原稿約100P分。昔に書いた小説2。
プロローグ
八月十五日。
もうほとんどの会社がお盆休みに入ったのだろうか。西野大介はそんなことを考えながらキーボードでひたすらパソコンの画面に文字を打っていく。
画面に釘付けになりながらそう呟く。容赦なく体に押し寄せてくる疲れと肩こりで今にも倒れそうになっていた。
この五日間、泊り込みで作業してきたんだ。ここで倒れるわけにはいかない。
大介は目をぎらつかせながら心の中で倒れそうになっている自分と闘う。
大介が勤めている未島第二不動産会社という小さな会社のさらに小さな広告・宣伝課では盆休みセールの宣伝用ホームページ、広告の作成作業で忙しさのピークを迎えていた。昨年は過労死しかけて病院に搬送された者も居たらしい。年配の上司からの情報なので嘘はないだろう。今年は病院に搬送される者が居ずに無事、終わりそうなのだが・・・・・・。
「西野さん、西野さん!」
ふと、自分の名を呼ぶ声が耳に入り大介は声の主を振り返った。するとそこには、自分より三ヶ月遅く入社してきた後輩の佐賀壮太が立っていた。
「・・・・・・何?」
廃人のような目をしてそう訊くと、佐賀は少年のように目を輝かせながら言った。
「西野さん! 作成作業、終わってますよ!」
「・・・・・・。」
既に作業は終わっていた。それを聞いた瞬間、全身から力が抜けていくのを感じた。
「西野さん? 西野さん! どうしたんですか!」
力が抜けていく際、佐賀が自分を呼ぶ声がしたが答えることはできなかった・・・・・・。
まだ少し重いまぶたを持ち上げた頃にはすっかり夜になっていた。いったい何時間寝ていたのだろうか。体がだるくて時計を見る気にもなれない。若干、目眩と吐き気がして体中が気持ち悪い。
「あ、西野さん起きましたよ。」
佐賀が自分の顔を覗きこみながら他の社員たちに言う。どうやら全員作成作業を終えたようだ。
「西野、大丈夫か?」
先輩社員である鎌野修吾が大介に問う。こういう場合はどれだけ自分の症状が辛くても「大丈夫です。」と言わなければいけない。
「大丈夫です。ちょっと眠くなっただけです。心配かけてすいませんでした。」
「いや、別にいいよ。」
大介は小さく頭を下げる。そんな自分に腹が立った。人はどうして自分が悪くなくても謝らなければいけないのだろうか。自分の分の作業は既に終わっていて自分が体調崩しても会社には何の影響もないというのに。
「西野が急に意識失ってびびったよ。今年はついに過労死する社員がでるのか、って。」
社員たちの心配している気持ちは笑いに変わっていた。一瞬、本気で怒りそうになったがクビになりたくないため怒りを静めた。ここの人間は腐っている。どうして人を心配する気持ちが笑いに変わるのだろうか。どう考えたっておかしいだろう。だが、人間関係第一のこの社会で怒ってそれをぶち壊すわけにはいかない。自分が正しい、とわかっていても相手に調子を合わせないといけない。
「まだ死にたくないですよ。」
心の中では全く笑っていない顔だけの笑いを浮かべながら先輩社員に言う。そして、一番嫌なあの話題が持ち出された。
「で、飲み会どうします?」
言い出したのは佐賀だった。一瞬、佐賀に鋭い目を向け睨みつける。大介は大の飲み会嫌いだった。第一、仕事以外で会社の人間と関わるのが嫌いだった。
「そりゃ行くに決まっているじゃんか。」
鎌野が陽気な声でそう言った。決まってしまった。大介はつい心の中で自分が飲み会の途中で倒れるのをイメージしてしまう。こうなったら・・・・・・しかたない。
「あの・・・・・・すいません。ちょっといいですか?」
勇気を振り絞り、小さく手を挙げる。よし、このままのテンションを保ち申し分けなさそうに適当な理由で「帰らせてもらってもいいですか?」と聞けばなんとか飲み会を避けられる。そう思っていた。だが、予想外の言葉をかけられた。
「いいけど。まさか飲み会に行けないなんていうんじゃないだろうな?」
脅しをかけるように鎌野が自分の顔を覗きながら言う。この言葉をかけられ「帰ります。」なんて言えない雰囲気になった。さ、最悪だ。人間関係を壊さないようにして帰る唯一の方法がボツになってしまった。これではもう飲み会に参加するしかない。
「帰るなんてノリの悪いこと言いませんよ。ただ、どこの店に行くのかが気になってしまいまして。」
とっさに唯一の方法「帰ります。」を適当な質問に変え、半笑いになりながら問う。
「どこの店・・・・・・。そういえば決めてなかったな。去年はどこだった?」
「確か、去年は飲み会、宴会専門店の『社楽』だったと思う。」
鎌野の同期、飯田圭司が斜め上を見て思い出すしぐさをしながら言う。
「じゃあ今年もそこにするか!」
広告・宣伝課の課長、松高明がドスの利いた低い声で言う。よほど飲み会を楽しみにしていたのかすでに上着を脱いでいた。こうして、広告・宣伝課の社員たち計二〇五人は『社楽』へと向かったのだった。
飲み会、宴会専門店『社楽』に入った社員たちはさっそく自分たちの席の取り合いをしていた。それを見るとどうしても「席なんてどれも同じじゃないのか。」という思いが湧いてくる。
「西野さんはどこに座るんですか?」
佐賀がいつもどおりの笑顔で自分に訊く。こいつはまるでコバンザメのようだな。鬱陶しい。心の中で文句を言い、辺りを見渡す。
「で、どうよ。彼女との関係は。」
「どうもこうも一方に進まないんだよ。男として見てくれてないのかもしれない。」
鎌野と飯田は引っ付くようにして一番端の席に座り喋り始めていた。今、二人の話に出ている女性よりこの二人で結婚した方がずっとうまくいくのではないのだろうか。と思わせるほど仲がいい。
「全員が座るまで待つよ。ほら、佐賀もさっさと座れ。」
佐賀があまりにも鬱陶しいので自分の席から遠ざけることにした。
これなら人間関係が悪くなるどころか逆に「遠慮ができる奴」としてプラスなイメージを持たれるかもしれない。佐賀も「西野先輩に嫌われている」と思わず、半笑いになるだけで済むだろう。
しばらくして二〇四人、自分を除く広告・宣伝課の社員全員が座るとため息をつきながら余った席に座る。不幸なことにその席は鎌野の隣の席だった。鎌野の笑い声と飯田の馬鹿な話が耳に入り、苛々する。大介は眉間にしわを寄せながら他の社員たちが頼んでいた料理を口に運ぶ。すると、また鎌野の笑い声が聞こえてきた。今度は流石に腹が立ったので席を立ち、お手洗いに向かった。テーブル席なのでお手洗いに向かう際、他の社員たちに小さく頭を下げながらではないといけなかった。
テーブル席を抜けると一人の社員に呼び止められた。
「西野君、ちょっといいかな?」
声の主は入社したての頃、色々と作業の説明をしてくれた年配社員の小谷和也だった。噂によるとあと五年で定年退職するらしい。
「はい、何ですか?」
早く騒がしい雰囲気の場所から抜け出したいので早口にして用件だけ訊いた。お世話になった上司にこの態度は流石に駄目かもしれないが今はしかたない。
「明日の『盆休み社員登山イベント』のことなんだけど、私はもう登山する体力がないから代わりに似野山の写真を撮って来てくれないか?」
盆休み社員登山イベントとはその名の通り盆休みに未島第二株式会社の広告・宣伝課と営業課の社員を集めて山登りをするイベントのことである。毎年登山する山は変わり、体力づくりなどのために参加する社員たちは多い。
「わかりました。デジカメでいいですよね?」
「うん。よろしく頼むよ。」
小谷は大介の肩をそっと叩いて笑みを見せ、自分の席へと戻っていった。それを見た後、早歩きで『男性用お手洗い』と書かれた看板のある扉を開けた。
中に入ると便所独特の異臭がした。酒や社員たちの口臭、加齢臭に比べれば全く問題ない。隠れて煙草を吸おうと出入り口から数えて二番目の個室に入ろうとしたその瞬間、何とも言えない臭いが大介の鼻を突いた。
とっさに鼻を押さえ、臭いの元である一番目の個室を見る。取っての近くには使用中を示す赤の扇形が出ていた。
これじゃ落ち着くこともできないじゃないか。大介は一番目の個室の使用者に腹を立て、臭いが一番薄い五番目の個室に入った。
〝カチッ〟
ライターの音だけが個室に虚しく響く。その音を聞いて、大介はため息をついた。自分はこんなつまらない仕事や飲み会を繰り返して人生を終えるのか・・・・・・。愛想笑い、遠慮、媚。自分の心に嘘をついて他人の心を動かすなんてことはもうやりたくない。この考えは少し引きこもりやニートの考え方に似ているのかもしれない。いや、少しどころではない。ニートや引きこもりの考えそのものだ。「自分の心に嘘をつかない。」ということはいつでも自分のやりたいようにやる、ということだ。善良な心を持った人がこういう考えをしてもいい人になるだけで済む。ニート、引きこもりになるのは「楽をしたい。」「ゲームをしたい。パソコンをしたい。」などの欲がある人だ。
いじめを受けて引きこもりになってしまうのはわかるがそれ以外の理由で引きこもりになるのは理解できないな・・・・・・。
「・・・・・・ふぅ。」
自分は今更何を考えているんだ。大介は白い煙を吐きながらがっくりと肩を落とした。
翌日、八月十六日。午前九時。
今日は珍しく、いつもは青い空が雲で灰色になっていた。登山にふさわしくない天候である。途中から雨が降り出さなければいいのだが・・・・・・。
未島第二株式会社の近くにある広い公園で社員たちは集まっていた。皆、不安そうに空を眺めている。
「あ、西野さん。おはようございます。」
自分の存在に逸早く気がついた佐賀が言いながら小さく頭を下げる。またこの鬱陶しい奴と一緒にいるのか、と思うと体から力が抜けていく。
「あぁ、おはよう。」
心にはない笑顔で佐賀に接する。そして他の社員たちに合わせるよう、空を見上げた。
「登山・・・・・・中止ですかね。」
不安そうに呟く佐賀。内心、中止になってほしい大介は無表情だった。
しばらくして広告・宣伝課と営業課の社員たち全員が揃ったのか、公園の中心に登山イベント会長の池田武がマイクを持って立っていた。不参加の人が多いのか全員で二十人ほどだった。
「皆さん、お集まりいただきありがとうございます。本日は盆休み登山イベントの日です。空を見ると、少し曇っていますが天気予報では夜から雨になるそうなので今年も、中止せず行うようです。それでは皆さん。一列に並んで山のふもとまで歩きましょう!」
空模様とは真逆の陽気な声の池田。それを聞いた大介は舌打ちをし、リュックサックの中から携帯電話を取り出す。山に入ると圏外になり、電話やメールなどの機能は使用できなくなるのだが、今日は一応ということで持ってきていた。慣れた手つきで画面を開き、『メール新規作成』を選択する。宛先には小谷和也、と入れた。このメールは勿論、盆休み登山イベントの続行を小谷に知らせるためのものである。
『小谷さん、おはようございます。今日は生憎の空模様ですが、嬉しいことに登山は中止せず行われるようです。写真の事なのですが四、五枚でいいですか?』
社員たちが作った列の一番後ろに並びながら素早く文字を入力し、メールを送信する。『送信完了しました。』というメッセージが出た後、画面を閉じリュックサックの中に入れた。すると、列の前方から自分の後ろに一人の社員が移動してきた。
「西野さん、一緒に行きませんか?」
社員の正体は佐賀だった。汗を拭いながら笑顔で自分に問う佐賀。この状態で「ごめん。無理。」などという答えをだすことは出来なかった。
「いいけど俺の前に並んでくれるかな?」
人と人の間に挟まれて蒸し暑い思いをするのが嫌なので条件を加えた。今自分の前にいる社員が聞いていなければいいのだが・・・・・・。
「わかりました。」
笑顔を崩さず自分の前に並ぶ佐賀。自分で「前に並んでくれ。」と頼んでおいてあれだが割り込みされたような感じで少々イラっときた。
後に、この佐賀が命の恩人になるなんて思ってもいなかった。
登山開始
今回登山する似野山のふもとまで来た自分を含む社員たちは再び、池田の話があるため、道の脇にある広場で体操座りをしていた。
「それでは皆さん、今から似野山の登山を開始したいと思います。似野山は大きいし、道が複雑です。たかが山、と思って油断しないようにしてください。登山初心者で香水をつけてきてしまった社員には大変、申し訳ないのですが登山コース入り口で虫除けスプレーをかけてください。今は夏ですから蚊や昆虫たちがうようよしています。ひょっとしたら、毒を持った虫もいるかもしれませんので、ご了承の方よろしくお願いします。」
まるで選挙前の演説のような話を終えた池田は満足そうな顔で一礼した。すると、大きな拍手が起こった。たかがイベントの説明、案内だけでこんなにも拍手されるのは少し変ではないのだろうか。と思った大介だけが、拍手をしなかった。
拍手が鳴り止むと社員たちが再び綺麗な列を作って、登山コースの入り口へ向かい始めた。入り口の傍には池田の話通り、虫除けスプレーを持った社員が一人、ポツリと立っている。おそらく盆休み登山イベントの副会長か何かで虫除けスプレー係を任されているのだろう。
「西野さん、僕前から思っていたんですけどこのイベント少し変じゃないですか?」
前列の社員に合わせ歩を進める大介に、佐賀が小さく言った。
「変ってどこが?」
実は自分も少々、おかしいと思っていたのだが佐賀の疑問に思っている点を先に言わせるため、自分は気づいていないという風な言葉をかける。
「まず、会社のイベントなのに社長が出ないし何故か広告・宣伝課と営業課の社員しかやらない、ということです。次にこの天候の中でも続行する、というのがおかしいと思うのですが・・・・・・。
知り合いに登山家がいて、さっき連絡してみたんですけど、こんな天候の悪いときに登山はしない、ましてや似野山などの大きな山には絶対に登らない。と言っているんです。」
それを聞いた大介は一瞬驚いたが冷静に佐賀を振り、返り言った。
「確かに変だな・・・・・・。でもこのイベントに裏があるなんてありえないぞ? もし仮に裏があったとしても、俺たちは何もできないだろ?」
おかしな事に首を突っ込みかけた佐賀をなんとか戻そうとした。だが、佐賀は首を抜かなかった。
「それでも裏を暴いて誰かに伝えればその誰かがなんとかしてくれるかもしれないじゃないですか! 西野さんは他人の考えていることに全く興味がないんですか!」
佐賀は声を張り上げる。他の社員たちはもう登山を始めてしまったので他の人に聞こえることはないが、佐賀がこんなに大声を出しているところを見たのは初めてだった。だが、昨日の飲み会で少しストレスの溜まっていた大介は佐賀を怒らせるようなことを言ってしまった。
「・・・・・・裏と言ってもまだ悪いことをしているかどうかなんてわかっていないんだぞ? そこらへんはっきりしてから行動を開始した方がよくないか?」
それを聞いた佐賀は顔を強張らせ、さきほど以上に大きな声で怒鳴った。
「それがわからなくても裏があるような怪しい雰囲気がしたら暴こうと行動するのが普通じゃないんですか!」
その一言は大介の胸に深く突き刺さった。そして、しばらくの沈黙が流れた後、佐賀が再び口を開いた。
「もういいです・・・・・・。西野さんといくら話をしても時間の無駄です。僕は先に登山を始めますから後から来てください。」
佐賀は自分を無理やり突き放すような口調で言った。よほど怒っていたのか、声は微かに震えていた。
・・・・・・何故自分が後輩に怒られなければいけないのだろうか。普通、逆じゃないのだろうか。
心の中で愚痴をこぼしながら大介もゆっくりと登山コースへ入ったのだった。
登山コースに入りしばらく早足で歩いた頃、ようやく社員たちがつくった列の最後尾が見えてきた。
「使野さん、佐賀見ませんでした? ちょっと怒らせちゃって先にいってしまったんですけど・・・・・・。」
普段、動かさない体で息を切らしながら先輩社員の使野恵美に訊く。すると、使野は新しく買い換えたらしい汚れひとつない赤いメガネを中指で上に持ち上げながら言った。
「ごめん、わからない。もしかしたら道を間違ったのかも・・・・・・。たぶんさっきの別れ道で間違ったんだと思う。一旦戻って探してみれば?」
使野はピンクの手袋を嵌めた右手を使って、自分の後方にある道を指す。そのとき大介は何故そうなったのはわからないが、道を指した手袋の右手人差し指爪辺りが破けているのがわかった。
「ありがとうございます。ではさっそく探してみますね。」
何故手袋の右手人差し指の爪辺りが破けているのか、という言葉を飲み込み感謝の言葉を述べた。一礼して、顔を上げると使野の顔を見る前に言われたとおり別れ道へと向かった。
汚れ一つないメガネに右手人差し指の爪辺りが破けている手袋。準備していたときふとした拍子に破いてしまったのだろうか。
小さなことなのでそう深く考えなかった。
幸い、近かったのもあって二分もかからずに別れ道に着くことができた。
「佐賀? いるかー? いるなら返事しろ。」
近くにいるかもしれないので一応、大きな声を出して佐賀を呼んでみる。だが、返事はなかった。しばらく返事を待ってそれがわかると、また登り始めた。
もう奥に入ってしまったのだろうか。・・・・・・とすると俺も奥に入らなければいけない。
そう考えてみると無意識のうちにため息をついていた。
もしかしたら探しているうちに奥へ行き過ぎて自分が迷ってしまうかもしれない。・・・・・・佐賀の野郎、面倒くさいことを。
眉間にしわをよせながら大介は奥へと続く上り坂をゆっくりと登っていく。このとき、ほんの少しだけだったが心の奥で嫌な予感がしていた。
大介が自分を探しているとも知らない佐賀は一人、山奥を彷徨っていた。
「みんな、どこに行っちゃったんだ・・・・・・。」
道を間違えた佐賀は気づかずに間違った方の道を進み続けていたのだから当然、社員たちに合流するなど不可能だった。
・・・・・・西野さんがいればなあ。何でカッとなっちゃったんだろう。僕は本当に馬鹿な奴だ。あのくらいのことで怒っていたら人間関係が悪くなるのはわかりきっていたことじゃないか。それなのに僕は・・・・・・。
心の中で西野と喧嘩してしまったことを後悔する。心の中じゃなく西野と正面で向き合って話さなければ何も解決しないのはわかっていたが山で迷ったり、西野と喧嘩したりとこれだけ嫌なことが続けばついつい考えてしまう。
何でこんな内気な性格に生まれてしまったのだろうか。表では明るく、ポジティブ感溢れる青年としてなんとか振舞ってきたが心の中ではいつもこうだ。こうなったらどうしよう、何でこんなことをという言葉をこれまでの人生で何度も何度も繰り返してきた。もう少し心が弱ければ自分は引きこもりになっていたのかもしれない。人生に絶望し、人間関係をつくろうとしない。つくれば、嫌な思いをするだけだからという適当な理由で・・・・・・。そういえばいじめられていた時期もあった。小学と中学に通っていたときだっただろうか。幸い、毎日邪魔者扱いや軽傷などで済んだがあのときは本当に地獄だった。親に心配させたくないため、いじめのことは誰にも相談できない。教師に相談しても一度怒るだけでいじめてきた奴らは怒られているときだけ反省しているだけで全く意味が無い。ひょっとすれば「何でチクったんだ」などと言われていじめがさらにきつくなるかもしれない。服や物に落書きされたときはもっと辛かった。誰にも気づかれないように物を隠して服を洗わなければいけない。悔しい思いと怒りが混ざって洗っているときに涙してしまったくらいだ。そして二番目に怒りの感情をもったのは見て見ぬふりをした生徒たちだ。皆、自分を守るのに必死で他人に手を差し伸べようとしない。それをして自分にどんなメリットがあるか、デメリットがあるかなどと自己中心的な考えをしているのだ。それがわかったとき、血が繋がっていない全ての人間に「殺してやる」という殺意を抱いた。だが高校になりいじめてきた奴らと学校が別れ、ようやくいじめられることがなくなった。そのときから僕は自分を偽っていこうと決め、今のような生活を過ごせるようになったのだ。だが、その生活がまたひどくなるかもしれない。いじめ、とまではいかないが一人の人間から嫌われるのは何十人から嫌われるよりも苦しい。恨んできた人間の人間関係がよければ陰から色んな噂などを流され、自分は孤立してしまうだろう。残念ながらそれを防ぐ手だては恨みを消すしかないのだ。
西野に謝らなければいけない、その言葉がずっと心の中を彷徨っている。それに気づいた佐賀は、急いで元の道へと戻っていったのだった。その戻った道がどこに続いているかも知らずに。
ぽつり、ぽつりと小粒の雨が降り始めた。雨具の持ってきていない人は困ることになるだろう。
「みなさん、雨が降り出したのでリュックサックから合羽を出して着てください。これから、雨で登山道が滑りやすくなりますので足元に気をつけてください。」
元は体育教師を目指していた、という広告・宣伝課の若手新入社員であり今回の登山のペース調整先頭役、新多利一の後ろを歩く池田が社員に注意を呼びかける。だが、その声は一番後ろにまでは届かず、使野は戸惑っていた。
「あの・・・・・・池田さんさっき何て言っていました?」
呼びかけている内容が全くわからなかったので言いづらいが、自分の前に並んでいるおそらく営業課であろう女性社員に訊く。
「雨が降り出したので合羽を着てください。あと、道が滑りやすくなるので足元に気をつけてください。と言っています。」
女性社員はリュックサックから合羽を取り出しながら答える。それに少々驚きながらも使野は礼を言った。
「あ、ありがとうございます。」
使野は動揺を隠すように慌てて、リュックサックから透明の合羽を取り出す。
この女性社員、距離は私と少ししか違わないのに何故池田の呼びかけがあんなにはっきりと聞こえたのかしら。・・・・・・もしかしてもの凄く聴力がある人なのかもしれない。でもこんなに差があるものなのかしら。・・・・・・わからない。直接訊くのも何か訊きづらいし・・・・・・気にしないでおこうか。
使野は頭の中の疑問をなかったことにして、合羽を着た。空を見上げると、一面黒い雲で覆われていた。これからますます雨が強まるかもしれない。いつも空の様子などを全く予想したりしない使野でもわかるくらいの天候だった。
さきほど使野に話しかけられた女性社員、池田京香も使野と同じように雲を見上げていた。
これから雨が強まると下山はかなり難しくなる。父さんに知らせて今から下山してもらうよう頼もうか・・・・・・。いや、だめだ。そんなことをしてしまうとみんなが楽しみにしていた登山イベントが台無しになってしまう。『社員が不満を持たないように』というのをモットーにしている未島第二株式会社なのだから少しとはいえ、社員に不満をもたせることはできない。とりあえず今は雨が強まってきたときどうするか、を考えてみよう。まず、高齢の社員と女性社員達を先に下山させて自分たちが後から着いていこう。・・・・・・よし、これなら大丈夫なはず。
そう確信したとき、頭の中に先程の話し声が浮かんだ。
『使野さん、佐賀見ませんでした? ちょっと怒らせちゃって先にいってしまったんですけど・・・・・・。』
『ごめん、わからない。もしかしたら道を間違ったのかも・・・・・・。たぶんさっきの別れ道で間違ったんだと思う。一旦戻って探してみれば?』
『ありがとうございます。ではさっそく探してみますね。』
そうだった・・・・・・。社員の誰かが佐賀という社員を探してどこかへ行ってしまったんだ。雨天時の山を一人で下山するのは危険だ。おそらく道もわからないだろう。探さないと・・・・・・。
でも雨が降っているから私の『聴力』で探すのも不可能だろう。雨の音で足音など簡単にかき消されてしまう。
無理とわかっていながらもついつい『音』を意識して遠く離れた足音を探す。京香は聴き覚えのある音に自然と過去を思い出していた。
京香は未島第二株式会社営業課、広告・宣伝課の登山イベント会長である池田武の元で溢れるほどの愛情を注がれて育った。母親は優しいし父親の武は給料が高くて大の山好き。家族環境には全く不満がなかった。いつも教室でおとなしく読書をしていたせいか、全くいじめられることもなかった。だが、事件は起こってしまった。今はあまり覚えていないが中学二年生の秋、校外学習で何かの工場へ行った。超音波を使って製品をいじったり、機械で製品が大量に作られているのを見たりと楽しくてしかたがなかった。しかし、楽しすぎて授業の一環ということを忘れてしまったのか男子生徒の一人が超音波をだす機械を京香の耳に長時間あててしまった。機械をあてられた瞬間、目眩がしたので抵抗することもできなかった。目眩と闘い、ふらついたり倒れたりしなかったので男子生徒は『全然影響がない』と判断してしまったのだろう。とうとう限界がきた瞬間、その場に倒れ病院へと搬送された。だが、そのときはもうすでに遅かった。長時間の間、超音波をあてられ続けた京香の耳は完全におかしくなってしまった。そして、それからの日々は地獄だった。超音波で耳がおかしくなる、といったら聞こえなくなるわけではなく信号によってどれくらい聞こえなくなるか、またはどれほど聞こえるようになるかが変わるらしい。京香はそのよく聞こえるようになる方だった。聴力がよくなった、という感じではなく全ての音が大音量で聞こえてきて頭が割れそうになっていた。防音設備のある場所でも少し辛かった。そんな地獄の日々を送っていたある日、医者からこんな話が持ちかけられた。勿論、声に出せば辛くなると医者もわかっていたのでパソコンに文字を打ち込んで、だ。
『耳を手術すれば少し楽になるかもしれない。』
それを見た京香は目を丸くして、パソコンの画面を覗き込んだ。
治る・・・・・・手術すれば皆と同じように聞こえる耳に治る。
『ただし、手術場所が海外で手術費がかなり高額になる。』
嬉しそうにしていた京香はそれを聞いた瞬間、再び地獄に突き落とされたような感じだった。その頃、母が病気で入院しており死と隣り合わせの状態だったため入院費が高額で生活がかなり苦しくなっていたのだ。これに自分の耳の手術費が重なると父の武がさらに苦しい生活をすることになる。昔から借金をしたがらない武なので今の所持金の範囲の手術費じゃないといけない。当時、幼かった京香にもそれがわかっていたのだ。
京香は涙をこらえて俯いた。それを見た医者は京香の肩をポン、と叩いて再びパソコンの画面に文字を打ち込んだ。
『もしかして入院しているお母さんのことを気にしているの?』
こくりと頷く京香。頬には涙の伝った痕がくっきりと残っていた。
『それだったら院長さんに入院費を少しだけ安くしてもらえるように頼んでみようか? 院長さん人が良いからきっと許してくれるよ。』
そう打ち込んで医者は小さく微笑んだ。涙が止まったばかりだったが京香は再び泣いてしまった。
その後、言うまでもなく武の了承を得て海外で耳の手術を終えた。そして、帰国するため空港で飛行機を待っていたそのとき武の携帯電話が鳴った。
『はい、池田です。』
『池田武さんですよね?』
『はい。』
『大変、申し訳にくいのですが・・・・・・あなたの奥さんが二時間ほど前お亡くなりになりました。』
それを聞いた武は目を丸くして京香から少し離れて携帯電話を大事そうに持った。
『ど、どういうことですか・・・・・・ちゃんと説明してください!』
『お亡くなりになる三十分ほど前に突然容態が悪くなりまして。できる限り精一杯手を尽くしましたが・・・・・・間に合いませんでした。すいません、私たちの力不足です。』
『そんな・・・・・・。』
『とにかく、一度病院に来てください。』
武はあまりの衝撃でまともなリアクションをすることもできなかった。がっくりと肩を落とし、そのまま四つん這いになるように空港の床に崩れ落ちた。すると、武の荒い息づかいに混じって京香が泣いている声が聞こえてきた。
「京香・・・・・・。」
武は顔だけ京香に向け、そっと呟く。
手術したにも関わらず、聴力が野生動物ほどある京香はさっきの電話でした医者との会話を聞いていたのだ。
「京香、お母さんが・・・・・・お母さんが・・・・・・病気で天国に行っちゃったんだって・・・・・・。」
知っていると思うが一応京香に母の死を伝える。悲しみを大きくしないよう、必死に『亡くなった。死んだ。』という言葉を言わないよあ
うにする。
それだけ言うと、武も大声を上げて泣き出した。数秒の間だが我慢していた分の涙が一気に流れる。
それから何分か経ち、泣き止んだ二人はようやく飛行機へと向かったのだった。
「行こうか・・・・・・京香。」
武は自分の二分の一くらいである小さな京香の右手を左手で優しく握って歩き出した。
おそらく二十代前半であろう新人の看護師に案内され、ベッドがひとつあるだけの薄暗いシンプルな部屋に入った二人は真っ先に母の顔に被せてある白い布を取り、母の顔を見た。
「お母さん・・・・・・。」
京香は遺体を実際に見たのは今回が初めてだった。初めて見る遺体が自分の母のものだと思うともう少ししか出ない涙がまた溢れてくる。武は死に顔を見たくないのか、そこらに体育座りをし顔を伏せて泣いていた。その姿を見たとき、京香はハッとなった。
医者が『それだったら院長さんに入院費を少しだけ安くしてもらえるように頼んでみようか? 院長さん人が良いからきっと許してくれるよ。』と言っていたが院長に許してもらえず設備を悪くして無理やり安くしたのではないのだろうか。そして、設備がわるくなったせいでお母さんは容態が急変して・・・・・・。
そう推測した瞬間、京香の中に決意のようなものが芽生えた。京香は母の体に被せられている布団に右手を入れ母の左手を握った。
「冷たい・・・・・・。」
母の左手はまるで雪のように冷たかった。一瞬、ゾッとしてとっさに左手を投げつける姿勢になった京香はある違和感に気づいた。
母の左手の甲に小さないぼのようなものができているのだ。
何・・・・・・これ・・・・・・。これってもしかして何かを注射した痕かな。お母さんは入院してるだけで注射とかはしてないはずなんだけど。
「あの、すいません。」
「はい何でしょうか
京香は半泣きになりながらも新人の看護師に話しかけ、母の左手の甲を見せた。
「この注射した痕みたいな出来物は何ですか?母は注射しないはずなんですけど・・・・・・。」
母の左手の甲にある出来物を見た看護師は首を傾げた。
「おかしいですね。私は最近入ってきたばかりで京香さんのお母さんに夜以外付きっきりだったんですけど注射は一度もしていないはずです。」
「え・・・・・・? どういうことなんですか・・・・・・?」
そこで頭の中に流れていた映像はぷつりと消えた。
下山不可
雨がどんどん強さ増していく中、大介は必死になって佐賀を探していた。だが、どこまで進んでいっても佐賀がいる気はしない。雨が強くなっていく一方でもう諦めようかと思ったそのとき、気を抜いてたせいか、足を滑らせて転んでしまった。バランスを崩して前に倒れたとき、不幸中の幸いに気づいた。
「あぶねぇ・・・・・・一歩間違えれば大怪我するところだった。」
大介が転んだそのすぐ横は急な崖となっていた。今まで佐賀を探すことに集中したいたため、見落としていたのだ。
結構奥まで来てたのか・・・・・・。もう戻ったほうがいいな。
そう思い、大介は体を回転させて元来た道を引き返そうとする。だがそのとき、また足を滑らせてしまった。今度は二回目はないだろうと思っていたのと急がないといけないという思いからだろうか。
さっき転んだときは山の内側、崖と反対側に向かって転んだが今回は・・・・・・体がしっかりと崖の方を向いていた。
「うわああああああ!」
叫び声を上げ、素早く下を見る。幸い下が見える外国のアクション映画などのような崖ではないがそれでも十分骨折するほどだった。
自分でもびっくりするど反射神経で山道の脇、崖の一番高い部分に右手をかける。手をかけることに成功した大介は安堵の息を吐いた。だが、そのとき、雨のせいか手が滑って崖から手が離れてしまった。最悪の場合、死んでしまうな。と覚悟した目を瞑る。だが、いつまで経っても体が地面に叩きつけられるような衝撃はなかった。
「佐賀・・・・・・?」
おそるおそるゆっくりと目を開けると今まで全く見つからなかった佐賀が重そうに自分の右手を握って自分が崖に落ちるのを防いでくれているのがわかった。
「佐賀! 大丈夫か!」
「それはこっちの・・・・・・台詞ですよ。早く・・・・・・上がってきてください。」
相当重いのかそれとも佐賀に力が残っていないのか、言葉が途切れ途切れになっている。だがそこが佐賀らしくて大介は崖を登る祭、薄く微笑んだ。
「よい・・・・・・しょっと。」
少しだけだが佐賀の力もあってか楽に登ることができた。大介が崖から上がってきて一安心した佐賀は服が汚れるのも気にせず、その場に座り込んだ。
「ふぅ・・・・・・。」
それに釣られて、大介もゆっくりと座り込む。疲れてるのも気にせず佐賀に大声で謝った。
「ごめん! 俺が佐賀の気持ち考えずわがままな言動をしたから皆と離れてこんな山奥に来ちゃって・・・・・・。」
最初は謝る気なんてさらさらなかったが命を助けられたのだ、頭を下げることくらいしておかないといかない。
大介のその言葉を聞いた佐賀は大介の肩をポン、と叩いて頭を下げた。
「悪いのは僕の方です。確証もない憶測を否定されただけでカッとなっちゃって西野さんに迷惑をかけてしまった・・・・・・。」
それを聞いた佐賀の考えを否定するように大きな声で言った。
「いや! お前の憶測は間違ってなかったのかもしれない。」
実際、信じてるなんてこれっぽっちもないが喧嘩したことをなかったことにするため信じているふりをしないといけない。
「・・・・・・とりあえず雨も強まってきてますし列を探しましょう。顔上げてください。」
佐賀も喧嘩を早くなかったことにしたいのか雰囲気を変えるようなことを言って立ち上がったのだった。立ち上がるときに見た空はさっきと比べてさらに黒くなっていっているのがわかる。
「おいおい、これからさらに雨が強まるとなるとやばいぞ。」
大介は呟く。聞こえていたのか佐賀は不安げに空を眺めていた。
一方その頃、順調に登山コースを進んでいた広告・宣伝課と営業課の社員たちは立ち止まり、登山を中止するかどういかを話し合っていた。
「流石にこの雨じゃ登山なんてできませんよね?」
武が列の前方にいる社員たち五人に問う。するとその中からそれに反対する者がでてきた。
「でも、下山の方が足を滑らせたりする可能性があるので一度頂上まで行って雨が止むのを待った方がいいと思います。」
声の主は新田だった。合羽がじゃまくさいのか折って半そでにしている。
「確かに。言われてみれば下山の方が危険ですね。もしも一日中雨が止まなかったらどうします?」
新田はその問いに笑いながら即答した。
「それは訊くまでもないでしょ。普通に考えて会社より人の命の方が大切なので雨が止むまではいつまでも待ちますよ。」
新入社員にしては上からで憎たらしい言い方だったので武は少しムッとなる。だが、こんなときに説教などしても意味がないので感情をそっと抑える。
「そうですね。そうしましょう。」
無理やり口だけを笑わせて武は拳をぎゅっと握り締めた。
列の後方では京香が何かを探すように空を見上げていた。
今・・・・・・何か男の声がしたような気がする。いや気じゃない。確かに声が聞こえた。何だろう・・・・・・上のほうから叫んでいた。上ってもしすると・・・・・・。
京香はハッとなったように視点を空から山の頂上付近に切り替える。そこには、急な崖。
「誰かが崖から落ちたっ!」
無意識の内に声に出していた。社員たちは一斉に京香の方へ顔を向ける。だがそんなこと気にせず京香は自分の前にいる社員たちを押しのけ、山道を登っていく。
「すいません! ちょっとどいでください!」
社員たちは目を丸くして道の内側に寄る。京香が何をしようとっしているのか全くわかっていないようすだった。だが、ベテランなので判断力がしっかり身についているのか、父親である武はどかなかった。
「お父さん! そこをどいてください! 人が・・・・・・人が崖から落ちたのかもしれません!」
京香は必死に武がどいてくれるよう、理由を伝えた。しかし、一
度家族を失った経験がある武は全くどく気がなかった。
「京香、無茶をするな! お前も山が今どんなに危険かわかっているはっ・・・・・・!」
『はずだろう!』と言いかけたそのとき、武は強い力に押されて傍にあった太い木に凭れかかった。
「お父さん、ごめんなさい!」
その声を聞いたとき初めて京香が自分を強引に押したのだとわかった。京香は一言だけ謝ると、走って山道を駆け上っていった。武はしばらく木に凭れたままその場から動くことができなかった。
娘が・・・・・・娘が行ってしまった。私は家族全員を失う運命なのか。
絶望しながらゆっくりと体を起こす武。それを見下ろすように新田は静かに呟いた。
「親がこう低い判断力の持ち主だったら子も低い判断力を引き継いで生まれるんだな・・・・・・。」
それを聞いた武の頭に今まで上ることのなかった血が上った。
「新田! お前に何がわかるっていうんだ!」
体温が上がっていくのが自分でもわかるくらい興奮状態になっていた。妻が死んでからの七年間はずっと本気で怒らなかったが今回は本気だった。周りの社員たちは衝撃の連続で状況をよく把握できないようだった。
「どうしたんですか? 急に怒り出して。」
怒っている武に対して新田はとぼけた様子を見せる。もちろん、頭の中では何故武が怒っているかはわかっている上で。
「とぼけるな! 京香の悪口を言ったのを謝れ!」
冷静になれない武は新田の両肩をつかんで前後にがくがくと振る。
「謝ればいいんですね? じゃあ、悪口言ってすいませんでした。」
適当に謝る新田。それを見た武はとうとう我慢の限界がきた。
「うおおおおおおおおおお!」
とてもベテラン社員とは思えない素早さで新田の左足に右足をかける柔道のような動きで新田の体勢を崩し、そのまま道の外側に体全体を使って押し出した。
新田はいきなりのことだったので抵抗する間もなく、押し出されて急な斜面を転がっていった。それを見ていた社員たちは目をまるくしたり口に手を当てたりして驚いていた。新田がいなくなり少し興奮が納まった武はそれを見て、後悔した。この似野山は日本で二番目に大きな山じゃないのか、と言われるほど大きな山だ。まだ頂上に着いていないとはいえ、今の高さでも標高二五〇〇メートルほどある。崖ほどではないとはいえ、そんなところから人を転がしていったら確実に死に至るだろう。自分は人を殺したと思うと急に罪悪感が芽生えてきた。
しばらく沈黙が流れ、列の真ん中辺りから女性社員の高い声が聞こえてきた。
「ひ、人殺し!」
「きゃあああああああああ!」
「うわあああああああ! こっち見ないでくれ!」
最初の女性の声に釣られ、何人かの悲鳴も聞こえてきた。パニック状態になっている周り。そこにぽつりと冷静に立っている自分。その状況にムカついてたまらなくなってきた。
「お・・・・・・大きな声を出すな!」
戸惑っている中、発したその一言は本当に犯罪者のようだった。
社員たちが悲鳴を上げている中、使野は何が起こっているかよく理解できず立ちすくんでいた。狂ったように叫ぶ社員たち。顔が強張っている武。振り続ける雨。視界に映っているものの、何故そういうことになっているかなどが全くわからなかった。ただ一つわかるのはこの出来事が後々、すごく大変な発展するということ。
「使野! しっかりして!」
中学時代の友達であり営業課の社員でもある女性社員、高坂絵里が不安げな表情を浮かべながら使野の肩をがくがく揺らす。
「絵里・・・・・・?」
ハッとなり少しずつ状況を把握しようとする使野を見た高坂はホッとして訴えるように言った。
「逃げるのよ! じゃないと殺される!」
「え・・・・・・? え、絵里? ちょっと待って!」
意識は戻ったものの、未だ状況を把握できていない使野は自分の手を握り下山しようとした高坂を見て慌てて手を振り解く。
「どうしたの! 早く逃げないと!」
「でもこんな雨の中、下山なんて危険すぎる!」
使野は今までの人生の中で発したことないような大声で高坂が下山しようとするのを引き止める。その声に高坂は目を丸くしながら振り返り、立ちどまる。
「使野・・・・・・? わかったよ。」
高坂は今までない反応を見せ、それを見た使野はハッとなり素早く頭を下げる。
「ごめん、大きな声出して。」
「いや、いいよ。教えてくれてありがとう。」
両者の雰囲気が和んだそのとき、一人の女性社員が空に向かって叫び声を上げた。
「きゃああああああああ!」
声の方を向くと、叫び声を上げた女性社員が山の急な斜面を転がっていた。
生死
雨のせいでぐちょぐちょになった道を運動靴で必死になって走る京香。その表情は不安と焦りが混ざり合ってなんとも言えないものになっている。
『とぼけるな! 京香の悪口を言ったのを謝れ!』
『うおおおおおおおおおお!』
『ひ、人殺し!』
『きゃあああああああああ!』
『うわあああああああ! こっち見ないでくれ!』 社員たちの狂ったような叫び声が列の方から聞こえてくる。何が起こっているかはわかっているが想像したくもない。もし、『人殺し』というのが武だったら・・・・・・それを考えると不安でしょうがない。自分が勝手なことをしたから・・・・・・という罪悪感で押しつぶされそうだ。
「とにかく奥に行かないと。」
助けを求めている人が一人じゃない可能性もあるので今は列に戻って『人殺し』を確認するよりも奥の救援を優先させたい。
そんなことを考えていると奥から男の話し声が聞こえてきた。
「無事なのか・・・・・・?」
京香は安堵の息を吐き、そう呟く。
そうとわかれば・・・・・・行かないと。死亡者が出る前に駆けつけないと。
手の平で雨に濡れた顔全体を拭き、鬱陶しく感じた前髪を両手で掻き揚げて列の方に向かって進んでいった。
十分くらい歩いただろうか。よく聞き取れないが小さく人の声も聞こえてきた。
「もう少しだな。」
頬の辺りを緩ませ、小さく言う大介。だが、佐賀は表情を強張らせ、慎重に歩みを進める。
「もう少しってところで落ちることもあるから最後まで気を抜かずに進みましょう。さっきみたいに滑っちゃいますから。」
本当に正義感溢れる奴だ。こういう奴は本当に充実して案手した人生を送ってきたのだろう。俺の人生とは真逆の人生だ。
西野大介は貧しい家庭の中に一人っ子として生まれた。両親の学歴に空いている部分が多いので仕事に就けず、アルバイトで食いつないでいた。当然、勉強道具もろくに買えず小、中、さらには高校までいじめられていた。さりげない言葉だけのいじめだったので身体的には全くダメージがなかったが精神的なダメージがひどく、高校を中退。引きこもりになって両親に心配かけされるわけにもいかず、飲食店でアルバイトをしていると嘘をついて一日中ふらふらと過ごしていた。だが、そんな生活には当然、終わりがくる。両親が一週間の内に死んでしまった。原因は過労死だと聞いている。あれほど必死に働いたら死ぬのも当然だろう。葬式のとき、大介は父と母の死に顔を見ても眉ひとつ動かさなかった。いや、動かせなかったというのが正しいだろう。あまりにもいきなりで脳がついて行っていなかったのだ。そんなとき、大介に声をかけた一人の中年男性がいた。
『君が西野大介君だね?』
最初は誰なのかわからなかった。スーツやズボンがきれいなところから両親の会社の人間だということはわかるのだが・・・・・・。
『あの・・・・・・誰ですか?』
今思うと、さすがにその言い方は失礼だと思ったがあのときは廃人のようになっていたのでその言葉しかでなかった。
『あ・・・・・・ごめんごめん。君のお父さんが清掃員をやっている会社の社長だよ。渡部伸三っていうんだ。』
大助の態度に驚きながら、そう言って名詞を渡してくる渡部。大介はすでに成人した自分を子供扱いする口調にムカついていた。社長というのがさらに憎たらしさを引き立てている。
『その社長が僕に何の用ですか?』
父が掃除していた会社の社長だと知っても大介は冷たい態度をやめることをしない。すると、渡部は横に置いていた革のバッグからパンフレットのようなものを取り出して、渡してきた。
『これは何です?』
受け取ると一ページもめくらず渡部にそう訊いた。
『僕の会社のパンフレットだよ。君にあげるために持ってきたんだ。ちょっと見てくれ。』
そう言われても、大介はページをめくる気にはなれなかった。
『僕に自分の会社のパンフレットなんか渡してどうするつもりですか?』
大介は表情を強張らせて言った。今にも怒りが爆発しそうだ。
『き、君に入社してもらいたくて・・・・・・。』
それを聞いた瞬間、全身から力が抜けていくのがわかった。だが、怒りはまだ少し残っている。
『何故、いきなり僕なんかを入社させるんですか?』
突き放すようにそう言うと、渡部は悲しそうな表情で言った。
『今の君には嘘を言っているようにしか聞こえないと思うけど一応言っておくよ・・・・・・。君のお父さんは息子思いでね。昼休み、いつも君のことばかり話しているって社員たちから聞いたんだ。実は僕も、君みたいな頃に父を亡くしてしまったから今の君に何かしてあげられないかな、と思って・・・・・・。』
大介の心の中で、何か光る希望のようなものが芽生えた瞬間だった。今まで絶望していた中、こんなに涙がでるようなことはなかっただろう。大介は聞いたとたん、父に感謝の気持ちを持ちながら大声で泣き叫んだ。
そして、月日は流れて現在に至る。
今考えてみれば悲しいことばかりの人生だった。現在が幸せとはいえ、人生の八割くらいが悲しいや絶望で埋め尽くされている。ときどき、人生の最初から最後までが充実している人の人生を想像してみるがいくら想像してもその人生はでてこなかった。自分は最初から幸せな人生とは無縁なのだ。父の葬式から四ヵ月後、生まれて初めてそれを知った。
「・・・・・・佐賀?」
「何ですか? 西野さん。」
自分の人生を振り返ったあと、遠くから何かが聞こえてきたような気がした。
女性の・・・・・・叫び声だろうか。
そう頭の中で思った瞬間、体に電撃が走ったかのように硬直する。
もしかすると・・・・・・土砂崩れなのかもしれない。と、なると・・・・・・まずいな、道がなくなる・・・・・・。
似野山は南側が住宅街、北側が大きな川へと繋がっており、登山する祭は南から登って南へ下りる。という感じで同じルートを通るようになっているのだがもし、南側の山道に土砂崩れが起き、道の一部がなくなると根性でなんとかするしかなくなってくる。そして今、まさにそうなるのかもしれない状況になっている。
「まずい! 下山できなくなるぞ! 急いで下りよう!」
「は、はい!」
突然だったので、理解できないのかもしれないが佐賀は大きな声で返事をした。
一瞬、時間が止まったように感じた。女性社員の叫び声さえも聞こえなくなった瞬間だ。だが、それは一瞬のことで次の瞬間には女性社員の姿は消えており、叫び声は山のふもとへと移動していた。
「絵里・・・・・・?」
沈黙の中、怖くなった使野は存在を確かめるように高坂の名前を呼ぶ。当然、返事はあった。
「使野・・・・・・。」
だが次の瞬間、耳を塞ぎたくなるような叫び声が山全体に響いた。
「きゃあああああああああああ!」
「うわあああああああああ!」
社員たちの叫び声がさらに大きくなった。見慣れない社員たちの叫び声に混じって、高坂の叫び声も耳に入った。
「きゃあああああああああああ!」
聞き慣れた声にハッとして、使野は高坂の名前を呼ぶ。
「絵里! しっかりして!」
慌てて高坂の肩をがくがくと揺らす。見てみると高坂は白目をしていた。
「きゃあっ!」
友人の恐ろしい姿に使野は反射的に高坂の肩を押してしまった。
「ぎゃあああああああああああ!」
すると、軽く押したはずなのに高坂は大きくバランスを崩し、叫び声を上げながら山の斜面を勢いよく転がり落ちていった。
「え・・・・・・?」
使野は自分が何をしたのかわからなくなった。何故か高坂が叫び声を上げて山を転がり落ちていった。それ以上なにもわからない。
「絵里・・・・・・? 絵里、絵里!」
嘘だ嘘だ言うように使野は山のふもとに向かって高坂の名前を叫び続ける。
ようやく列のいる場所まで辿り着いた京香は、驚きの光景を目にした。自分の耳を壊すために発しているような社員たちの狂った叫び声、今まで見たことない武の鋭い目つき、パニックになって自分から死にに行くように山の斜面を転がり落ちていく社員たち。
「・・・・・・お父さん?」
最初に視界へ入ってきたのは別人のような顔つきをしている武であった。名前を呼ぶと武は不気味にゆっくりとこちらを振り向いて、怒り狂ったような声で言った。
「お父さんはなぁ! お前のせいで・・・・・・お前のせいで殺人者になってしまったじゃないか! 責任とれよ!」
それと同時にふらふらとした足取りで武はこちらへ向かってくる。
一瞬、ビクッとして逃げようかと思ったが武の先にいる社員たちを見捨てるわけにはいかない。それに死んだ母の前で誓ったこともある。
『もう自分の周りで人は死なせない。』
それが母の前で誓ったことだった。漫画やアニメのような誓いだと思われているかもしれないが、これは母の遺体を見た子供心から感じたものだった。
「お父さん、やめてください! お母さんが悲しみますよ!」
とっさに思いついた言葉を武にぶつける。一瞬、動きが止まったが意味はなかったようだ。
「あいつなんか・・・・・・死んでも生きててもどうでもいいんだよ!」
京香はもうだめだ、と感じた。武にはもう人間が持っている自分の気持ちを制御する力がないと確信した。
「しっかりしてください! お父さん!」
自分でも耳が痛くなるような大声で武に意識を取り戻させようとする。だが、声は届かない。死を覚悟したそのとき、男の力強い声が聞こえてきた。
「うおおおおおっ!」
男の声とともに、武のうめき声が聞こえる。広告・宣伝課の社員だろうか。誰だがわからないが武を止めてくれているようだ。武が男の拳を喰らったその隙に、京香は叫び声を上げている社員たちのもとへ向かった。
見てみると、一番奥で少しだけだがさっき話した女性社員が座り込んで誰かの名前を叫び続けていた。
「使野さん! 使野さん! しっかりしてください!」
まだ曇っていた頃の会話を思い出し、使野という名前を呼びながら女性社員の肩をがくがくと揺らす。そのとき、武とさきほどの男性社員であろう叫び声が聞こえてきた。
「うああああああああ!」
「ああああああああ!」
反射的に振り向くと、もうそこには武と男性社員の姿はなかった。 「あ・・・・・・。」
あまりの衝撃で言葉にできず、口をぱくぱくと開閉していた。そして次の瞬間、大声で叫んだ。
「お父さああああああああん!」
魂の全てを込めたような叫び声だった。口に入る雨は涙と混じってしょっぱくなっていた。
「・・・・・・い、池田さんの娘さん?」
透き通るような女性の声がした。涙が溢れている目を向けるとそこには使野がしっかりとした目つきでこちらを見ていた。
「使野さん・・・・・・。」
手の甲で涙を拭い、確かめるように名前を呼ぶ。その声には少ししか力が入っていなかった。
「あの・・・・・・。」
状況が把握できず、戸惑う使野。それを見て京香が笑ったそのとき、さきほど山の奥で聞こえた叫び声と同じ声質の声が聞こえてきた。
「なんだ・・・・・・これ?」
当然だが、男性社員二人はそれだけ言って呆然と立ちすくした。
「三人しか・・・・・・いない?」
山の奥で聞こえた叫び声と違う声質の男性は小さく呟く。二人は自分と使野だとすぐわかったが、もう一人はだれだろう、と辺りを見渡す。
「飯田・・・・・・。」
茶色の服を着て木に凭れ掛かっていたからわからなかったのだろう。一人の男性社員が木に額を当てて誰か人の名前を呼んでいた。 最初は二十人ばかり居たというのにさきほどパニック状態になり、生き残ったのはたったの五人。その結果に京香は絶望した。
「十五人も・・・・・・死なせてしまった。」
地面に手をついて泣き叫ぶ京香。それを見た佐賀はそっと京香の肩に手を置いた。
「一人でも生き残ったらそれでいいんだよ。」
京香は佐賀が言ったその言葉に凄く温かみを感じた。そして、佐賀はそんな言葉を言えた自分に驚いていた。
昔の自分ならこんなこと誰にも言えなかっただろう。もちろん、自分にも。振る舞いだったとはいえ、何か変われた部分があるのかもしれない。
佐賀はそのとき初めて、人生に希望をもった。
このまま振る舞いを続けていけば理想の自分になれるのかもしれない。
そう思うと嬉しくて涙が出てきた。
せっかく格好いい一言が言えたというのに・・・・・・。泣き虫はまだ抜けていないのか。
マイナス的なことを考えていたが、佐賀の心の中は笑っていた。
京香と佐賀が泣きあっているのを見て、大介は心底ムカついていた。
何だ・・・・・・これは。まるでドラマのワンシーンじゃないか。最初から最後までが充実していた主人公が正義感溢れる性格に育って最終的にハッピーエンドを飾る。お決まりのパターンのようだ。結局は運なのか。どの家庭に、どのような才能を持って生まれてくるか。それだけで人生が充実するか充実しないかが決まってしまう。貧しい家庭に何の能力も持たずに生まれてきた俺は助けられるだけで足を引っ張るだけか・・・・・・。
そう思ったとき、山の頂上付近から何か地響きのような音が聞こえてきた。
「な、何だ!」
五人は慌てて頂上を見上げる。だが、そのときにはもう、遅かった。頂上付近から流れてきた土砂が五人の頭上を包み込んでいた。
「うわあああああああ!」
「きゃあああああああああ!」
飯田の名前を呼び続ける鎌野と泣きあう京香と佐賀は静かに、頭の中でいろいろなことを考えていた使野と大介は叫びながら、目を閉じた。
救援
意識を取り戻した大介は、今自分がどのような状況にあるかを確かめてみた。
目の前一面に広がる薄い茶色のような土砂の色。泥か何かが土砂の中に混じっていたのか、倒れたまま動くことのできない体。周りを見渡しても、人一人見当たらなかった。
「みんな・・・・・・死んだか。」
全てを棒に振るったような笑い声を上げながら小さく呟く大介。
空を見上げると、さっきまでの大雨が嘘だったかのように明るい光が雲の隙間から差し込んでいた。
「今になって止みやがって。」
顔に笑みを作りながら自分が生き残っていることを喜ぶ。しばらくすると、自分の右の方からぐちょりと土砂の中から何かが出てきた。
「っ・・・・・・あぁ!」
確認しづらいが、鎌野だということがわかった。それを見て、大介は小さく舌打ちをした。
なんだ・・・・・・生き残ったのは自分だけじゃなかったのか。くそ・・・・・・こんなときは特別運がよくてもいいじゃないか。
そう思っていると、左側からも何かが顔を覗かせた。
「ふぅ・・・・・・。」
出てきたのは、京香一人だった。
佐賀と一緒にいたのではなかったのか。
大介はそんな小さなことを疑問に思って訊いてみる。
「佐賀は・・・・・・佐賀はどうしたんだ?」
力がない声でそう言うと、京香は思い出したように周囲に土砂を掻き分け始めた。
・・・・・・死んだのかもな。主人公がハッピーエンドを飾り、そのあと主人公は仲間だけを残して死ぬ。そういうようなパターンもあったような気がする。
記憶の中にあるドラマや本などのラストを思い出しながら思う。
そういえば使野はどこにいったのだろうか。今頃新品の眼鏡がどろどろになっているだろうな。あまり力がないから生き埋めになっているのかもしれない。だが・・・・・・そんなこと俺には関係ない。充実した奴が死んでも自分にはどうでもいいことだ。
再び空を見上げる。雲の動きが早いせいか、もう青空が広がって
いた。だが、そこには灰色の物体が浮いている。
「皆さん、もう大丈夫ですよ! 今救援隊そちらに向かいますのでそこから動かないでください!」
灰色の物体の正体はヘリコプターだった。中には、小谷が乗っていた。おそらく雨の中、登山を続行したという知らせを聞いて心配に思って呼んだのだろう。
鎌野、京香、大介の三人は救援隊員に抱えられ、ヘリコプターへ乗ったのだった。
エピローグ
土砂崩れが起きた後、すぐに土砂の中から脱出した佐賀は未島第二不動産会社の社長室へと向かっていた。
土砂崩れの衝撃で少し疑問に思った点があったのだ。土砂崩れが起こる前、何故社員たちがいないかを聞いたのだが、新田はあんな態度をとるような社員ではない。普段から真面目で人を怒らせるようなことはしない人のはずだ。だとすると・・・・・・誰かが新田に指示を出していた、ということになる。犯人はおそらく会社の人間だ。動機はよくわからないが人が争いあうのを見下ろすのが好きで指示をだしたのだろう。登山イベントに参加していなくて見下ろすのが好きそうな人物・・・・・・それは社長の渡部だ。佐賀は社長の裏の顔を知っていた。母が渡部の秘書なのだ。母によると、渡部はいつも優しそうに振舞っているらしいがああ見えてギャンブル好きで毎晩カジノに通っているらしい。おそらく今回も何人が生き残れるかで他社の金持ち仲間などと賭けをしていたのだろう。
ふらふらになりながらも佐賀は社長室の重い扉を開いた。そこには、転がり落ちてここにいないはずの新田と眉間にしわを寄せている渡部がいた。
「・・・・・・どうしたんだい? 佐賀君。」
内心、土砂崩れでここに来れないはずだと予想していた佐賀が社長室に来て驚いている渡部だが驚きを隠してとぼけたことを言う。
「何で・・・・・・何で新田君がここにいるんですか?」
怒りの混じった口調で佐賀は言う。佐賀が自分のやったことに気づいている、とわかった渡部は鋭い目つきを向けた。
「気づいたのか・・・・・・。彼には金で指示通りに動いて」もらったよ。転がり落ちたとき登山に参加していない社員を使って助けてもらった。」
それを聞いた佐賀は確信した。この人が、犯人だと。
「そうですか・・・・・なら、死んでください。」
佐賀は歯を食いしばり、ポケットに入れていたアウトドアなどで使われる調理用ナイフを渡部に向けた。
2回目。
これもどうだろう?
何か悲しいな(文章力が)