが請けたセコい仕事をこなしてるだけじゃ先は無いと考えているはずだ。レバタン伯爵と繋がりが出来れば、その後は他の貴族たちも芋づるだ」
S級にまで上り詰めれば叙爵され、そのまま男爵格デビューが待っているが、S級になれる保証などどこにもない。
『マルスの灯火』のリーダー、ゲイリー・チャップマンは人族である。
個人の技量だけでは短いピークがネックとなり、S級にまで上り詰めるのは並大抵ではない。一線で辣腕を振るえるのは、20代~40代だろう。実質、20年ほどしかない。
ゆえに、人族はクランの組織力をもって出世するのだ。
だが、冒険者が皆そう考えるとは限らない。
腕に自信の若い冒険者なら特に。
「『マルスの灯火』は命の危険よりも、貴族に顔と名前を売ることを優先すると?」
若い冒険者は己の腕一本で頂点を目指す。
いつか自分も老いることなど、夢にも思わない。
組織力や政治力を使って出世しようなどとは考えないのだ。
「優先する」
ラスカが断言した。
つまり、「若い人族は命よりも名を優先する」と。
「……」
断言されて、確かに「ありえるかも知れない」とセルゲィは内心呟いた。
確定した見返りなど何一つ無い。
否、むしろ、確定した見返りが無いからこそ、『マルスの灯火』は乗るかもしれないと。
若い冒険者にとって、未確定の見返りは、無限の見返りと区別が付かない可能性がある。
ブッハルトらと別れる前に、ケイリィは言っていた。
『レバタン伯爵を人質にして、『バッソ傭兵団』をおびき出します』
レバタン伯爵がケイリィの策に乗るかどうかは分からない。
だが、レバタン伯爵にしてみれば、戦の行方がどちらに転ぼうと、少なくとも身の安全は保証されている。
手柄が欲しい『バッソ傭兵団』がレバタンを傷つけるわけはないし、伯爵領で一旗揚げたい『神聖シンバ皇国』が傷つけることはもっとあり得ない。
「(マルスだけじゃない、伯爵も乗るかもしれない……)」
しかし――とセルゲィは考える。
たかが一傭兵団を追放する為だけに、伯爵自らがそこまでするだろうかと。
「(伯爵は人族か……)」
ジュリオ・レバタンは「覚悟を決める」可能性がある。
『責任』
『矜持』
『義務』
どれもエルフ族から遠い概念だ。
遠いからこそ――
ふぅ~っとセルゲィが息を吐く。
「……どう転ぶかは分かりませんが、マルスもレバタン伯爵もケイリィさんの策に乗るような気がしてきましたよ」
くふふふ、とセルゲィが笑った。
特に足止めが無ければ、『マルスの灯火』の拠点であるモスキアに到着するのは11日後。
ラスカによるメンバーたちの意識改革は始まったばかりである。




