22話:王の苦悩
「むぅ……」
城内にある一室から幾度と無くこぼれ聞こえるのは唸り声だった。
多数ある部屋の中でも、更に奥まった場所にある一室。城中でも、入室者や持ち込まれるもの全てが管理徹底される部屋でありながら、唯一誰憚ることなく出入りできる人物はそこにいた。
室内の四方の壁には一面に本や巻物のようなものが整然と並べられており、そのほかにあるものといえば中央奥にある机と椅子。それから少し離したところに奥の机に向かい合うように置かれた、数人がけできるソファーのような低い椅子が一つ。
一目で生活を目的としている部屋ではないことがわかる。それなりの広さがあるにも関わらず何故か窓のようなものはひとつもなく、唯一その部屋に出入りできるのは机と反対側に位置する扉一つだけ。
窓が無いにも関わらず室内が明るいのは、魔術によって生み出されたいくつもの光が天井から煌々と室内を照らしているからだ。
この部屋こそ、バナジールの政が行われる最も重要な場所。王の執務室である。
そんな場所に、自由に出入りできる人物といえば一人しかいない。
フェガロ=バナジール=ルミンツ。バナジールという国を統べる王である。
歳のせいもあるだろうが、その顔には多くの経験を積んだ者に見られる落ち着きと、知性を思わせる力強い瞳が見て取れる。だが今やその顔に刻まれる皺を更に寄せて、厳しい表情を作っていた。
「ううむ……」
机にひじを突きながら、左手に持った紙を見て再びうなるフェガロ王。
内容に目を通してはため息や苦悩の声が漏れる。他の者には絶対に見せられないであろう王の苦悩の姿だった。
「一体どうしたものか」
書面に書かれているのは、文官達が現在の優先事項をとりまとめたもの。
つまり、できるだけ早く対応しなければ支障をきたすものばかりであるのだが――
案件の内容から、高い優先順位で選ばれたものだとわかるが、そのどれもがすぐに対応できるようなものではなく、更に言えば対応するための人員も不足していた。
一人だけの室内に、何度零したかわからないため息が漏れる。
はっきり言ってしまえば、フェガロ王は為政者としてそこまで優れているわけではない。
だが王という立場にあるものが必ずしも全てにおいて優秀でないことは歴史を振り返れば明らかだ。
それでいてバナジールが国家としての体裁を整えているのには、文官たちの努力の賜物というのがあるだろう。しかし、それだけでは駄目だ。最終的にそれらの決まった事柄を判断し、国にどう影響を与えていくかを先読みしていかねばならない。
フェガロ王が、王として機能している理由の一つは、その判断力・先見性が抜きん出て高かった為だ。
貴族や他国などの大きな干渉を受けやすい国と言う媒体から、依頼斡旋所を国の管理から切り離したのも彼だ。現在のラースベストにおいて、魔物討伐を行う機関にはより効率的に動いて貰わねばならない。その為には国の支援はあったほうが良いだろうが、それ以上に見えない部分の"足枷"が大きいとの判断である。事実、それ以降のギルドは規模を拡大し、国が管理していた頃の規律や討伐規約などのまどろっこしい部分を取り除いた効率主義の方向転換で討伐速度を飛躍的に引き上げた。
そんなわけで、国民からの信頼は高かった。
あれこれとどうしてよいか、どこから手をつけるべきかを一人またも唸りながら頭を絞るフェガロ王。
どこから手をつけるにしても、まずは問題解決をするための人員が足り無いというのが目下最大の悩みであった。
特に今は、増加した魔物対策に多くの人員を割いているため、城の騎士を借り出したところで大した人数にはならない。戦力だけで見れば騎士はハンターランクでいうところの銀以上の実力を持つ者しかいないので問題は無いのだが、問題は戦力だけではどうしようもない部分が多いからだ。それに城の守りを薄くするのはあまり得策とはいえない。
あっちを立てればこっちが立たず、というなんともバランスの難しい問題だった。
普段ならばどのような案件であれここまで悩んだことはない。王という立場にある者ならば決断力は必要不可欠なのだから。フェガロ王の決断力を鈍らせているもう一つの大きな懸念事項。それは、異世界から召喚した『カナメ=スドウ』なる人物のことだった。
スドウ殿が城から抜け出した。そんな報告があがってきたのは今朝のことだった。先日会話をしたときには、微塵もそんな行動に移るようなそぶりは無かったのだから、報告を聞いたときはさすがのフェガロ王も驚倒した。
最初は誘拐を疑ったのだが、この召喚は極秘で行われたものであり、他国どころか側近でも知る者は限られている。部屋の状況を見る限り、無理矢理連れ去られたような形跡はなく、考えられるのは自分の足で出て行ったということだった。
そんな簡単に出入りできるようでは、城の安全に問題があると考えられてしまうだろうが、無論そんなことはない。
城内だけでも各所に騎士がいて見回りをしているだけではなく、特殊な魔術による監視網も敷かれている。それをかいくぐり、抜け出すことなど本来は不可能だ。
おそらく夜の闇に紛れて城を抜け出したのだろうが、そうだとしても魔術すら使えない彼にそんなことが可能なのか、という疑問もあった。事実として抜け出されてしまったのだからその疑問は意味を成さないのだが。
どれほどの間そうしていたか、考えを巡らせていた所に扉をノックする音が聞こえる。
「……入りたまえ」
これ以上別の案件を持ち込まれた所で対応しきれないとも思ったが、ひとまず気持ちを切り替えれば別の視点が見えてくるかもしれないと思い直す。
入室を促し、書類を机の隅に寄せて入り口を見やる。
扉を開ける物音一つさせず入ってきた人物はヴォルフェミアだった。
「フェガロ様」
「ヴォルフか、どうした?」
「案件に一つ追加でご報告が。ここより北にある森にゴブリンの大規模な"巣"が存在する可能性があるとのことです。調査に向かったハンターの報告によると、既にかなりの数を討伐しているとのことですが森の広さを考えればまだ相当数のゴブリンが潜んでいると思われます」
フェガロ王は頭を抱えたくなる衝動を必死におさえながら報告を聞いていた。
報告とは言っているが、これはつまるところ討伐隊を組んで指揮せねばならないということを言い含めている。
ただでさえ人手不足なところに、どう考えても無視できないゴブリンの"巣"も対処せねばならない。問題を1つずつ片付けようにも、片付けられるような人員が居ない、と状況はあまりにも逼迫していた
「ハンター達だけで対処できぬか?」
そんな言葉が内心から漏れこぼれた。
言ってはみたものの、そんなことができるはずもない。国に影響をおよぼす可能性があるからこそ、わざわざフェガロ王のもとにまで報告が持ち込まれたのだ。黙殺するのは簡単だが、ただでさえ先ほどの案件の中に『ハンター数の減少』があがっていたのに、これ以上被害者を増やしてギルドが立ち行かなくなるような真似は避けたいというのも本心だった。
「ゴブリンリーダーの存在も確認されておりますので、それは厳しいかと」
「ふむ……繁殖期は変異体が出現しやすくなるというのはわかっていたが、これ程早くに出現するとは……して、まさか森から出てきているわけではあるまい?」
「いえ、リーダーはすでに討伐されたようです」
「ほぅ! 既に討ち倒した者達がいるのか」
感心したような仕草でやや目を見張るフェガロ王。
リーダーを相手にして"撃退"ではなく"討伐"した者達ならば、相当に腕の立つ者なのだと判断できる。この人手不足でまわらなくなっている状況で渡りに船だ。
国から指名依頼を発行し、魔物に関する一部の案件を任せようかと思っていると、ヴォルフェミアがなんとも言いづらそうな表情を浮かべて訂正した。
「いえ。正確には倒した者達ではなく倒した者です」
「……む?」
微妙なニュアンスだったので聞き逃しそうになった言葉を、脳内で反芻する。
『者達』ではなく『者』。あえて訂正してきたということは、つまりパーティーを組んでいたり共闘したわけではなく、単騎で打ち倒したということ。
変異体は取り込んだ魔力によって能力にバラつきがあるが、少なくとも一人で対処できるような相手ではない。ましてや撃退したのではなく討伐したというのだから。
「リーダーを相手に一人で討伐した者がいると? ――ヴォルフ、お前ならばどうだ?」
「変異体が取り込んでいた魔力の量や、どういう状況下だったのか詳しくわかりませんので申し上げにくいのですが」
一拍置いて、まずは状況を整理していく。
「ギルドからの報告によると、先に戦闘を行なっていたパーティーがいたようです。彼らのランクは金。おそらくリーダーの指揮下にあるゴブリン達とやりあっていたと思われます」
左手に持った報告書に目を通しながら説明していくヴォルフェミアに簡単な相槌をうちつつ耳を傾ける。
金ランクであるならば、相当の力量を持っているのは明らかだ。彼らの戦闘に混ざるようにして討伐したのならば可能なのではないか、というのが現在のフェガロ王の見解だった。
「四人編成のパーティーだったようですが、後衛が一人負傷したところに件の討伐者が現れたそうです。しかし、この時点ではまだリーダーは現れておりません」
「つまり先行していたパーティーはゴブリン達しか相手にしていないということだな」
「そうなります。その後、負傷者を救助するため障壁をはり、単騎で戦闘を行ったとの事ですが……」
どこかいぶかしむ様な表情で報告書に視線を落とすヴォルフェミア。
一つ咳払いをすると、続きを読み上げる。
「その後周囲のゴブリンたちを殲滅し、リーダーを打ち倒したとのことです」
報告書の内容から読み取れる情報は少なかった。
わかったことといえば、ゴブリンリーダーが出現し、北の森が危険地帯だったこと。
そして、その脅威を取り除いたのが、突然現れた一人のハンターということだけだった。
「率直に申し上げて、私でも無傷のリーダーと取り巻きのゴブリン達を相手にするのは不可能かと」
「それだけの実力があるならランクは金……いや、白金以上か」
「いえ……報告書を信じるならば青銅のようです」
「馬鹿を言うな。ゴブリン一体にすら手間取るような者ではないか」
「ですから"信じるならば"と申し上げたのです」
最低ランクの青銅は、ハンターの初心者マークである。
『銅』がつくランクを総称して初心者と呼ばれる彼らの戦闘力は、お世辞にも高いとはいえない。
ハンターになってから訓練を始めた者、ハンターになることを目指して訓練をつんできた者とでは程度に差があるのは勿論だが、実地ではその差はあまり意味がない。いいところで、体力があって疲れにくい、武器の扱いに多少心得がある、といった程度だろう。魔術を扱う者ならばイメージの訓練などできることは多いが、それも実際の戦闘で実用レベルとなると、やはり大きな隔たりがあった。
つまり初心者である以上、戦闘能力はほとんど無いと思っていい。
二人が報告書を信じられないのも無理からぬ話である。
「一度顔を見ておく必要があるか」
「よろしいので?」
少々難色を示したような表情を浮かべるヴォルフェミア。
対応しなければならない案件の多い今、そんなことに時間を割いてよいのかという意味と、このような得体の知れない人物にコンタクトをとって大丈夫なのか、という意思表示でもある。
しっかりと言外に含まれた意味も理解したうえでフェガロ王は答えた。
「なに、スドウ殿の行方が知れぬ今、少しでも能力の高いものは覚えておくべきだろう。その報告が本当ならば、事と次第によっては登用するつもりだ」
フェガロ王が国民からの評価が高い理由の一つに、男女や種族の隔たり無く、有能ならば誰であろうと必要な職に登用するところがあった。
ヒトの国において、他種族はおよそ蔑まれる傾向が強い。ある意味日陰者のような存在だった。戦闘能力で見ると、魔力が無い場合の基本的身体能力の差もあって男性優位になりやすい為、女性の地位が不当に低く見られる場合も多々あった。
通常の慣例を退けてそんなものを用いれば一部から反発が生まれるのは当然の流れである。主に一部貴族の『能力は無いが貴族だから』という理由で高い地位にいた者達から、だが。自身に能力が無いとわかっているからこその反発なのだろうから、ある意味自分をよく理解しているともいえる。
国民からすれば、能力さえあれば今までどうやってもなれなかった地位につけるという意欲が国を持ち上げることになった。
フェガロ王が在位してから用いられたこのシステムと他様々な政策により、小国であったバナジールを、一代で周辺国家に匹敵するほどの大きさにまでした手腕の一つである。
「では、早速ギルドに連絡を取ります」
「討伐隊の編成を考えるためにも森の状況を聞いておきたいのでな、最優先で頼んだぞ」
恭しく一礼して退室するヴォルフェミアを見送り、再び静けさに包まれた一室で先ほど横にどけた書類に目を向ける。
「スドウ殿……まさか国の外には出ていないと思うが、無事でいてくれれば良いのだが」
あのときの台詞。城から出る許可が欲しいといった彼の表情。口ぶりからして、何も考えなしに出て行ったわけではないだろう。荷物も部屋に置いたままになっているし、家出というよりは外出気分で出た可能性がある。
だが、魔術が無い世界から来たと言う彼の力は未知数だ。魔術を扱う大きな要因であるイメージは、ヴォルフェミアのお墨付きなのだから相当だということはわかる。とはいえ、魔力は殆ど反応が無く、持っているイメージは役に立てられない。体躯からして肉体的に優れているわけでもないだろう。
フェガロ王達の認識では、この世界の一般人にすら劣るのではないか、というのが今の要への評価だった。
「魔術や魔法の無い世界、か――それでいて文明レベルはおそらく我らより数段上。いったいどのような世界なのだろうな」
見たことの無い世界に胸を躍らせ、ヴォルフェミアが見てきたという彼の世界を思い描こうとする。
(いや、魔法すら見たことの無い私にそんな世界を想像するのは無理だろうな)
ふっ、と自嘲気味に鼻から声が漏れる。
若い頃には男として世界を旅して見聞を広めて魔術や文化、ともすれば魔法などの様々な事に自らの足で出向き触れて見たいと思ったこともある。
だが国政に携わる身として、そんな自由は許されない。とうに無くしたと思っていた当時の若き思いが、要の世界の話を聞いているうちにフェガロ王の心を満たしていた。夢叶わずとも、せめて夢想するくらいならば、と。
そんなとき、ふと違和感を覚えた。
(――魔術や魔法の無い? ファミィはスドウ殿に魔法のことを教えていないはず。ならば何故それを知っている? エルサリアか? だとしても魔力の無いスドウ殿が魔法の存在を知ったとて何ができるというのだ)
一度出た疑問は、そこから更に膨れ上がり鎌首をもたげる。
(思い出せ、スドウ殿はなんと言っていた?)
『魔術や魔法の無い世界』『それが使える』
一般的に殆ど知られていない魔法の存在を知り、まるでそれが扱えるかのような発言だった。
たまたまそういう言い回しになっただけという可能性もある。これは自身の思い込みなのかもしれない、と膨れた疑問がこれ以上大きくならないように落ち着いて思案する。
こちらの事情で呼び出したのだから、もし仮に使えることを知られないようにしていたとしてもそれを責める非はない。だが、彼の言葉と実際に見てきたヴォルフェミアの言葉を聞く限り本当に魔術のようなものは存在しない世界なんだろう。
少なくともこちらの世界に喚んでから、ファーミリアが教えていた間は使えなかったはずだ。そもそも使うための魔力の反応がないのだから、ガソリンの抜けた車で走ろうとするようなものである。
(いや、妙な詮索はやめておこう。禁止していたわけでもない外出許可をわざわざとりに来た時点で、おそらく言質をとりたかったのだろう。城に帰ることを約束していたわけでもないのだから、あとはスドウ殿自身がどうするかだ)
自分の国どころか、異世界に勝手に喚び出したあげく、命をかけるような戦いに巻き込んだのだ。交わした言葉は少ないが、彼の性格とあの時の台詞を思えば、おそらく協力してもらえるのだろう。それがどのような形であるかまではわからないが。
一国の王として国の行く末を重んじるのは当たり前のことだ。その為に出来ることはやっておくべきだ。そう考えるフェガロ王にとっても、国民どころかこの世界の住人ですらない者を巻き込んだことには少なからぬ申し訳なさを覚えていた。自身の行なったことに対しての責任は取るつもりであったし、それで要の気が済むのならば本当に命を差し出すつもりでいた。無論、その後国の為に協力するという契約は結ぶつもりではあったが。フェガロ王の覚悟は杞憂に終わったのだが、それは同時に要が戦力としてあてにはできないということでもあった。
(何はともあれ、無事に帰ってきて欲しいものだ。そして王としてではなく、一人の男として彼とは一度飲み交わしてみたい)
自分の知らない世界を見知っている彼の口から紡がれる物語はどのようなものなのだろうか。
若い頃を思い出したかのように、年甲斐も無く胸躍らせるフェガロ王を咎める者はこの場にいない。
そこにはいつもの荘厳な王の姿は無く、どこか旧知の友人を心配するような表情を湛えた男が座っていた。
置かれた書類に再び目を通すフェガロ王の目に迷いは見えなかった。




