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侵入者

作者: 森崎 月麦
掲載日:2026/08/16

 今日の午後、新聞受けからひとりの男が入ってきた。

 僕は夏美と遅いお昼を食べようと思って、昨日の夕食で残ったホワイトシチューを温めていたところだった。新聞受けが、ガタン、と軋み、見に行った夏美が、きゃあ、と叫んだ。

 僕はガスの火をとめて、玄関へとすっとんで行った。するとちょうどそこには、内ブタの空いた新聞受けから、ずるり、と頭からうつ伏せの状態で入ってきたところだった。

 すっかりうろたえてしまった夏美が僕の横で何かヒステリックに叫んでいたけれど、僕はただ、彼がゆっくりと手をつき、膝を立て、顔を僕らの方に向けながら起き上がるのをぼんやりと見ていただけだった。

 よくもまあ、あんな細いところから入り込んできたもんだなあ。僕は新聞受けの受け口を思い起こした。縦3㎝×幅30cmの細長い穴に頭を突っ込み、そのまま体を滑らせる。いや、手が先だったかもしれない。ちょうどプールに飛び込む時みたいに頭の上に両手をまっすぐ延ばし、膝の屈伸を使って指先から90㎠の受け口に飛び込む。途中、新聞受けの内フタを両手で押し開けなければならない。フタが開いたら、あとはカンタン。重力に任せて玄関へと滑り込めばいい。

 僕が住んでいるのは築数十年の古い8階建ての団地で、ドアには新聞受けがついている。そこには差し込まれた新聞が玄関に滑り落ちないように、内側に入れられたものをためておけるポケットのようなものがある。僕たちは紙の新聞なんて取っていないけれど、その新聞受けは結構大きいから、郵便配達の人が親切だと、大きすぎて一階の集合ポストに入らない郵便物を階上まで持ってきて新聞受けに入れてくれる。郵便以外にもこの新聞受けには、団地のお知らせだとか広告とか、「神に祈りましょう」とかいう類いのビラも入ってくる。でも、今日みたいにこんなに大きなものが通ってきたのは初めてなんじゃないかな。まあ、さすがに内ポケットに収まりきるには大きすぎたから、中まで入ってきちゃったけどね。

 なんて僕が考えている内に、その侵入者は、ゆらり、と立ち上がってこちらに向かって歩いてきた。

 見た目は全く普通の人だった。それも結構イケメンだったから驚いた。実をいうと僕は何かいかにも凶悪そうな犯罪者とかゾンビみたいなこの世のものでないものを期待していたので、ちょっと拍子抜けだった。夏美もそうだったみたいで、大きな目をますます大きく見開いて、でも、ちょっと後ずさりして、僕の後ろに隠れて見ていた。

 彼も僕らの視線を気にしながら、それでも特にためらうこともなく靴を脱ぎ、いつもやっているという風な感じで家の中へと上がり込んだ。そして僕らが止める間もなくそのままキッチンの方へと歩いていった。僕らはなす術もなく、彼の後を付いていくしかなかった。

 キッチンに入ると彼は、シチューの入った鍋の前で立ち止った。そして鍋のフタを開け、ガスを点火した。点火した時のぐつぐつ感でシチューがほとんど温まっているのに気が付くと、屈んで火を見ながら、弱火にしていった。

 そして僕達の方にくるりと振り向いて、

「あの、食事にしませんか。シチューも温まっていますよ。」

 と、はにかんだように話しかけてきた。

 その様子が何だかとても憎めない風だったから、僕は彼が無断で新聞受けから入ってきたことを咎める気がすっかり失せてしまった。夏美の方は、どうやら彼に興味を持ってしまったみたいで、そうね、と答えると、食器棚からシチュー皿とサラダの取り皿をそれぞれ3枚、フォークとスプーンも3本取り出して、テーブルに並べて、

「じゃあ、あとは私がやるから、お客さまは座ってね。」と、そのなぞの男に席をすすめ、シチューを皿に盛り付けはじめた。

 僕はほんの一瞬とまどった。どうして日曜のお昼に突然の部外者と一緒に食卓を囲むことになったんだろう。だけど、じっくり考えているヒマはなかった。というのは、夏美が僕に目で合図してきたからだ。夏美は僕に何かさせたい時にこの視線を送ってくる。合図に気付いたのに知らないふりをすると、後でとんでもない逆襲がやってくる。僕はせっかくの日曜日に喧嘩なんてしたくなかったから、夏美の視線が指示するまま、冷蔵庫から作ってあったサラダを取り出し、買ってきたばかりのバケットを切り分けることになった。

「さあ、食べましょう。ドレッシングは好きな方を使ってね。イタリアンと胡麻ドレッシングがあるの。」

 すべてが整ったテーブルを前に、夏美が言った。

 それから僕たちは何を話すでもなく、黙々と食べ続けた。用意したものがすべてなくなった後、夏美がコーヒーを入れてくれた。

 コーヒーを飲み終えると、侵入者は突然立ち上がり、

「それじゃ、さようなら。またいつか。」と、今にも涙がこぼれそうな目で僕らを一瞥すると、今度は、今食べ終えた食器が置かれている流しの排水溝へと滑り込んでいった。その細い排水溝へと身を滑らせていく様子は、さっき僕が想像した通り、手を頭の上にあげて、プールに飛び込むような感じだったので、僕は何となく満足だった。

 結局僕は、彼がやってきた理由を聞くこともなかったし、彼が勝手に僕たちの部屋に上がり込んできたことを咎めることもなかった。これって、僕が臆病だからなのかな、またいつもの事なかれ主義が出ちゃったのかなって考えていた時、

「最初はびっくりしたけど、何だか楽しかったな、あたし。」

 と、小さい声で夏美が言った。

 それを聞いて、僕はほっとした。これで良かったかなって思ったんだ。きっと僕も、彼のこと、気に入ってたんだと思う。これからも新聞受けはあのままにして、いつでも彼が僕らを訪問できるようにしておこう。(了)


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