第64話 帰郷
村の見張り台が見えたとき、胸の奥で双炎が静かに輪を描いた。
王都から続いた長い道のりは、朝霧を割る陽光のようにここでほどけていく。
畑の列は冬支度に入り、納屋の戸には新しい蝶番がきらりと光っていた。
門前で犬が吠え、次いで歓声が広がる。
「エイル! ヴェルダン!」
走り寄ってきたのは近所の子どもたちだ。小さな手が僕の外套をつかみ、土の匂いが跳ねる。
ヴェルダンが照れくさそうに笑い、赤い瞳を細めて手を振った。
集会所の前で、父ロドルフが腕を組んで待っていた。
筋張った掌、日焼けした頬。けれどその目は、昔より少し柔らかい。
「戻ったか」
「ただいま、父さん」
固く握った手の感触に、旅の疲れがほどけていく。
母が駆け寄り、土埃も構わず僕を抱きしめた。
肩口に温かな涙が落ちる。
「よく……帰ってきたね」
僕はうなずき、胸の奥で白き炎をそっと灯した。清らかな熱が、母の震えを静かに包む。
少し離れたところで、妹がこちらを見ていた。
大きくなった瞳が揺れ、次の瞬間、弾むように駆けてきて僕の手をぎゅっと握る。
何も言わない。でも手の温度がすべてを伝えていた。
やがて広場に人が集まり、収穫祝いの卓が並べられた。
焼かれた麦餅の匂い、蜂蜜酒の琥珀色、焚き火のぱちぱちという音。
僕とヴェルダンは皆に囲まれ、旅の話を何度もせがまれる。
危ういところは笑いに変え、失ったものはそっと胸にしまう。
「王都はどうだった」
ロドルフが素朴に問う。
「強かったよ。恐れもある。でも、それ以上に立ち上がる力があった」
僕の言葉に、父は満足そうに頷いた。
「なら、ここの畑も負けておれん。春には畦を増やす」
夕刻、焚き火が高くなるころ、ヴェルダンが空を見上げた。
「静かだな」
「うん。世界はまだ揺れてるけど、ここはもう大丈夫」
白き炎が胸で微かに明滅し、黒炎はその輪郭に沿って穏やかに揺れた。どちらも僕の一部で、ここにいていい。
母が湯気の立つスープを手渡してくれる。
「身体にしみる……」
素直に漏れた言葉に、隣でヴェルダンが笑った。
「王都の豪華な料理より、これが勝ちだな」
夜風が村を撫でる。
遠くの森から梟の声が届き、満ちていく月が屋根を銀色に染めた。
僕は焚き火の火床に小さく手をかざし、白き炎の微かな火花を落とす。
光と熱を伴う清らかさが輪になって広がり、人々の顔を柔らかく照らした。
輪の向こうで、ロドルフが立ち上がる。
「エイル。明日の朝、畑を見回るぞ。春に向けて、一緒に段取りを決めたい」
「うん。僕も手伝うよ」
その約束は、戦いの報奨より嬉しかった。ここに在る日々へ、確かな手触りでつながるからだ。
宴が収まり、各家の灯が点る。
僕は家の戸口で一度振り返った。
この村、この空、この匂い。
守りたかったものは、ちゃんとここに残っている。
寝台に横たわると、普段なら騒がしいはずの心が静かだった。
双炎は円のまま、ゆっくりと回り続ける。
白も黒も、世界と共に歩くための力。
僕は目を閉じ、深く息を吸い込んだ。
明日、畑を歩く。
その先に、まだ知らない呼び声があれば、また旅に出ればいい。
けれど今夜だけは、帰郷の温度を胸いっぱいに満たして眠ろう。




