十七.GABANはマル秘アイテム
彼とあおいが向かい合うテーブルの上に、待望のざるそばがようやく到着した。二人はこの時を、まさに一日千秋(7話)の思いで待ち望んでいたであろう。
つるつると輝くそばの風味豊かな香りが、澄んだそばつゆから薫るお出汁の風味と合わさり、お腹を空かせた二人の鼻孔をこの上なく刺激した。
彼とあおいは両手を合わせて、いただきますと声を揃える。割り箸をパチンを割って、そばつゆに薬味を入れる二人。
「えーと、まずは長ネギを入れて・・・。次は・・・」
薬味の入れ方にもこだわりがあるのか、彼は長ネギ、わさび、そして海苔と順番にそばつゆに入れていく。
「で、最後にコショーを少々・・・」
「・・・って入れるか、アホ!ラーメンじゃないんだから」
危うく、そばつゆがコショーまみれになるところだった彼。それより、どこからコショーを持ち出したんだ!と、彼は叱るようにあおいを問いただしていた。
「あたし、いつも持ち歩いてるんだよー。ほら、いざとなった時に・・・ね?」
その、いざとなった時が知りたい彼だったが、どうせ下らないことをベラベラしゃべるのだろうと思って、これ以上詮索しないでおいた。今の彼にとっては、何よりも目の前のランチなのだ。
割り箸ですくったそばを、そばつゆにゆっくりと浸す二人。そして、そばをお出汁に染み込ませてから、つるつるっと口の中へ流し込むと、上品な味わいがお口いっぱいに広がった。
「うまいな」
「おいしいねー」
おいしさそのものに満足はしていたが、彼はほんの少しだけ物足りなさを感じた。それは、舌を痺れさせてくれる、ピリッとした辛味であった。
「それなら、コショーを少々、パッパッパ」
「何しやがる!だからラーメンじゃねーって言ってるだろ!」
コショー攻撃を避けようと、彼は慌ててそばつゆを背中に隠した。そんな焦る彼に、あおいはブーっと頬を膨らせて、試してみなよー?としつこく迫ってくる。
「そういうおまえは、コショー入れてないじゃんか」
「あたしはもう試したことあるもーん。偉いでしょー?」
鼻を鳴らして、勝ち誇ったような顔をしているあおい。彼女のこの表情と口振りからして、コショーを試すのは明らかに危険だと察知する彼であった。
そばといったらトウガラシ、そうめんといったらショウガ、スパゲティーといったら粉チーズが常識だろうと、彼は博学ぶってあおいにそう言い聞かせるのだった。
「えー?でもでもぉ、ラーメンはコショーって言っちゃってるけど、みそラーメンなんかトウガラシ入れるよ?」
常識といった固定概念に囚われてはいけませんと、あおいは彼を諌めるように言い返してきた。
「目玉焼きだってさー、塩コショーの人もいれば、お醤油やソースをかける人もいるよ。あたしのお友達なんか、目玉焼きにラー油とお酢をかけてるもん」
「おいおい、ラー油とお酢って、餃子じゃないんだから・・・」
世にある様々なメニューに、どんな調味料をかけるかは人それぞれ。確かに、あおいの言うことも一理ある。彼は言い負かされたような悔しさに歯がゆい思いをしつつも、彼女の言い分を素直に認めざるを得なかったようだ。
「・・・というわけで、コショーを少々、パッパッパ」
「うわー、だからってそば自体にコショーをかけるんじゃねー!」
のんびりとお食事したくても、あおいが一緒だと、どうにもドタバタと落ち着かない食事となる不憫な彼なのであった。