第33話 旅立ちの朝
夜を覆っていた瘴気が消え去り、村には静かな星空が戻っていた。
斑のチュロシュは討ち果たされ、血の大樹も崩れ落ちた。けれど僕の胸の奥で黒炎がまだ蠢き、すべてが終わったわけではないことを告げていた。
「……行くんだな」
父ロドルフの声が背中から響いた。
振り向けば、鎧を脱いだ父が立っていた。戦いの傷は深く、その表情には疲労が刻まれていたが、瞳は騎士のままの鋭さを失っていなかった。
「うん。村を守れたのは嬉しいけど……ここだけじゃない。あの大樹みたいなものが、他の場所にもあるかもしれない」
「そうだろうな」
父は重く頷き、僕の肩に手を置いた。
「だからこそ、俺は村を守る。お前は……外で戦え。息子としてではなく、一人の戦士として」
言葉が胸に響いた。僕はただ真っ直ぐに「はい」と答えるしかなかった。
そのとき、足元に柔らかな感触があった。
リーセだ。母ティルザの腕からするりと抜け出し、僕の服を掴んでいた。まだ言葉を覚えない妹は、ただ大きな瞳で僕を見つめている。
「……リーセ」
僕は腰を落とし、妹の頭を撫でた。言葉にはならない別れを、その温もりで伝え合う。
「エイル……」
母ティルザが僕の手を握った。細い指が震えている。
「危ないことは……」
「しないって言えない。でも、必ず帰ってくる」
そう言うと、母は目を潤ませながらも笑った。
「あなたは……昔から強情ね。でも、その強情さに何度も助けられたわ」
ヴェルダンが歩み寄ってきた。赤い瞳が夜明けの光を映し、彼もまた決意を宿していた。
「行くぞ、エイル。俺たちが立ち止まれば、次に襲われるのは別の村だ」
「分かってる」
背負った荷物は軽い。それでも心は重い。でも、その重さが僕を前へ押していた。
村の門に立ち、振り返る。
人々が手を振っている。昨日まで恐怖に震えていた顔が、今は希望を帯びていた。
父が最後に一歩前へ出て、低い声で告げた。
「エイル、ヴェルダン。お前たちが背負うものは重い。だが忘れるな――重さを共に分け合えるのが仲間だ」
「……はい!」
僕とヴェルダンは声を揃えて応えた。
門を越え、一歩外へ踏み出す。
夜明けの空が赤く染まり、風が頬を撫でた。
新しい旅が、ここから始まる。




