第1話 「ラスカ・ヴォロノフ」
北大陸の東半分近くを占めるモスキエフ大公国。
一般にそう言われるが、実は放棄された土地がさらに東にある。なぜ、放棄されているのか。
地上最強の種族、『巨人族』が住まう土地だからだ。
巨人族は他の種族との交流がほとんどない。
一説にはアラトの古代種族とされており、始祖大陸を発祥とする他の種族と明確に区別される。魔族ですら、始祖大陸を発祥の地としているにも関わらず。
それは『始祖極星』――すなわち、始祖大陸を管理、運営する合資ギルドによる始祖大陸の追跡調査によっても裏付けられた。
遺跡や出土した文献や資料から、『巨人族』の痕跡が発見されなかったからである。
ちなみに、古代種族と考えられている種族は『巨人族』だけではない。かつて巨人族と共にアラトを二分したとされる『竜人族』がいたが、すでに絶滅して久しいとされる。
つまり、北大陸と呼ばれる大陸は、そのおよそ85%を指す名称である。残りの15%は、一応、公式には未踏地とされている。その15%に『巨人族』が暮らしているというわけだ。
巨人族の人口は5万人とも10万人とも言われている。多いと思うか少ないと思うかは人それぞれであろう。いずれにしても、情報が少ない為、それ以上、議論が進まないのだ。
たった5万人か10万人程度の国、過去に滅ぼすことは出来なかったのだろうか。
試した国は、あるにはある。
シンバ皇国がそうだ。
巨人族を『北威』と呼び、アムーラス河を渡り、侵攻した。だが、万全の体勢で臨んだシンバ皇国軍10万は、わずか100人にも満たない巨人族の前に殲滅の憂き目にあった。
巨人族の第一防衛線すら超えることは出来なかったのだ。
そもそも、それが彼らの「防衛線」だったのかさえ、怪しいとされている。
身長3mを超える巨人族の戦士。
2m以上もある分厚い超ロングソード――否、鉄塊を片手で自在に操り、半端な魔術攻撃など歯牙にもかけない強靭な肉体を誇る。
また、戦場を駆ける無尽蔵のスタミナ。
全身に赤い魔法陣を発現させ、シンバ皇国軍を蹂躙する姿は、地獄の悪鬼そのものであったという。
「今後、子々孫々に至るまで、二度と北を目指すことは皇帝の名において、絶対に許さん」
巨人族の前に大敗を喫した、時のシンバ皇国皇帝リョク・ホウフェンは、そう宣言したという。
彼はその戦で、次期皇帝を約束されていた息子を失っている。
余程巨人族への恐怖がトラウマとなったのだろう。皇国の北方に緩衝地帯として、エルフ族の自治区を配置したほどだ。
その後、リョク・ホウフェンの言葉はシンバ皇国内では長く守られ、北の巨人族のことは無視された。
にも関わらず、『大災害』によって、シンバ皇国自体が地図から消えたのは、皮肉にしては出来過ぎだろう。
モスキエフ大公国の土地が広いのも、巨人族のお陰である。
北大陸の中での、緩衝地帯と考えられているのだ。
モスキエフ大公国最東端の町キエベ。
ヴォロノフ家が居を構えているのは、そこよりさらに東。
二つほど山を越えれば、そこはもう、巨人族の領地(とされる土地)である。
「来年、16になったら、俺はアルフォ山脈を越えようと思う。力試しがしたい」
ラスカ・ヴォロノフ15歳。男性。
発言の内容は血気盛んな若者のそれだが、真っ白な肌に、さらさらの銀髪。身長こそ183cmと平均以上だが、エルフ族特有の、華奢な身体つきとあっては説得力は皆無である。
なぜなら、ラスカの言うアルフォ山脈とは、巨人族の住む土地とモスキエフ大公国を隔てる、「非公式国境」だからだ。
アルフォ山脈を越える、というのは、巨人族に喧嘩を売りに行く、という意味である。
「馬鹿か、お前。巨人族に見つかって、殺されるのがオチだ。立ち木に串刺しにされて晒されるか、全身をぶつ切りにされて煮込まれるか。助けてくれと叫んでも、言葉も通じない。冬学校で教わったろ」
国境が非公式なのは、交流が全くないからだ。
使者を送っても、使者は行方不明になるばかりで、それを何度か繰り返すうち、巨人族の土地は不可侵領土として、周辺国には認識されていた。
「心配ない。俺には種族特性なしの天賦の『スキル』がある。お前にはステータス鑑定書を見せたことあるだろ」
「あぁ、『古代アラト語』か。始祖大陸発祥の『古代語』よりも、更に古いっていうやつだろ。スキルを試そうにも、『古代アラト語』で書かれた書物が存在しないという」
そう言って、ケイリィがけらけらと笑う。
始祖大陸発祥の言語は『古代語』である。
航海王子エトゥがこのスキルを持っていたお陰で、始祖大陸発見後の調査が随分と捗ったという。現在では、様々な資料から『古代語』は完全に解読されており、根気は必要だが、スキルに頼らず、学習によって誰でも習得可能である。
だが、ラスカの持つスキル、『古代アラト語』は、『古代語』とは別である。
なぜなら――
「古代語が読めなかったからな。だとしたら、『古代アラト語』とは、始祖大陸以前の言語に決まっている。つまり、巨人族は『古代アラト語』を使っている。過去、誰もまともに巨人族とコミュニケーションを取れなかったのはその為だ。」
周辺国において、巨人族に対する強硬論が出なかったのは、巨人族の圧倒的戦力だけが理由ではない。
巨人族は人族の土地に全く興味がないのか、「不可侵領土」より外には全くと言って良いほど、出てこないからだ。
つまり、触らぬ神に祟りなし、を貫いてさえいれば、安全に暮らせるというわけだ。
「そもそもシンバ皇国の伝説は眉唾だ。3m以上の身長が真実なら、エルフや人族よりも速く動けるわけがない。それにやつらはコイツが――使えないッ!」
直径30cmほどの火球が前方の雪を溶かしながら、真っ直ぐ飛んでゆく。
「お、歩きやすくなった。つか、お前の言葉を借りれば、巨人族が魔術を使えない、というのも眉唾だけどな。単に、魔術を使えない部隊だっただけかも知れない。ちなみに、巨人族は力だけじゃなく、動きも速いらしいぞ。シンバ皇国軍は一人の巨人族すら討てなかったんだ、10万人もいて」
当時、従軍した皇国軍兵士の報告の中に、「巨人族の兵士は魔術を全く使わなかった」という記録が残っている。
もっとも、シンバ皇国の古い資料は「大災害」によって、ほとんどが失われており、周辺国の外交資料などに、わずかに残るのみであるが。
わずかに残っている記録によると、巨人族は巨大な剣のみで、皇国軍10万を蹴散らしたという。
全身に赤い魔法陣を纏い、戦場を蹂躙する巨人族に興味を持った皇国軍指揮官もいたらしいが、一体の死体すら回収出来なかった。
「それこそ、眉唾の最たるもんさ。戦で一人も倒せないなんてことはあり得ないぜ、ケイリィ。巨人族がどんなに強くても、常識的に考えれば、シンバの皇帝が国の内外に、負け戦の言い訳をしたんだろ。皇帝の息子が従軍していたらしいからな。外聞が悪い。俺は、実際のところ、皇国軍は巨人族にではなく、寒さに負けたんじゃないかとさえ思ってるよ」
ケイリィ・レグルス15歳。男性。
ラスカと同じ冬学校に通う幼友達である。身長はラスカと同じくらいだが、ラスカに比べると身体は厚い。生活環境が影響しているのだろう。
金髪の癖っ毛がトレードマークになっている。
耳が純血統のエルフに比べて小さいのは、何世代か前にエルフ以外の血が混じっているからだろう。
冬学校は冬の数ヶ月の間だけ開かれる学校のこと。ラスカの曽祖父であるキェト・ヴォロノフが当時の大公、ルワルドス・ヴァーリに進言し、創設された公立学校だ。
目的は子供たちの教育だが、実際は、エドラ正教対策とされる。子供たちに、エドラ正教の奇天烈な神話を刷り込ませない為である。
その効果のほどは、モスキエフ大公国の現状を見れば、あまり高いとは言えないだろう。
「つまり、強いことは強いが、伝説ほど圧倒的というわけじゃないと。ラスカの言うことも一理あるとは思うが、伝説が正しい可能性もある。俺たちが生まれるずっと前には、『始祖大陸』ですら、伝説だったんだぜ。でも、実際にあったろ。冒険がしたいのなら東じゃなく、南にすべきだ」
南とはすなわち、中央大陸、旧シンバ皇国を指す。
「南は後回しだ。その前に巨人族の国に行って、戦力の補充こそ国造りの第一と考える。南の元シンバ皇国領は、俺の国を作る場所だ」
「?」
ケイリィの表情が固まる。
「だから、南はモスキエフ大公国を潰した後、って話だ」
「いやいやいや、お前、何言ってんの? 15にもなって、何むちゃくちゃな話してんのよ。 若者は未知を求めて、荒野へ冒険の旅に出るっていう、そういう話だろ。何でこの国を潰すとか、国造りとかわけわかんない話してんだ?」
ケイリィが些かオーバーなアクションを交えて、ラスカの言葉を全否定する。
ケイリィの反応は何も間違っていない。
ケイリィでなくとも、一笑に付すか、正気を疑われるのがオチだろう。
「ケイリィはエルフ族の国があれば良いと思わないか? 世界の国は全て人族の国じゃないか。ここモスキエフ大公国だって。人族の国だから、何となく、俺たちエルフは肩身が狭い。俺たちエルフ族の国があっても良いはずだろ」
「巨人族は巨人族だけで領土を守っているから、巨人族の国に行くってか? そりゃ、どう考えてもおかしな理屈だぞ、ラスカ。不可侵領土が巨人族の国かどうかは分かってない。単に少数の巨人族が細々と住んでる土地という話もある」
「それを国と言うのだろ。俺はエルフ族が住んでいる土地を創りたいんだ。少数だろうと、細々とだろうとな」
「エルフ族の国を中央大陸に造るってか。それなら、この国を潰す意味がないし、巨人族の土地に行く理由はもっとない。それに、中央大陸に南進したら、五大国が黙っちゃいない。お前はこの国と、巨人族の国と、五大国、その全てと戦争したいのか?」
ケイリィの言葉は、ラスカが暇な時や、寝る前に考えた結果、もし、望むままに道を進めば、どうしてもそうなってしまう未来だった。
それをケイリィは即座に指摘した。
ラスカは振り返り、巨人族の住まうアルフォ山脈の方向を見て、目を細める。
上手く行けば行くほど、ひたすら戦争を繰り返すことになる。
国――もっと小さな組織でも同じだが、戦とは金が掛かるものであり、そうそう連戦出来るものではない。戦争をすることで、国や組織が疲弊せず、むしろ巨大化していくのは稀なのだ。
各地の反政府組織を吸収しながら、目的まで一気に突き進むのは、単純なようで難しい。
なぜなら、そのような一揆的な組織は、そもそも参加者達の目的が略奪にあり、一度でも負ければすぐに逃散するからだ。お祭り気分で、勢いのある方に事大しているに過ぎない。
ラスカがモスキエフ大公国にクーデターを起こそうとする目的は、大公位の簒奪ではない。人族以外の種族による連帯と組織化である。その為には、クーデターというのは丁度良い餌程度にしか考えていない。あくまでも、ラスカの目的は建国であり、簒奪ではないからだ。
ラスカは真意を説明しようかとも思ったが、少し考えた後、話題を変えた。
「ケイリィは『種族特性』という言葉を知ってるか?」
「見た目の特徴以外なら、エルフ族は魔術が得意だったり、人族は繁殖力旺盛。獣人族は運動神経に優れ、ドワーフのモグラどもは土いじりが得意とかだろ。それがどうかしたか?」
「まぁ、そんなとこだな。特性と言いつつ、優性項目だけを挙げているようだが、まぁ、今はそれは置いておこう。で、だ。俺はある恐ろしい事実に気付いたんだよ」
「ほぅ」
「『国家』というのはな、人族の種族特性なんだ」
「そんなスキルは……聞いたことがないが」
「確かにスキルではないな。ただ、人族はそもそも種族特性として、国造りや国家運営が上手いんだ――いや、違うな。上手いと言うより、国造りや国家運営を、生きる目的に出来るのさ」
ケイリィはラスカの言葉に、少し驚いた後、考え込む。
「初めて聞く珍説だが、不思議と腑に落ちる点もあるな。俺はモスキエフ大公国の国民だが、この国への帰属意識が、多分、人族の連中よりも少ない。ラスカもそうだろ?」
「もちろんだ。でも、その原因は、エルフ族が国造りの為に命を賭けた歴史がないからだよ」
「だから、国造りに命を賭ければ、エルフ族にも国への帰属意識が生まれると?」
「昔、爺さんから聞いたことがあるんだ。爺さんの親父、つまり、俺の曾爺さんな。名前をキェト・ヴォロノフと言うんだが、曾爺さんはこの国の要人だったんだ、大臣なんかも務めたな」
「お前の曾爺さんのことは知らんが、『五月興国』の際には、いろんな種族がこの国の復興に尽力したらしいな。とすると、お前の珍説の綻びが、早くも顔を出したんじゃないか?」
つまり、エルフ族も国造りの命を賭けた過去があるということ。他ならぬラスカの曽祖父が良い例だというわけだ。
「この国の基礎を築いた人たちは、元はシンバ皇国の『大災害』から逃げてきた人たちだったんだ。昔は本当に貧しい国だったらしいぜ」
エルフ族は今でも貧しいがな、と付け加えようとしたが、ラスカは思いとどまった。
モスキエフ大公国以外の国では、エルフ族が特に貧しいという話は聞かないからだ。魔術に長けている上に、長生き出来る分、むしろ金持ちは多いと。
「まるでエルフやドワーフがこの国を作ったような言い方だけど、実際は、モスキエフ大公国は昔からあったんだ。その復興に俺たちの先祖が役に立ったとしてもな」
「その通りだ」
「お前の珍説――国造りは人族の種族特性という話な、それが正しいとしたら、やはり、お前の夢物語は土台無理な話だぜ。なぜなら、中央大陸には国がない」
「あるじゃないか。『シンバ皇国』が。俺たちエルフ族は、シンバ皇国の復興に尽力するんだよ。俺たちエルフ族に、種族特性として国造りの才能がないとしても、復興なら問題ないだろ。過去にやった経験があるんだから」
「滅びて久しいシンバ皇国を復興? 夢物語も大概にしろよ、ラスカ」
「おお、友よ。夢物語ではない、現実が近付いてきたぞ」
ケイリィの語気に、少しイラッときたラスカは、芝居がかった口調で言い返す。
ケイリィ一家の住む家が見えてきた。今にも朽ちて崩れそうなあばら家が、降り積もった雪の中から、わずかに確認できた。
それはまさしくケイリィ・レグルスにとっての現実であった。
両親とも健在だが、時々、日雇いの仕事をしては、少量の木の実を齧って飢えをしのいでいる状態である。必要にして最低限、死なない為のギリギリの生活だ。だが、ケイリィの両親はどういうわけか、それ以上働いて稼ごうとはしない。怠け者というわけでもないのだろうが。
貧しく、活気のないあばら家はケイリィに限らず、モスキエフ大公国に住むエルフ族の象徴のようにも思われた。
「結局、人族の国では、いつまで経っても、エルフ族は部外者なんだよ。おっと、俺は別に人族の差別云々を糾弾したいわけじゃないぜ。エルフ族は搾取されているとか、就業差別されているとか、そういう話じゃない」
「じゃぁ、どういう話だよ」
決定的な言葉が欲しい。
ケイリィはラスカの口から聞きたいような、耳を塞ぎたいような、不思議な感覚に囚われていた。
「俺はお前の親父さんもお袋さんも知っている。知っていて言うが、あんなあばら家で、まともに食うものもなく生活しなくてはならないほど、馬鹿でも無能でもない」
自分の親である。
大体のことなら知っている。
「馬鹿」、「無能」、手厳しい言葉だが、それでも足りない。
もっと決定的な、全てを説明する言葉が欲しい。
「……」
「それなら、原因は何だ? 貧乏が種族特性か? それとも、人族に搾取されているから? 違うな。答えは簡単だ。命を賭けたことがないからさ。リスクを負わない者に、対価は支払われない」
「……」
「個人レベルでは優秀な魔術師を多く輩出しつつも、結局は、全て人族に利用され、人族の運営する国家を強化する結果になっているんだ。俺の曾爺さんは大臣を務めたくらいの人だったから、お前の家よりはマシな部類だが、何、大した差はない。今じゃ、金になりそうな財産なんて残ってないしな。俺だって、冒険者にでもなって出世しなきゃ、正直、今後は生きていけないと思ってる」
「……ラスカ、一つ良いか? エルフ族は人族よりも劣等なのか?」
「劣等だ」
ラスカはたった一言で返す。
耳を塞ぎたいのに、ケイリィが一番聞きたかった言葉、「劣等」。
エルフ族は人族に劣るという現実。
「記憶力だって、魔術だって、人族よりも優れているのにか?」
見下している相手が、実は自分たちよりも優越している現実。
「そうだ。俺たちは、人族の作った国――否、人族の造った世界の中でしか生きていけない。そんな劣等種が、人族よりも『豊かな生活』を送ろうなんて、土台無理な話だ」
日々の生活だけではない。
もっと言うなら、「豊かな人生」。
それは、優秀だからという理由で、天より降ってくるのではない。
エルフ族の一生は長い。
長いゆえに、考える時間は多い。
ケイリィの疑問も、ラスカの返答も、モスキエフ大公国内に住むエルフ族なら一度は辿り着く疑問であり、回答であった。
「俺たちが無能な人族たちよりも下だってのか?」
ケイリィも薄々気付いていた。
既にケイリィの中で答えの出ている質問を繰り返す。
「15にもなって、初めて気付いたといった台詞だな。もう一度、あの現実を良く見るんだ。人族よりも劣等だという、動かしがたい証拠だろう? 何、心配するな。お前だけが劣等なわけじゃないから」
ラスカはそう言って、ケイリィが住むあばら家を指差す。
問題は、エルフ族が人族に劣ることではない。
「平等」や「権利」などといった、お為ごかしの相対化で根本を曖昧にしてはならない。また、「記憶力」や「寿命」や「魔力容量」などといった個別の特性に矮小化させてもならない。
そうやって「現実逃避」を続けた結果が、今のエルフ族の現状なのだから。
現実はどこまで言っても現実として存在しているのだから、本来、「現実逃避」という言葉は矛盾している。
逃避した先も、また現実なのだから。
「国造りに命を賭けることが、人族とエルフ族の違いか?」
「国造りは人族の優れた点の一つにすぎない。人族の本当に優れている性質は一つのことに要約出来るんだ」
「それは何だ?」
「夢物語に生きることが出来る」
「!?」
「お前はさっき、俺の『野心』を夢物語と笑ったな。しかし、人族ならおそらく笑わない。なぜなら、その野心を実現させた者が、歴史上、いくらでもいるからだ。夢物語だと笑うことは、実は種族としては哀しむべきことなんだぜ」
「もし、ラスカの野心が、例えば『世界一の魔術師になる』というものだったら、確かに笑わなかったかも知れない……」
「人族はな、夢物語に生きるんだ。夢とは、過去じゃない。未来のことだよ。人族は未来の為に、今、命を賭けるんだ。未来に命を捧げると言っても良い。そんなこと、他の種族には出来ない」
「エルフ族は未来の為に、命を賭けられない……と」
「そうだ。エルフ族は『献身』から最も遠い種族かも知れない。お前、エルフの長老たちの楽しみを知っているか? 子や孫の未来を願うことじゃないんだ。彼らの楽しみは、今まで生きた長い人生の中の、楽しかった出来事を思い出し、何度も何度も反芻することなんだ。彼らは過去に生きているんだよ」
ケイリィは両親の姿を思い浮かべる。長老とは程遠い、まだ60代の働き盛りのはずだが、ただ、家の中でジッとしているだけだ。
エルフ族は他の種族に比べ、活動を制限することで、極端にカロリー消費を抑えることが可能だが、それが悪い方に作用している形だ。ジッとしているだけなら、日に、コップ一杯の水と木の実数粒で足りるという。
「もし、彼らが家族や仲間、子孫の為にその長い時間を捧げていたなら、ここまで種族として没落することはなかっただろうな」
確かにモスキエフ大公国のエルフ族の現状は、ラスカの言う通り、厳しいものがある。
ただし、エルフ族の名誉の為に弁解しておくなら、モスキエフ大公国の辿った歴史的背景や、地理的条件も影響している。なぜなら、他の大陸のエルフ族はその種族特性として近似する部分はあっても、モスキエフ大公国の場合ほど酷くはないからだ。
先のケイリィの言葉ではないが、世界一の魔術師や英雄など、優秀なエルフ族は多い。そも、魔術の発展とエルフ族は切っても切れない関係にある。魔術の歴史は、エルフ族の歴史と言っても過言ではないほどに。
ラスカもケイリィもまだ15歳。身近な問題を一般論として語っているに過ぎない。真実を突いている場合もあるし、的外れな場合もあるだろう。
「しかし、実際に夢物語に命を賭けるとなると大変だぞ。別に、国造りに賭けようって話じゃない。国造りじゃなくても、他の何でも構わんが、いずれにしても、命は一つしかないし、人生は一度きりだ。失うものが大きすぎる」
「もっともだ。だが、それがエルフ族が個人では優秀なのに、種族としては劣等な原因でもあるんじゃないかな。エルフ族ってのは、他の種族が切り拓いた道に限って、速く歩くことが出来るのさ。それを優秀さだと錯覚している。全くのところ、おめでたい話だよ」
「……」
「最も優れているのは、最初に荒野に道を拓いた者だ。人族はその一人を輩出する為に、1000人でも万人でも犠牲にする。彼らは連帯し、献身を捧げるんだ。そして、100年掛かろうが、1000年掛かろうが、彼らはやる。これを『合成の誤謬』と言う」
「合成の誤謬……?」
「そうだ。小さな部分では正しいが、全体としては間違っている、という意味だな。逆も真。エルフ族は個人では正しい道を速く歩けるが、全体としては、間違った道を歩いている、というところかな。何のことはない、人族の造った国で、人族の作ったルールに縛られて生きているのさ。それが賢い生き方だと信じてな。それを劣等と言わず、何と言うのか」
ラスカの放つ切れ味鋭い剣先が、ケイリィのわずかに残ったプライドを切り刻んでゆく。
だが、それはラスカも同じである。
ラスカもケイリィと同じ、エルフ族の一人なのだから。
おそらく、何か理由があるのだろう。
「人族は個人では劣っているように見えても、全体としては、優れているということか。先の種族特性についての珍説以上の珍説ではあるが……なるほどと頷かざるを得ない部分も含んでいる」
「珍説」という言葉を使うことで、何とか崩れ落ちそうな心に鞭を入れる。それでも、部分肯定は、もはや逃避に近いとケイリィは自覚していた。
優れた記憶力、優れた魔術、優れた容姿――。
それら全てが、実は単なる根拠の無い自信に過ぎなかったのではないかと。
「珍説ついでにもう一つ。これは俺の遠い未来の予想だが、1000年後、エルフ族は滅びていると思うぜ。エルフ族は未来を切り拓くより、緩慢な死を選ぶ種族だ。差別だと? 搾取? 弾圧? 俺に言わせれば、人族が本気でエルフ族を駆逐しようと思ったら、10年と経たず絶滅するだろう。未来を切り拓くこともなく、コップ一杯の水と、木の実数粒を齧って、一日中薄暗いボロ家にこもって、ジッとしているような種族が、絶滅しない方がおかしい」
「……厳しいな。だが、ラスカの意見ももっともだと思えるのは、一面の真実を言い当てているからだろうな。厳し過ぎて、逆に痛快な気分すら抱く自分がいるよ」
心がボロボロになりながらも、友の正しい言葉に理解を示すのは、15歳という若さも理由だろう。
「正直、俺は一刻の猶予もないと思っている……」
「……」
冬の峠は越し、あとは春の雪解けを待つだけである。
にも関わらず、ケイリィの首筋を、ヒヤリと冷たい風が通り過ぎたような気がした。
「絶滅」という言葉は、年若いエルフ族にとっては、それほどに新鮮で、残酷な響きを持っていた。
「くふふふ。どうするね、ケイリィ君。世界の真理の一端を覗いてしまった君にとって、これから先の200年以上の時間は長いぞ」
少しおどけた様子でケイリィを煽るラスカ。
友人同士の真面目な語らいの中にあっても、緊張と緩和は重要である。真剣であればある程、緩和の重要性は増すだろう。
「お前の珍説を補完するつもりはないけど、その200年以上生きるってのも、どうやら原因の一つになりそうだ」
「どういうことだ?」
「ようは、賭けるチップとしちゃぁ、200年の未来というのは、大きすぎるんだよ。16歳の人族とエルフ族、成人ほやほやの二人がいるとする。二人が戦の最前線に立つとして、同じく命を賭けているわけだけど、どう考えてもフェアじゃないだろ」
ケイリィの上手い例えに、ラスカが「ふむふむ」と頷く。
「つまり、人族は50年の未来しかベットしていないのに、エルフ族は200年の未来をベットしていると。一理あるな。獣人族が戦で強いのも、そう考えると道理かもな。獣人族は人族よりも寿命が短いから」
「そういうことだ。獣人族の場合、短すぎて刹那的すぎる気がしないでもないが――。ん? なるほど、今がその時か。おい、ラスカ」
「何だ?」
「俺はいつでも良いと思っていたんだが、何となく、今がその気分だ。ダラダラ時間が過ぎるのを放置するのは、お前の話を聞いた後だと、罪だとさえ感じ。このまま町に行って、冒険者登録をしないか? 一刻の猶予もないんだろ?」
ラスカがニヤリと笑う。
友を誘うこと幾度か。その度に、のらりくらりと避わされ、延び延びになっていた。
どうやら、本日の種族特性問答、ラスカの狙いはこのあたりにあったか。
ラスカにとっては、時に厳しい言葉で、自らも傷つけながらの珍説開陳であったが、目的は達したようだ。
「やっとその気か。この日の為に、お前の分も用意しているぞ。受け取れ。登録に銀貨が一枚必要だ。どうせ、金はねぇんだろ?」
ピィンッ
パシィッ
周囲が雪だと積もった雪が音を吸収して、響かないとされるが、ラスカが指で銀貨を弾いた音と、ケイリィが空中でしっかりと受け取った音は、澄んだ空気の中、不思議と響いた。
「悪いな」
「構わんさ、最初の報酬から抜かせてもらう。俺たちなら、すぐにランクを駆け上がるさ」
「何しろ、人族が拓いた道を歩くのは得意な種族なんだろ?」
くふふ、とケイリィが笑えば、ラスカも同じく笑う。
「違いない。俺はこれから先、とことん、人族の拓いた道を利用させてもらうつもりだ。それが、かつて中央大陸にあった、今は存在しない国であろうとな」
「どの道、うちには魔術大学に進む金なんてないんだ。エドラのエロ司教相手にケツの穴を売るなんてのは御免だし、結局、俺は冒険者稼業で身を立てるしかない。巨人族の国云々はともかく、将来を考えるなら、俺もこいつで生きて行きたい――『氷柱蓮華』ッ!」
道の両端に3mほどの、先の尖った氷柱が次々に屹立する。
「相変わらず、見事だな。未来の『焔帝』と『氷帝』が組むんだ。あっという間に駆け上がってやるさ。金が出来たら、すぐにクランを結成するぞ」
「食い詰めたエルフや獣人族はいくらでもいる。冒険者と傭兵、『二足のブーツ』も悪くない」
「どちらも汗臭そうなブーツだな」
大声で笑い合う二人。
夢は今が過酷な状況であればある程、美しく咲く。
しかし、敵は現実である。
それは人族であろうと、エルフ族であろうと変わらない。
強者とは、大きな剣を振るうとか、大規模魔術を使えるとか、そういうことではない。どんな過酷な状況でも、不屈の闘志で立ち上がる者のことを言う。
不屈の闘志のみが、不可能を可能とするのだ。
ラスカ・ヴォロノフとケイリィ・レグルス。
二人はエルフ族である。
エルフ族の寿命は長い。
ゆえに、時間はある。
問題は、その時間をどう使うか。
もし、厳しい現実が立ちはだかるのなら、人族よりも長い時間、その現実と立ち向かわなくてはならない。
誰だって苦労はしたくない。
時限付きの苦労なら耐えられても、いつまで続くか分からない苦労は耐え難いものだ。
そうなれば、もはや自家中毒か、それとも呪いか、あるいは自縄自縛――。
だからこそ、エルフ族は賢く生きようとする。
有能な者ほど、冒険はしない。それが賢い生き方だと信じている。彼らは既に拓かれた道を最速で歩こうとするのだ。
だが、それがその種族にとって正しい生き方だとは限らない。
現に、モスキエフ大公国における人族とエルフ族の平均収入を比べたら、人族の方が遥かに高い。
それを差別だ、搾取だ、と階級闘争に血道を上げるのも一つの道だろう。しかし、それもまた、人族が作った国家というシステムにおける一要素に過ぎないのだ。
階級闘争は闘争の先に示される世界こそが重要である。
新世界を描けない者による階級闘争など、子供の癇癪にも劣る。国家や現実は、子の癇癪を許す親ほど優しくはない。必ず対価を要求される。何のリスクもなく闘争など出来るはずがない。
種族特性としてエルフ族は魔術が得意とされているが、全てのエルフ族が魔術の巧者というわけではない。他種族に比べ、多少魔力が多いとしても、訓練しなければ魔術は身に付かない。
生活魔術ならいざ知らず、人よりも良い暮らしをする為の魔術を身に付けようと思えば、それなりの努力は必要なのだ。
その為、生活魔術以外は使えないエルフ族も多い。
エルフ族は易きに流される種族でもあるのだ。
彼らはリスクを極端に避ける傾向がある。仲間との連帯を避けるのも同じ理由による。仲間が犯したミスの為に、被害が自分にも及ぶことが堪えられないのだ。賢いがゆえに。
それこそが、他種族に比べ個人の能力はいくらか高くても、結局のところ、集団としては人族に劣る原因と言える。
魔術師になる為には、かつて開発された魔術を、記憶し、学習する過程が必要となる。それを最適な場所で、最適な規模で展開させるのが優秀な魔術師だ。エルフ族にとって得意の分野と言える。
しかし、真っ白な未来に、夢や野望を描くことは、また別の能力が必要となる。金や安定とは別の思想や価値体系が必要となるからだ。エルフ族が苦手とする分野であろう。
均された道なら速く走るが、未知の荒野は走れない。
それがステータスには表示されない、エルフ族の種族特性だ。
二人のエルフの若者は、これから彼らの未来に立ちはだかる現実と、どう戦うのだろうか。
その戦いに勝つためには、不屈の闘志と鉄の結束が必要だ。
髪の毛一本、最期の血の一滴に至るまで、ことごとく、拠って立つ大地に捧げなくてはならない。
そこまでして、やっとスタート地点。
運命の女神は貪欲だ。
「あ、金を出すのは俺なんだから、一応、俺がリーダーな」
「仕方ねぇ、それなら俺が副リーダーだ。いくらリーダーだからって、あんまり命令すんなよ」
二人の最初の一歩は、一面真っ白な、足跡一つない雪の上に記された。
その一歩を運命の女神は見ていただろうか。