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 第16話 「初仕事」

 「何つーか、その、俺は簡単な回復魔術なら使えるんだが……ハリチコ、行けるか?」


 「行けます」


 決して大っぴらに言われることはないが、女性の回復魔術師にとって、いわゆる堕胎は必須の魔術である。

 メンタル面でデリケートな手術であるばかりでなく、器官として見ても子宮や各種内臓、集まった血管等々非常に複雑だ。

 手術してもらう当事者としても、男性よりも女性に任せたいところだろう。

 ハリチコは「回復魔術」専門の魔術師ではないが、「堕胎術」は女性魔術師にとっての基本として修めていた。『ヒール』も使える。


 ホルダがツイていなかったのは、彼女は16歳で、そろそろ「堕胎術」を修めるかな、と考えていた矢先の『他胎』だったことだ。


 ただし、公平に見て、この場にラスカたちが居合わせたことは、不幸中の幸いだ。

 もしもラスカたちがいなければ、「堕胎」云々どころではなかったのだから。


 「精霊云々はともかく、堕胎は一刻も早い方が良い」


 土の精霊ノーマはホルダと契約したくないと、さっさと木の中に戻ってしまった。正確には、木がある場所とは違う位相の空間だが。

 その際、ノーマが「そっちのあんたなら良いわよ」とラスカとの契約を提案してきたが、ラスカは「考えさせてくれ」と一旦保留にしている。


 「手術自体は簡単だけど、屋外だから結界が欲しいです」


 落ち葉や羽虫の類が近付けば、術者としては気が散る上に衛生上も良くない。


 「ヤブ蚊や小バエを排除出来れば良い程度の結界なら、何時間でも行けるよ」


 「それでお願いします。ただ、ホルダさんに堕胎手術の件を、話してきてください。本人了承の上でないと出来ません」


 ホルダは未だ『精霊の宿り木』の前で放心している。


 堕胎手術自体はホルダ本人としても強く望んでいるだろうが、ハリチコに頼むかどうかは不明だ。

 これから少し大きめの町に行って、信用できる医者に堕胎を任せるのも一つの手だ――というより、それが普通だろう。

 誰だって、どこの馬の骨とも分からない魔術師に、自身のデリケートな部分を掻き回されたくはない。

 「堕胎術」は知識さえあれば、特に難しい手術でもないが、間違いが絶対に起きないという保証はない。ハリチコとしては、手術するのは構わないが、本人にその了承を取ってくれ、ということだろう。


 「あたしが行くよ。男よりも女の方が良いだろ」


 私に任せろと、タチワナがドンと大きな胸を叩く。


 ◇

 

 青空の下、ホルダの堕胎手術が始まった。


 ラスカが一時間ほど掛けて、四方に『ロックウォール』で高さ1m50cm、厚さ5cmほどの壁を作り、中央にベッドを作った。ベッドと言っても、土の表面を固めた台に、ラスカの着古したマントを敷いただけのものだが。

 壁はホルダ本人が安心する為のもので、実用性はあまりない。

 馬車に戻り、テントを流用することも考えたが、ホルダ本人が街道から離れている方が良いと、この場所で施術することになった。

 

 「時間優先で作ったが、魔力的にはさすがにキツいな」


 「大将の専門は火系だろ? 小一時間でこれだけのものを作れりゃ、十分大したもんさ」

 

 ロンが感心している。


 結界はラスカが森や沼地に入る際などに使う魔法陣を使用。

 周囲に水も泥も無く、小さな羽虫の類を排除するだけなので、魔力的には全く問題はない。

 万が一、魔物が集まってきたとしても、ロンがいる。



 「え? もう終わり?」


 ラスカの想像以上に簡単に堕胎は終わったらしい。

 15分といったところ。

 ロンもタチワナも驚いている。

 

 「終わりです」


 もっと暴れたり、叫び声など修羅場を想像していた。

 理由はいくつかあるが、「堕胎」自体が比較的簡単な手術であることと、ホルダの『精神耐性』と『身体耐性』のレベルが高かったことが大きい。

 『他胎』を食らった者はその二つのレベルが上がるのだ。

 ハリチコの手際が良かったことを加味すれば、15分は妥当なのだ。


 ハリチコの上気した表情からすると、彼女的にも満足のいく施術だったのだろう。思っていた以上に上手くいったようだ。


 「ありがとうございました」


 「違和感はあると思うけど、後は自分で『ヒール』を掛けて調整してください」


 「……はい」



 「まぁ、何にしても、無事で良かった」



 ――か、どうかはラスカが判断すべきことではない。

 ホルダはまだ16歳だ。

 たった今、ゴブリンの子を堕胎したのだ。

 土製のベッドの下には、小鳥の死骸くらいのサイズの血の塊のようなものが転がっている。


 無事なわけがない。

 

 『精神耐性』や『身体耐性』のスキルが無ければ、衝動的に自殺を選んでも不思議はない状況である。


 実際、ラスカの一言で、周囲の空気が固まった。


 またも若さゆえの不用意な発言を繰り返したラスカ。

 粗野な性質からくる発言ではない。

 単純に、対人関係の未熟さからくる配慮の無さからくる発言である。


 一見、如才ないように見えて、やはり15歳なのだ。

 

 ラスカは自覚しなくてはならない。

 自身に足りない部分があると。


 もし、自覚しないなら、それはやがて歳を重ねるにつれ、「エルフだから」という一言で片付けられてしまうだろう。

 静かに、そして確実に信用を失いながら。


 ラスカがいわゆる「エルフらしさ」を克服出来ないなら、おそらく望む未来を手にすることも出来ない。


 全ての敵をねじ伏せる圧倒的な力があるなら話は別だ。

 力ずくで言うことを聞かせれば良い。

 だが、ラスカにそこまでの力は無い。

 ラスカは人と人との関係の中で、大小さまざまな駆け引きや腹芸を駆使し、小さな勝利を積み重ねていかなくてはならない。

 100対0の勝利ではない。

 目指すは51対49の勝利だ。

 そういう僅差の勝利を積み重ね、建国まで辿りつかなくてはならないのだ。


 ラスカ以前にも「エルフ族の国」を夢見たエルフはいたはずだ。

 彼らは変われなかったのだ。

 変われなかったからこそ、今のエルフ族の現状がある。彼らは種族特性を超えられなかったのだ。



 ラスカもやはり凡百のエルフ族と同じなのだろうか?


 ロンやタチワナは少し引いている。

 人族の常識的な感覚では、この状況で「無事で良かった」という発言はもちろん、発想すらあり得ないからだ。


 さて、当のホルダの気持ちはどうだろうか。

 


 パァアン!

 


 「命を助けてくれたこと。堕ろすのを手伝ってくれたこと。本当に感謝してる。でも――」


 ホルダの頬を涙が伝う。


 「――無事なわけないでしょッ!」


 張られたラスカの頬が赤く染まる。


 「(助けてやってこれかよ。めんどくせぇ……)」


 あえて避けなかったのは評価されるべきか。

 母の足跡を辿っている最中にゴブリンにレイプされ、孕まされ、精霊に嫌われ、契約を拒否され、堕胎した。

 ホルダの置かれた状況を理解したなら、最低限の同情はされてしかるべきだ。

 怒り、悲しみ、悔しさ、不運……。

 溢れる感情を一体どこに持っていけば良いのか。

 

 ラスカは頬を差し出すことで、ホルダの感情を受け止めた。

 果たしてそれはラスカが誘導したことなのだろうか。

 ホルダの心情を慮ったゆえ――ではないだろう。


 「(……失言の代償だ)」


 ラスカは場が凍った瞬間、悟ったのだ。

 自らの過ちを。


 「(この程度の状況でテンパって、アホな発言をするとは、俺もまだまだガキだな。普通の行動を心がけるだけで、恩を売って、大きな借りを作れるというのに)」


 最低限の空気を読むことと、損得計算くらいは出来るようだ。

 ラスカが気付いたように、ここは恩を売る場面だ。

 とるに足らない失言で、恩や信頼関係どころか、命を助けた相手に嫌われるなど、馬鹿のすることである。


 ラスカは改めて、ケイリィの存在の大きさを再確認した。

 もし、この場にケイリィがいたら、いくらでもフォロー出来たはずだと。

 

 「悪かった。どういう言葉を掛けて良いか分からなかった」


 「……無事じゃないけど、助けてもらって感謝しているのは本当。こちらこそ、ありがとう」

 

 ホルダは少しはにかんだ表情で、感謝を述べた。

 仕方なく、ラスカもニコリと笑い、右手を差し出した。

 

 「(やっぱり、めんどくせぇ……)」



 ◇◆◆◆◇



 ラスカの読み通り、ブッハルト・ケイラン一行はエルグレン村に滞在していた。

 

 「本当にいたよ。大した読みだぜ、うちの王様は」


 「どうでしょうか。たまたまだとは思いますが」


 ケイリィが笑いながらジムの軽口に答える。


 「探りは俺が入れる」


 「お願いします」



 「おばちゃん、美味しいアテと一番安い酒を4人分頼まぁ」


 「あいよ!」


 「それとさ、表に停まってる馬車はどこの大臣のだい? それによっちゃ、この宿に泊まるかどうかが決まるんだが」


 「モスキア出身の商人だよ。あんたたち、冒険者だろ? 何か後ろ暗いところでもあるのかい?」


 まだ陽は高い。

 チンピラ風ではない、地元の百姓でもない。また、旅人でもない雰囲気なのに、装備の統一感は取れている。さらに他種族が混じった四人組とくれば、それは冒険者だ。


 「ねぇよ! 後ろがピカピカに明るくても、役人は誰だって苦手さ。こちとら、せっかく金使って泊まるのに、固っくるしい気分は味わいたかねぇだけよ」


 「泊まってるのは間違いなく商人さ。これで問題はないかい? そっちの若いお兄さん」


 「そうですね。ジムさん、とりあえず一杯飲んで、それから決めましょうよ。私はもう喉が渇いてしまって」


 ジムがケイリィに目配せすると、すぐにケイリィも察して、会話を転がす。

 なかなかのコンビネーションだ。


 「そういうわけだ。温いエールでも貰おうか」


 「温いは余計だよ!」


 「うちにはエールのジョッキくらい簡単に冷やす魔術師がいるからな。実際、温くても構わねぇのさ。はははは」


 一同は奥の席に着く。


 冒険者だと名乗った。

 餌は撒いたのだから、あとは待つだけだ。


 ジム、ケイリィ、セルゲィ、ザキエフの4人は一見、飲んで食べて談笑で盛り上がりながらも、心地良い緊張の中にいた。

 何てことはない、ただ、ブッハルト・ケイランという商人の身辺を探るだけにも関わらず。


 「(まるで初仕事を受けた時のようだ)」

 

 とは、ジムの心の声。


 冒険者とは、ギルドで依頼を受けて、作戦を立てて、依頼を完遂する者たちのこと。

 仕事は様々で、簡単なものもあれば、難しいものもあるだろう。

 失敗すれば一セラも支払われない――どころか、供託金を没収される。

 

 だが、だからこそ、シンプルだ。


 自分たちの実力を鑑み、達成できると思う依頼のみを受ければ良いのだ。

 「指名依頼」もあるが、C級以下の冒険者にとっての指名依頼とは、馴染みの依頼人からの指名のことだ。「定期依頼」と言い換えても良い。

 B級以上の者にとっての「指名依頼」はまた少し話が違ってくるが。


 例えば屋根の雪下ろし。

 手際の良い冒険者がサクサクと依頼をこなしてくれたら、次回も同じ冒険者に頼みたいと考えるのは自然な成り行きだ。

 だからこそ、報酬が安くても、簡単で短時間で達成出来る依頼は疎かには出来ないのだ。

 安定した定期収入になるからだ。


 ジムたちはこれまでそういう依頼を受けてきた。

 自分たちが達成できる依頼を。

 これは何も彼らに限ったことではない。

 他の冒険者たちも同様である。

 また、そうでなくては、収入を安定させることは出来ないし、長く続けることも出来ないだろう。

 ある意味、「冒険しないのが冒険者」と言えるかも知れない。


 現状、達成できるかどうか分からない――否、もはや何を達成しようとしているのかさえ分からない状況だ。

 どう転がれば、クラン『神聖シンバ皇国』にとって得なのか。

 あまりにも曖昧だ。

 ゆえに、「まるで初仕事を受けた時のようだ」とジムの心の声になったのだ。



 下らない馬鹿話で盛り上がる4人。


 「来ましたよ」


 店全体を見渡せる席に位置していたケイリィが小さな声で呟く。

 だが、彼らの馬鹿話は途切れない。

 事前にそう申し合わせている。

 待ち人来たれども、気付かぬフリをすると。


 「盛り上がっているところ、申し訳ありません。先ほど店の主人からチラと聞いたのですが、皆さんは冒険者だということで」

 

 「「「「……」」」」


 突然声を掛けられ、思わず振り返った――ように振舞う。


 こざっぱりとしているが、商人という風体ではない。

 着ているものも随分とくたびれた古着だ。

 おそらく御者だろう。

 用心棒や傭兵ではない。


 「あぁ、そうだけど?」


 「支部はどちらで?」


 「ハバストロク支部だよ」


 「そうですか。私どもの主人が話をしたいと申しております。代わりに皆さんの飲み代は持つと。何しろ、主も退屈しておりまして、宜しかったら、短い時間でも付き合って貰えませんか?」


 「構わねぇよ」


 釣れた!


 と表情に出たのはザキエフのみ。

 幸い、ザキエフはケイラン商会の御者に背を向けている席に座っていた。

 三人はほとんど無表情だ。


 「(カウンターで飲んでいる男が護衛の傭兵かな)」


 肩越しだが、先ほどからケイリィたちの方を気にしていることが丸分かりであった。

 当然、ジムも気付いている。


 「(なるほどね。実際、気分は初仕事の時と同じだ。たかがゴブリンの巣潰しが、これほど面白い仕事になるとはね)」


 セルゲィも似たようなことを考えいていた。

 彼もまた盛り上がっている会話を中断された風の、無表情である。

 もっとも、セルゲィの場合は普段から感情があまり表情に出ないが。

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