第18話 「値踏み」
「すいやせん、旦那。あっしに人を見る目がなかったばっかりに」
御者の震える小声は今にも消え入りそうだ。
ブッハルトはケイリィたちに「部屋を片付ける」と言って、一階の食堂でしばしの時間待ってもらっている。
「こう見えて、人を見る目は貴方と変わりありません。それにラング、今回ばかりは、逆に大きな魚を釣り上げたかも知れませんよ。くふふ」
ブッハルトが畏まる御者を優しく諭す。
本当にハメられたのなら、冷静にいられるわけはない。ホロ酔い気分だけではないのだろう。
「長逗留も悪いことばかりじゃありません」
果報を寝て待つのはアラトでも同様らしい。
「ラング、下に行って、人数分のジョッキを借りてきて下さい。それと、貴方たちの部屋から椅子も。えっと、3脚お願いします」
「へい!」
ラングと呼ばれた男がすぐに部屋を出ていく。
御者というよりは、身の回りの仕事全般を請け負っている下男なのだろう。
「神聖シンバ皇国」4人とブッハルトで5人。
ブッハルトが借りている部屋は安宿にしては広い方だが、さすがに5人分の椅子はない。
相部屋の予定だったのだろうか。
ベッドは二つ。
使われていない方のベッドを見やるブッハルトの表情は寂しそうな陰が差していた。
◇
「途中でおかしいとは思ったんですけどね。親父の言った通り、商売で一番難しいのは損切りのようです、『フクロウの両翼』さん」
ただの流れの冒険者に声をかけたつもりが、自分が依頼した「ゴブリンの巣討伐」を受けたパーティーであった。
そんな偶然があるわけがない。
最初から、的に掛けられていたのだと。
テーブルを囲むように椅子が並び、めいめいが腰掛ける。
ラングや他の付き人たちは隣の部屋に待機しているようだ。
「損かどうかは、まずは話を聞いてからお願いします。それに、『フクロウの両翼』はただの臨時クラン名。本当のクラン名は『神聖シンバ皇国』で間違いありません」
ブッハルトもケイリィが嘘を付いているとは思っていない。
本当のクラン名が『神聖シンバ皇国』だと言うのなら、事実、それがクラン名なのだろう。
だからこそ、ブッハルトは苦笑いで返すしかない。
お互いに想定外の事態が続いている。
本来、ケイリィたちの任務(?)はブッハルトの身辺を洗うことだったはず。
それがなぜ、意味不明の交渉の場に同席する格好になっているのか。
ブッハルトにしても同様で、単なる暇潰しのつもりであった。
目下の懸案事項はあったが、それを流れの冒険者たちを使って解決しようとは考えてもいなかった。
「ブッハルトさんにまず聞きたいんだが、エルグレン村に残っていたのはどうしてだい? 別に責めようってわけじゃないんだが、実の娘がゴブリンの苗床になってるってのに、それほど取り乱した様子もねぇし」
冒険者ギルドに依頼を出し、今はフィフス村の隣のエルグレン村で待機している。
ゴブリンの討伐が済めば、その後、早急に娘の遺体は回収したい。
ならば、現場に近い方が良いだろうと。
一応、ブッハルトとしてはやれることはやった状況ではある。
ただ、ジムが問題にしているのは気持ちの問題である。どうしてそこまで割り切れるのかと。
「確かに仰る通り、ホルダのことはもう諦めています。実際問題、諦めるしかないですからね。人でなしと罵ってくれても構いません。ただ、浮かんでしまったんですよ、アイデアが」
ブッハルトがニヤリと笑う。
「アイデア?」
「ええ、商売のアイデアです。業が深いと、我ながら嫌になりますが、こればかりはどうしようもありません。巣討伐の知らせを聞くために残っていたのは本当ですよ」
「業ねぇ。どんな大層なアイデアなのか、俺たちにも聞かせてくれよ」
ジムが問い質す。
ブッハルトを責めるつもりはないが、どうしても言葉がキツくなる。
そもそもブッハルトが娘の安否を気遣い、憔悴していようと、冒険者相手に酔っ払っていようと、他人であるジムには何の関係もない。
人族らしい正義感と言えば聞こえは良いが、実際には仕事に集中していない証拠であろう。
この場でわざわざ余計な感情をアピールする必要性は皆無だ。
ジムが知りえない事情が親子の間にあるのかも知れないからだ。
ただし、その微妙な機微にケイリィは気付かない。
気付いているのは、人族との付き合いが長いセルゲイのみか。
セルゲィは知っている。
人族は倫理観を問われるような場では、対象が他人であればあるほど、高みから見下ろす傾向があると。それも、ほとんど無意識に、倫理的、道徳的に上に立とうとするのだと。
「商売で一番楽なのは何だと思いますか?」
「……そうですね、市場の独占か……いや、中抜きの方が楽そうですね。あとは権利を売る商売なんかも……」
社会経験がほとんどないケイリィは、ただ思いつくままに答える。
「本当に優秀だ。その若さでそれだけ優秀なら、傭兵団を最終目標にするのは、むしろ惜しい気がしますね。うふふ」
分かっていてブッハルトは煽っているのだ。
もちろん、「神聖シンバ皇国」の最終目標が傭兵団などではないことくらい気付いている。
そうでなくては、「神聖シンバ皇国」などというクラン名は付けない。
青臭い夢だが、青臭い夢の全てが散ると決まっているわけではない。
ブッハルトとて、青臭い夢を追っている最中なのだから。
「当たっているのですか?」
「別に正解はありません。商人がこういう質問をする時は、正解を要求しているんじゃありません。商売するに値する相手かどうか、それを計っているのです」
ザキエフは旨そうにワインを飲み続けている。どうやらブッハルトの相手は丸っとケイリィに任せたらしい。
セルゲィも同様だが、こちらは腕を組んで目を瞑っている。エルフ族らしく、他人のことには興味がないといった雰囲気。
ジムだけが一々反応している。
「最初は冒険者ギルドと組んで、一儲けしようと考えていました。ギルドと利害が一致しますからね。ただし、今はちょっと気が変わりました。もっと大きく儲けられると」
「ほぅ」
当初、ブッハルトは魔物の脅威がある旧街道に、定期便を運行することを考えていた。
今はフィフス村が潰された為、廃道となっているが、旧モレノ街道は新道よりも利便性自体は高い。その上、定期便なら通常の護衛よりも、遥かに安く依頼できる。
冒険者ギルドとしても、多少依頼料が安くなろうと、安定した収益が見込めるので、願ったり叶ったり。
だが――
「今、私はフィフス村を復活させたいと思っています。正確には、復活出来ると」
「良く分かりませんね。どういうことですか?」
「その芋です。こう見えて、私は妻のことを心の底から信用しているのですよ。亡くしてしまった今も。通り側の窓も開けましょうかね」
ブッハルトが席を立ち、通りに面した側の窓を開ける。
すると、ヒュウっと風が通り抜けた。
アラトではまだ板ガラスは普及していない。
教会の窓にはめるステンドグラスはあるが、それは分厚く小さいものであり、モザイク上に格子の間にはめるタイプだ。
グラスなどは高級品である。
窓と言えば、通常は観音開きの板窓か、外側に開いて衝立で固定するタイプである。
「この芋とブッハルトさんの奥さんに何の関係が?」
「その芋はおそらく、亡き妻ミリィが作ったものです」
「「「「え?」」」」
「ミリィは強情だけが取り得のエルフ族でした。本当に。母子揃って、私の言うことなんて聞きゃしない。ふふふ」
「『老種病』か!」
ジムが叫ぶ。
老種病を克服した種があるとすれば、確かに商売になる。
「そうです。フィフス村は『老種病』で潰れました。しかし、『老種病』に罹らない種さえあれば、別に普通の村と変わりません。そう考えて、下調べはしていたんですが、発見には至っていませんでした」
「フィフス村を拠点にしようってことか?」
「しかし、芋を作るだけでそれほど儲かるとは……」
芋は季節や地域によっては小麦の代わりとして重宝されるが、あくまで代用品。
単価はそれほど高くはならない。
護衛を頼んで輸送するとなれば、足が出る可能性もある。
物流が発達していない世界では、農産物は地産地消が基本的には望ましい。運ぶとしても、近くの町までが精々だろう。
「とんでもない。ケイリィさんがさっき言ったじゃないですか。独占ですよ。フィフス村ではなく、ケイラン村と名を変えて復活させるのです。当然、村の商売は全てケイラン商会が独占します」
企業村、あるいは企業城下町といったところか。
ただし、当然、公都モスキアは遠く、周囲の町とのアクセスもそれほど恵まれてはいない。
街道はあるが、所詮は田舎の村に過ぎない。
「領主が許しますかね」
「レバタン伯爵は許しますよ。彼にしてみれば、税収さえ増えれば良いのですから。税収ゼロだった村ですよ。少しでも増収になれば万々歳でしょう。それに――」
「それに?」
「それに、この種は売れます。それも、爆発的に。『芋』としてではなく、『種』として売るのです。ケイリィさんは『老種病』という病気を聞いたことがありますか?」
「今回の依頼を受けるまで、寡聞にしてありませんでした」
「それもそのはず。『老種病』とは、単なる『腐肉病』なのですから」
「「「「!?」」」」
「老種病」は聞いたことがなくとも、「腐肉病」はある。
罹ると肉が腐り、体力がない者だと死に至る。
原因は分かっていないが、罹患する者の傾向は判明している。
都市のスラムやドブ攫いに従事する者に多い。
次に土を扱う百姓。
よって、病原は泥や不潔な環境の中にあるのではないか、と考えられている。
どうして「老種病」と「腐肉病」を結びつける者がいなかったのか。
簡単である。
「腐肉病」が植物、それも農作物にうつるとは思いたくなかったからだ。
「老種病」が人間、それも百姓たちにうつるとは思いたくなかったからだ。
だから、二つは別の病気だと考えたし、信じた。
人は信じたいものしか信じない。
「ええ、間違いありません。私もこう見えて、妻に劣らず強情でしてね。暇を見つけては、妻とは別のアプローチで『老種病』を調べていました」
「調べた結果、『腐肉病』だったと」
「本業の傍ら、あちこちの村で聴いて回りましたよ。こう見えて、一度は百姓になろうとしていましたからね、私は。その夢を『老種病』に潰された。このままじゃ終われません」
「なるほどな。商人なりの意趣返しってわけか」
「そんなところです。商人には商人の戦い方があります」
とは言え、決定打には欠ける。
なぜなら、「老種病」が「腐肉病」だったとしても、「腐肉病」自体、治す方法が確立していないからだ。
高価な上級ポーションを使えば治るという話もあるが、そもそも「腐肉病」に罹る者たちに、そんな高価な薬を買えるわけがない。
まして、農作物、それも安価な芋に上級ポーションを与えるなど、それこそドブに捨てるようなものだ。
それはつまり、治す方法がないことと同義だろう。
「ブッハルトさんの事情は分かりました。しかし、まだ聞いていないことがあります。ブッハルトさんの頭に浮かんだアイデアとは何でしょうか?」
「「「?」」」
フィフス村を復活させるということに決まっている。
それがブッハルトの夢なのだ。
それ以外に何があるのか、と言いたげなジム。
「さすがです」
ブッハルトがケイリィを見て、ニヤリと笑う。
「「「???」」」
「ブッハルトさんが浮かんだというアイデアの中で、私たち『神聖シンバ皇国』の役目をまだ聞いてないのですよ。そろそろ値踏みも済んだ頃だと思いますが?」
ハッとする一同。
自分たちがブッハルトを値踏みするように、ブッハルトもまた、「神聖シンバ皇国」を値踏みしているのだ。
当然である。
むしろ、値踏みこそ、商人の一番の仕事であろう。
「全く、どこまで優秀なのか。何、ある傭兵団を潰してもらいたいのです」
値踏みは済んだ。
これだけ話せば、ブッハルトにとっては十分だ。
『鑑定(生物)』など使う必要はない。
だから、仕事を依頼したい。
「団の名は?」
「『バッソ傭兵団』」
ブッハルトを調べに来たつもりが、なぜか傭兵団を調べなくてはならなくなった。
やれやれ、と言った態度のジムだが、どこか愉快な雰囲気が周囲に伝わってしまっているのは、斥候としてはマイナスか。
「私はそれを手土産に、レバタン伯爵と縁を結び、伯爵領内に確固たる拠点を築きます」
ブッハルトは強く言い切った。




