エピローグ
「よう」
彼のところに行くわけでもなく、だからといってトモダチと遊ぶわけじゃない。
暇をもてあました私は、どういうわけか珍しく図書館で勉強でもしようという気分になった。いつもは気にならないけれど、暇な時間は私に、自慢の従姉に似た母という存在に何かを感じ取ってしまう。別に嫌いだとか、嫌われているとか、そういう話じゃない。ただ、私は私に自信がもてなくて、まともに顔を合わせられなくなる瞬間がある、というだけだ。
勉強道具を片手に家を出ると、家の近くの電柱でよく見知った人陰がゆらりと動いた。
携帯用の灰皿の中身がいっぱいになっている事をみると、どうやらこの人はずっと私を待ち伏せしていたらしい。
「何?」
彼の姿を見ても、動揺しない自分がいることに驚く。たぶん、きっと、もう迷うことはない。
「おまえに言われて、じゃねーけど、とりあえず薫に言ってみた」
「はぁ?ラブラブ新婚オーラがでまくっている薫さんに?」
ちょっとバツが悪そうな彼はそれを誤魔化すためか、新たにタバコに火をつけた。
「まあ、な。冗談じみてだけどさ。あっさり、そんなこと知ってたわよ、って言われた」
「はい?さすが薫さん。それでも知らんぷりしていたところがすごいや」
私ならきっと態度に出ていたに違いない。この人が惚れていた薫さんのとぼけっぷりに感心する。
「おまけに今は違うでしょって笑い飛ばされた」
「それって……」
「俺、お前の事が好きみたいだ」
あまりに彼らしい告白を深く息を吸って受け止める。とても驚きはしたけれど、それ以上でも以下でもない。そんなことにまた驚いたりもする。
「ありがとう」
タバコの煙をゆっくりと吐き出し、こちらへと視線をあわせていく。
「それは残念ってことか?やっぱり」
「ごめんなさい、私他に好きな人がいるから」
まだ吸いかけのタバコを灰皿にねじ込む。
「この間のあいつか?」
「ふふふ、内緒」
あれ以来、私と先生の関係は進展したかというと、実は何も進展していない。
相変わらず部室に根城を置いている先生に会いにいくため、とりあえず私が写真部の部員になったぐらいだろうか。
これで、私が足しげくあそこに通っても怪しまれないだろう。やっている事と言えば、勉強だったり雑談だったり、およそ部活とは縁のないことばかりだけど。
そして、時々先生と視線が絡み合う、ような気がする。
距離は近くて、けれどもそれ以上は近寄らない微妙な距離感で、私は満足している。
男性である先生が、どう思っているかはわからないけれど。
不相応に背伸びして、付き合ってきた私には、今のこの空気がとても大事なもののように思えてくる。
いきなり色々すっ飛ばして、無理やり持ち込んだ関係は、先生のことがなくてもきっと壊れてしまっただろう。
「言いたいことはそれだけだから。あと、この間は悪かった」
いつもいつも不遜な態度の彼が謝るなんてことを予想していなくって思わず笑ってしまう。
その笑い声に彼もつられて笑う。
こんな風に彼と笑っていられるなんて、少し前には想像もしていなかった。
「合鍵、受け取った」
「ん」
「じゃあって、たぶんもう会わねーだろうけど」
「そう、だね。たぶん、きっと」
そう言って、彼は軽く右手を振って歩み出す。私の反対方向へと歩み始める。
なんとなく、先生にメールが送りたくなる。
他愛無い言葉の羅列を送信する。
すぐに届いた返信は、短いけれどやっぱり「彼」だと思わせてくれた。
携帯をバッグへ放り込み、再びまっすぐと歩き出す。
これからも「彼」のことをひとつずつ、知っていけますように。
そう願いながら。