第0話 「試される大地」
なろうの仕様により、章管理で複数の物語の同時進行は不可能と判断。
やむなく、分割することになりました。
読者様にはご迷惑をお掛けしますが、本作はタイトルを変更、第一部としてシリーズ管理します。
私の事前の勉強不足が招いた不手際ではございますが、今後もよろしくお願いいたします。
【第二部】 焔帝 ラスカ・ヴォロノフ
第0話
北大陸は別名、試される大地と呼ばれる。
理由は至極単純。
人が生活するには、厳しすぎる環境だからだ。
中央大陸西部とはエルベ海によって北と南に分かれており、東へ行くと、アムーラス川によって、やはり、中央大陸東部と隔てられている。
一年の半分が冬であり、残りを他の季節で分け合っていた。人口の多くは西の北アリア半島に集中し、東へ行くに従い、人口は減っていく。
最東に位置するモスキエフ大公国は、その領土の広さにおいては大バロウ帝国に匹敵し、北大陸のおよそ半分を占めている。
ただし、人口は1200万人ほど。大バロウ帝国の10分の1に過ぎない。しかも、他国と違い、何と、人口の半分が獣人族とエルフ族、ドワーフ族が占めている。
モスキエフ大公国自体は人族の興した国であるが、人族の人口が総人口の半分しかいないというのは、アラトでも唯一であろう。
獣人族とエルフ族、ドワーフ族はそのほとんどが中央大陸にかつてあった、シンバ皇国の住人たちであった。しかし、コーカ歴1475年5月に起きた、「大災害」により、生活圏を追われた彼らは、新天地を求めて、モスキエフ大公国に流れ込んだ。(五月興国)
他国が魔物討伐に追われ、難民を拒否する中、モスキエフ大公国だけが、種族を問わず、門戸を開いたからだ。
とは言え、「試される大地」に流れ込んだ彼らが食べるものなどあるはずがなかった。当時、500万人以上の被災民が流れ込んだと言われているが、最初の冬を越せたのは、半分と言われている。
「大災害」が起きたのは、5月。一年の内でも、タイミングとしては決して悪くない時期であったにも関わらず、である。もし、「大災害」が冬の最中に起きていたら、ほとんどが死に絶えていただろう。
また、「大災害」により蔓延した、「呪い」によって死に至った者も多くいたという。
それでも、彼らは生き延びた。
最初の冬を越した後は、エルフ族やドワーフ族が持ち込んだ魔導技術によって、ある種の経済革命が起きた。
ドワーフ族が発見した地下鉱物資源は豊富であり、数年の間に、鉄や胴だけではなく、金や銀すら産出する鉱脈が次々に発見された。
また、大型の魔物が多く生息する地域でもあり、それらを狩れる魔術師、すなわち、エルフ族が入植したお陰で、食糧事情も改善された。
さらにエルフ族は地熱を利用し、凍土に覆われた大地の開拓に成功。寒さに強い獣人族狼種や熊種の者たちが、エルフ族の方針に従い、耕作地を広げて行った。
一般に「五月興国」と呼ばれるこれら壮挙は、モスキエフ大公国を北の最貧国から中堅国家に押し上げた。
しかし、最初のうちこそ、周辺国に持てはやされた「五月興国」であったが、コーカ暦1490年代に入ると、にわかに周囲がきな臭くなってきた。
モスキエフ大公国は、周辺国が許容できる以上に豊かになりつつあったのだ。広大な国土と、豊かさを兼ね備えたモスキエフ大公国は、超大国への道を歩み始めていた。
最初にモスキエフ大公国に敵対したのは、ルシフ公国。
もちろん、敵対の理由は、モスキエフ大公国が豊かになりすぎたことが原因だが、エドラ正教会の暗躍があったとされる。
かつて、モスキエフ大公国には、エドラ正教会の教会が存在しなかった。
「五月興国」以降、使徒たちも密入国していた為、小さな私塾程度の教会はあったが、モスキエフ大公国の正式な認可を受けた教会は存在しなかったのだ。
モスキエフ大公国の「雷大公」イヴァン・ラージが認可しなかったからである。
イヴァン・ラージ大公にしてみれば、国が貧しかった時は見向きもしなかった癖に、豊かになった途端、国を食い物にする為に教会を建てて、民から寄付金、国から税金を毟り取ろうというのは、到底許されることではなかった。民も、大公の意思を熱烈に支持した。
凍った大地に鍬を立て、旧来の民と、入植者たちが一丸となって耕してきた国である。それを奪う者は、法衣を着てようが、鉄の鎧を着てようが、同じく敵であった。
1493年、ついにルシフ公国との戦争が勃発。
引き金になったのは、エドラ教を信仰していたオルセィ・エバンスという59歳の女性が、冬の最中にモスキエフ大公国に密入国した上に、行き倒れて凍死したからであった。
『密入国者とはいえ、何の支援の手も差し伸べることもなく、敬虔なエドラ教徒を凍死させるなど、倫理的、人道的に許されることではない』
何とも奇妙な言いがかりであった。
このオルセィ・エバンスという女性、政府の要人などではなく、真実、ただの農婦であった。夫に先立たれた不幸はあったものの、その程度の不幸、誰もが一つや二つ背負っている当たり前のものである。冬の蓄えも尽き、一か八か彷徨うように国境を越えた、とモスキエフ大公国の国境警備隊の追跡調査で判明している。
大公は一笑に付したが、ルシフ公国は本気であった。
ルシフ公国が宣戦布告した翌日には、モスキエフ大公国もそれに応じ、ここに戦争の火蓋が切って落とされた。
しかし、蓋を開けてみれば、高位魔術を操る多数のエルフ族を擁していたモスキエフ大公国は、ルシフ公国を圧倒し、わずか21日で、ルシフ公国の公都ルシエルを陥落させた。
長く貧しかったモスキエフ大公国の民衆は、戦争の勝利に沸いた。
だが、戦争はモスキエフ大公国の勝利で終わりではなかった。
問題とされたのは、モスキエフ大公国がルシフ公国の宣戦布告に対して、「応じた」点であった。つまり、周辺国に対して、正式な戦争であることを宣言したのである。
後に、紛争でも事変でもなく、『二十日戦争』と呼ばれるのはこの為である。
アラトの慣習的な国際法では、正式な戦争の後は、講和条約の内容にもよるが、基本的には戦勝国に敗戦国の復興責任が生じる。すなわち、政治体制が崩壊したルシフ公国の面倒を、モスキエフ大公国が見なくてはならないのだ。
莫大な賠償金を請求するも良し、資産を没収するも良し。いっそ、植民地にするのも、併合するのも構わない。ただ、放置は許されない。
それがアラトの国際法であった。
もちろん、最初からルシフ公国の土地や資産を欲した上での戦争なら、得るものは大きかっただろう。だが、『二十日戦争』の場合、モスキエフ大公国はいわば侵略されたようなものである。
結果的には、軍事力が上のモスキエフ大公国が公国を圧倒したが、ルシフ公国の資産が欲しくて戦争をしたわけではないのだ。いわば防衛戦争であった。
ルシフ公国は人口300万人ほどの貧しい国であった。
貧しいが故に、シンバ皇国崩壊という大災害の際にも、難民の受け入れを拒否したのだ。国の立地はモスキエフ大公国と大して変わらないのだから、貧しいのも当然だろう。
モスキエフ大公国の場合、イヴァン・ラージ大公がたまたま懐の深い名君であった上に、広大な土地が余っていたから難民受け入れが成功したに過ぎない。
移民たちの血の滲むような努力を認めつつも、幸運が重なった結果である。
いずれにしても、ルシフ公国に、モスキエフ大公国の民を喜ばせるような資産はほとんどなかった。
いや、モスキエフ大公国にとっては、むしろ「負の資産」とも言うべきものがあった。
『エドラ正教会』である。
ルシフ公国には数多くのエドラ正教会の教会があり、民のほとんどはエドラ教徒であった。実質、国教と言っても過言ではない、と言えばおよその状況は理解出来るのではないか。
イヴァン・ラージがエドラ正教会の謀略に気付いた時には、モスキエフ大公国は、もはや雁字搦めになっていた。
エドラ正教会は、エドラ教皇国という国を持っている。
もし、元ルシフ公国内にある教会を、モスキエフ大公国が潰すようなことがあれば、エドラ教皇国だけではない、宗教弾圧として、世界中のエドラ教徒を敵に回すことになるだろう。
エドラ正教会の教会建設を認可しないとか、そういうレベルではないのだ。入場禁止と、強制退場の違いと言ったところか。入場禁止は許されても、既にいる者を強制退場させるのは難しいのだ。
既に存在するエドラ正教会を排除することは、実質、不可能であった。それは、迫害、あるいは弾圧になってしまうからだ。
最貧国であった頃に比べれば豊かになったとは言え、エドラ正教会を敵に回して戦争を起こせるほどの国力は、残念ながら、モスキエフ大公国にはなかった。
大公は大臣や有識者たちを集め、対策を練ったが、ルシフ公国を一旦、植民地化することは避けられない状況との結論に至る。
その後、出来れば短期間のうちにルシフ公国の自主独立を促す、という方針が固まった。
実際のところ、それ以外に手はなかったというのが正直なところ。
エドラ正教会の問題は何一つ解決されていなかった。
「獅子身中の虫を飼うことになるのか……」
「仰る通りかと。一応、元ルシフ公国民とモスキエフ大公国民は区別して、国内への流入は、最小限に制限しましょう」
苦虫を噛み潰したような大公イヴァン・ラージの言葉に応じたのは、「五月興国」以降、東方開発省大臣に就いているエルフ族のキェト・ヴォロノフであった。
「大災害」後、最初の冬に流入人口の半分を失いながらも、一丸となって、「五月興国」を成さしめたのは、キェト・ヴォロノフの手腕によるところが大きい。
通常、パンを求めて、被災民と旧来の民との間で、内乱に発展しかねない状況であったにも関わらず、民のエネルギーを全て生産に向けることに成功したのだ。
ちなみに、「試される大地」とは、キェト・ヴォロノフが公職中、好んで使った言葉である。
「それしかあるまいな」
大公イヴァン・ラージはそれから8年後の1501年、愛する大地モスキエフ大公国に、もやもやと暗雲が迫ってくる不安を感じつつ、71歳の生涯を終えた。
イヴァン・ラージの後を継いだのは、母方の従兄弟、ウラジミル・ヴァーリ。
1512年、「海賊王子」エトゥによる、始祖大陸発見のニュースが全世界に流れた。全ての種族にとっての「始まりの大陸」が、伝説ではないと証明されたのだ。
キェト・ヴォロノフが即座に直感したことは、このニュースが、モスキエフ大公国にとって、悪いニュースだということであった。
それは、「海賊王子」エトゥが、多国籍私掠船団を率いていたからである。
私掠船とは、国に認められた海賊のことである。
正確には、戦争状態における敵船への攻撃を許可された民間船のことであるが、戦争状態に無い場合でも彼らは航海をしているわけだから、実質、赦免状を持った海賊である。
キェトが問題としたのは、エトゥの場合、一国の後援を受けた私掠船ではなかった点だ。エトゥは五カ国の後援を受けていた。
レミントラ帝国、大バロウ帝国、ルーフェン王国、アストニア王国、エドラ教皇国の五カ国である。
大国の中にあって、エドラ教皇国は異質であった。
「始祖大陸の発見こそ、モスキエフ大公国の分岐点であった」
後に、キェト・ヴォロノフが家族に語ったとされる言葉である。
数ヵ月後、始祖大陸にて、二つの大規模迷宮が発見される。
一つはシルクスパイダーと、シルクスパイダーの餌となる小型の魔物を延々と召喚し続ける迷宮であった。「白地宮」と名付けられた迷宮は、別名「絹の牧場」と呼ばれ、レミントラ帝国、大バロウ帝国、ルーフェン王国、アストニア王国、エドラ教皇国の五カ国に、莫大な富をもたらした。
そして、発見者である「海賊王子」エトゥは、「航海王子」エトゥとして、永遠に語り継がれる存在となった。
もう一つの迷宮の詳細については、長い間秘匿された。
それが明かされたのは、大陸発見から67年後。1578年のトルージャ条約締結の翌年、1579年である
イヴァン・ラージに比べると、ウラジミル・ヴァーリはあらゆる点で、矮小であった。
モスキエフ大公国内においても、エドラ教徒は、静かに、確実に増え続けていたが、ウラジミル・ヴァーリは特に気にした様子もなかった。
「先代大公はエドラ教を毛嫌いしていたようだが、特に、我が国の体制に反抗するわけでもない、信心深いだけの、ただの庶民ではないか」
キェト・ヴォロノフが懸念したのは、エドラ教の教義の根幹を成す、人族中心の世界観であった。しかし、ウラジミル・ヴァーリは人族の為、気にならなかったのかも知れない。
問題は、モスキエフ大公国の人口分布が、他の国とは著しく違っていた点である。通常の国家は人口の8割から、多いところでは、9割以上が人族という国も珍しくない。一方、モスキエフ大公国の場合、人族は人口の5割強であった。
キェト・ヴォロノフは小さな不安を抱きながらも、大公を支え続けた。
ウラジミル・ヴァーリは矮小な大公であったが、約45年にも及ぶ長い在位中、小さな問題こそ起きたが、大きな問題は起きなかった。彼個人に限っては、幸福な人生であったろう。
モスキエフ大公国はますます豊かになり、人族の人口は増え、エドラ教徒は増えて行った。
しかし、一向に元ルシフ公国が分離独立する気配は無かった。
モスキエフ大公国が豊かであったからだ。
一応、行政上の区別はあるものの、もはや、植民地というより、単なる、内地外地の違いでしかなかった。通貨や税金が同じである為、数十年の間に、経済格差もほとんど無くなった。
モスキエフ大公国が、元ルシフ公国の将来の分離独立を期待していた為、搾取を行なわなかったことが、逆に作用した形だろうか。
元ルシフ公国に属する一部の貴族の中には、独立を目指す動きもあったが、民が付いて来ないのでは、どうすることも出来ない。
庶民は、日々豊かになる状況を手放そうとはしなかったのだ。
次の大公はウラジミル・ヴァーリの二男、ルワルドス・ヴァーリ。
1546年、父ウラジミルの後を継いだ新大公は、既に、「大災害」と「五月興国」を、体験として知らない世代であった。
「我が国にも元ルシフ公国の血を引く民が増えてきた。最近、とみに増えたのは、教会設立の嘆願である」
ルワルドスの言葉は事実であった。
国全体の経済が底上げされた為、格差が生まれつつあった。
人ならずとも、我が子は可愛い。可愛い我が子に苦労はさせたくない。そう願う親なら、富の蓄積を図るのは自然なことであろう。
その結果、格差は生まれるのだ。
格差とは、他人に優越したいという本能ではなく、子孫繁栄を願う本能によって、生まれるものなのだ。
貧しき者は信仰を欲し始め、富める者も表向きに寄付として貧者に還元できる、「教会という装置」を欲したのだ。
1559年、ついに、公都モスキアにエドラ正教会の教会が設立された。建設には、各国から莫大な寄付金が集まり、式典には各国の王族、貴族などが来賓として列席した。
それは、モスキエフ大公国の民にとっても、誇らしい出来事であった。国が貧しかった時期を知っている者にとっては、喜びもひとしおであったろう。
ただし、人族のみにとって。
この頃、一部の獣人族、エルフ族、ドワーフ族たちは、微妙な違和感のようなものを感じ始めていた。あるいは、閉塞感か。
それは、それまで感じていなかった、種族間の溝のようなものである。もちろん、種族が違うのだから、溝があるのは当たり前だ。しかし、その溝を、「ここに溝があるよ」と、指摘されることが増えたような感じと言えば、分かりやすいだろうか。
キェト・ヴォロノフは教会の認可に最後まで反対したが、すでに、「大災害」も「五月興国」も遠い過去の出来事であった。
キェト・ヴォロノフは大公の政策に抵抗する場面も増えたが、それでも尚、大公を支え続けた。
しかし、1578年、決定的な事件が起こる。
レミントラ帝国、大バロウ帝国、ルーフェン王国、アストニア王国、エドラ教皇国の五カ国連合による、『トルージャ条約』の締結である。
トルージャ条約の内容は以下。
(1)五大国が出資した合資ギルド「始祖極星」による始祖大陸の恒久的な権益の保護と、迷宮の管理。
(2)今後、新たに発見された国や地域を自国領とする。
モスキエフ大公国――に限らず、中堅以下の国にとっては、まさしく大事件であった。連合国の中に、エドラ教皇国があったからだ。
ついで、翌1579年、始祖大陸の秘匿されていた、もう一つの迷宮の詳細が公表された。
『魔物を召喚しない迷宮』
一言で要約すると、以上である。
それまでにアラトに存在した、あらゆる迷宮の中でも異質。まさしく、唯一無二の特徴を持っていた。
キェト・ヴォロノフは全てを理解した。
始祖大陸発見から、トルージャ条約締結まで、実に66年も要した理由は、「絹の牧場」を遥かに凌駕する、富の配分でもめていたのだと。
迷宮とは、魔力を集め、他の地域から魔物を召喚する天然の装置である。そういう性質の魔物である、という説もあるが、この際、どちらでも構わない。
いずれにしても、集めた魔力を使って魔物を召喚するのが迷宮である。では、『魔物を召喚しない迷宮』とはどういう意味であろうか。
すなわち、魔力を集めるだけの迷宮ということだ。
迷宮は集めた魔力をどうするのか。
魔石に変換するだけである。
通常の迷宮は、召喚魔法陣を展開し、魔物を召喚することで集めた魔力のほとんどを消費する。もちろん、魔物を倒せば、魔核=魔石は得られるが、ロスする分は馬鹿にならない。
つまり、迷宮が集めた魔力と、迷宮産魔物から得られる魔石では、どうしても迷宮が集めた魔力の方が大きいのだ。
しかし、『魔物を召喚しない迷宮』ならば、話は別である。
迷宮が集めた魔力は、全て魔石、あるいは魔鉱石に変換される。ロスが全くない。
さらに、召喚された魔物が増えすぎて起きる現象、大暴走も起きない。管理は実に容易だ。
恐らく、膨大な量の魔石が採掘されることになるだろう。
一体、どれほどの期間、放置されていた迷宮なのか。迷宮誕生以来、ひたすら魔石を生成し続けていたのだ。
強力な魔物を倒すことで、やっと得られる魔石が、ただ、土を掘るだけで採掘出来るのだ。
まさしく、アラト史上、最大の発見である。
「もはや、世界は五大国の言いなりか。しかも、五大国の中はエドラ教皇国がある……」
他の国と比べて、唯一、エドラ教皇国だけが、世界中にネットワークを持っている。これはもはや、一国の都合で、エドラ教を排除出来ないことを意味していた。
『獅子身中の虫を飼うことになるのか……』
エドラ教のもつネットワークは、商売において、最も力を発揮した。モスキエフ大公国でも、貿易に関する要所には、エドラ教信徒の陰が常にチラついた。彼らは商人にとって一番有用な、「情報」を持っていたからだ。
そして彼らの扱う商品に、始祖大陸産の「魔石」が加わることになった。当然、五大国連合によって、生産調整がなされるだろう。
「(イヴァン陛下、陛下が懸念した通り、ついに虫どもが、獅子の腹を食い破りましたよ)」
キェト・ヴォロノフは小さく笑った。
先代大公であるウラジミル・ヴァーリに対し、教会の認可に反対したことを思い出したのだ。教会の認可など、もはや、些事でしかなかった。教会を認可しようが、しまいが同じことである。いずれ、魔石を盾に、全ての要求を呑まされることになるのだから。
3年後の1582年、エドラ正教会が、信仰の自由と、教会建設の自由。さらに、元ルシフ公国の完全併合を要求。モスキエフ大公国の民も、それに呼応した。すでに、モスキエフ大公国内の人族の間では、エドラ教が広く浸透していたのだ。
翌1583年、エドラ正教会は2%の教会税徴収権を要求してきた。
魔石の安定供給が交換条件であった。
「ヴォロノフ財務大臣よ、我らはこのむちゃくちゃな要求に従うしかないのであろうな」
「仰られる通りかと」
「エドラ教皇国に、戦わずして屈するのか……」
ルワルドス・ヴァーリ大公が悔しそうに呟いた。
喉に刺さったトゲのように、モスキエフ大公国に「教会税」という楔が打ち込まれたのだ。悔しくて当然である。
ルワルドス・ヴァーリはどことなくイヴァン・ラージと似た、熱血漢であったが、エドラ正教会は、もはや戦ってどうなる相手ではなくなっていた。
「(私はどこで間違ったのだろうか)」
キェト・ヴォロノフは自分に問うてみたが、いくら考えても、間違えた局面が思いつかなかった。
「(結局、始祖大陸が発見されたことが全てか……)」
キェト・ヴォロノフは急速に政治への興味が失われていくのを感じていた。
愛する妻エヴァと、愛娘のシェーンの顔が思い浮かぶ。
思えば、仕事に追われ、家族を省みることも少なかった。そろそろ潮時で、家族孝行すべきタイミングではないか。
幸い、国の要職に長い期間就いていた為、辺境で家族三人暮らす分には、何の支障もない程度には蓄えもあった。
翌年、キェト・ヴォロノフは全ての要職を辞し、最東端の町キエベよりさらに奥に、小さな家を建て、家族で移り住んだ。
キェトの娘シェーンは魔術の才能があり、冒険者としてA級にまで昇級した。
シェーンには「氷帝」という二つ名が付いており、S級にこそ至っていないが、十分に、有名冒険者の一人として、その名を轟かせていた。
キェトの楽しみは、時々、冒険者ギルドを訪れて、シェーンの噂を聞くことだったという。
1603年、48歳のシェーン・ヴォロノフは、同じエルフ族の「英雄」イェツ・エバレットの誘いを受け、フィオ・リョーザ号の乗組員として、「大凪原を越え、東回り航路の発見」というプロジェクトに参加することになった。
どういうわけか、はるか昔より、中央大陸の東には「大凪原」と呼ばれる無風地帯があり、その先に魔大陸と竜の巣(竜大陸)が存在することが知られていた。エルフ族の言い伝えに残っているのだ。
ただし航路はない。越えた者がいないのだから。
より正しくは、戻った者がいない。
もし、安全な航路が発見されれば、始祖大陸発見に次ぐ大発見になるだろうと言われていた。
シェーンはエルフ族としては、結婚適齢期でもあった為、母エヴァは反対したが、キェトは大賛成した。娘の話を聞いているだけで、胸が高鳴るような思いがしたからだ。キェトは「英雄」ではなく、「冒険者」イェツ・エバレットを尋ね、大いに語り合ったという。
ただ、キェトの中にあった、「始祖大陸発見」に対する複雑な心境が影響したことは想像に難くない。純粋に、娘の冒険を応援していただけではないだろう。
結局、旅立ったシェーンが再び家族の前に現れることはなかった。
キェト・ヴォロノフは、かつて、中央大陸のシンバ皇国の豊かな森から、「大災害」で追い出され、裸一貫でモスキエフ大公国に逃れてきた時のことを思い出していた。
食べるものさえなく、凍った木の皮を齧って冬を越した。
固いクソが肛門を傷つけ、いつもヒリヒリしていた。
仲間たちは凍土とブリザードの中で、次々に死んでいった。
春を待ちわびるように、凍った大地に鍬を突き立て、必死で耕し、種を蒔いた。
大して旨くもない、ボソボソとした穀物を、短い秋に収穫した。
いくらか食えるようになり、獣人族たちと、「最近、ケツの穴が痛くないんだ」と真剣に語り合ったことなど、今、思い出しても、笑いが込み上げる。
ちょうどその頃、エヴァと知り合って、恋に落ちた。
ある時、エヴァと「狩り」という名のデートの最中、凍土に覆われたツンドラの中で、緑の葉を付けた一帯を見つけた。一帯と言っても、わずか、30m四方といったところ。
しかし、この発見は我々に地熱の利用方法を思いつかせた。
日々、少しずつ生活は楽になっていった。
それでも時々、固いクソが肛門を傷つけた。
「(あの頃、私たちは、あんなに貧しかったのに、どうして毎日が楽しかったんだろう……)」
ある日、私たちと同じく、モスキエフ大公国に難民として移住したドワーフ族の一人が興奮して、町を走り周っていた。
聞くと、銅を掘っていたドワーフ族の一団が、銀鉱脈を発見したという。
町はお祭り騒ぎになった。
「(あの時飲んだ、悪酔いするばかりの雑味だらけの酒。あれは何という酒だったのだろうか。不思議なのだが、以来、あの時以上に旨い酒を飲んだことがない……)」
酒屋は売る物が無くなり、個人で酒を作っている連中の家を探しては、一軒一軒周って、無理矢理、金を握らせ仕入れていたという。
当時はヒゲ面のむさくるしいドワーフ族の連中が、随分と格好良く見えたものだ。
あの場にいた半分は人族だったはずだ。
思えば、国のどこを切り取っても、人口分布と変わらない割合で、複数の種族が共生していた。
日々、豊かになっていく中で、時々、人族との間に、溝というか、壁のようなものを感じる場面が増えてきた。
その頃だったか、試しにエドラ正教の聖書を読んだ。
随分と手前勝手な、馬鹿馬鹿しい神話もどきが書かれていた。
『どうして、神の蒔いた種から人族が生まれ、人族の蒔いた種から、我らハイエルフが生まれたことになっているのだ?』
当時、350歳を超えていたエルフ族の長老の言葉だ。
人の心の溝や壁は、貧しい時には見えないのに、豊かになると見えてくるのは何故だろうか。
その後、何となく、種族ごとの住み分けが出来ていった。
生活習慣が同じ者同士が固まるのだから、便利ではあった。
でも、かつてのような楽しさや、面白さは失われた。
やはり、エドラ正教会だろう。
彼らは、一体、何の為に存在しているのだろうか。
果たして、彼らは楽しいのだろうか。
彼らは、何故、奇妙な物語を作ってまで、種族間の溝を深めようとするのだろうか。
彼らは――
「あなた、寝るのなら、ベッドで寝てください。リィフが風邪でも引いたら大変です」
「あ、あぁ、そうだな」
キェト・ヴォロノフの腕の中で、小さな男の子が眠っていた。
シェーンの弟で長男のリィフ・ヴォロノフ。シェーンとは40歳以上歳の差がある姉弟である。
キェトもまた、暖炉の前で、手製のロッキングチェアに座って、眠っていたようだ。足元には、これも手製の木製紅茶カップが転がっていた。
暖炉の火が消えかかっていた。
キェトは大事そうにリィフを抱いたまま、ゆっくりと腰を上げた。
ヴォロノフ家の家名が再び世に出るのは、およそ200年後。
コーカ暦1807年。
名を、ラスカ・ヴォロノフという。
『焔帝』の二つ名を冠したエルフ族である。