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風の偶然

風の偶然

作者: 緋乃円


 ———それは本当に偶然で、そうでなければ決して出会わなかった私たち。


 吹奏楽部の顧問に頼んで部室に保管していた楽器を受け取って、放課後の教室で一人練習をしているときだった。

「きゃっ・・・!?」

 突然の突風が教室中を駆け回って、思わず目を閉じてしまった。そのため、譜面台に置いていた楽譜が外に飛ばされたことに気付くのが遅れてしまった。

 楽器を置いて急いで外へ出ると、先輩——確か、バスケ部の先輩だったと思う——が楽譜を拾ってくれていた。

「あの、すみません。その楽譜・・・」

 じっと楽譜を見つめている先輩を不思議に思いながら声をかけた。

「これ、君の楽譜?」

「ごめんなさい。風に飛ばされてしまって」

「あぁ。さっきの風、すごかったからな」

 はい、と差し出された楽譜を受け取りながら、なぜか説明をする私に先輩を苦笑する。

「ありがとうございます」

 お礼を言って教室を戻ろうとすると、先輩に呼び止められた。

「待って。学年と名前、聞いていい?」

「えっと、二年の坂本真那です」

「俺は三年の西尾拓真。よろしく」

 何故か満面の笑みで挨拶をされてしまった。

 それじゃあ、と体育館のほうへ走って行った西尾先輩を見送って教室へと戻る。


 よく分からない彼の行動に首を傾げながらも、手に持っている楽譜を譜面台に置いて——今度は風に飛ばされないようクリップで留めた——練習の続きをした。



 次の日、移動教室で廊下を歩いているときに彼とすれ違った。

「おはよう。坂本さん」

「おはようございます、西尾先輩」

 にこやかに挨拶をしてくる彼に頭を下げて再び歩き出す。

 彼と一緒にいたほかの男子生徒が、今声掛けたの誰だ?と聞いているが、何故か答えをはぐらかしている。


 ただ楽譜を拾ってもらっただけなのに親切な先輩だなあ、というのがその時の私の彼に対する印象だった。


 それからも先輩とは廊下で何度もすれ違ったり、時には食堂で会うこともあった。

 そのたびに声をかけてくる先輩に最初は戸惑いながら、けれど徐々にその姿に慣れた頃には普通に話すことができていた。

「そういえば、真那は一人で行動してることが多いけど、友達と一緒じゃないの?」

 初めて会ってから一か月が経つ頃には会話をする回数が増え、彼は私を真那と呼び、私は彼を拓真先輩と呼ぶ仲になった。

 と言っても、恋人同士というわけではないのだけれど。

「そうですね。基本的には一人で行動します。みんなと一緒にっていうのがあまり好きじゃなくて」

「ふうん。友達と一緒にいるのが疲れるとか?」

「まあ、そんな感じです」

 本当は別の理由があるけれど、それは彼に話すことでもないだろう。

 売店で買ったパンを食べながら質問に答える私を、彼は興味深そうに見ていた。



 その日も誰もいない放課後の教室で練習をしていた。

 いつもと違うのは、そこに彼がいて私が演奏している曲を聴いているということだ。

「・・・拓真先輩。部活に行かなくていいんですか?」

「今日は練習が休みなんだ」

 体育館が使えないから、と少し不満そうにぼやく。

 そういえば、今朝のHRで先生がそんなことを言っていた気がする。ほかのことに気が行き過ぎて全然話を聞いていなかった。

「でも、真那の吹いてる曲って聞いたことないな。作曲者って誰?」

「・・・えーと」

 クラシック鑑賞が趣味というだけあって、彼は有名どころからマイナーなものまで多くの曲を知っていた。

 その彼が聞いたことがないと言っても仕方がない。だってこの曲は———。

「真那?」

 急に口ごもった私を不思議に思ったのか、彼は首を傾げながらこちらを見る。

 それなりに関わりを持ってきた相手なので、決して悪い人ではないと分かってはいるけれども、それでも躊躇してしまうのは私が臆病なせいなのだろうか。

「嫌なら無理には聞かないけど」

 私が返答に困っていることに気付いて、先回りして答えてくれる。

「いえ、その・・・秘密っていうほどのものでもないんですけど」

 言葉を濁したような答えに彼は更に首を傾げる。

 ここまで来たのなら、もう言ってしまおう。元々、彼には話してもいいかな、なんて思っていたところでもあるし。

「その、この曲は私が作ったんです」

 とうとう言ってしまった。言ってから急に恥ずかしくなって俯いた。

 授業中に先生から指名されて答えるときの緊張感に似た時間が過ぎる。なかなか彼から反応が返ってこなくて、俯いた顔を上げると、彼はいつの間にか近くまで来ていて楽譜を覗きこんでいた。

「あの、先輩?」

「あ、ごめん。自分で作曲したってすごいな」

 この曲けっこう気に入ってたからびっくりした、なんて言いながら笑いかける彼に逆に驚く。

「普通なら違うって思うんじゃないんですか?」

「でも真那が嘘をつく理由ってないだろ。それにこの楽譜に作曲者名書かれてないし」

 なるほど、それを確かめるために楽譜を見ていたのか。

 妙なところで感心している私をよそに、彼は更にじっくりと楽譜を見ている。

「もしかして、先輩も楽譜読めるんですか?」

「うん。うちは両親が音楽家だから、小さい頃から楽譜を見てたしね」

 知ってる?と言われた名前は、私の憧れでもある音楽家の名前だった。



「ねえ、真那。うちの両親に会ってみたい?」

「へ・・・?」

 さっきから考え事をして黙り込んでいた彼が話しかけてきた。突然のことに、私は気の抜けた返事しかできていない。

「うん。ずっと言おうと思ってたことがあったから、丁度いいかな」

 話の流れがよく分からなくて、しきりに一人で頷いている彼を見つめる。

「拓真先輩?」


「坂本真那さん。俺はあなたが好きです。俺と付き合ってくれませんか」


 少し緊張した面持ちで言われたのは、意外な言葉で。けれどどこかで期待していた言葉でもあった。

 彼と接する時間が増えて、その人となりを知って、密かに惹かれていった。でもこの心地よい距離感や空気を壊したくなくて、ずっと心の内に秘めていた。


 どう返事をすればいいのか分からなくて、でも返事を返さないと彼が困ってしまう。

「・・・嫌なら、断っても大丈夫だよ」

 流石に断られたら今まで通りとはいかないけど、と彼は困ったような悲しそうな顔で私を見る。

 その悲しげな声を聞いて、私の口から咄嗟に——無意識と言っても良いくらい、その時は何も考えてなかった——言葉が出てきた。

「嫌です!先輩と一緒にいたい・・・!」

 出てきた言葉は、紛れもない私が心の奥底に沈めていた本音(おもい)

 言ってから思わず口元を両手で押さえる。時間が経つにつれ、徐々に冷静になってきた頭で自分が言った言葉を反芻する。


 一緒にいたい、なんて好きですと言っているのと同じことだ。

 そのことに気付いて、顔に熱が集まってくるのが分かる。

「・・・それって、俺のこと好きだって解釈していいんだよね?」

 真っ赤に染まった私の顔を見て、彼は嬉しそうに尋ねてくる。私が恥ずかしがってることに気付いてて、わざと聞き返しているのだ。

「い、意地悪言わないでください!」

「でも俺はちゃんと言葉で聞きたいな」

 こうなった彼は絶対に自分の主張を曲げてくれない。

 彼の想いが嬉しかったことと自分の想いを口に出すのが恥ずかしいことが混ざり合って、涙目になって彼を見つめた。

「・・・・・・真那。それはワザと?」

 たっぷり間をおいて呟いたあと、彼は額に手を当てて大きくため息を吐いた。

 何かぶつぶつと文句のようなものを言っているようだが、声が小さくてよく聞こえなかった。

 その様子にいつもとは違った彼が見れて可愛いかも、なんて思った私がクスクス笑うものだから、彼は少しむっとしてこちらを睨む。

「真那、笑うな」

「だって、先輩が可愛いからつい・・・」

 思わず本音が出てしまって、気づいた時にはもう遅かった。

「へえ・・・ところで真那、返事をまだ貰ってないんだけど」

 しまった、と思って彼を見ると、意地悪そうな笑みを浮かべて私のすぐ傍まで近づいていた。後退りするとその分距離が縮められる。

「真那、返事は?」

「・・・・・・私も、拓真先輩が好きです」

 流石に彼の顔を見ながら言えなくて、俯いたまま小さな声で答える。

 途端にぎゅっと彼に抱き締められた。

 そのことに驚いたけれど、それ以上に安心感がこの腕の中にはあって、私は応えるように彼の背中に手を回す。

「初めて会った時から、ずっと好きだったんだ」

 そう囁く彼の声はひどく穏やかで、優しさに満ち溢れていた。



 帰り道、いつもと同じ道のはずなのにどこか違う風に見えて、人の視界の不思議さを体感した。

「今度の休み、うちにおいでよ」

 ちょうどその日は親が家にいるからさ、と微笑みながら言う彼に心臓が早鐘を打つ。

 夕日に隠れて顔を赤くしていることがばれずに済んだことに内心ほっとしながら、彼を見上げた。

「えっと、それじゃあ何かお菓子作っていきますね」

「真那ってお菓子作れるんだ」

 楽しみにしてよう、といたずらっぽく笑いながら、彼は私の手をそっと握った。それに私も小さく握り返す。

 小さな幸福が降り立ったその日、私の心には優しい歌が流れていた。



 風が運んでくれた偶然。

 あなたが拾ってくれなければ、出会わなかった私たち。きっとこの恋も始まらなかっただろう。



 だからこそ、あの日の風に感謝を込めて、私は優しい音を奏でよう。



 END.

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