おっとり天然な追放令嬢は、北の館の『雪の密室』を無自覚に打ち砕く
「お前のような気味が悪い無能は、我が伯爵家の恥だ! 今すぐ出ていけ!」
お父様の怒鳴り声が豪華な広間に響き渡ったのは、ちょうど一週間前のことでしたわ。
私――フランチェスカは、実家である伯爵家でずっと「ぼんやりしていて使い物にならない無能」と呼ばれて育ちましたの。
妹のリリアはいつも華やかなドレスを着て、お父様やお母様の前で愛らしく微笑んでおりましたけれど、私はどうにも上手に立ち回ることができませんでした。
だって、お父様のカツラが少しだけ右に二ミリ傾いていることや、お母様の首元の真真珠が一つだけ偽物にすり替わっていること、妹が大事にしているお人形の腕を自分で折っておいて「お姉様に壊された」と嘘をついている時の、独特なまばたきの癖――。
そういう「目についた日常の些細なこと」をただ素直にお話しすると、なぜか皆様、般若のような恐ろしいお顔で怒り出してしまうのですもの。
「余計なことを言うな! 気味が悪い!」
そうしてお部屋に閉じ込められる日々が続き、ついには「雪深き北の果てを治める、冷酷非道なノルディック公爵家へ嫁げ」と、実質的な追放を言い渡されてしまったのでした。
元婚約者のバートン様も「そんな不気味な女、僕の妻にふさわしくない」とお父様に同調して、私の婚約はあっさりと破棄されてしまったのです。
「あそこは『氷の公爵』と呼ばれる恐ろしい男が住む館だ。二度と戻ってくるな!」
馬車に揺られること数日。
たどり着いた北の地は、見渡す限りの銀世界でございました。
ガタガタと寒さに震えながら辿り着いた大きな館の応接間。
そこに待っていたのは、噂通りの厳格なお方――アルフレッド・フォン・ノルディック公爵様でした。
銀色の美しい髪に、氷のように冷ややかな青い瞳。
背が高く、無駄のない立ち振る舞いからは近づきがたい凛とした威厳が漂っております。
アルフレッド様は、椅子に深々と腰掛けたまま冷たい視線で私を見下ろしました。
「ようこそノルディック家へ、フランチェスカ嬢。……単刀直入に言おう。我が領地は寒冷で、娯楽もない。君の実家から送られてきた手紙には『何もできない無能』とあったが、我が家にそのような役立たずを優しく甘やかしてやる余裕はないぞ。」
氷のように鋭いお声。
普通のご令嬢でしたら、ここで恐怖に身をすくませて泣き出してしまうのかもしれませんわね。
でも、私は違いましたの。
(まあ……! なんて素敵なのかしら!)
アルフレッド様の机の上に置かれたお皿に、私の目は釘付けになってしまったのです。
「まあぁっ! なんて可愛らしい……! アルフレッド様、そちらにございますのは、おひげの形をしたスコーンでございますか?」
「……は?」
冷酷な威圧感を放っていたアルフレッド様が、一瞬、呆けたように目を丸くされました。
「スコーン……? いや、これはただの焼きムラで、偶然いびつな形に――」
「いいえ、とっても愛らしい形ですわ! あ、そちらの立派な暖炉、煙突の奥の左側に大きな鳥さんがお巣を作っていて、煙がお部屋に逆流しそうですから、後でお掃除された方がよろしいですわねぇ。ふふ、温かいお茶とスコーン、いただきまーす♪」
私はぽわんと微笑みながら、運ばれてきた焼き立てのスコーンをサクッと一口頬張りました。
外はカリカリ、中はふんわり。
バターの豊かな香りがお口いっぱいに広がり思わず「ほわぁ……天国ですぅ……」と頬が落ちそうになります。
その横で、アルフレッド様は固まっておられました。
「……待て。今、何と言った?」
「はい? スコーンがとっても美味しいですわ!」
「そうではない! 煙突の話だ!」
アルフレッド様はハッと我に返ると、すぐ後ろに控えていた老執事トマスさんに鋭い視線を向けました。
「トマス、今すぐ暖炉の煙突を確認しろ」
「は、はいっ! ただちに!」
数分後。
顔を真っ黒な煤だらけにした老執事トマスさんが、大慌てで戻ってまいりました。
「こ、公爵様……! 驚きました……! 煙突の奥深く、左側の曲がり角に、渡り鳥が大きな巣を作っておりました! これ以上火を焚けば、煙が逆流して館中に充満するところでございます……!」
「なっ……!?」
アルフレッド様が、ガタッと勢いよく椅子から立ち上がりました。
氷のような青い瞳が、今や見開かれて私を注視しています。
「なぜだ……!? 煙突の内部など、外からは一切見えないはずだ! まだ火を入れたばかりで、煙も目立っていなかった! 君は一体どうやって……!?」
「あらぁ?」
私は首をかしげました。
「どうやって、と言われましても……。暖炉から立ち上る煙のゆらぎ方が、ほんの少しだけ左に三度傾いて不自然に渦を巻いておりましたもの。いつもと空気の流れが違えば奥に何か詰まっているのかなぁって分かりますでしょ? 普通ですわよねぇ?」
「ふ、普通なわけがあるかーーー!!」
アルフレッド様が、思わずといった様子で頭を抱えました。
「君は……君のその目は、一体どうなっているんだ……? 伯爵家は『何もできない無能』と書いて越してきたが、これを無能と言うなら世の人間は全員盲目だぞ……!?」
「まあ、アルフレッド様ったらお上手ですこと。実家では『気味が悪い』と怒られてばかりでしたのよ?」
私がのんきに紅茶を口に運ぶと、アルフレッド様は深く深く溜め息をつかれました。
それから、そっと私に歩み寄り大きな手で私の頭を優しく撫でてくださったのです。
その手は少しだけ緊張で震えていて、でも、驚くほど温かいものでした。
「……気味が悪いなどとんでもない。素晴らしい観察眼だ。君のような聡明な者を無能と切り捨てるとは、君の実家は相当な愚か者の集まりだな。」
生まれて初めて、私の『見えているもの』を褒めていただきました。
胸の奥がぽかぽかと温かくなり、私は嬉しくなってニコッと微笑みました。
「ありがとうございます、アルフレッド様! 私、ここがとっても気に入りましたわ!」
「……くっ」
私の笑顔を見た瞬間、アルフレッド様はなぜか片手で顔を覆い、耳まで真っ赤にして背を向けてしまいました。
◇
北の館での暮らしは、私にとって夢のような日々でした。
毎朝ふかふかのベッドで目が覚め、優しいトマスさんが運んでくださる温かいスープと焼き立てのパンをいただき、昼間はアルフレッド様と暖炉の前でお茶を楽しむ。
実家で冷遇されていたのが嘘のように、皆様が私を『チェスカ様』と優しく呼んで大切にしてくださったのです。
アルフレッド様も、最初は「氷の公爵」なんて呼ばれておりましたけれど、私がお菓子のくずをお口につけていると呆れながら拭いてくださったり、お散歩の時には寒くないようにとご自身の厚い毛皮のコートをそっと肩にかけてくださったりと、本当にとってもお優しいお方でした。
ですが、そんな幸せな日々が始まって数日目の朝。
館を揺るがす恐ろしい事件が起きてしまったのです。
「こ、公爵様! 大変でございます!!」
朝の静けさを破り、若い騎士が青ざめた顔で応接間へ飛び込んできました。
「離れの宝物庫で、執事長のトマス殿が倒れているのが発見されました! 頭部を殴られて気絶しており、保管されていた王家ゆかりの秘宝『氷結晶の首飾り』が盗まれています!」
「なに……!? トマスが!?」
アルフレッド様の顔色が一変しました。
私も手に持っていたお匙をポロリと落とし、大慌てでアルフレッド様の後を追って庭の奥にある離れへと向かいました。
現場となった離れは、石造りの立派な建物でした。
さいわい、トマスさんは意識を取り戻し、命に別状はないとのことでしたが頭に包帯を巻いて青い顔をしておられました。
「申し訳ございません、公爵様……。昨夜、保管庫の定期見回りをしておりましたところ、背後から急に何者かに殴られ……そのまま意識を失ってしまいました……」
「咎めるつもりはない、トマス。無事でよかった。……それより、犯人の逃走経路はどうなっている?」
アルフレッド様が厳粛なお声で騎士たちに尋ねると、現場を調べていた騎士隊長が困惑しきった様子で首を振りました。
「それが……不可解極まりないのです。離れの頑丈な鉄の扉は内側から施錠されており、窓もすべて内側からストッパーがかかっておりました。完全な『密室』です。さらに……」
騎士隊長は、離れの周囲に広がる真っ白な庭を指さしました。
昨夜から今朝にかけて、北国特有の激しい新雪が降り積もっていました。
地面は足跡ひとつない、美しい白銀の絨毯となっています。
「ご覧の通り、地面の新雪には……人間はおろか、鳥や動物の足跡すらひとつもついておりません! 鍵のかかった密室で、足跡もつけずに宝を盗んで消えるなど不可能……! まさに『足跡なき不可解犯罪』でございます! 館の者たちからは、魔物や呪いの仕業ではないかと不安の声が上がっております……」
「呪いなどあるものか!」
アルフレッド様が一刀両断に否定しましたが、その表情には濃い苦悩の色が浮かんでいました。
(内側からの施錠、新雪の上の足跡ゼロ……。人間が物理的に侵入し、脱出するのは絶対に不可能な状況だ。一体どんな特殊な仕掛けを使えば、足跡を残さずに離れから逃げられるというのだ……!?)
天才的な頭脳を持つアルフレッド様だからこそ、事件の「不可能さ」の迷宮にはまり込んでしまったようです。
ですが――。
「あらぁ?」
一人でお庭の柵から身を乗り出し、雪景色を眺めていた私はふと不思議に思って首を傾げました。
「ねえ、アルフレッド様。足跡がないとおっしゃいますけれど……あちらの離れの屋根の雪、なんだか不自然に『大きな滑り台』みたいに斜めに削れていますわねぇ?」
「……なんだと?」
アルフレッド様がハッと顔を上げました。
「離れの屋根……? 風で雪が崩れただけではないのか?」
「そうですかしら? だって、あんなに綺麗に長い板を渡して滑り降りたような跡がつくなんて不思議ですもの。……あ、見てくださいな! あそこの大きなモミの木の高い枝に、誰かが使ったあとの『竹馬』みたいな長い靴が引っかかって……あら、あんなところに置き忘れたら風邪をひいてしまいますわねぇ」
「……!!」
その瞬間、アルフレッド様の青い瞳が激しく見開かれました。
(そうか……!! 地面に足跡がないのではない! 最初から『地面を歩いていない』のだ! 離れの二階の窓から屋根へ登り、積もった雪を滑り台にして大木の枝へ跳躍……! 竹馬のような装具で衝撃を殺しながら木々を渡り歩けば地面の新雪の上に足跡を一切残さずに脱出できる……!!)
アルフレッド様はハッと息を呑み、信じられないものを見る目で私を見つめました。
「チェスカ……君は一瞬で、犯人が使った『足跡なき密室の抜け道』を見破ったというのか……!?」
「あらぁ? 見破っただなんて、そんな大層なことではありませんわよ? ただ、お空を跳ぶ鳥さんみたいで面白そうだなぁって思っただけですもの♪」
私がぽわぽわと微笑む横で、アルフレッド様は震える手で自身の額を押さえました。
(ダメだ……この子は本当に、自分がどれほど恐ろしい解明をしているのか一切自覚していない……!)
「しかし、公爵様!」騎士隊長が困惑したように問いかけます。「物理的な脱出経路がわかったとしても、離れの中にどうやって忍び込み、トマス殿を襲ったのか……内部の施錠はどう説明するのですか?」
「それについては……」
アルフレッド様が考え込もうとした、まさにその時です。
「あら? そういえば、あちらにいらっしゃる若手使用人のピーターさん」
私がぽつりと呟いた言葉に、現場にいた館の使用人たちが一斉に振り返りました。指指された若い男の使用人ピーターは、顔をひきつらせて激しく動揺しました。
「な、なんですかフランチェスカ様! 私が何か……!?」
「いいえ? ただ、ピーターさんの右手の袖口から、トマスさんがいつも大切に持っていらっしゃる『保管庫の合鍵の油の匂い』がほんのり漂ってきておりますの。あと、ポケットのあたりから『氷結晶の首飾り』のひんやりとした甘い香水の匂いもいたしますわ? 綺麗な首飾りを隠し持っていらっしゃるのかしらぁ?」
「ヒッ……!?」
ピーターの顔から、一瞬で血の気が引きました。
「バ、バカな……! 匂いだと!? 服の上からそんなものが嗅ぎ分けられるわけが――」
「捕まえろ!!」
アルフレッド様の一喝が響き渡りました。
即座に騎士たちが飛びかかり、逃げ出そうとしたピーターをねじ伏せて取り押さえました。ピーターのポケットからは、布に包まれた『氷結晶の首飾り』と、複製された宝物庫の合鍵が転がり落ちたのです。
「な、なぜだ……! なぜバレたんだ……! 完璧な計画だったのに……!」
地面に倒されたピーターが、血走った目で絶望の叫びを上げました。
ピーターは、あらかじめ合鍵を作って離れに潜み、見回りに来たトマスさんを襲って首飾りを奪ったのです。そして窓から屋根へと逃げ、事前に準備していた道具で木へと飛び移り、「雪の上の足跡ゼロ」という完璧な密室を作り上げて外部の者の仕業に見せかけようとしていたのでした。
「ピーター、お前を指示した裏の人間を吐け。さもなくば国家謀反罪として処断する」
アルフレッド様の氷のような威圧感に屈し、ピーターはガタガタと震えながらすべてを白状しました。
「ひ、ひぃぃっ! すみません! 私は……私はチェスカ様の実家である伯爵家と、その元婚約者のバートン様に金で買収されたのです! 『チェスカへの腹いせに、公爵家の宝を盗んで価値を暴落させてこい』と命じられて……!」
「……なに?」
アルフレッド様の青い瞳に、凄まじい怒りの炎が宿りました。
実家の伯爵と元婚約者バートンは、チェスカを「無能」と捨てただに留まらず、北の公爵家に嫌がらせをするために盗みを働かせていたのです。
「トマスを傷つけ、チェスカのいる我が家を愚弄した罪……決して許さん。」
アルフレッド様は即座に国境騎士団へ命を出し、王都にいる伯爵家とバートン男爵家へ家宅捜索が入ることになりました。
数日後、裏工作の決定的な証拠が押収され、私の実家と元婚約者の家は国家欺瞞および盗難教唆の罪で即座に爵位剥奪・家名断絶となり、全員が牢獄へと送られたという報せが届いたのです。
「まあぁ、お父様やバートン様たちは牢獄でお掃除されることになったのですか? お部屋が綺麗になるとよろしいですわねぇ」
相変わらず状況をのんきに受け止める私を見て、アルフレッド様は呆れたように深く溜め息をつかれました。
◇
事件が解決し、再び静かで温かな日常が戻ってきたある日の午後。
私は館のお庭が見えるテラスで、アルフレッド様と並んで温かい紅茶を飲んでおりました。
「チェスカ」
「はい、アルフレッド様?」
お茶菓子のアモーレチョコを口に運ぼうとした私に、アルフレッド様が優しく呼びかけました。
ふと見上げると、普段はクールなアルフレッド様が、耳まで真っ赤にしながら私の前にひざまずいておられたのです。
「ア、アルフレッド様……!? お膝が冷たい床についてしまいますわ?」
「構わない。……チェスカ、俺の話を聞いてくれ。」
アルフレッド様は、私の両手を大きな手で優しく包み込みました。
その手はとても温かく、真摯な熱を帯びていました。
「君の実家は君を『無能』と呼び虐げて捨てた。だが君は誰にも真似できない素晴らしい瞳と純粋で美しい心を持っている。君がいてくれたからトマスも我が家の宝もこの館も救われたのだ」
「まあ……」
「俺は……君のその天才的な視点もおっとりとした可愛らしい笑顔もそのすべてを愛している。冷たく暗かったこの北の館に君が温かな光をもたらしてくれたんだ」
アルフレッド様は真っ直ぐな青い瞳で私を深く見つめました。
「フランチェスカ。俺の妻になってくれませんか? 一生、君を愛し、大切に守り抜くと誓う。」
私は胸の奥が熱いものでいっぱいになりました。
実家では誰にも見てもらえなかった私。
気味が悪いと嫌われていた私の『見えている世界』を、アルフレッド様は誰よりも認めて愛してくださったのです。
ポロポロと、嬉し涙が溢れて頬を伝いました。
「はい……! アルフレッド様! 私でよろしければ……喜んで!」
私が微笑んでうなずくと、アルフレッド様は感極まったように私を強く強く抱きしめてくださいました。
「ありがとう、チェスカ……! これから毎日、君の好きなスコーンを溢れるほど用意しよう」
「まあぁっ! 本当ですか!? 毎朝スコーンが食べられるなんて、私、世界で一番の幸せ者ですわ〜♪」
冷たい雪に包まれた北の館で。
私は最高に優しい旦那様と出会い、これからもずっと無意識にたくさんの不思議を見つけながら飛び切りの幸せを掴み続けていきますわ。
(おわり)




