表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/21

 第12話 「ミリィとブッハルト」

あけましておめでとうございます。

地味で暗い展開ですが、本年、一発目の更新です。

2017年も『五国大乱シリーズ』を宜しくお願いします。

 【ミリィ・レンスキの場合】



 不幸な女であった。

 少なくとも、彼女の死に様から鑑みて、幸福な人生であったとは言いがたいのだろう。



 ミリィ・レンスキ。51歳。

 エルフ族にとって51歳は年頃の年齢である。人族で言えば、20歳くらいだろうか。

 ここ数週間、水とコラの実以外はほとんど口にしていない。

 コラの実は秋に森に入れば収穫出来るありふれた木の実だ。

 味がほとんどしない上に、エルフ族以外の者にとっては、腹を下す程度だが有毒物質も含有している為、他種族の者からは捨て置かれる実である。他種族にとっては毒なのに、漁や猟には使えない毒なのだから、利用価値がないというのも頷ける。


 エルフ族だけがコラの実を消化する特殊な酵素を有しているのだが、彼らが好んで食べるのはそれだけが理由ではない。

 いくつか理由がある。

 エルフ族はコラの実を日に数粒摂取するだけで、生きながらえることが可能なのだ。

 つまり、食べる価値がある。単なるオヤツではない。

 これはアラトの科学文明では未解明の部分だが、コラの実を消化する際に、必須栄養素だけではなく、ある種の麻薬成分へも化学変化する。その麻薬成分は空腹によるストレスを軽減する。

 また、エルフ族はその種族特性により、極端に基礎代謝を落とすことが出来る。


 これら一連の条件を合わせることで、エルフ族は日に数粒の木の実だけで長期間生きられるというわけだ。


 とは言え、木の実を探すにもエネルギーを消費する。

 森に入って、歩き回ればそれだけ疲れるし、カロリーも消費する。


 ミリィ・レンスキはその計算を間違えたらしい。


 何しろ、今は春先だ。

 探せばもしかすると腐らなかった木の実を見付けられるかも知れない。短い春の間に少しでも大きく成長しようとする、芽の生えたコラの実を。

 到底、食べられたものではないが。


 そもそも、コラの実を摂取することは、急場の一助にはしても、習慣化するのは身体に良くないとされる。例え、エルフ族であっても。

 基本的には、空腹や低血糖を麻薬成分で麻痺させているだけだからだ。また、基礎代謝を落とすにも限度がある。


 つまり、抜けられなくなる。


 ミリィもそんなことは承知している。

 だが、哀しいことに、彼女はそれ以外の生き方を知らなかった。

 日に数粒のコラの実を食べ、じっと動かない父しか見たことがなかったから。


 二年前、ミリィと二人暮らしだった父がコラの実による中毒で、最終的には餓死した。

 彼は大樹に自身の記憶をインプットすることさえ拒否した。

 己の生きた記録を残すことを恥じたからだ。

 人の記憶にも残らず、大樹の記憶にも残らない。

 彼がこの世に存在したことは、ミリィが今、この世に存在していることだけが根拠である。


 勝たず、負けず、進まず、退かず――

 100数十年を越える彼の人生において、何にも挑戦しなかった男がひっそりと餓死した。

 骨と皮だけになり、ついに最低限の生命維持すら限界を迎えたのだ。

 コラの実中毒で餓死した死体には、ネズミも近寄らない。



 生きる術を何も知らないエルフ族の女が一人、朽ちそうな小屋に取り残された。

 働くことはおろか、狩りや採取も知らなかった。

 風呂に入って身体を磨けば、美しい部類のその容姿を利用することさえ知らなかった。

 唯一、知っていることは、父に言われた通り、山に入り、コラの実を集めることだけ。 


 ――知らないわけがないではないか。


 彼女もまた父と同じく、コラの実中毒が進行していたのだろう。


 ――生きる気力がないだけだ。


 生きる為には気力が必要だということさえ、知らなかった。

 本来、魔術のエキスパートであるはずのエルフ族。しかし、彼女は魔術のことなど何一つ知らない。村はずれとは言え、フィフス村の村民として暮らしながら、生まれて約50年、ほとんど誰とも交流がなかったからだ。

 使えるのは山歩きの時に使う『強化』だけ。

 それも頼りなく、不安定だ。



 そんな彼女が父と同じ道を歩まなかったのは、ただの偶然――とは言えないかも知れない。

 なぜなら、フィフス村から遠くモスキアまで、彼女は弱った身体で歩き通したのだから。

 何らかの強固な意志がなくては、不可能であろう。

 今となっては、どうして彼女がそんな大それた旅に出掛けられたのか不明である。モスキアに着くまでに、いくつも村や町はあったのだ。それらの地には見向きもせず、彼女は一路モスキアを目指した。


 ともかくも、モスキアに到着した彼女にはある出会いがあった。

 しかし、彼女が「不幸な死」を回避するほどの出会いではなかったようだ。

 なぜなら、これよりおよそ10数年後、やはり父と同じく朽ちた小屋で彼女は餓死したのだから。



 そこかしこに散乱したコラの実の殻が、エルフ族の哀しい生を象徴しているかのようであった。

 彼女と父の死が違っていた部分があるとすれば、それはゴブリンの子が彼女の死体を発見し、骨を遊び道具としたことくらいだろうか。

 彼女の頭部を大腿骨でポクポクと叩く子ゴブリン。

 ギャッギャッと大人のゴブリンよりは高音の、しかし同じく耳障りな声で笑っていた。


 彼女の死――否、彼女の生が意味のあるものであったことが、人知れず明らかになるのはもう少し先の話。

 同じエルフ族、銀髪の若き冒険者の登場を待たなくてはならない。



  ◇◆◆◆◇



 

 グチャッ


 「何だ、これ……?」


 そろそろ芽を出そうかという時期の種芋は、何の抵抗もなく握り潰された。

 ブッハルトの両手から腐った芋の汁が零れ落ちる。

 慌てて他の(うね)も掘り返すが、ブッハルトの希望も空しく、全ての種芋が死んでいた(・・・・・)


 倉庫にある収穫後の芋は問題なかったが、畝で越冬させた種芋が全滅した為、仕方なく収穫後の芋を種芋に回した。

 しかし、植えた傍から腐っていった。


 コーカ暦1781年、この年の春先、モスキエフ大公国・レバタン伯爵領フィフス村を「老種病」の猛威が襲った。

 当初、長い冬の間に沈静化すると思われた「老種病」であったが、翌年も一向に収束する気配はなかった。「老種病」の病原は北大陸の厳しい冬をモノともしなかったのだ。


 「老種病」はフィフス村の当時の村長が名付けた病名であり、作物が成長する前に、腐ってしまう病気のことである。

 「芋」と限定しなかったのは、発生から二年後、他の「作物」にもうつることが確認されたからだ。

 こと此処に至り、村人たちは「老種病」が今までに体験したことのない深刻な病気であることを理解した。


 フィフス村は小麦の耕作に向いておらず、村人は芋類や豆、あとは各戸数頭の白色ボアを育てて、生活していた。

 白色ボアはステップボアを品種改良した、家畜用の魔物である。


 もともと小麦が育たない土地で、芋の病気が流行った。

 他村の種を何種類も取り寄せ、植えてはみたものの効果はなし。

 仕方なく数シーズンは捨てるつもりで、豆類の耕作面積を増やしたが、今度は豆にも「老種病」は出た。

 フィフス村の村長が方々を駆けずり回って試した対策は、全て無駄に終わった。


 噂はあっという間に周囲の各村に拡がり、フィフス村は陸の孤島となった。

 逃散する百姓が続出したが、レバタン伯爵が廃村を決定したのは、残った村人が育てていた白色ボアにも「老種病」の症状が出たからだ。

 発生から4年後のことであった。

 

 好き好んで村を潰す領主がいるわけがない。

 人間が罹らない保証など、どこにもなかったからだ。

 それが5年後か6年後か、誰にも分からないのだ。



 「今さら親父に頼ることなんて……ッ」


 暗い部屋でブッハルトは両手で顔を覆った。

 ブッハルトの父、パトリシオ・ケイランは商人であり、公都モスキアで『ケイラン商会』という商店を営んでいる。

 ブッハルトが父パトリシオの意見を聞かず、家を飛び出したのは8年前。

 娘も生まれ、やっと百姓仕事も軌道に乗り始めた時であった。

 「老種病」が家族の未来を奪ったのは。



 父パトリシオから連絡があったのは、フィフス村の廃村が決定する一週間前であった。

 断固としてフィフス村を離れたくないという妻ミリィ。

 夫婦で何度も重ねた議論は平行線を辿るばかりであった。


 「ミリィ、どうやら親父を頼るしかないらしい。今日、廃村が決まったよ。もう村に残っているのは数家族だけどね。俺たちにはホルダもいる。俺としても、これ以上、出口の見えない出稼ぎ生活は続けられない」


 事実、ブッハルトが我が家に戻ったのは、2ヶ月振りである。

 「老種病」が沈静化するまで、のつもりで出稼ぎ生活に入ったが、1年、2年、と延びていった。


 「……私は残る」


 「馬鹿を言うな! お前はもう母親なんだ! 勝手が許されるわけがないだろう!」


 うぐっ、うぐっ、えーん


 ブッハルトの怒声に驚き、泣き喚くホルダ。

 フィフス村では全ての家族が経験した、ありふれた風景だ。

 彼らだけが特別なわけではない。


 「第一、どうやって暮らすつもりだ!? あ? 何とか言ってみろ、ミリィ!」


 「……私はこの村で生まれた」


 「知ってるよ! だから俺たちはこうしてフィフス村に移り住んだんじゃないか!」


 怒鳴るつもりはなかったが、ブッハルトとしても焦っていた。

 愛する妻を置いてモスキアに行くわけにはいかない。ホルダはまだ3歳。母親が必要だ。 


 ブッハルトはミリィと出会った頃のことを思い出していた。



 フィフス村からモスキアまで、数百キロの道のりをミリィは餓死寸前の身体で歩き通した。

 モスキアに着いた時には行き倒れ、ほとんど息をしていなかった。

 店先で彼女を発見したブッハルトは、当初、死んでいるのかと思ったほどだ。

 実際、心臓は止まっていたように思われた。

 もちろん、それはエルフ族の種族特性で、ミリィが極限まで代謝を落としていたからだが。

 ブッハルトの手厚い看護もあり、身も心も衰弱していたミリィは回復していった。



 「私なら大丈夫。何年だって此処で暮らしてみせる」


 「何の為に!? 第一、食うものがないのに、どうやって暮らすんだ?! ふざけるな!」


 「……エルフ族なら出来る」


 「はぁ? そういう問題じゃないだろ! 村に残って何をしようってんだ! 残る意味がどこにある!」


 「フィフス村の腐った土地でも死なない種芋を作る」


 この時、ブッハルトは既に父パトリシオに頭を下げる覚悟を決めていた。

 怒りで思わず手を出しそうになった為、ブッハルトは大きく深呼吸をして、努めて冷静を心がける。

 

 「……ホルダはどうするつもりだ?」


 「勝手を言ってごめんなさい。ホルダはモスキアに連れて行って欲しい」


 「お前だって……この家だって、取り壊されることが決まってる。どこに住むつもりだ? もう、いい加減、折れてくれ……頼むから……」


 「私は御父様に『貴方の助けはいらない』と約束した。今更、合わせる顔がないの。あなたこそ分かって!」

 

 ミリィの視界にホルダが入る。

 ミリィの表情が苦痛に歪む。

 歯を食いしばりつつ、笑っているような、奇妙な表情であった。


 「一緒に頭を下げよう、ミリィ。下らない意地の為に命を張るなんて、馬鹿げてるよ。病気に罹らない種芋を作るって、一体、何年掛かると思ってるんだ?」

 

 ブッハルトの言う通りである。

 馬鹿げている。

 資金も人手もない中で、都合良く病気に強い種が出来るわけがない。そんな簡単に新種が生まれるなら、畑は新種の作物で溢れているはずだ。


 「あの家に私の居場所はないの! 御父様は最初から私とあなたの結婚に反対だった。どうしてだと思って?」


 「君がエルフ族だからだろ。親父はエルフ族を特に嫌ってる」



 『寄生虫が大公国だけでは飽き足らず、我が家にまで寄生しようというのか?』



 「そうね。でも、嫌われてるから戻りたくないわけじゃないの。私が本当に悔しかったのは、御父様に反論できなかったからよ」


 「そんなこと、どうだって良いじゃないか。今はホルダのことを考えろ。頭を冷やせ!」


 「何が良いの? あなたもエルフ族が国の寄生虫だと思ってるの?」


 確かにそのような意見が一部の人族の中にある。

 寄生虫とまで思わなくとも、エルフ族のことを、国にとって「不要」と考えている人族は多い。

 人種による生活習慣の違い程度ではなく、生物としての一生のサイクル自体が違う。

 エルフ族の若い時期は長いが、それは老いた時期も長いことを同時に意味する。

 およそ3倍から4倍と考えれば良い。

 人族に20年の老齢期があるとすれば、エルフ族は単純にその3倍、60年以上の老齢期があることになる。人族の感覚では長過ぎるのだ。

 生産能力の劣る老人が60年以上も生きるのは、社会にとって大いなる負担としか言いようがない。

 ゆえに、「不要」。


 「思ってないさ! 俺が言いたいのは、寄生虫だろうが、寄生虫じゃなかろうが、そんなのは個人の問題だろ!? 君自身が寄生虫だと思ってないんだったら、それで良いじゃないか。君の意地っ張りに付き合わされるホルダのことを考えろよ」


 ミリィが大きく深呼吸をする。


 「……ごめんなさい、あなた。ホルダ……私の可愛いホルダ」


 「……馬鹿な」


 吐き捨てたブッハルトの目には涙が溜まっていた。


 

 【ブッハルト・ケイランの場合】


 

 「(ミリィがここまで強情だとは思わなかった)」


 明日の朝、ブッハルト・ケイランはホルダを連れて、村を出る予定である。

 廃村が決まって、わずか11日。

 結局、ケイラン一家が最後の村人となってしまった。

 他の一家は既に全員村を出た。

 元々、数家族しか残ってはいなかったが、もちろん、彼らとて、住み慣れた土地で土と共に生きたかったに違いないのだ。それでも離村を決めたのは、レバタン伯爵の使者が、「老種病」の危険性を丁寧に説明して各戸を回ったから――というのは切っ掛け、踏ん切りの類だろう。

 白色ボアを飼っていた家は多い。

 日々、目の前で肉が腐っていく家畜たち。

 現実問題として、彼らが一番「老種病」の危険性を理解していたのだから。


 いずれにしても、村に残されたのはブッハルトの一家だけとなった。

 そして、そのブッハルトたちも明日、村を出る。


 まだ人間の犠牲者は出ていないが、「老種病」が人間にも罹る可能性が排除できないのなら、幼いホルダをミリィと共に置いていくことは出来ない。


 「(年二回の実験が可能として――違うな。種芋が足りない)」


 彼らが扱っていた芋は年二回の収穫が可能である。だが、それは種となる芋が適切に保存されているからこそ。

 低温で乾燥した場所なら1年は持つが、倉庫で腐らせれば、次の種芋はない。


 「(そもそも、種芋を用意出来ないから、実験自体出来ないんじゃないか……?)」


 普通に考えて、一シーズン分しかない。

 どんなに適切に保存したとしても、小屋の種芋は二シーズン分、1年しか持たないのだ。

 つまり、運否天賦の自然淘汰実験は最大でも二回しか出来ないわけだ。

 レバタン伯爵の使者によると、家屋も取り壊すという。理由は、盗賊や魔物の巣となることを防ぐため。

 街道が通っているので、通過は問題ないだろうが、事実上の立ち入り禁止区域になる。しかも、その街道も、フィフス村を大きく迂回する新街道の計画があるという。

 つまり、村への出入りが出来ない。

 種芋を各地から集めるわけにはいかないのだ。

 

 レバタン伯爵は「老種病」を封じ込める為に、文字通り、閉じ込めて数年間放置する気なのだ。

 領主の強権発動だが、悪い手ではない――というより、他に方法がない。アラトには防疫センターも、細菌研究所も、種子バンクもないのだから。

 また、仮に失敗したとしても、これだけ封じ込めに尽力したとなれば、どこからも文句は出ないだろう。

 その辺りも伯爵の計算の内なのだろうが、領主としてやるべことをきっちりこなしている。公平に見て、有能な領主と言えた。

 


 翌日。


 「……ママは?」


 村を出てわずか1時間ほどで、眠っていたホルダが目を覚ました。

 

 「(エルグレン村まで眠っていてくれたら助かったんだが、仕方ないか)」


 おんぶ紐を前に回し、胸に抱いていたホルダがブッハルトを見上げている。

 目はパッチリと開いている。

 昨晩は随分と寝かさないように、ミリィと二人で気を使ってホルダを消耗させたが、この手の親の計算は大抵外れるのが世の常だ。


 エルグレン村までは馬車も使えない。徒歩だ。

 エルグレン村から先は馬車を使えるが、「老種病」に罹る危険性があるフィフス村に、馬車を牽いて迎えに来てくれる者などいない。

 また、迎えに来られても逆に困っただろう。

 病気が村外に拡がるのはブッハルトとしても本意ではない。


 「ママは用事があってね、後から来る。モスキアでママが来るのを待ってよう」


 「うん!」


 3歳の子がどれだけ理解できたのかは分からない。

 だが、ブッハルトとしても、もう気力が続きそうになかった。


 病気が流行ってから丸4年。

 二年目からは出稼ぎである。

 一家の蓄えでは、一年が精々だったのだ。

 「農地」をほぼ無条件で貸してくれる領主など、どこにもいない中では、他の土地に移り住むことも出来ない。未開拓の「荒野」を貸してくれる領主ならいるだろうが、収穫まで何を食べるのか。そんな土地を一から開墾するくらいなら、いっそ大都市に出て商いの真似事でもした方がマシだ。


 出稼ぎと言っても、楽で割りの良い仕事などあるわけがない。

 父パトリシオに助力を乞わなかったのは最後の意地であった。

 しかし、それも限界であった。

 体力的にも、精神的にも。


 冬の間だけ、夏の間だけ、といった期間出稼ぎ労働者は多い。過酷な労働が常だが、彼らがその過酷さに耐えられるのは「期限付き」だからだ。


 しかし、ブッハルトの場合は違う。

 いつまで続くか分からない。

 畑や家畜からの収入がゼロなのだから、期間労働では済まない。つまり、ブッハルトの場合、正確な意味において「出稼ぎ」ではなくなっていた。

 

 腹の内をぶっちゃけるなら――


 「(廃村はむしろ救いだ。これも光主エドラ様の導きだろう)」


 ブッハルトは解放された思いであった。

 言い訳が出来たから。

 父パトリシオに頭を下げる理由が出来た。

 自分は頑張った。

 出来る限り頑張ったが、時局は過酷を極め、遂に万策尽きた。

 今なら言い訳が立つ。


 「(あとはミリィをどうやって村から引っぺがすか。ミリィはコラの実が好きだったからな。倉庫にある分だけでも数年分はある。ミリィなら、すぐに飢え死にすることはない)」


 父パトリシオの元で働きながら、2年以内にモスキアで地盤を固め、ひとかどの商人になる。

 商売のいろはなら心得ているつもりだ。

 そして、堂々とミリィを迎え入れる。

 仮にブッハルトの家族や友人知人に囲まれても、ミリィが気を使わなくても済むような環境を整えるのだ。

 そして――


 「(親父はミリィの――エルフ族の有能さを知らない)」


 エルフ族を知らない父パトリシオに、ミリィを知らしめるのだ。

 ケイラン商会にとって、ミリィの存在がどれだけプラスになるのかを。



 エルグレン村での滞在はわずか。

 ブッハルト一家はフィフス村に長く残りすぎた。

 エルグレン村の者たちのブッハルト親子を見つめる視線は冷たい。


 「(まぁ、良い、気持ちは分かるさ。安心してくれ、通過するだけだよ)」


 何とか予約していた乗合馬車の発車予定時刻に間に合ったようだ。

 運賃をシェア出来たのは、運が良かった。複数人いれば、足元を見られることもないし、単純に一人当たりの運賃が安くなるからだ。懐具合がギリギリのブッハルトにとっては僥倖である。

 ここから公都モスキアまでは、途中、馬車を変えながら半月以上の旅になる。


 「(有り金全部吐き出しゃ何とかなるか。途中、ホルダがグズらなきゃ良いが……)」


 街道の先の空は希望に満ちてるとは到底言えない、暗く、厚い雲に覆われていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ