第11話 魔女の囁き
村は、不気味な静けさに沈んでいた。
黒騎士の剣が石畳を擦るたび、鈍い音が夜気に溶ける。砕けた家屋は呻くように軋み、霧は生き物のように広場を満たしていた。
愛の魔女グックルガムが、赤い靴音を響かせる。そのたびに霧の奥から、泣き声とも笑い声ともつかぬ呻きが漏れ、彼女は恍惚とした笑みでそれを浴びていた。
「母さん……! どうして行ってしまうの……!」
「あなた……ようやく戻ってきてくれたのね……!」
村人たちは誰もいない空へ手を伸ばし、涙をこぼしていた。幻影に絡め取られ、現実では身じろぎすらできない。
「ふふ……いい顔ね。愛に縋って、静かに沈んでいく姿……ほんとうに愛おしいわ」
グックルガムの囁きが、冷えた霧に混じって響く。
「やめろ!」
僕は剣を握りしめ、声を張った。
「村の人を弄ぶな!」
「弄んでなんかいないわ……幸せなんて幻で十分。崩れていく顔を見る方が、ずっと愛おしいのよ。あなたにも味わわせてあげる」
鳶色の瞳が僕を射抜いた瞬間、世界がゆらりと歪んだ。
――母さん。
――リーセ。
暖炉の火が静かに揺れ、母さんが優しく笑う。リーセが小さな手を伸ばしている。
「エイル……おかえり」
胸が締めつけられる。触れたくて仕方がない。
(違う……これは幻だ……!)
そう分かっていても、心は揺らいでしまう。
「エイル!」
遠くでヴェルダンの声が鋭く響いた。
「それは偽りだ! お前はそんな幻に縛られる奴じゃない!」
「偽りなんかじゃない」
母さんの幻が囁く。
「あなたの力で、みんな幸せになれるの」
胸が裂けるように痛み、右目から黒炎が滲む。
(もし僕が……力を解き放てば……本当に救えるのか……?)
その時、再びヴェルダンの叫びが心を貫いた。
「エイル! お前が苦しむ未来なんて、俺は絶対に認めない!」
胸の奥に熱が芽吹く。黒炎とは異なる、柔らかで清らかな光――。
白き炎が静かに燃え上がり、やがて僕の全身を包み込んだ。
「……これは……!」
剣先に宿った白き炎が幻へ触れる。淡い光が広がり、一つ、また一つと影が砕けて消えていった。母さんとリーセの姿も光に溶け、澄んだ空気だけが残される。
「う……あぁ……」
倒れていた村人が顔を上げた。瞳から幻の靄が静かに晴れ、現実が戻っていく。
「夢を……見ていたのか……?」
「声が……聞こえた……エイルの声が……」
剣から広がる白き炎は、村人たちの胸を静かに灯し、傷ついた心を優しく照らしていた。
「……ば、馬鹿な……」
グックルガムの瞳が大きく揺らぐ。
「私の幻を……焼き払うなんて……!」
僕は剣を構え直し、ヴェルダンの隣に並んだ。
「幻には負けない! 僕は、守るために戦う!」
夜空に、黒炎と白き炎が同時に燃え立つ。
それは破壊と守護――二つの意志が、一人の少年に宿った証だった。




