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街灯が一つもない路地の更に奥。誰も通らないようなところに歩く人物がいた。まるで
存在そのものが闇のような、よく目を凝らしてみないと認知ができないようなあやふやな表現でしか表せない。そんな人物がとある家の扉を叩く。何か規則があるのか、一定のリ
ズムで刻むと中から鈴の音が聞こえた。取っ手にを引くと中からオレンジ色の光が漏れた。
「あぁ、ヘイラン。今日もお疲れアル」
「……お疲れ様」
ヘイランと呼ばれた女性。全身を密着した黒いスーツを纏い、靴の部分から見える鋭い
刃。たっぷりとした黒い髪から時折見えるきらりと光る糸のような物。そしてその髪を束
ねるかんざしも通常の物よりも先端が鋭く尖っている。ヘイランは主に暗殺の任務を依頼
され、受注。そして遂行し報告。これまで請け負った任務で失敗はなく、ここの主も安心
して暗殺の任務をヘイランに任せている。
「……はい。これでこの任務は完了ね」
「相変わらず手際がよくて助かるアル。今日は寒かったネ。そこにお茶を用意してあるか
ら、少し休んでいくといいアル」
ここはこの世界にとってある意味一番顔が広い人物の仕事場、スー商会。金さえ積めば
何でも手に入るという話が有名で、とある人物がその話の真相を確かめるべく本当に大金
を積んで依頼をしたところ、その品が手に入ったという。
そして、その商会の長をしているのがタオ・スー。小柄ながらも屈強な男にも屈しない
心の強さを持った女性。座っている椅子の後ろには彼女が愛用しているそろばんが飾られ
ている。その脇にはふくよかなタオ・トゥンが幸せそうな寝顔を浮かべている。適当に腰
を下ろすと、これまた小さなキョンシーがお茶を運んでくれた。このキョンシーもスー商
会では欠かせない存在である。跳ねる度に揺れる札がなんとも愛らしい。
「ありがとう」
小さくお辞儀をしたキョンシーは小さく跳ねながら給湯室へと戻っていった。カップか
ら漂う香ばしいお茶にほっとするヘイラン。これは確か……。
「最高級のほうじ茶の味はどうアルか?」
「ええ。美味しいわ。とっても」
そう。ほうじ茶と言ったか。緑茶とはまた違った味で美味しかったのを覚えていたけど、名前はいつも忘れてしまう。今度自分用に買ってみようかなとヘイランは思った。
「さて、今回はとんでもなく卑怯な奴らだったネ。商会に泥を塗った罪は重いネ」
「……」
「これもヘイランがスムーズに処理してくれたお陰で被害は小さくて済みそうネ。感謝ア
ル」
「こちらとしても仕事を贔屓してくれて助かってるわ。それと……このほうじ茶なんだけ
ど……」
「ああ。ちょっと待つネ」
そう言ってタオ・スーは小走りで戸棚を漁り始めた。しばらくして小さな箱をヘイラン
に手渡した。
「はい。さっき飲んだやつ同じやつネ」
「いくら?」
「今日は気分がいいアル。特別にタダであげるネ」
まさか気に入っているお茶がタダでもらえるなんて思わなかったヘイランは、驚きを隠
せなかった。どうしようかもたついていると、タオ・スーは意地悪な笑みを浮かべてこう
言った。
「早く持って帰らないと、購入した時の倍の金額で購入してもらうけど……いいアルカ?」
「……有難く頂戴するわ」
飲み終えたカップをキョンシーに手渡し、ヘイランは立ち上がり商会の扉に手をかけた。
「あぁ、ヘイラン。言い忘れていたことがアルネ。ここ最近、住民を襲う野盗集団が増え
てきているネ。それも夜遅くに。できたらいつでも動ける体制を取っていて欲しいアル」
「わかったわ。それじゃあ」
短く返答し、ヘイランは商会を後にした。確かに野盗の動きが活発なのはヘイランも感
じていた。金品、宝石、そして尊い生命までも……様々な物を盗んでいく野盗は増え続け、
スー商会の間でも優先順位は常に高い場所にある。そこへ、暗器使いのヘイランに白羽の
矢が立ち今に至る。これまで闇に葬ってきた数は多く、とても数えられるものではない。
時々、手にかけた時の感触や悲鳴がヘイランを悩ます時もあるが、それ以上に仕事が増え
てるので気にしている暇はない。
「……私もその大事なものを奪っていることには変わらないのかしら……」
ぽつりと呟いた独り言は、闇そのものへと吸い込まれて消えていった。
とある日。ヘイランはスー商会からお呼びがかかり、すぐに向かう事に。内容は野盗の
沈静化。それも数が多く、スー商会に所属している者達を派遣しても間に合わず、急いで
欲しいとのことだった。現場へ駆けつけると既にあちこちで悲鳴が木霊していた。窓は破
られ、家は破壊され……これが昨日まで賑わっていた街とは思えない程荒んでいた。壊れ
た家の屋根に立ったヘイランは髪をきつく結び、任務の邪魔にならないよう準備をする。
「さて……始めましょうか」
ヘイランは野盗集団を一掃するため屋根を蹴り、移動を始めた。屋根から屋根へと飛び
移りながら眼下に広がる街路を見渡す。今は特に動いてはいないようなので、今度は耳に
意識を集中させ、物音を聞き分けた。すると、すぐ近くで何かが倒れた音がしたため、そ
の方向へと向かう。
「いや……お願い。助けてっ!」
「やっぱり命乞いしている声ってのはいいもんだね。本当はもっと悲哀に染まってる方が
好きなんだが……この際仕方ないか。あばよ」
「きゃーっ!」
無慈悲に振り下ろされた得物は女性の胸元に突き刺さり、刺された箇所から赤い液体が
噴出し、野盗の体を染め上げていく。どさりと倒れた女性からは生気は感じられず、代わ
りに何度か体が大きく脈打った。脈打つ度に赤い液体が溢れ、女性の体を染めていく。
「なんだぁ……これっぽっちか……」
めぼしい所を探す野盗。見つけたのはブレスレット一つだけだった。大きくため息をつ
きながら袋にしまい、次の家へと向かう。
「これを売りさばければ、少しは生活できる……これがあれば……女房だって」
野盗が次の家へと侵入している時をヘイランは見逃さなかった。ふわりと音もなく着地
をし、物陰に隠れながら野盗を追いかける。やがて野盗の存在に気が付いた住人が大きな
声をあげる。
「う……うわぁっ!」
「安心しな。すぐに楽にしてやるからよ」
「ひぃっ!」
野盗の得物が男性に振り下ろされるが、何かがその野盗の得物を弾き壁に突き刺さる。
「な……なんだ」
野盗が怯んでいる隙に男性は別の出口から逃げ出した。野盗は辺りを見回しても他に気
配は感じられなかった……。一体誰がどこから……。狩る側だった野盗がいつの間にか立
場が逆転し狩られる側となった。懐から別の得物を取り出し、警戒をする。
「どこだ……どこだ……」
見回す為に体を動かしている野盗の近くで黒い影がずるりと動き、一つの人間の形を作
っていく。そして音もなく野盗に近付き、かんざしを突き立てる。
「ぐぁっ……」
「……急所を外した? 苦しむだけだというのに」
急所を狙っていたのだが、寸前のところで野盗に気付かれてしまい外してしまう。傷口
からの出血は少ないのだが、野盗は何かに苦しんでいるように体をうねらさている。
「急所に入れば即効性の猛毒があなたを苦しめずにいけたのに……」
慣れた手つきで髪を纏めあげると、足首から短刀を取り出し野盗の首に近付ける。首か
ら伝わる無機質な冷たさに野盗の顔が恐怖で引きつる。
「た……頼む。俺がいなくなったら、女房が飢えちまう……見逃してくれ!」
「……命乞いは済んだかしら」
「まっ……まって……ぐぁあっ!」
真横に得物を引いただけで野盗の首元から赤い液体が霧のように噴出。数秒も経たずに糸の切れた操り人形のように倒れ込んだ。
「無駄に抵抗してしまったからそうなってしまったの……」
静かに立ち上がり他に野盗がいないか気配を探る。今の場所から少し離れているが、そ
こに固まっている様子が伺えたので、また気配を殺し現場へと急行する。その時、さっき
野盗が言っていた一言が妙に頭にこびりつき、離れなかった。
現場に着いたヘイランはまるで息をするかのように、野盗の群れを一掃していった。途
中、逃げ出した野盗は予め仕掛けておいた糸のトラップで捕縛済み。一息ついた所で再度
野盗の気配を探すも、どうやらこのグループで最後だったらしい。警戒を解いたヘイラン
は暗器をしまい、壊れてしまった街を見た。
「なんで一夜にしてこんな……」
普段ならそこまで感傷に浸らないはずなのだが、この時はなぜかこの街が壊れてしまっ
たことに対して、すごく残念に思えた。なぜなのかは本人にもわからない。
「これで終了かしら……。商会に報告に行かないと」
まさに一歩踏み出そうとした時だった。瓦礫の中から野盗が現れ、ヘイランに襲い掛か
った。完全に警戒を解いていたヘイランは虚を突かれ、咄嗟に身構える。
「しまった!」
暗器を手にした時、突如横の力によってヘイランが吹き飛ばされた。予想だにしなかっ
たことにヘイランは状況が読めず困惑する。砂ぼこりが消え、見通しがよくなったところ
に立っていたのは一人の男性だった。そして、その男性の背中には野盗が握っていた得物
が深々と刺さっていた。
「ぐ……ぐぅ……早く逃げ……て」
「貴様っ! あと少しだったのに!」
野盗が得物を引き抜くと、今度はヘイラン目掛けて襲い掛かってきた。この時には既に
警戒態勢に入っていたため、両手には暗器が握られそのまま右手の暗器を野盗に向けて放
物線を描くように投げた。ゆっくりとしたモーションとは対照的に暗器は一直線に野盗へ
と命中し、難を逃れた。
「あ……ありがとう……無事でよかった……うっ」
「動かないで」
ヘイランは腰のポーチから小さな瓶を取り出し、男性にかけた。透明な液体は男性の血
液と混じり赤く濁る。
「効果が表れるまで少し時間がかかるわ。物陰に隠れていなさい」
「あ……あなたは……なぜ」
「……ただの気まぐれよ。もう二度と会うことないでしょうけど……それと、ありがとう」
そう言ってヘイランは踵を返し、その場から立ち去った。男性は身の安全を確保するた
めにひどく痛む体を引きずりながら壊れた家屋の中へと入った。少しずつではあるが、あ
の液体が効いてきたか、痛みが引いてきているような気がした。はぁと溜息をついた男性
は、一度も振り返らないヘイランの背中一点を見つめていた。
「あ、ヘイラン。おかえりネ」
書類の整理をしていたタオ・スーが顔をあげた。いつも通り報告書にサインをして、一
休みするためソファへと腰かける。そこへキョンシーがいつものお茶と一緒に何かを運ん
できた。
「予想はしていたけど、やっぱり急に呼び立ててしまったからネ。それはお詫びの品アル」
ほうじ茶と一緒に運ばれてきたのは同じ茶葉を使ったケーキだった。ヘイランは甘いも
のがあまり好きではないのだが、一口食べてみるとほうじ茶の渋みが甘さを適度に打ち消
していてとても食べやすかった。
「同じお茶でもこういうのも悪くないネ?」
お茶として飲むほうじ茶でも、ケーキに含まれているほうじ茶全く同じものなのに、こ
うして並べてみるとまた違った楽しみ方もできるというのが今回の発見だった。気が付い
た時にはあっという間に食べ終わっていた。
「美味しかった……」
「また今度仕入れた時にでもご馳走するネ」
キョンシーが空になったお皿とカップを下げると、ヘイランは一つ気になったことがあ
るのを思い出した。
「一つ、お願いがあるのだけど……いいかしら」
「? どうかしたカ?」
それは、さっきの街にいた男性のこと……いや、生存者について知りたかった。たまた
まあそこにいたのはあの男性だけであって、もしかしたら他に生存者がいるかもしれない
と思ったのだ。
「うーん。ちょっと時間がかかってしまうかもしれないけど……それでもいいアル?」
「ええ。構わないわ。お願いできるかしら」
「わかったアル。結果がわかり次第、連絡するネ」
忙しそうしている中でもしっかりと受け答えをしてくれるタオ・スー。小さな声で感謝
を述べ、扉を出ようとするといつもは寝ているタオ・トゥンが今日は珍しく起きていてヘイランに甘えてくる。
「あら。珍しいわね」
しゃがみ込み、タオ・トゥンの頭を撫でると嬉しそうに目を細める。すると、それを見
ていたキョンシーが私も私もとばかりにヘイランにすり寄ってきた。いつも世話をしてく
れているのだからこれ位はとヘイランは少し優しい気持ちになった。
「それじゃ、またね」
頃合いを見図り、ヘイランは立ち上がり自分の家へと帰る準備をした。少し名残惜しそう
にする一人と一匹に軽く手を振り、背を向けた。
帰路の途中、ヘイランの頭の中からどうしても離れないことがあった。それは、野盗に
刃を向けたときに言ったあの一言。
(俺がいなくなったら、女房が飢えちまう……)
自分たちが生き残るために他人を貶めるということ……常に弱肉強食だと思ってきたけれど、あのときはどうしても自分もそうなのではないかと考えてしまう。自分もまた誰か
を貶めて生きながらえている。この仕事に就くときには覚悟をしてきたつもり。だが今は
心が揺らいでいる。それと、あのときヘイランを庇った男性も気になっている。なぜ、私
を助けたのか……なぜ逃げずに庇ったのか……いくら考えを巡らせても答えには辿り着か
なかった。そしてそれの逆。ヘイランがなぜ男性に傷薬を使用したのか……。
「……なんで自分でやったことなのに、答えが見つからないのかしら……」
気持ちと行動が伴っていないことに違和感を覚えながら、自宅のドアノブに手をかける。
ベッドに腰かけ、暗器を外していく。外された暗器が小さなデスクを埋めていき、全て外
し終える頃にはデスクだけでは足りず、床に置くことになった。最後に髪を纏めているか
んざしを外し軽く背伸びをする。緊張が少し解れたところで軽くシャワーを浴び就寝の準
備を進めていく。ベッドに潜り、瞼を閉じるとあのときの光景が所々フラッシュバックし
て、中々寝付くことができなかった。
結局、寝付けず少し夜の風にあたることにした。さっきまで戦っていたのが嘘のように
静まり返り、高ぶっていた気持ちが少しずつ穏やかになっていく。近くのベンチに腰をか
け、夜空を見上げる。少し雲は多いがその隙間から小さな瞬きは確認できた。その瞬きを
見ながらヘイランはまた考え込む。
「私がしていることは……やっぱり……」
高ぶっていた理由はやは野盗のあの言葉だった。大事なもののために他者の大事なもの
を奪うことは果たして正しいことなのか。やってはいけないことだけれども、やらなくて
はいけないときもある……思考が巡ってしまい結局答えは出なかった。深呼吸で気持ちに
一区切りをつけ、部屋に戻るヘイラン。今度は深く考えずに視界遮断すると、徐々に眠り
へと落ちていった。




