第49話 証の重み
東区の古い市場を出るころには、空の色がわずかに白み始めていた。
僕とヴェルダンは、黒く煤けた石片と、鎧の継ぎ目から剥がれ落ちた赤黒い繊維を布袋に収める。近衛に擬態した“何か”が残した痕跡――これが、裏切りの動かぬ証になる。
禁光庁の塔の前では、夜番の兵が肩をすくめて待っていた。
「戻ったか。レフ殿が上で待っている」
僕らは短く頷き、螺旋階段を駆け上がる。青白い魔灯が息の白さを浮かび上がらせ、石壁に足音が反響した。
最上階。扉が開くと、地図を広げたレフと、ミル、ゾルドが視線を上げた。
「遅かったな」
レフの声は静かだが、張り詰めている。
ヴェルダンが袋を差し出した。
「近衛の鎧から出た。中身は人間じゃない。蔦の繊維に似たものだ」
レフは布袋を受け取り、卓上の硝子皿に中身を落とす。灰色の瞳がわずかに細まった。
ミルが息を呑む。
「……見間違えようがない。鐘楼の繭と同質だ」
ゾルドは端から匂いを嗅ぎ、短く頷く。
「人を“器”にしている。外見だけ近衛だが、内側は根で補強されている」
僕は背筋に冷たいものを感じた。
「つまり、近衛は侵入を許しただけじゃない。もう“中”から変えられてる……」
レフが硝子皿を覆い、低く告げた。
「この証は重い。だが上層部に突きつけるには、もう一押しが要る。中枢へ繋がる“導管”――繭の種と『どこか』を結ぶ管の所在だ」
「どこか?」
「王都の心臓部だ」レフは地図の中心、王城と城下を貫く細い青線を指でなぞる。「給水路。水は城から各区に流れ、井戸へと落ちる。もし水脈に導管を通していたら……」
僕の喉がひゅっと鳴った。
「街全体が、同時に侵される」
「そうだ。東区の残りの印――これが給水路の“落とし口”に重なる。先に押さえる」
ヴェルダンが赤い瞳を細め、拳を握る。
「そこへ案内してくれ」
レフは頷きかけ――ふと扉の方へ視線を流した。
同時に、階下から金属の打ち鳴らす音。怒鳴り声。
「禁光庁を包囲せよ――証物を押収する!」
凍りつくような号令。僕らは顔を見合わせる。ミルが蒼白になり、ゾルドが窓辺へ走った。
「近衛だ。……数が多い」
扉がドンと震え、閂がきしむ。
レフは一瞬だけ目を閉じ、すぐさま動いた。
「逃げる。ミル、地下の書庫から清掃路へ。ゾルドは遅滞を」
ゾルドが口角をわずかに上げる。
「足止めは得意だ」
「無茶はするな」
短い応酬ののち、僕とヴェルダンはレフとミルに続き、背面の細い階段へ飛び込んだ。
石の通路は冷たく湿り、天井低く圧し掛かる。
「レフ、どうして彼らがここへ?」
僕の問いに、レフは息を整えたまま答える。
「“証物の押収”は建前だ。君らが持ち帰った証と、禁光庁の記録――すべてを黙らせに来た。……上にも、敵がいる」
(やっぱり……)
胸の奥で黒炎がざわつき、白き炎がそれを押さえ込む。息を浅く、足を静かに。
地下の書庫に降りると、古い本棚が迷路のように並んでいた。
ミルが棚の陰へ身を入れ、石床の角を押し込む。ガコン、と音がして、床板が半分ほど沈む。
「ここから清掃路へ落ちる。王城下の給水路へ繋がるはずだ」
「“はず”?」ヴェルダンが眉を上げる。
「昔の図面だ。塞がれていなければ、だが」ミルは苦笑し、先に飛び降りた。
僕とヴェルダンも続く。
足裏に冷水の感触。細い導水路が足首ほどの深さで流れている。
真横の壁には、見覚えのある黒い筋――細い根が、石の継ぎ目を縫っていた。
レフが低く呟く。
「導管は、やはり水だ」
そのとき。上から爆ぜる音、石片が雨のように降り、書庫の天井に亀裂が走る。
ゾルドが時間を稼いでいる――長くはもたない。
ヴェルダンが導水路の先へ目を凝らした。
「流れが濁ってる。……赤黒い」
僕は剣を抜き、白き炎を細く灯した。水面が淡く光り、向こうの闇に波紋が走る。
闇の中から、ぬるりと何かが持ち上がった。
水に根を垂らした黒い塊――掌ほどの“繭の種”が幾つも連なり、管のように絡み合っている。
「燃やす」
言いながら、僕は炎を最小限に絞って水面へ這わせた。
ジュ、と嫌な音。黒い繊維が縮み、水が一瞬だけ澄む。
だが、奥から次々と新しい種が押し寄せてくる。
「きりがない!」
ミルが呻く。
レフが地図を広げ、壁の凹みに指を当てた。
「落とし口はこの先の分水井だ。根をまとめて束ねている“核”があるはずだ。そこを断てば――」
導水路の奥から、低い咆哮が響いた。
水面が盛り上がり、赤黒い蔦が一斉に伸びる。
ヴェルダンが前に出た。
「俺が押さえる。エイル、先へ!」
「でも――」
「大丈夫だ。拳が届くところに“核”を出させる」
赤い瞳が燃え、ヴェルダンは蔦の群れへ飛び込んだ。水しぶきと黒い汁が跳ね、拳が根を砕くたびに咆哮が揺れる。
僕は息を詰め、分水井へ駆けた。
石造りの円筒の底、渦の中心に、心臓のように脈打つ塊――核。
(間に合え)
白き炎を刃に束ね、渦の瞬きと呼吸を重ねる。
「はぁっ!」
剣が弧を描き、炎が渦芯を縫って落ちた。
閃光。水と火が一瞬だけせめぎ合い、次いで白が黒を呑み込む。
核が痙攣し、導水路を満たしていた蔦がバタバタと萎れた。
背後でヴェルダンの拳が最後の根を砕き、静寂が戻る。
水はまだ濁っているが、流れがわずかに軽くなった。
レフが肩で息をしながら頷く。
「“導管”を一つ落とした。これで証は二つだ――侵食の機構と、近衛の器」
ミルが顔を上げる。
「十分だ。上層部も無視はできない」
その瞬間、頭上の石が重く鳴り、遠くで笛の音がした。
ゾルドだ。撤退の合図。
ヴェルダンが僕の肩を叩く。
「戻るぞ、エイル。まだ終われない」
「うん」
導水路を遡り、書庫へ戻る。崩れた本棚の隙間から、朝の冷気が流れ込んでいた。
ゾルドが血の滲む袖を押さえ、壁にもたれて笑う。
「派手にやったが……時間は稼いだ」
レフは短く礼を述べ、硝子皿と地図を革袋に収める。
「禁光庁は一度、殻を捨てる。証を持って“第三の耳”へ行く――王城の中にも、聴いてくれる者がいる」
王都の影は濃い。けれど、流れは確かに変わり始めている。
僕は胸の奥で白き炎を静かに強め、黒炎の揺らぎをそっと包み込んだ。
――ここから、闇の根を引き抜く。




