第57話 石の祭壇へ
夜明け前、集落は深い霧に包まれていた。
焚き火の残り香だけが、かすかな暖かさを伝えている。
僕とヴェルダンは護符を胸に下げ、長老に見送られながら荒野へと足を踏み出した。
冷たい空気が肌を刺す。
足下の砂は湿り、遠くの地平には赤く淡い光が揺れている。
その光が、古い石の祭壇があるとされる場所――北の断崖の方向を示していた。
朝日が昇りきる前に辿り着く必要がある。
太陽が高くなれば、荒野を覆う霧が散り、僕たちの存在を“あの意識”に知られるかもしれない。
胸の奥で白き炎が微かに揺れ、黒炎が静かに低く唸る。
――急げ。
やがて霧が薄れ、風が強くなる。
地面には、奇妙な紋様を描く裂け目が無数に走っていた。
渦を巻くようなその形は、どこか生き物の脈動を感じさせる。
「ここから先、普通の大地じゃない」
「わかってる」
ヴェルダンが拳を握り、赤い瞳を細める。
断崖が近づくにつれ、空は暗く、雲は鉛色に重なった。
風が急に止み、耳鳴りが響く。
石の祭壇が、霧の切れ間から姿を現した。
高さは人の背丈ほど、表面には無数の古い文字が刻まれ、中央には深い裂け目が走っている。
裂け目から、赤黒い光が脈を打つように漏れ出ていた。
「ここだな」
「……あの声、聞こえる?」
ヴェルダンが小さくうなずく。
「心に直接響いてくる。歓迎されてない」
近づくと、足下の砂がわずかに動いた。
裂け目から黒い蔦のような影が伸び、地面を這い始める。
白き炎を刃に纏わせ、僕は一歩踏み出した。
その瞬間、祭壇全体が低く唸り、周囲の裂け目から無数の影が湧き上がる。
「守護者……」
「やっぱり出てきたな」
ヴェルダンが素早く構えを取り、赤い瞳を光らせる。
影たちは人の形をとり、黒い靄をまとった腕を伸ばして迫ってきた。
僕は白き炎を放ち、最初の一体を斬り払う。
炎が闇を裂き、影は悲鳴のような音を残して崩れた。
だが次々と湧く影は止まらない。
ヴェルダンが拳で一体を吹き飛ばしながら叫ぶ。
「数が多い、エイル!」
「わかってる!」
祭壇の裂け目から放たれる赤黒い光が、さらに強く脈動した。
影たちの動きが一斉に速くなる。
僕は白き炎をさらに強め、周囲に円を描くように燃え広げた。
炎が守りの輪となり、影たちを押し返す。
だが、祭壇の裂け目から新たな声が響く。
――エイル……来たか。
その声は骨の奥に直接響き、全身を冷たい痺れが駆け抜けた。
黒炎が胸の奥でざわめき、僕を誘惑するように揺れる。
白き炎がそれに抗う。
「俺を……知っている……?」
「エイル!」ヴェルダンの叫びで、我に返る。
影の一体が輪を突破し、僕へ腕を伸ばしていた。
白き炎を瞬時に集中させ、切り裂く。
祭壇の裂け目がさらに広がり、赤黒い光が夜明けの空を染めた。
その奥で、形を持たぬ“意識”が微笑んでいるように感じた。
僕は剣を握り直し、白き炎をさらに強めた。
「ヴェルダン、ここが始まりだ。絶対に後れを取らない」
「もちろんだ。終わらせよう」
荒野の風が再び吹き、砂塵が炎に揺れる。
僕たちは祭壇を取り囲む無数の影に向け、同時に踏み出した。




