第3話 温かさにかつての仲間を重ねて
あてのない旅をどれほど歩いただろう。
地図も持たず、目指す場所もない。気がつけば、俺の足は緩やかな山のふもとへと続いていた。
そこには、一つの村があった。
木造の家が並び、井戸の水音が静かに響いている。畑では腰をかがめた老人が鍬をふるい、子どもたちは笑いながら泥遊びをしていた。
――平和だった。
魔王の魔の手を逃れていたのだろうか。
「……こんな場所が、まだあったんだな」
思わず呟いた言葉に、誰かが反応した。
「おや、旅のお方かい? 珍しいね、こんな辺境まで来るなんて」
振り返れば、年配の女性がかごを抱えて立っていた。
ふっくらした笑顔。どこか、昔の仲間――サラの面影があった。
「ああ……通りすがりです。少し、休ませていただければ……」
「もちろんさ。村に悪い人なんていないよ。よければ、うちでお茶でも飲んでいきな」
言われるままに、連れられて向かった家は、質素ながら清潔だった。
お茶は香ばしくて、少し苦くて、それでも優しい味がした。
それからというもの――
気がつけば、その村に俺は“居ついて”いた。
「レオンさん、この木材、こっちにお願い!」
「わかった」
大工の手伝い。井戸の修理。畑の開墾。
何でもない、でも確かな“生きるための仕事”。
誰も、俺の過去を聞こうとはしない。
英雄でも、治癒士でも、誰かの戦友でもない。
“ただのレオン”として扱ってくれる。
「ありがとよ、レオンさん。あんた、器用なんだなぁ」
「これも治癒魔法の応用ですよ。骨組みを組むのと、骨を繋ぐのって似てますから」
「あっはっは! お医者の考えることは面白ぇな!」
俺の言葉に、村人たちは屈託なく笑った。
その笑い声が――懐かしくて、胸に刺さる。
エリクも、こうやって笑ってた。
剣を磨きながら、意味もない話をしていたサラ。
無口なくせに、皆の作戦を支えていたリュカ。
ポンコツに見えて、誰よりも空気を読むフィーネ。
……思い出すなって言われても、無理だ。
村に住むようになって、三週間が経った。
生活は驚くほど静かで、あたたかくて、心に沁みる。
朝は鳥の声で目覚めて、日が昇る前にパンを焼く。
昼は汗を流して働いて、夕暮れには火を囲んでみんなで食卓を囲む。
夜には、焚き火の前で、子どもたちが話しかけてくる。
「レオンさんって、昔どこかのお医者さんだったの?」
「うん……ちょっと、遠いところで、色々とな」
「すっごーい! じゃあ魔法も使えるんでしょ!?」
「まあ……ちょっとした応急処置くらいなら」
「ほんとに!? じゃあ、あたしの膝のキズ、治して!」
すりむいた膝に、そっと手を当てて癒しの光を灯す。
傷がみるみる消えていく様子に、子どもが目を丸くする。
「わぁ……! すごい……!」
その顔が、誰かに似ていた。
フィーネ。そうだ、あいつも回復魔法を教えたとき、こんな風に目を輝かせてたっけ。
俺の胸に、チクリと痛みが走る。
夜――
村人の家で借りた部屋。藁の布団に横たわりながら、ふと涙がこぼれた。
「……なんで……今さら、こんな優しくされんだよ……」
口から漏れた言葉は、情けないくらい震えていた。
「今さら……こんな場所があるなら……エリクたちも……こんなとこで、暮らせたのかな……」
誰も返事はしない。
だけど、どこかで焚き火がぱち、っとはぜた。
ぬくもりが胸に沁みる。
それは、どこか仲間たちの気配に似ていた。
……きっと、どこかで、見ててくれてるんだろうか。
そう思いたかった。
翌朝、井戸端で出会った老婆が笑顔で言った。
「あんた、泣いたあとはいい顔してるよ」
「……見てたんですか」
「焚き火の音と一緒にね。みんな、そうだよ。ここに来る人は、何かを失くして、何かを見つけに来る」
「……俺は、何を見つければいいんでしょう」
「それは、これからのお楽しみさ。焦らないでいいんだよ。生きてるだけで、今は充分だろう?」
その言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなった。
……ここに来て、よかったのかもしれない。
まだ何かを癒せるのなら。
たとえ世界に忘れられても、この小さな村の中でだけでも、人を癒せるのなら。
「……俺は、ここで生きていこう」
そう呟いた声は、誰にも届かないけれど、俺自身には、しっかり届いていた。
そして――あの少女と出会うのは、この村で暮らし始めて、一月と少し経った、ある雨の日のことだった。